歩いていくには遠いため、メタグロスとエアームドに乗って121ばんすいどうを横断し彼らはミナモシティまで辿り着いた。本当はサファリゾーンへ向かってもいいと思ったのだが、あそこへ入るためにはポケモンをボールの中へしまわなければならない。それはヨウコの意思に反すると思い、街へ直行したのだ。
キンセツともカイナとも、もちろんヒワマキともトクサネとも異なる陸の最果て、ミナモシティ。広大な山と海に囲まれた港街は、訪れたダイゴたちをあたたかく迎え入れる。ヒワマキから比べると大都会だが、どこかトクサネのにおいを感じさせる潮風が吹き、やわらかに陽光が彼らの頭上を照らす。ヨウコもそれを感じていたのだろう、街から東の海岸を眺めてはやわく目をほそめていた。
ポケモンセンターでひとやすみしたあとは、今まで足を向けたことのなかったコンテスト会場へ。あまり歩いても疲れてしまうからと休み休みだ。コンテスト会場ではちょうどうつくしさ部門のコンテストが開かれており、滑り込みで見させてもらったが、はじめて見るステージにヨウコもロコンも驚いていたようだった。
トクサネの家にテレビはなかったし、今過ごしているツリーハウスにももちろんない。文明からとんと離れた生活を送らせていることに気がつきダイゴは謝ったのだが、ヨウコはさして気にしていない様子だった。自分用の携帯すらないから、彼女はポケモンセンターかダイゴか、はたまたツリーハウスに置いてあった壊れかけたラジオから情報を収集するしかない。もしも自分がそうであったらと思うと、ダイゴはみぞおちが落ち着かなくなったが、「なにもないほうがいいんです」とヨウコはかすかに語末を緩めて口にするばかり。
そういうわけで、コンテストはおろか、ポケモンバトルすらその目で見たことのないヨウコの反応はまさしく無垢な子どものようで、ダイゴはなんだか自分までも楽しくなって、ヨウコにあれこれとコンテストのことを教えてあげた。
――チャンピオンの間で挑戦者を待ち受ける自分を見たら、どう思うのだろう。
もちろんそんなことも考えたが、「できれば、見てほしくない」と殊勝にも思い至るのだった。
コンテストを見終えたあとは、会場に設置されたきのみブレンダーでポロックづくりに挑戦した。かつてはダイゴも夢中になったが、大人になった今となっては少年時代の青い思い出のひとつにおさまってしまっている。チャンピオンということもあり、リーグを通してさまざまなポロックを届けられることもあれば、特別にブレンドされた既製品を買うこともある。一緒になってブレンダーに向き合ううちに青い気持ちを思い出し、そもそもブレンダーが開発されたのはそう遠い話ではないが、それでも何年も前のことではある、気がつけば集中するあまり手首が固まるまで夢中になっていた。それには、参加していた少年少女が目をキョトンとニョロモのように丸くしていたほど。
何回目かのブレンドを終えたあと、ようやくはたと我にかえり、ダイゴは自分の熱中さを顧みておかしくなった。はじめは真顔で苦戦していたヨウコが、二回目三回目には必死でブレンダーに挑むから、うれしくなって調子に乗ったのだ。ひとりでに苦笑するダイゴにヨウコは首をかしげたが、「なんでもない、ひさしぶりで楽しかったな」と彼は言った。
完成したポロックはもちろん、彼女の足もとでくるくると円を描くロコンに。どうやら苦手な味があったらしく、それはココドラがかわりに食べていた。
ポロックづくりを満喫したころには、すっかり傾いた西日が強く辺りを照らしていた。燦然と光を浴びる丘にあがって、彼らは美術館へ向かった。
四角い箱が連なったようなデザインの外観。カイナのうみのかがくはくぶつかんとはまた趣が異なり、とても前衛的で現代的と表現するのがいいだろう。街のすぐ裏手には山林が続くし、海に面しているのでアンバランスな印象を受けるが、そのアンバランスささえ芸術の前では光となる。
ミナモといったらデパートとたいていの人が答えるが、ヨウコはそんなことは知らない。空に突き刺さるようにそびえる高層ビルを眺めていたのでもちろん誘ってはみたが、さほど気のりはしないようで、ならばその奥に美術館があると告げると、彼女は何度か目を瞬いたあとかすかにきらめかせて頬をほころばせた。そうなっては、美術館を案内しない理由などひとつもなかった。
決して、表情に乏しいわけではない。感情の変化が薄いわけでもない。けれど彼女は時折殻にこもったようにその中から物事を遠く眺めているようにも思える。ずっと喩えてきた言葉で言うならば、透明な壁。あるいはその姿を隠す、白いカーテン……。
チリーンのようにふわふわと飛んでいきそうな彼女を引き留めるのは大変なことだ。だから、少しでも彼女の「これ」というものが見つかると、たちまちチルットの羽毛で胸を撫でられた心地になってダイゴはその手を引いていってやりたくなるのだった。
もう一か月は暮らしているというのに――そうだ一か月も。同居人という肩書きは、今なお凝固な岩として目の前に横たわる。奇妙な生活だ。だが、それでも彼女を知るのが自分しかいないと思うと、彼は胸の奥が満たされる気がしていた。
さて、美術館へたどり着いた二人は、チケットを買い――チャンピオンのダイゴに職員は驚いているようだったが、どうぞご自由にと中へ案内したがる彼らをよそに、きちんと券売機でそれを手に入れ――さっそっく中へ入る。疲れたのかロコンはヨウコの腕に抱かれながら。
一面ガラス張りの窓から光が射し込み、エントランスはとても明るかった。だが、一度展示室に入ると一切の陽光が遮断され、弛緩していた空気がすっと凝縮し、澄んだ水底に足を踏み入れたみたいだった。やや薄暗い室内に灯るのは、深海に棲まうチョンチーの触手のようなやわらかなライト。飾られた作品をひとつひとつ丁寧に彩っては、温度を与える。外観とはちがって、整然と落ち着いた印象だ。それも、尖った感じはない。
まばらな来訪客のあいだをゆっくりと歩き、作品を鑑賞する。どうやら、ちょうど特別展が開かれていたらしくそちらに向かうとやや人の波があったが、それでも芸術を前に人はみな透明人間になるものだ。あるいはカクレオンか。互いの存在を認識しながら、しかし空気に紛れた他者を自らの世界には引き込まない。ヨウコもまた、ダイゴの存在を認めながら、絵を前にしてはただ一個の人間としてそれと向き合っていた。
ダイゴはといえば、もちろん二、三歩さがった場所からヨウコがはぐれないように、消えてしまわないように、透明人間に徹しながら見守っていたのだが、それでもヨウコの存在は、もう彼の中から消すことはできなかった。
しばらく特別展示室に篭ったあとは常設展へ戻り、最奥の展示室で太古の石板を鑑賞した。ポケモンの姿と古代語が刻まれたそれをヨウコはまじまじと眺め、それから、そこでなんとダイゴをふり返った。
おもわずダイゴは驚いたが、平静を装い笑みを浮かべて近づき、「ボクも、ここへくるといつもこれを眺めるよ」と石板の表面を目でなぞった。
「やっぱり」という意味を込めてふと相好をゆるめた彼女の顔が、なんとこそばゆかったことだろう。
