その後も古代のとりポケモンを模したガラス彫刻や銅像を楽しみ、帰りはミュージアムショップへ立ち寄った。彼女はめずらしく悩んだ様子でいろいろと眺めていたが、やがて絵はがきを手にしてレジへ向かった。ついでだからと気になっていた遺跡の図版を持ち、「これもお願いします」と会計を済ませると、もちろん彼女は不満げな顔をした。どうにかのらりくらりとかわして外に出たころには、すっかり日が沈んでいた。
「そろそろ帰りましょうか」
そう言う彼女の腕にはすっかり眠ってしまったロコンが抱えられている。そうだね、とダイゴは苦笑するが、彼はエアームドを出しながら、「その前に行きたいところがあるんだ」と言い添えた。
「行きたい、ところ?」
「ああ。安心して、洞窟ではないから」
彼女は、それはわかっている、という顔だった。それがうれしくてダイゴが笑みを深めると、彼女はすぐに表情を引き締めて唇をちょんととがらせた。
それさえも、彼の胸をくすぐる羽毛の手助けにかならないというのに、きっと、彼女はまだ知らない。ダイゴはこともなげな様子を装い、「とっておきの場所、見つけたんだ」とボールから相棒たちを呼び寄せて、ふしぎそうなヨウコと寝息を立てるロコンとをメタグロスに載せてミナモを飛び発った。
向かった先は、昼間訪れた120ばんどうろだった。
どうしてこんなところに? そんなふうに訊ねたそうなヨウコを先導し、片腕にロコンを預かる。
「ここからは、目を瞑って」
怪訝そうな顔つきは変わらず、ダイゴは苦笑した。だが、いいからと半ば強引に手を差し出すとヨウコは観念してまぶたを閉じ、指先をそっとダイゴの手に預けた。
触れた先から消えてしまうチリーンを繋ぎとめるように、彼女の華奢な手を握る。胸が昂揚して、呼吸までもが震えそうになる。そうして、彼はあろうことか吊り橋に進んだ。
一歩ずつ慎重に進む彼女の姿に微笑みながら、橋の中央へ、そこで、「もういいよ」と声をかける。
「……うそ」
見上げた先には満天の星。紺色の大空に幾千もの輝きが宿っている。一番星、二番星、あるいはデネブやアルタイルにベガ――星降る夜、という言葉が似合いそうな、めまいがしてしまうほどの瞬き。そのすべての星を映さんと、彼女の瞳がきらきらと光を集めて輝いている。
けれど、これだけではない。これだけで、済ませるわけがない。
ダイゴは目を細めながらそっと腕を叩いて、下を指し示した。
視線を転じた先、凪いだ水面に映る天の川。
「……すごい、」
彼女の唇からこぼれた吐息は、震えていた。
120ばんどうろが、大人になった今なおその胸に鮮明に残っているのは、まるでここが宇宙の神秘やその尊さを感じさせてくれる場所だからかもしれない。長い旅を続けて、昼も夜も問わず無我夢中で草むらを駆け抜ける。そんな生活のさなか、ふと気がついたとき、自分が小宇宙の中に立っていることに、気がついた瞬間があった。あのときは、たしかスコールのあとで、そうするとどうろの途中、地面一帯が水びたしになってしまうから、自転車で一気に駆け抜けようと思った。けれど、滑らぬようずっと下を向いて走っていたとき、大きな水たまりに冴え冴えとした星空が宿っていることに気づいた。まるで、銀河の中に飛び込んだ心地だった。
結局、その日はミナモシティへ向かうのもやめて、思う存分その宇宙を楽しむために近くにテントを立てた。
今日は、あいにく雨は降らなかったようだから、大きな水たまりはできていない。そのため、銀河の中を歩くというのはかなわなかったが、それでもあの日の感動を少しでも彼女に味わわせてあげることはできると思い、池のほとりまで戻ってきたのだ。
ひとつ、ふたつ、と星を数えかねない勢いで、ヨウコは落ちた星空を眺めている。まつ毛が小刻みに顫動している。まつ毛だけではない、頬や唇、肩や、腕や、全身が。
悠然とした自然や芸術を前にすると人はその尊さに言葉を失くし、魂までも半ば奪われることがある。あの日、彼がまさしくそうだったように、紺色の空に浮かぶ幾千もの星が水面に宿る、広い世界に、宇宙に、ぽつんと自分が存在していることを実感する。
けれど、彼女はこの世界の人間ではない――それが、なんというのだろう。彼女は目の前に存在する。ダイゴの今、目の前に。
これは、夢などではない。――むしろ、夢だったとしたら、どれほどよいのだろう。自分の、こんな惨めな感情を、想いを、滑稽な姿を、知らずに済んだかもしれないのに。
ボクは、彼女に惹かれている。
ときおり、彼女がほしくて、ほしくて、たまらなくなるときがある。今だって、その震えるからだを抱きしめたくて、たまらなくない。
うつくしいものを見せたい。その目にどんな色が宿るのかを知りたい。それが彼女に対して生まれた感情だった。感情ではない、ほぼ衝動だった。それが今や途方もなく、重々しく烈しいものへ変わりつつある。
否、変わってしまった。
すべてを手に入れて、この腕の中へ閉じ込めて、もうどこにもやりたくはないと、あらゆるものを奪って、奪って、奪って、自分だけのあるいは彼女と自分だけの世界を与える、あの衝動に似ている。彼女には、人をそうさせる危うさがある。ひどくアンバランスで、それでいて儚くも美しい均衡……。
今にも透明な雫を、水晶のような小さな結晶をこぼしそうな横顔を見つめながらダイゴは生唾を飲み下し、欄干の上で指先を丸めた。
「ちょうど、なみのりをできるポケモンを連れてきたんだ。水の上を歩くことはできないけど、水上散歩なんて、どうだろう」
胸の裡に、あるいは腹に抱えた黒い衝動を、そんなのんきな言葉に変えて。
ツリーハウスへ戻ったあとは、交互にシャワーを浴びた。ヨウコの姿が見えないと不安になるのか、目醒めたロコンはしきりにピィピィと喉を鳴らしていた。シャワーから上がったとき、彼女はキッチンであたためたミルクをやっていた。
入浴後のひとときは、特別な時間だった。たとえ彼らがただの同居人であったとしても。ダイゴが彼女の庇護者であり、彼女はこの世界に迷い込んだべつの世界の人間だったとしても。
かすかな声が聴こえる。馴染みのない韻律に載せて、甘くやわらかなソプラノが夜の空気を揺蕩う。しばらく、ソファでその日手に入れた図版を眺めていたダイゴだったが、気がつけば眠りに落ちていた。
滔々と紡がれる、うつくしい音色の中で。
