5-1

 カシャ、と小気味いい音を立てるその機械に、ロコンは興味深々のようだった。まさしくきゅるきゅるという擬音語が似合うようなつぶらなひとみで見上げてくるその子に、私はつい相好を緩めて、「これはね」と言葉を継ぐ。
 サアサアとそぼふる霖雨のように、あるいは穏やかに照りつける初夏の陽射しを受けたこもれびのように、穏やかに日常が過ぎていく。
 果たしてこれは日常なのか、よくよく考えればすべてが夢物語みたいなのだけれど、すっかり私はここで生きているようだから、気がつけばそう思うようになっていた。
 こちらへ来た経緯は、正直まだよくわからない。ダイゴさんの言うように、ポケモンの不思議な力で時空が歪んだ可能性があるのならば、世界を飛び越えるというのは、そう難しいことではないのかもしれない。ただ、どうにも目の前に広がる光景が現実的すぎて、その仮説すらもうまく砕いて飲み込めていない自分がいる。
 これが、名前も知らない聞いたこともない場所であればよかったのかもしれないけれど、だって、私にとってこの世界はフィクションのひとつだったはずなのだから。幼いころに夢中になったもの。きらめきの中に消えていくまぼろし。でも、物語はある意味消えない。物語は、物語。
 何度もその考えがめぐり、胸を蝕んでいく気がする。
「そろそろ写真を現像しないとね」
 すでに、三つめのインスタントカメラだった。一日一枚だったのが、二枚、三枚と増えて、あっという間にフィルムはなくなっていくようになった。本当は、形に残るものなどあってはならなかったのに、気がつけば取り憑かれているみたいにカメラを手放せなくなり、ライフワークの一環として私の中に刻み込まれていた。
 携帯があったら楽なのに、と前ならば思っていたかもしれない。そもそも、手放すこともなかっただろうから、それすらも思う機会がなかったかもしれない。でも、ないことにももう慣れてしまった。便利だとか、ハイテクだとか、そんなものに頼らないのも案外いいものだ。彼は心配そうにしていたが、そのへんは、彼が思うよりも楽観的なのかもしれない。
 朝起きて、携帯の画面を眺めるよりもまず、朝陽を浴びる。ぼやけた視界がしんじゅ色のうつくしい光に満たされていく様を見るのは、とても目が洗われた心地になる。それまでこびりついていた汚れがようやくとれたような、潤いに満たされる感じ。空気中に浮かぶ埃や塵でさえ、きらきらと瞬いて、サイドテーブルに置いたビードロの輪郭を光で描き出す。よもやそんな生活を実際に送れるとは思いもしなかった。
 それだから、ふとした瞬間カメラを構えないともったいない気がしてしまうのだ。同じ空が二度と訪れることがないように、時間も平等に過ぎ去っていく。背後に広がる過去を好きに手にとって感傷に浸れたらいいけれど、そうもいかないのが現実だ。だから、ほんの一瞬を、またたきのうちに過ぎていくなにかを、ひとは永遠にこの手におさめてしまいたくなる。この一瞬がふたたび訪れないことを知っているかのように。
 フランスの詩人であるランボーは言った。

 ――また見つけた! と。
 なにを?
 ――永遠を。

 それは未来永劫続いていく、確固としたなにかではない。夕焼けのあるいは朝焼けの太陽のとける海。ほんの一瞬こそが永遠なのだ。
 はじめは、記念のような気持ちもあった。古びたダンボールのふたを開けて、大切なものを取り出すような懐かしい気持ちを楽しんでもいた。でも、確かな証が欲しかった。
 それは、今も変わらない。
 さて、現像だ。ヒワマキに写真館はないから、現像に出すとしたらどこか大きな街に行かなければならない。ロフトに上がって、こんなに撮ったの、とフィルムを巻ききったインスタントカメラをロコンに見せると彼――この子はおそらく男の子らしい――は少しずつカールしてきた尾をおおらかに振る。ポケモンセンターで見せてもらったロコンは六つの尾だった。色も純白ではなく、体毛も同じマロン色。同じになるには、まだまだかかりそうだ。
 先ほど、窓辺に映し出されたひしがたの光を撮った私は、次にロコンにレンズを合わせてフィルムを巻く。マロン色のふさふさの毛は、まだ赤ちゃんらしくやわらかで、生えそろっていないからあちこちでぴょんと長い毛が飛び出ている。光にその毛先が透けて、淡い金色に染まる。人形みたいな愛らしさ、って、このことを言うのだろう。
 こてんと首を傾げたものの、うまく被写体になってくれたその子に思わず頬がゆるんだ。
 急降下する機体ではないけれど、ゆっくりとこの世界に足をつける。その感覚が、はっきりと宿っていく。フィルムをもう一回巻こうとして、それ以上巻けないことに気がついた。
「あ……」
 と、カメラを持った手を下ろすと、ちょうど仕事の電話をしていたダイゴさんが戻ってきた。
「ヨウコ、どうかした?」
 さらりと、彼は淀みなく私の名前を呼んで、こちらへ歩み寄ってくる。ほんとうに、透明なシロップに浸かっているような、そんな口調で。私はそれに、いまだ、慣れない。
「カメラ、フィルムが切れてしまって」
 言葉を選びながら口にすると、彼はやわく微笑んだ。
「ちょうどよかった、今日はカナズミへ向かう用事ができてね」