――富士田くんと結梨ちゃんって付き合ってるの?
そう、クラスの女子から尋ねられたのは、つい最近のことだった。
その時、結梨はきょとんとした顔をして、言葉を咀嚼するように目を瞬いたあと、ハッとして頭を振った。嫌に胸がどきりとしたのを隠して。
――えっと、幼馴染なんだよね。
恐る恐る口にするが、反応を伺うのが怖くなって、結梨は俯いた。
だが、すぐさま明るい声が聞こえて、それは一瞬の杞憂として終わった。
――あ、そうなの? クラスの男子が仲良さそうに歩いてたって噂してて。じゃあ、付き合ってないんだね?
パッと顔を上げるとにこにこと朗らかに笑みを浮かべている友人の姿があって、結梨は強張った心から解れていくように感じたのだった。
――わたしとたたらが? ないないないない! 小さい頃から一緒だったから、家族みたいな感じ!
――分かる
もう一人の友人が神妙な顔をして頷いた。
――私も違う学校に幼馴染いるからさあ。中学の時はよく間違われてたけど、うざかったわぁ。
ため息を吐く彼女に苦笑いを浮かべながらも、結梨は自分が打ち明けたことをきちんと受け取ってくれる友人たちに、心底感謝をした。
――じゃあ、結梨ちゃん彼氏居ないんだね!?
――うん、残念ながら居ません。
――うわ、良かった! 仲間だ!
そんな、他愛もない会話に繋がって、結梨は頬に笑みを浮かべずには居られなかった。
多々良を追い掛けて高校を受験した時、正直に言えば、少し怖かった。自分たちはもう物分かりの悪い子供じゃないと思う反面、それでも何かあったら――という気持ちは拭いきれなかった。だが、もう自分に嘘はつきたくない、と、それにそっと蓋をするように、自らの夢に希望を与えてくれた多々良を側で見守りたい、応援したい気持ちを大きくしていった。
高校に入学して、ある程度距離を保ちながら多々良と接することで、上手くやってきたと思っていた。それ故に、冒頭の言葉を投げかけられた時は、生きた心地がしなかった。同じくして、多々良が同様の問いを受けたと聞いた時も――。
だが、今となっては、小さな頃に受けた傷が癒えていくように、一つ、胸の内の蟠りがすっきりと掬いあげられたような心地がしたのだった。
「で、あるからにして――」
ただ、悩みの一つが無くなっても、結梨にはまだ重大な悩みがあったのだが。
教員の説明を頭の上に流しながら、結梨はシャープペンシルを握る手を止めた。今は苦手な教科の授業中。集中しなければならないとは思うものの、教科書と睨めっこをしているふりをしながら、全く別のことを頭に浮かべていた。
ノートの上には、無意識のうちに描いていた小さな黒丸がたくさん散らばっている。
悩んでいることとというのは――そう、清春のことである。
これまではそれほど悩んでいるわけでは無かったものの、清春が結梨を待ち伏せしていたあの日以来、ふとした瞬間に、彼のことを思い浮かべてしまうようになっていた。朝起きて、ぼうっと歯を磨く時から夜ベッドに入って寝入る瞬間まで、清春のことを忘れることが出来ないのだ。
考える度に胸が熱くなって、次第に痛くなり、自分の鼓動を抑えきれずに一種の興奮状態に陥ってしまう。
今も、そうだ。結梨は小さく息を吐いた。
――兵藤くんのこと、どう思っているの?
多々良の言葉が反芻する。
清春が家に来た日は、興奮と喜びとで麻痺していたが、段々と冷静になっていくにつれて、彼の言動に「何故」と「どうして」の言葉が連なっていった。
一人では持て余していた感動と戸惑いを誰かに打ち明けたくて、結梨は清春が家に来たことをただ一人、幼馴染の彼に伝えた。何を考えているか分からないのは今に始まったことではなかったが、それでも、少しでもあの日の知りたかったからだ。
だが、多々良の言葉に、もっと悩んでしまうようになった。
――自分は、兵藤清春のことをどう思っているのか。
人として、結梨は彼のことを尊敬している。彼は自分とはかけ離れた才能を持っていて、それでいて努力を怠らない、凄い人。
確かに、一目見た時から、「格好いい」と思っていた。それは本当のことだが、あくまでそれは憧憬だった。
しかし、少しずつ彼を知っていく中で、その憧憬の形が変わっていった。
垣間見せる普段の姿は、ものぐさで素っ頓狂な人柄で、天然だが茶目っ気がある。結梨にとって、不思議な人。しかし、そこがかえって彼を人間らしく見せていて、結梨は彼を同い年の男の子として好ましく思うようになっていた。
――好き、なんじゃないの?
分からない。
彼のことを考えると苦しい。しかし、それと同時に温かな気持ちにもなった。
彼と居ると、胸がドキドキして、照れ臭くて、きゅう、と体の芯が締め付けられるような感覚になる。それなのに、彼の隣に居るのがとても心地良いと思うようになっていた。
多々良の質問に、結梨は答えることが出来なかった。清春のことは人としてとても「好き」だ。だが、異性として「好き」かどうかは、曖昧にしておいた方がいいような気がしていた。
「付き合いたいか」そう聞かれたら結梨はきっと首を横に振るだろう。
――彼女になりたいとか、そんなんじゃ、ない。
それならば、「好き」じゃないのか。
――でも、もっと知りたいし、会いたいし、声を聞きたい。色んな兵藤さんを見てみたい。
この感情はなんなのだろうか。答えはもうすぐそこに見えているようにも思えたが――認めるのが、怖かった。
これ以上鼓動や脈が、自分のものでは無いように波打って、自分の中の感情が大きくなるというのなら、きっと堪え切れなくなってしまう。
どうなるのか、わからない。怖い。自分が自分でいられなくなってしまいそうで――……。
「では、次の問題を――如月さん」
ついに結梨に白羽の矢が立ったが、彼女は教科書を睨むように見つめたまま、反応しない。
「如月さん?」
「結梨、当てられてるよ」
見兼ねた隣の席の友人が、彼女の机をトントンと叩く。意識を飛ばしていた結梨は、そこで、肩を大きく揺らした。
「えっ?」
顔を上げると、教壇に立つ教師と目があった。思わずきょろきょろと周りを見渡すと、クラス中が結梨に注目している。
「聞いてたか? 教科書の問四を今やっているところなんだけれど」
「わ、わかりません」
顔を赤くして、小さな声で答える結梨に、教師は苦笑いを浮かべた。
「真剣に教科書見てるから、如月さんなら答えられるかと思ったんだけどなあ。他のこと考えてたのかな」
なんだろうなあ、いいことでも考えていたのかな、などと言われ、恥ずかしくて、結梨は唇を噛んだ。顔がやけに熱くて、上手く言葉が返せない。「す、すみません」と小さく謝るのを聞いて、教師は「それじゃあ今度こそ、窓際で余裕そうに欠伸した――」と違う生徒を指して、クラスは穏やかな笑いに包まれた。
注目が散らばっても尚、結梨の羞恥心は治らなかったが、咎められなかっただけ、良かった。
気持ちを落ち着けるように大きく深呼吸をする。
「結梨、具合悪いの?」
「ううん、大丈夫。ちょっとぼうっとしちゃって」
心配そうな友人に苦笑いを返すと、結梨はノートにできた黒丸を消しゴムで消して、黒板に書かれた文字を必死で写し始めた。
授業が終わって昼休みになると、仲の良い者同士で集まって昼食の時間になった。三人分の机を動かして向き合わせると、小さな島を作った。
結梨は母の作った弁当の包みを開いていく。二段重ねになった細長い弁当をそれぞれ下ろして、下段の蓋を開ける。真っ白で粒の艶やかなご飯が入っていて、のりと卵のふりかけをかけた。おかずが入った上段を開けると、結梨の好きなおかずが入っているのが見えて、嬉しくなった。
「いただきます」と各々挨拶をして、弁当を食べ始めた。
「そういえばね、今日七組にタイプの人見つけちゃった」
一人がほんのりと頬を染めながら言った。
「え、まじ?」
「うん。朝、下駄箱のところでうちのクラスの男子が一緒に話してたんだけど、めちゃくちゃ格好良かったの」
「まじかぁ。紹介してもらっちゃえば?」
「そんなの無理! まだ見てるだけで充分!」
派手なグループではないものの、女子の間では恋の話題は盛り上がる。学校生活に慣れてきたところで、少しずつ校内でのロマンス探しが始まっていた。
結梨は午前中――先程まで悩んでいたことが嘘のように、少しワクワクした。
中学時代、女子だけの空間で、話すことといえば、アイドルや二次元のこと、近い存在で格好いいといっても話題に上るのは若い先生くらいだった。同じ空間にいる誰かのことを誰が好きだとか、格好いいだとか、少女漫画のようで楽しい。
結梨もにこにこと笑みを浮かべながら話題に入っていった。
「結梨ちゃんは?」
暫くして、もぐもぐと幸せ気分で好きなおかずを食べていたところで、視線が集まってきた。
「えっ」と目を瞬かせると、友人たちは期待の眼差しを向けていた。
「格好いいって思う人!」
「誰かいる?」
パッと思い浮かんだのは、あの顔だった。
だが、友人二人はこの学校内での話をしていたので、結梨は「うーん」と悩む仕草をした。
「あれ、よく一緒に居る先輩は?」
「あ、ガジュさん?」
「そうそう、運動神経抜群だって言われてるよね」
「背が高くて目立つよなあ、あの人」
賀寿の姿を思い浮かべて、結梨も友人たちの言葉に「それはそうだね」と頷いた。
背が高くて運動神経抜群、顔立ちも整っている賀寿は、知り合いと言うことを抜いても格好いいと思った。一年の教室に――主に多々良のところに、だが――遊びに来るのを度々目撃されては、一年生にもて囃されているのを何回も聞いたことがある。
「でも結梨のタイプじゃないんだ?」
「そう、かも。格好いいけど、いいお兄さんって感じかな」
自分で口にして、その言葉はとてもしっくりきた。
友人たちは残念そうに肩を落として「なんだぁ」「身長差がいい感じだったのに」などとそれぞれ反応を返している。
「富士田くんは幼馴染だしねぇ」
「たたらは、まあそうだねぇ」
幼馴染として格好良いとは思っているが、それは恋愛対象としてではない。期待に添えなくて申し訳ない、と結梨は苦笑いを浮かべていると、二人して一様にこちらを見つめてきた。
「どんなのがタイプなの!?」
まさに、目がキラキラとしている。
この様子は最後まで洗いざらい吐かされるやつかもしれない、と結梨は考え、頬を掻いた。
「えぇ、どんなだろう」
悩むような素振りを見せながら、結梨は彼を思い浮かべていた。
色素の薄い髪や肌、長い睫毛に縁取られた宝石のような瞳、すうっと通った鼻筋や、整った唇や綺麗な輪郭――美しい造形だというのに、気怠げでどこか幼子のような可愛らしさもあって、だが、その肢体は引き締まって男らしい。そして、一度ダンスを踊れば、まるで別人のように様々な顔を見せてくれる。
考えただけで、鼓動が早くなるのを感じた。
格好良いと思う人は、身の周りには賀寿や要、そして多々良なども居るのだが、いざ好みのタイプをあげるとなると結梨の中では、やはり清春しか居なかった。
思わず彼の姿を脳裏に浮かべて、顔に熱が集まる。
「てか、これは好きな人いるな!」
黙ったまま頬を染める結梨に、友人の一人がニヤリと口端を釣り上げた。
「好きっていうか、なんていうか……」
恥ずかしくなって、髪を耳に掛けると、お弁当に視線を落とす。
「へえ、どんな人?」
「その、いつもちょっと眠そうで、よくわかんない人なんだけど、すごく綺麗な顔をしてて、王子様みたい、な人?」
――それに、熱中していることがあって、努力家で、自分の格好良さや才能を無闇にひけらかさなくて。ふとした時に薄っすらと笑う顔が、見惚れるほどに、格好良い――……。
言葉には出さなかったが結梨は心の中で噛み締めた。
頬を染めながら、照れを隠すように唇を少し噛んで、はにかむ結梨。再び、さらりと落ちてきた髪の毛を耳に掛けた。
ごくり、友人たちは息を飲んで彼女を見守ったあと、箸を握る手を強めた。
「なにこの子、可愛いんですけど!?」
「王子様!? 王子様って!? ねえ結梨ちゃん!?」
「あああ、恥ずかしいから、大きな声で言わないで!」
友人たちの反応に、ついに結梨は両手で顔を覆った。
友人たちは声のトーンを落とすものの、興奮した様子は微塵も隠さない。「やばい」「むしろこっちがきゅんとした」「わかる!」「二人ともやめてよ……」などとやりとりをしながら、結梨の初心な反応を楽しんでいた。
「結梨はその人のこと、好きなの?」
一通り楽しんでから、友人が幼子を宥めるように優しく尋ねた。
「わかんないんだよぉ……好きになるのが、怖い」
か細い声が、手の奥でぼやける。
手からはみ出た耳までもが、真っ赤に染まっている。
「なんで、怖いの」
「だって、自分がどうなるか、わかんないから」
うなだれるように、両手で顔を覆ったまま机に肘をついて、声を震わせた。
「え、結梨ちゃんそういうタイプ?」
「これは熱いわ! 私たちが色々教えてあげないと!」
「ちょっと、それはそれで怖いよ!」
「大丈夫、任せなって!」
「ね?」
「えええ」
やはり、うまい答えはそう簡単には見つけることは出来なさそうだ。
