昼休みも終了間近となって、屋上から教室に戻ると、多々良には不思議なことが起こった。
「おい」
騒がしい教室で一人そうっと席に着くと、後ろから声を掛けられて多々良は大袈裟に肩を揺らした。
「何かな、室井くん」引き攣った笑みで振り返る。
「お前、アイツと付き合ってんのか」
「へ?」
何をされるのかと覚悟を決めていた多々良は、彼の言葉にきょとんと目を丸くした。
彼から話しかけてくることなど滅多にない。その上、話しかけるなと言われていたのだから、まさか色恋沙汰の話題を振られるとは思いもよらなかった。
「アイツって?」
聞き返すと、室井は頬杖をつきながら、あぁ、だとかその、だとか言葉を淀ませる。口元はぴくぴく強張っていた。
その表情はいつもとは気色が違って、多々良はまじまじと彼を見た。それを心底うざったそうに眉を顰めるも、室井は鼻で大きく息を吐き出すと、視線を窓の向こうに逸らした。
「……如月だよ」
「へ?」
何かを想い焦がれ、物憂げにも見える室井に、思わず多々良は瞬きをする。
「結梨!?」
そして、彼の言葉を飲み込んで、素っ頓狂な声を上げた。室井は、途端に眉を跳ねあげた。
「ばっ、お前デケェ声出すんじゃねぇ!」
「つっ、つい、びっくりして、ごめん」
頬杖をつくのもやめて、顔を赤くして焦ったように怒り出した室井に、多々良は頭を掻いた。
全く、どういことだろうか。後ろの席の彼はまたしても荒く息を吐き出して、手のひらで頬を押しやって肘を机につくと、指先で頬をとんとんと叩き始めていた。
苛々しているのかと思って多々良は――勘弁してくれ、と肩身を狭い思いをしながら、「それで、ええと、なんだっけ」と明るく聞き返した。
「その、如月と付き合ってんのかよ」
不自然なほどに小さな声だった。鋭い眼光がほんの少し緩められて、多々良に向けられている。
思っていた反応と違って、暫し返事を返すことが出来なかった。
――如月と……付き合……? どういう、え? そういうこと?
瞬きもせずに自分を見つめてくる多々良に、室井は居心地が悪そうに口の辺りをもごもごさせながは、「どうなんだよ」と小さな声で催促する。
多々良は彼がまるで変な物でも食べたのではないかと思いながら、首を横に振った。
「まさか! 幼馴染なだけだよ!」
「幼馴染?」
「うん、小さい頃から友達なんだ。中学は女子校に通ってたから、学校違ったんだけど」
「そうかよ」
「てか、室井くん結梨と知り合いだったんだね!」
「別に」
思わぬ共通の話題が出たことに、饒舌になってしまった。てっきり、「うるせぇ」と怒鳴られるかと思っていた多々良は、肯定とも受け取れる返事をした彼を疑問に思わずにはいられなかった。
じい、と観察するように見ていると、室井は気まずそうに視線をすっと逸らして、どこかを見た。だが、未だ指を打つのをやめていない。
「アイツ、好きなモンとか、あんのか?」
そして、掠れるような声で、彼は尋ねた。
「は?」
「ハァ?」
今度こそ指を止めて、盛大に眉を顰めた室井に、――それ、人に物を聞く態度じゃないよね!? と思いながらも多々良は居住いを直して、「好きなものって?」と言葉を返す。
「その、食いモンとか?」
「食べ物、か。えっと、なんだろう。基本的に甘いものは好きだよ。チョコのお菓子とか、イチゴ牛乳? あ、いちごオレか。それはよく飲んでるなぁ」
「そうかよ」
「あの、どうかした?」
多々良は彼の顔を伺い見ながら、ついに尋ねた。
「るせぇな、何でもいいだろ。お前、このことは誰にも言うなよ」
多々良の問いに捲くし立てるようにそう言うも、室井の顔はどこかすっきりとした面持ちで、いつもの何倍も柔らかな雰囲気だった。
その時は本鈴が鳴って、次の授業の教員が入ってきてしまったので、やり取りを中断せざるを得なかったが、多々良は不可解すぎて、眉を寄せずにはいられなかった。
色々な考えを巡らせて悶々としたまま、多々良は午後の授業を受けたのだった。
.
.
「えっ、結梨も聞かれたの?」
たまたま下駄箱で会った結梨と一緒に帰ることになり、のんびりと駅までの道のりを歩いていた。
多々良は結梨の言葉に目を丸くして、リュックの肩紐を握った。
「たーくんも?」
「うん、結梨と付き合ってるのかって。違うって言ったけど」
二人揃って、お互いの関係性を尋ねられたのである。
多々良は五時限目直前の出来事をふわりと思い返しながら言った。
「やっぱり、男女の幼馴染だと、これは宿命なのかなあ」
肩を落としながら、「ごめんね、目立つ行動しちゃったからかな」と結梨は謝る。昼休みに彼の腕を引っ張っていったことを言っているのだろう。
多々良は勢いよく首を振った。
「全然、僕は気にしてないけどさ」
「そう? なんか嫌な思いしてたらやだなぁって思って」
嫌な思い――多々良は記憶を辿る。
小学生の頃は、いつも一緒に居た。家が近所で、親同士も仲が良かったからかもしれない。だが、それ以上に似た者同士ということもあってか、何より同じ空間に居るのが居心地が良かった。もはや二人にとってそれが、普通のことであった。
互いを好きだとか異性として見ているだとか、そのような次元ではなく、確かにお互いに好き合っていたが、それはベクトルが違った。
だが、そんな二人を揶揄する同級生も多かったのも事実で。いくら幼馴染だからと言っても、なかなか理解してもらうことが出来なかった。
幼さとは時として残酷で、容易く人の心を抉ることが出来てしまうものだ。
苦々しい思い出が溢れかえりそうになって、心配になって彼女を見た。
「そういう結梨こそ。大丈夫だった?」
「平気平気! 小学校の時より、皆んな大人だもん。幼馴染なんだって言ったらすぐ納得してたよ」
へらりと笑う結梨に、多々良はホッと胸を撫で下ろした。
「でもさぁ、恋人らしいことなんか、一つもしてないのにね」
「まあ、男女が一緒に居たら、そう思うものなんだよ、きっと」
「そうかもね。でも、思わず聞かれたとき、ナイナイナイナイ! って言っちゃった」
「いや、そんなに否定しなくても……」
訝しげに結梨を見ると彼女は呑気にふふっと歯を見せていた。
「やっぱり思ってた通りの反応だ。友達にそう答えながらさぁ、これ聞いてたらたーくんはこんな風に思うんだろうなあって考えてたんだよね」
「そこまで必死に否定されると、実際ちょっと傷付くんだけど」
「えー、ごめんね?」
「冗談だよ」と多々良が表情を緩めると、結梨は安心したように息を吐いて、「よかった」と口にした。
「でも同じ日に同じことを聞かれるなんて、奇遇だね」
「ね。要さんが聞いたら――お前らそんなとこまで仲良しなのかよ、ってツッこまれそう」
「確かに」
二人は目を見合わせて笑った。
暫くそんなことを話していながら、多々良は結梨の顔を時折チラチラと盗み見ていた。
悶々と頭の中を巡っている考えに胸がそわそわと落ち着かない。色々と聞きたいことがあったが、結局、聞けずにいる。
室井とのことは、彼に言うなと言われているし、清春に関しては、話題に上げるのもむず痒い上に、勇気が要る。どうしたものか。結梨から話題を出してくれたら、万々歳なのだが。
そう思うも、その彼女は今度は愉しげに新しく出来たケーキ屋の話をしている。
多々良は小さく息を吐いた。
このところ、多々良もダンスのことや前の席の女子のことで悩んでいて――それぞれ継続して悩み続けているが――正直うんざりしていたところだった。
その女子、緋山千夏という子が彼の後を着けてスタジオまでやって来たことは、記憶にも新しい。そんな彼女に振り回されて居る事実に、頬が引き攣りそうになるが、無理矢理にそのことはシャットアウトする。
兎にも角にも、たまには呑気に他愛もないことを話すのもいいかもしれない。そう、ひとりでに自己完結させて、彼女を見遣りながら、相槌を打った。
「そういえば、たーくん」
「ん?」
「バイト始めたんだって?」
「あ、うん。駅近くのカフェでね」
そうこうしてる間に、違う話題になったので、多々良は結局、頭の中に巡っていた質問を隅に追いやった。
「父さんから聞いたの」と聞くと、結梨は頷いた。
「ダンスの為?」
「うん。レッスンも大会も、それに、衣装代もお金かかるから、自分で賄いたくて」
「そっかぁ」
そう言うと、結梨は肩に掛けていた鞄を後ろ手に持って、ふい、と前を向いた。
「たーくんは偉いなあ」
小さく呟かれた言葉に、多々良は首を傾げた。
「そう?」
「うん。遊ぶお金を稼ぐんじゃなくて、やりたいことの為に、汗水流して働くんだもん」
「汗水流してって……まあ、父さんにも言っていない手前、出してもらうわけにもいからないからさ」
「仕方ないんだよ」苦笑いを浮かべると、結梨は振り返った。
「たーくんは、格好いいよね」
へにゃり、はにかんだ結梨に、多々良はずきん、と心臓が打つのを感じた。
「え?」
「だって、大変な筈なのに、文句も言わないで自分の力で頑張ろうとしてる」
「そんな、大それたことじゃないよ」
「凄いことだよ。やっぱりたーくんは自慢の幼馴染なんだから!」
――こういうところだ。多々良は思わず足を止めた。
結梨のことを好きになる人は、こういうところを好きになるのだろう。
ぱちりと瞬きをしながら、彼はそう思った。途端に清春の顔と室井の顔が浮かんできて、彼らの行動や言葉が反芻される。
――俺も負けてられないな。
――アイツ、好きなもんとか、あんのか。
彼らが結梨とどんな風に接しているかなんて、分からないが、きっと結梨は彼らを惹きつけている。それだけは多々良には分かった。
目の前には自分のことのように、多々良のことを話して嬉しそうに笑う結梨が居て、五月の爽やかな陽気の中に溶け込んでいた。まるでぽかぽかと人々を包む、陽だまりのような子だ。多々良は温かな気持ちになった。
「たーくん?」
多々良はぼう、と彼女を見つめていたが、ハッとすると慌てて照れ臭そうに頭を掻いた。
「いや、結梨くらいだよ、そんなこと言うの」
「そうかな? 案外、同じこと思ってる人も多いと思うけど」
「はは、そうだといいんだけど……」
