真選組屯所の応接間にて、従業員二人を引き連れた坂田銀時は苛立たしげに体を揺すっていた。目の前には幹部である近藤と土方が並んでいる。どこか糸をピンと引いたような、あるいは肌を突き刺すような張り詰めた空気が漂っていた。
「で、俺らはどうしてこんなところにいるんですかァ」
泣く子も黙る警察トップを前に、常の死んだ魚の瞳で怖気付くことなく銀時は口を開く。
「こちとら頭にでっけーキノコ生やした熊退治手伝ってきて、満身創痍の状態なんですけど? なんなら俺らも頭にキノコ生えたんですけど? てめーらにも今から生やしてやろうか、コンチクショー」
キノコ狩りから帰ってくるや否や、お登勢の店の前でパトカーに乗せられ連行されてきたのである。気だるげどころか、不機嫌を微塵も隠すことなく銀時は胡座のまま鼻をほじりながら捲し立てる。もはやお前を蝋人形にしてやろうかという勢いだ。
それが終わらぬうちに、次はここぞとばかりにそうだそうだと後ろから援護が加わった。
「帰って凛子の作ったご飯食べる予定だったんだヨ! 松茸は手に入んなかったけど、でっかいキノコはあったネ! これで美味しい炊き込みご飯ができるってこっちはウキウキウォッチングだったっていうのによォォ!」
無論、神楽である。早く帰らせろと彼女の顔ぐらいの大きさのキノコを突き出しながら言う彼女に、「いや、それやばいやつ! また伝説は繰り返されちゃうやつだから、なんで持って来ちゃったの!?」と新八がツッコミを入れるが、このチャイナ娘が意に介すわけもない。
「うるさい眼鏡、食べ物を粗末にするなって母ちゃんから教わらなかったたアルか! 凛子だってそう言ってたネ! タブン」
「多分かいイイイイッ」
「おい新八、多分は絶対って学んだだろ。多分は絶対、絶対は多分、人間が口にする絶対ほど当てにならない言葉はないってな」
「それ、結局ダメじゃないですか!」
「うるせぇなあ、男がグチグチみみっちいこと言うんじゃねぇや」
「オマエェエエエエッ」
といった調子でいつもの万事屋節を突きつける。
対して、真選組側には絶えず神妙な空気が漂っていた。静かに瞑目する近藤は精神統一を行っているようにもはたまた彼らの有象無象の罵詈雑言を真摯に受け止めるようにも、はたまた受け流すようにも見える。
局長に代わり、口を開いたのは土方であった。
「その東雲のことだ」
騒ぎ立てていた三人衆が一瞬にして押し黙った。
「アイツがなんかしたのか」
眉根を寄せ、銀時は訊ねる。
思い出すのは凛子と彼がかぶき町で再会したときのこと。彼女は真選組に捕まり釈放されて間もなかった。使い古されたボロ雑巾さながらの格好で、青白い顔を川面に向け今にも崩れてしまいそうな背中をしていたのをよく覚えている。土方らが――というより土方が、だが――いまだ彼女のことをよく思っていないことも銀時は知っていた。
「いや」と銀時の問いに答えたのは土方ではなく近藤だった。
「彼女はなにもしていない」
ホッと神楽と新八が息をつくところをすかさず近藤が低い声で続ける。
「ただ……今、医務室近くの部屋で寝ている」
「は? 医務室? なに、アイツここにいんの?」
銀時の胡乱な返答に近藤は黙って頷いた。
「寝てるって、そういうことアルか? 凛子、ついにグラサンに寝取られちゃったアルか?」
「マジかよ。ウチの大事な居候、なに傷物にしてくれちゃってんの?」
銀時は続ける。
「ちゃんと責任とってくれるよね? アイツはな、白い花嫁衣裳を着て帝○ホテルで式あげるのが夢だったんだよ。そんで俺らにたらふくフォアグラ食わせてくれるって、言ってたらいいなあ」
「いや、それ結局銀さんの願望ですから」
と、新八が突っ込んだところで、ピシャンッ――と襖が勢いよく引かれる。
「旦那、安心しなせィ。俺が身を以て責任とりやすから」
仙台平のなめらかな羽織袴、金髪の髪。
「やっ、なんで紋付き袴着てんのォォオオオ! 銀さん許しません! ドSの国の王子様なんて、許しませんからねぇええええ!」
ちょうど良くその場に現れたのは、一番隊の沖田であった。
「ところで土方さん、山崎から伝言ですぜ」
立ち上がり声を張り上げる銀時を流して、沖田はこともなげに土方に向き直った。それが合図となり、土方も身動ぎひとつせず瞳孔の開いた鋭い瞳を部下に差し向ける。沖田は淡々と喋り始めた。
「昨晩、花街を抜けた小路近くで、派手な着流しを着た浪人が歩いて行くのを目撃した住人がいる、とのことで」
派手な着流し――銀時は眉を跳ね上げた。そして、唸るような声を腹の底から捻り出し、近藤と土方に向き直る。
「オイ、どういうことだ」
頭の中に思い浮かんだ男は、おそらく奴らの指す人物で相違ないだろう。その男と凛子がどう関係しているというのか。
いつもの半開きのやる気を欠いた目ではなく、怒気を孕んだ鋭い眼差しに、近藤は一文字に閉じていた唇を意を決して苦々しげに開く。
「昨日、凛子さんが血溜まりの中意識を失っていたのをトシが発見した」
一瞬の衝撃――。
「なっ……」
血溜まりの中で倒れていた――まさか。銀時の頭の中で最悪の想定が繰り広げられる。
「凛子、怪我したアルか!? 大丈夫アルか!? 生きてるアルか!?」
神楽が息もつかせぬ速さで近藤に掴みかかる。
「チャイナ、テメーは一旦黙んなァ」
だが、それを沖田が捕らえて雁字搦めにした。いつもなら止めに入る新八も、眉をこれでもかと顰め、近藤、土方、そして沖田の顔を順に見つめていた。
「怪我がないとは言えないが、その血は彼女のものではなかったようだ」
「凛子、生きてるアルか」
「ああ、怪我は命に関わるものではない」
近藤の言葉に、ぽつり呟いて神楽は安心したように暴れる力を緩める。
「良かった。凛子さん、無事なんですね」
「だが……」
近藤は決まり悪そうに言葉を淀ませた。
「オイ、ガキの前だぜ」
銀時は瞳を鋭く細めて、先を閉ざす。それから、それ以上は言ってくれるなよ、とでも言うように組んだ腕を解いて、片目を閉じながら首の付け根あたりをガシガシ掻いた。
済まない、と目を伏せる近藤の隣で土方が胸元から煙草を取り出して咥え、ライターで火をつける。
異様な空気であった。得てして十代の少年少女はその機微に敏感なものである、神楽と新八の顔が仔細を察し、泣きそうに歪められた。
まったく――内心で舌打ちをかましたくなるのを堪えつつ、表情をぴくりとも動かさずに銀時は紫煙を燻らせる土方を見据えていた。
「それで?」
「東雲の周りには、首と体を見事に切り離された死体が二つ転がっていた」
煙を吐き出しながら淡々と言ってのける土方に、ひゅう、と息を飲むのが聞こえた。
「訳あって東雲の後をつけさせていたが、途中で姿を眩ませた。そして、次に見つけた時には既に、血の海に沈んでいた」
「凛子が……」
雁字搦めにされたまま神楽がうつむき、声を震わせる。
「この頃、お風呂場で視線を感じるって言ってたのは、そういうことだったのネ」
しぃん、と場が静まり返る。
「オイオイ、マジかよ……。凛子の生まれたての姿を見たってのか。俺もまだ見てないって言うのに? 局長の次はだれだ。アレか? 童貞のジミーくんか? お前らはストーカー製造工場ですか、コンニャロー」
「エッ、ザキ、本当!? 凛子さんの裸、見たの? ちょ、マジ羨ましいんだけどォォ!?」
「旦那ァァア! 近藤さんンンンン! 俺は見てないっすよ! 東雲さんの着替えなんて、お椀型の綺麗な胸なんて見てませんからァァァ!!!!」
「山崎イイイイ、テメーは話の腰を折るんじゃねェェエエエッ」
「えっ俺!? 全責任俺ェェエ!?」
突如として襖の向こうから沸いて出たが、上司の容赦ない一撃により、廊下の向こうまで吹っ飛んでいった山崎退であった。
大事な話をしているのにこの人たちは……と、男たちの不謹慎さに新八が呆れて溜め息を吐いている横で、銀時は腹の底に湧き上がる不快感に口元をもぞつかせる。
――訳あって、後をつけていた、ねえ。
大方、彼女が攘夷浪士たちと接触を図るだろうと見越してのものだろう。近藤や松平を上手く丸め込めたとしても、目の前の鬼の副長はただでは転ばない。
良くやるよ本当、胸の内で吐き捨てながら銀時は鼻息をひとつ荒くした。
山崎に怒号と拳を浴びせた土方が、居住まいを正しすように咳払いをする。
「男たちを斬ったのは、高杉だと俺たちは見ている。迷いのない鋭い刀さばき。よほどの奴じゃねぇと人間を真っ二つになんざできねェ」
攘夷浪士の高杉晋助。一番聞きたくなかった名前だ。嫌悪感を眉に載せてその名前を舌で転がすうちに、土方は眼光を鋭くしこちらを射貫いた。
「万事屋に訊く――あの女、何者だ?」
静まり返った応接間に、ごくりと唾を飲む音がする。皆がその問いの答えを待つように銀時を見た。
カチ、カチ、秒針の音が無情にも響く。
「何者ってねぇ」
しばらく口を噤んでいたが、ひと声を皮切りに目を閉じると、はあ、と溜め息を吐き出して銀時は頭をガシガシと掻いた。
「どう見たって、人生という名の路頭に迷ってるただの小娘だろ」
「そんな誤魔化しはもう通用しねェ、神妙に洗いざらい吐きやがれ」
銀時はやれやれため息をついた。
「吐くもなにも、俺も詳しいことなんざ、知らないんだよ」
そこで一旦言葉を切り、一呼吸を置いて「ただ……」と続けた。
「一つ言えることは、あいつには帰る家も、帰る場所も、手放しに安心して眠れる居場所ってェのが、この世にはどこにもねェ。心の拠り所を探して、一人で立ち上がって歩こうと必死こいて生きてる真っ最中だ」
彼女がなにも自分に言い出さないのだから、自分はなにも知らないのだ。なにも耳にしていなければ、知らないのと同じ。彼女が複雑な境遇を抱えていようと、うそをついていようと、強がっていようと、こちらの推し量るべきことじゃない。
銀時は不安そうに唇を噛みしめる凛子の顔を思い浮かべていた。
戦う力などない、刀の構えかたはおろか、握り方さえ知らない、ただの一人の女だ。
神楽と新八の顔が悲痛に歪んでいる。二人とも、凛子が寂しげに笑うのを、儚げに空を見上げるのを。そして、目元が真っ赤に染まるのを彼女の近くで目の当たりにしてきたのだ。そんな彼らに銀時は心底舌打ちを拵えたくなって舌を転がした。
「そんな奴が、攘夷だとかなんだとか言ってる場合かよ。テメーの命のことで手一杯だっつうのに。お前らが敵を見誤ってどうすんだ」
ああ、そうだ。あの女が敵? あんな丸腰の、人の厚意すら素直に受け取れない意地っ張りの、強がりの、弱虫の女が? 笑わせてくれる。
銀時の目前、鬼の眉は微かに顰められていた。
「たしかに、万事屋の言うとおりだな」
神妙に腕を組み、目を閉じたまま近藤は肯くと、おもむろに話しだした。
「凛子さんは、なにも知らない。知らないまま、命を捨てようとしたところを先の男に助けられた。そして、やっと手にした拠り所までも失った」
それは、自分が以前ある男の粛清前に語ったものだった。銀時は静かに言葉を継ぐ。
「まるでひな鳥を見てるみてぇだよ。必死に親どりを追いかける、な」
ひな鳥がたまごの殻を破り、この世に生を受けて初めて目にした存在を親だと思い込む《刷り込み》のように、彼女は盲目的にあの男を慕っている。失って今も、尚、その影を追いかけ続けている。
それは変えようのない事実だ。
だが、彼女になんの罪がある?
凛子の行き道を失った子どものように覚束ぬ眼差しを思い出して、大きく息を吐き出す。
「疑わしきは罰すってーのもわからなくもねーけど、守るべきはだれだ?」
――どいつもこいつも。
「いい加減、羽を休める場所を見つけねぇと、取り返しのつかないことになるぜ。いや、もうなってるか」
彼女は酷い傷を負った。女として最悪の傷を。
まるで自分に言い聞かせるように、淡々と告げる銀時の顔は苦々しく歪められていた。
山崎に連れられ、三人は凛子が眠っているという部屋を訪れた。
「旦那、本当にすみませんでした。俺が東雲さんを見失ったばかりに」
青白い顔をして眠る凛子を囲みながら、山崎は苦しそうに眉を顰めて静かに口を開く。
彼女の頬にはガーゼが貼られている。所々かすり傷も残り、見ているだけで痛々しい。
あの日凛子が出掛けた時から、彼は彼女のあとをつけて隠密活動を行なっていたという。だが、天人と子どもの諍いを割って入ったあとには一度別れた。そしてまた彼女のあとを密かに追いかけていたのだが、花街でまんまと撒かれてしまった。
自分が気を抜かなければ――山崎は奥歯を噛み締めた。
「今更言ってもどうにもなんねーよ。つーか、コイツ、ジミーくんを振り切るって案外やるな」
神楽が続ける。
「凛子、隠れ鬼でいっつも最後まで逃げ切るアル」
「マジで? 神楽を振り切るってこと? なになに? コイツいつの間にそんな上等なテクニック覚えてきたわけ?」
「ストーカーを心配した姉上が、身のこなしを教えたとかなんとか、この間言っていたような」
「そいつぁ勘弁してくれよ。このままじゃ凛子までゴリラ女になっちまうじゃねぇか」
飄々としたその言葉の数々に、山崎は眉根を緩めて肩を竦める。そして、懐から包み紙を取り出した。
「これ、東雲さんが起きたら飲ませてあげてください」
医者から処方された粉薬が入っているというそれを新八が受け取った。
彼女には大きな怪我はないが、極度のストレスによる意識の昏睡が起こっている状態だ。それもそうだ。普通の人間が一度にあんな経験をすれば、心が壊れてしまってもおかしくはない。
ちょうど良く目覚めたらいいのだが、いつ目覚めるかもわからない。ひょっとしたら……。
そんなことを考えて銀時は、ハッと嘲笑うようにひとりでに鼻息を吐き出した。
「俺は、この人は、普通の女の人だと思っています」
山崎は眉尻を下げて、眠る凛子を顔をそっと見つめながら言った。
「ま、経歴からして普通ではねェけどな」
「でも、着物を着てにこやかに道を歩いている女の人たちとなんら変わりはない。子どもを助ける姿も、自分自身の感情に恐れる姿も。最初から、自分があとをつけなければ、路地裏になんて行かなかったはずなんです」
すみませんでした、山崎はもう一度頭を深く下げた。彼が凛子に対して特別な感情を抱き始めていることは手に取るようにしてわかった。
――普通の女の人。着物を着てにこやかに歩く他の女の人たちとなんら変わらない。
その言葉は、きっと凛子が望んでいた言葉のうちのひとつだろう。
だが、銀時はなぜだか苛立つ気持ちを抑えきれなかった。
「だから、んなこと言っても後の祭りだろうが。自分のした仕事に誇りと責任を持ちやがれ。テメーらのやるべきことだったんだろ?」
それは……山崎が言い淀む。
「それが、なに、今になって後悔してんのかい。だったらコイツは、凛子は、お前らのお遊びの為にあんなことに巻き込まれたって言うのかよ。ふざけろ、男が自分のしたことにつべこべ言うんじゃねーや」
なぜこれほどまで苛々しているのか、銀時はわからぬまま口にしていた。
周りを気圧するような低い声に、神楽も新八も今ばかりはなにも言わずに、ただ静かに眠る凛子を顔を見つめていた。
一人山崎は唇を噛み締めて、はい、と苦々しくこうべを垂れた。
山崎が去っても暫くだれも口を開かなかった。しんと静まり返る部屋に、遠くから隊士たちの稽古の声が聞こえていた。
神楽は膝を抱えて、凛子の顔をじい、と見つめている。その瞳はゆらゆらと揺れている。
「僕たちは、凛子さんのこと、なんにも知らないんですね。今までどうしていたとか、どんな人だったかとか」
やがて、不安げな神楽の隣で俯き、膝の上で拳を握りしめて新八は酷く寂しそうに言った。
「んなの、知ってどうなんだよ」
「でも……僕たちは、凛子さんがなにに悩み苦しんでいるのか、なにと闘っているのかも検討もつきません」
「自分の心ン中なんて、自分にしかわかんねーモンだろうが」
鼻をほじりながら言う銀時に、新八は「そうかもしれませんけど」と口籠る。
「じゃあ、なに、こいつが人を何人も殺めた危ねぇお訊ねモンだったとしたら、新八はどうすんだ」
「それは……」
新八は黙りこむ。
「どうもしないアル」
答えたのは神楽だった。
新八は俯くのをやめ、顔を上げる。
「凛子が殺人鬼だろうとエイリ◯ンだろうとプレ○ターだろうと、凛子は凛子ネ」
神楽は膝を抱えながら、真っ直ぐに真っ直ぐに凛子を見ていた。
「神楽ちゃん……」
新八は口の中で言葉を転がす。そして、なにか納得したように、強い意志の篭った目で頷いた。
「そうですよね。万事屋にいる凛子さんは、いつも微笑んでいて、優しい素敵な女性です」
「いやいや、お前らの中の凛子像が聖母過ぎて、むしろ心配になってきたわ。絶対、お前ら変な詐欺に遭うだろ。高い壺だとか印鑑だとか売りつけられるだろ?」
「じゃあ、銀ちゃんの中の凛子はどんなアルか?」
神楽が唇を尖らせて気にくわないように、銀時を見た。
銀時は、ふん、と鼻息を荒く吐き出して、どこか懐かしむように目をすっと細めると、
「色気より食い気のアホ娘。ほら、間抜けな面して眠ってらァ」
凛子の顔にかかった髪の毛をどかそうと、そっと手を伸ばした。
「……銀さん?」
その時、凛子の瞳がうっすらと開いた。
「凛子! 凛子目が覚めたアルか!」
「神楽ちゃん、いきなりそんなに大きな声だしたら凛子さんも驚くだろ」
新八の言うとおり、凛子は驚いたように目を丸くしたが、神楽の姿を見ると柔らかく頬を緩め、かぐらちゃん、と小さくその名を口にした。
「ここは?」
「真選組屯所ですよ。凛子さん、目が覚めて良かったです」
穏やかに告げる新八の横で堪らず神楽が身を乗り出す。
「凛子、無事だったアルか、私っ、凛子になにかあったらどうしようかとっ」
「神楽ちゃん」
布団から白い手が伸びて、神楽の頬を撫でた。
「キノコ狩り、楽しかった?」
凛子は青白い顔に微笑みを浮かべている。意識が戻ったばかりなのでどこかぼんやりとした様子ではあったが、それでもあの優しい笑みだった。
頬を撫でた手に、神楽が自らのそれを重ねると、凛子はその手を包むように握った。ぎゅう、と安心させるような仕草に、神楽は嬉しそうに唇を震わせる。だが、すぐにワザとらしく眉を顰めた。
「散々だったアル。松茸なんてわざわざ食べに行くモンじゃないネ、しょせん、ただのキノコアル」
「いや、食ってねェだろ。変なキノコ生えるやつしか食ってねェだろ」
「そうだ、凛子聞いてヨ。銀ちゃんの頭についにキノコが生えたアル。あの天パ、不潔の塊ネ。絶対近づかない方がいいネ」
「お前も新八も生えてただろーが!」
「もうアンタらはすぐそうやって騒いで! 凛子さんの身体に障りますから! ちょっとは大人しくしててくださいよ!」
ぎゃあぎゃあと煩い三人に、凛子はくすくすと笑った。
「おかえりなさい」
その言葉に神楽と新八はどこか泣きそうに笑いながら、「ただいま」と返した。銀時も着流しに片腕を突っ込みながら「おー」とひと言口にした。
それからも、やれ熊の前で死んだフリは迷信だっただの、キノコ狩りはもう勘弁次はぶどう狩りに行くだの、くだらない話が続いていった。
しばらくして、水を欲しいという凛子の頼みを聞き入れ新八と神楽が取りに向かうと、銀時は彼女と二人きりになった。
途端に静かになって、時計の針がカチカチと鳴るのをただ耳に流す。時が静寂に溶け、まるで別の世界にいるような気分だ。
銀時は静かに凛子を見遣った。
「そんなに起きてて大丈夫なのか」
はい、と凛子は肯いた。
「まだ少しぼんやりしますけど、結構元気ですよ」
そうは言うが、その顔はガーゼと擦り傷で痛々しい。「あっそ。ならいいけど」と、さもどうでもいいように適当な返事をして、銀時は凛子が鎖骨のあたりを掻くのを見ていた。
さらり――髪の毛が退けられる。
その時、借りたであろう寝間着の首もとに、紅い痕が覗いた。
銀時は咄嗟に手を伸ばしていた。
「っ……」
凛子の身体が強張る。小刻みに震え、血の気のない下唇を噛み締めるのを見て、銀時はしまったと思った。だが、そのままなかったことにもできないので、彼女の寝間着の襟元をぐっと引っ張って、紅い痕を隠した。
その拍子に指先にそっと触れた肌の滑らかさに、銀時は唾を秘かに飲み込みながら「悪い」とひと言告げる。
「いえ、すみません。汚いもの、お見せして」
凛子は襟元をぐっと手繰り寄せるように掴んで、少しの苦笑いを浮かべた。
その取ってつけたような上っ面の苦笑いが、気にくわなかった。銀時はうなじのあたりに手を当てて、人知れず頬を噛んだ。
凛子がそう言う気持ちもわかる。そして、彼女がこういう時に戯けて笑ってみせる性質だというのも、これまで過ごしてきて何度も見てきた。
――なんっで、こんな時まで笑うかね。だれも笑えなんざ言ってねーのに。
銀時は唇の端に力を込めて、鼻から大きく息を吐き出す。
本当に仕方ねぇ女。そう思うも、そうして笑うことで凛子は自分の身を守っているのだろうことを銀時はわかっていた。
「言っとくけど、お前は汚くなんかねーよ」
いまだに震えている女の姿を見て、彼は割合優しく紡いだ。
だが、その先は続かない。なにかを言ってやるべきなのだろうが、ガラにもないことを咄嗟にできるはずもなく。それ以上に上手い言葉が見つからず、口元をもぞつかせていると、凛子は小さく「ありがとう」と声を震わせた。
「銀さん。わたしね、大丈夫ですよ」
彼女は今一度首もとをぎゅ、と掴む。そして、もう一度なにかを確かめるように「大丈夫ですから」と呟いて、下唇をはむっと覆い隠すのを銀時は見守った。
「おー、そーかい。なら良かったわ」
あんな傷を負いながら大丈夫なんざ、嘘に決まっている。
そう思いながらも銀時は相槌を打つ。
俯き黙り込んだ頬に、細い髪がはらりと落ちた。
「高杉という人に会いました」
暫しの静寂のあと、話はすり変わる。それ以上あのことについて話したくはなかったのだろう、だが、突如そう言った凛子の表情は伺うことができない。
「そんなこったろーと思った」と気怠く独り言のように呟くと銀時は続ける。
「それで、なんかされたのか」
「いえ、かえって、助けて頂きました」
「アイツがねェ、とんだ恩売られちまったもんだ。ま、命が無事で良かったんじゃねーの」
彼女はこく、と頷いたが、どこか歯切れが悪いようだった。んだよ、と銀時が言うと、彼女は小さく打ち明けた。
「実は……やっと見つけた、と言われたんです」
思いがけず、は? と間抜けな声がもれた。
「なに、おたくら知り合い?」
「まさか。初めてお会いしましたよ。それに、あの人のことも知っているようでした」
攘夷繋がりかなんかだろ、と銀時は言うが、ゆるり、かぶりが振られる。
「わたしが、あの人のところにいたことを、です。ずっと、探していたような物言いでした。それで……」
手をきつくきつく握り締める凛子を見兼ねて、銀時はその先を遮るようにして一層低い声を出した。
「おまえ、それ、真選組には黙っとけよ」
それ以上銀時は口を閉ざすと、凛子もただ「はい」と頷いた。
カチ、カチ、と時計の針が鳴る音がする。
凛子は俯いたまま、またしても時が溶けていく。
「銀さん」
波間を揺蕩うような弱々しい声が聞こえて、銀時は「なんだよ」と片腕を着流しの胸元に突っ込んで、瞳だけを動かした。
「わたし……」
そこまで口にして、彼女は言い淀んだ。銀時は気だるい瞼を押し上げて瞬きを何度か繰り返すが、彼女はその先を続けない。
さらり、彼女の身動ぎで髪の毛が揺らぎ、彼女の顔が垣間見えた。柔らかな絹糸の下で、彼女は……。
――オイオイ、そういうの反則だって。
白磁のような肌に、ひとすじの雫を滴らせていた。なにか言いたそうに唇が開くが、閉じたり開いたりを繰り返す。握り締められた拳が、小刻みに震えている。
大丈夫と言って強がったり、瞳をこれでもかと揺らしたり、女とは忙しいものだ。銀時は静かに息を吐き出す。
ったく、だとか、仕方ねぇな、とか色々と言いたいことはあったのだが、今だけはそれを飲み込むと、その涙に気が付かなかったふりをして、耳に指を突っ込んだ。
雫が頬を流れ落ち、ぽつ、と白いシーツに染みを作る。一粒、たった一粒だ。まるで真珠が溢れたようなそんな美しさに、銀時は不謹慎とはわかりながらどこか惹きつけられるような思いだった。
どれほどの真珠が零れ落ちていくのだろう、そんなことを考えて頬に力を込める。
「やっぱり、なんでもありません」
だが、あろうことか、すぐに凛子は顔を上げて震える唇で弧を描くようにして笑った。
「なんだよ、言いたいことあったんじゃねーのかよ」
「ごめんなさい、忘れちゃいました」
へへ、と戯けて笑う彼女の目元はほんのりと赤らみ、潤んでいた。
銀時は眉をこれでもかと上げて呆れたように目を細めると、ふん、と鼻を鳴らした。
「ぶっさいくな顔だな」
「もう、それは女の子に失礼ですよ」
「女の子ってガラかよ。テメーの歳を考えろ、歳を」
「銀さん、ひどい」
「うっせ。ホラ、そのぶっさいくなツラ銀さんにちょっと良く見せてみ? え? 銀さんに見せてみ?」
言うと、凛子がちょっと、と声を上げるのもお構いなしに彼女に手を伸ばす。そして、大きな手のひらで顔を挟んだ。
「ひ、ひんしゃん……」
「俺ァ貧時じゃねーよ、そいじゃ貧魂になっちまうじゃねーか。確かに俺は貧乏だけどそれはねーんじゃねーの、凛子チャン」
いいがかりだとばかりに、むっと眉を顰める凛子を銀時はじい、と見つめた。
赤くなった目元、しっとりと涙に濡れた睫毛、すうと通った鼻筋に押し寄せられる頬、むにゅりと形の崩れた唇。
「あーやっばいわ、コレ。マジでやばい。どれくらいやばいかっていうと、アレだよ、マジで例えるのもやばいくらいやばい」
ぷぷっと口に手を当てて笑う。
「ひんさん!」と凛子が再び声を上げてくるが、銀時が一頻り笑い終えるまでそのままにしていた。
いい加減離してと腕を叩いてきたところで、銀時は力を緩めると、そのままその手を凛子の額のあたりにあてた。
瞳を覆い隠すような銀時の手のひらに、彼女の睫毛が触れる。仄かに互いの熱を分け合うと、凛子は半開きになった唇から吐息を吐き出した。
「バァカ」
低く落ち着いた声が、女を包む込む。
息を呑み、彼女は唇を震わせた。そして嗚咽を堪えるように噛み締めると、そこに手の甲を押し当てて、彼女は大きく呼吸を繰り返した。何度も、何度も。
自分の前に立ちはだかる壁に、一々へこたれて足を止めるほど弱くもなくて。けれど、積もりに積もった感情をだれかに曝け出し、ぶつけられるほど、強くもない。
あの時みたいに、「助けて」とひと言言ってくれりゃ――そこまで胸の内で吐き出して、やめた。
――本当、馬鹿な女。
銀時は、ただ、気丈に肩を震わせる凛子を見守った。
「あーッ! 銀ちゃんが凛子に手出してるアル!」
そして、しんみりとした空気も瞬く間に銀時は吹っ飛んだ。
文字通り、畳三畳ぶん向こうの襖を突き破った隣の部屋まで。
「いってぇな!」
「悪いのは銀ちゃんネ!」
神楽と新八が戻ってきたようだ。思わず目を瞬かせる凛子をよそに、雇い主に痛快なまでの蹴りを喰らわせた神楽は両手で桶を抱えて立っている。その後ろで新八はお盆の上にグラスと水入れを載せていた。
「なんだよ、俺は慰めてやってただけだ」
「慰めるってどういうことネ」
「そのままだっつの。ちなみにこいつの肌触りがスベスベすぎて、あわよくば頬ずりしたいとかも思ってねーから。やべぇこれが天下のニ○アの力か、とか思ってたから。あ、お前ニベ○クリーム派だったっけ?」
「いえ、ザ・○ディ・ショップですけど」
「ピンクグレープフルーツ? 尚更最高です」
「銀ちゃんマジで変態の顔してるアル。ちょうど良かった、ココが警察で。今すぐしょっぴいて貰えヨ」
「銀さん、さすがの僕もドン引きです」
ジト目を向ける二人に、凛子はくすくすと笑った。
これじゃだれが怪我人かわかんねぇだろうが、とぶつくさ文句を言いながら、銀時は突き破った襖の中からよっこらせと立ち上がる。
「凛子、あんなマダオでド変態な奴はほっといて、顔でも拭くネ。私手伝うヨ」
「ありがとう、神楽ちゃん」
おしぼり貰ってきたから、と甲斐甲斐しく桶の中で水を絞る神楽に、凛子はふふ、と息をこぼしながら礼を告げる。
「こちとら笑い事じゃねーわ」と銀時は彼女に向かって吐き捨てるだけではなく、身体についた煤を落としながら、静かに呟くように文句を続けた。
「ったく、だれがあんなぶっさいくな笑い方する女に手出すかっつーの」
「銀さん、アンタ好きな子に意地悪しかできない小学生みたいになってますよ」
「え? マジで?」
「なっさけない大人アル。だからその年になっても、彼女の一人すらできないネ」
「ハァ? 銀さん本気出したら一瞬だからァァ? 一瞬で彼女五人くらいできますからァァア?」
そして、ぎゃあぎゃあと騒ぎ出す銀時を横目に、新八は呆れて肩を竦めながら、グラスに水を注いでいく。少しずつ、少しずつ。とても丁寧な手つきで。
「ふっ、ふふっ」
そんな声を皮切りに、凛子はからからと笑いだした。
「凛子、お前も笑ってんじゃねーよ」
「だって、銀さんってば、あり得ないこと言うから」
「あり得なくないし、これマジだしィィ!?」
「無理しなくていいアル。大丈夫、銀ちゃんには新八という仲間がいるヨ」
「どさくさに紛れて僕も巻き添いにするなァアッ」
肩を揺らして笑い続けているものだから、お手拭きで拭ってくれている神楽に 「動かないでヨ!」と怒られては謝っている。
だが、いつもの彼らの調子に、皆が皆、満更でもないようで、その頬は緩められていた。
一気に部屋は騒がしくなり、先程のまでの静けさが嘘のように、賑やかな声が溢れていた。
こぽこぽ、小さな音を立てて、ゆっくりと透明な水が、グラスを満たし始めていた。
あれからまた、暫くくだらないことを話したあと、凛子は薬によって再び飲み込まれるようにして眠りについた。
取り調べだなんだの聴取は後日行われることになり、真選組で保護をするという申し出を半ば強引に断って、銀時は凛子を背中におぶさると、屯所を後にした。
――こんなにもちいせぇ体で、なにをでっけーこと独りで抱え込んで悩んでんだか。
こうして彼女を背負うのは二度目だ。
心の中でぶつくさと呟きながら、以前よりも少し軽くなったような気がして、息を吐いた。
三人は、栗の砂糖煮のようなまったりとした夕焼けの中を歩いて行く。だれひとり喋ることはない。影が立ち、静かに風がそよいでいる。
「凛子、万事屋を出て行っちゃうアルか」
暫し歩いて屯所もすっかり見えなくなった頃、ぽつり、神楽が俯いたまま口にした。以前から凛子が口にしていたことをずっと気に掛けていたような、そんな暗い面持ちだった。
「さアな」銀時は素っ気なく返す。
「つーか、一応、こいつは行きずりでウチに転がり込んだ期間限定の居候だからな」
「確かに、そうアル。けど……」
「なんだよ」
「やっぱり、なんでもないネ」
神楽は瞳を伏せながら、傘をくるくると回すと、固く唇を結んでそれ以上はなにも言わなかった。
心配するように、新八がその神楽とこちらを交互に見遣った。
「銀さんは、凛子さんが出ていってもいいんですか」
「いいもなにも、こいつの人生だろ」
彼女は職に就いたらツケにしていた依頼金や生活費を支払い、万事屋を出ていくと常々口にしていた。もういい大人だし、いつまでもお世話になるわけにはいかないから、それが口癖のようなものだった。
だれも「出て行け」とはひと言も言っていないというのに、頑なにそうしようと前を向いていた。
「ま、いい歳だろ、コイツも。ウチにいて婚期逃して俺のせいって言われたら堪んねーよ」
背中の重みを感じながら、銀時は歩いて行く。いつもなら賑やかなかぶき町も、黄昏時の儚い空気には勝てないらしい。
――きっと。
銀時は思う。
そうでもしないと、コイツは自分を保っているのが難しかったのだろう。意地でも前に進もうとしないと、もし足を留めてしまったら、動けなくなってしまうから。過去に浸り、抜け出せなくなってしまうから。
どうしていいかも、なにが最善かもわからず、差し伸べられる手を突っ撥ねて、自分という人間を確立するのに必死なのだ。
しんみりとした風が吹く。
銀時はどこか胸の奥がもぞつく感覚を覚えて、それに蓋をする。
「こいつは一人で立って生きれる、いい大人だ」
「でも! ……凛子は見ていて、なんだか危なっかしいヨ」
「まあな」
ガキにまでそんなこと言われてやがんの。銀時は鼻で笑いながら続けた。
「だから、俺たちで支えてやんだろ」
――だれのことを恨むことも、責めることも、できないってわかってる
――だからね、わたしは、断るべきなの。過去に囚われて、前に進めない人間だから
――大丈夫ですから
彼女の言葉を反芻させながら、銀時は凛子のカラカラと笑う姿を脳裏に描いていた。
――なにを一人で考えすぎているんだか、このアホ娘は。
背中に、凛子の温もりを感じる。ほかほかと温かくて、そしてちょっぴり重たい。そんなことを言ったら顔を真っ赤にして怒りだすだろうか。
早く怒って拳の一つでも上げてきやがれ――銀時は今だけはそう、胸の内で吐き捨てる。
温もりと重さがすとんと収まって、どこか心地良い。いつの間にか、そんなものを覚えてしまったようだ。それを大事に大事に抱え直して、銀時は真っ直ぐに前を向いた。
「こいつが自分らしく生きれるように。安心して、前見て歩けるように、よ」
銀時の言葉に、神楽も新八も、背におぶられた彼女を一寸見た。そして、ゆるゆると目元を垂らしたあと、二人は強く、しっかりと頷いた。
傾いた西日が、強く優しく光を降り注いでいた。辺りはほんのりと金色に染まり、静かに煌めいている。彼らの影は長く伸びていく。そして、ひときわ背の高い影の背中には、もう一人。
凛子は銀時の大きくて広い背に頬を付けながら、まなじりからひとすじの雫を零していた。
