2-5

 光の注ぐ窓辺に立っていた。白いカーテンが風にはためいている。そこには一人ひとがいて、大きな影が真白に浮かんでいる。外の景色でも眺めているのだろうか、いや、こちらを見ているのだろうか、ともかく、美月はそのひとを知っているような気がした。すっと伸びた背すじ、横に広がった肩、だが、少しだけ俯いたつむぎ。ゆらり、ゆらり、影が踊る。
 手を伸ばすこともなく、また、話しかけることもなく、ただ美月はその影を見つめている。
「ミツキ」
 その声は優しく、
「ミツキ」
 ときに切なく、
「ミツキ」
 またあるときには激しく、彼女の名を紡ぐ。ふれたくてたまらない。その影を抱きたくてたまらない――なのに、風にはためくカーテンは彼らを遠ざけてしまう。
 あなたはどこにいるの?
 ねえ、『わたし』、あなたを――

「クラウド」
 自分の声で目を覚ました。

 テントの天窓からは、すみれ色に染まった空がまみえている。
「あさ、か」
 完全に陽は昇っていないだろう。不可思議な夢の余韻に浸りながら静かに起き上がる。つい昨日も妙な夢を見たばかりだったが、光のない世界から今度は光に満ちた世界に飛び込むなど落差がありすぎた。しかも、なぜ、『わたし』は、あの影をクラウドだと思ったのか。
 唱えてしまった名前を思い出し、唇をなぞる。魔法でもかけられたみたいで、ひどく心地が悪くかった。眉をひそめていると、んぅ、とエアリスが身じろぎをした。これ以上、寝られそうにもない。起こさないようにそっと服を着替え、美月はテントから這い出た。
「レッド」
 小さくなった焚き火の近くで、レッドが尾を翻した。
「ミツキ、ずいぶん早いな」
「うん、目が覚めてしまって」
 東の空が白んでいた。グラデーションのかかった薄明の空は美しく、頬を包む空気もさっぱりと洗われたかのように澄んでいる。
 すっかり目が冴えた美月がレッドのすぐそばの丸太に腰かけると、レッドは彼女を見上げてくる。
「ならばちょうどいい。特訓、とやらをしてみるか?」
 特訓。そういえばと昨日の話を思い出して、美月は眉を下げた。
「わたしに、できるかしら」
「さあな。だが、やってみる価値はある」
「……そうね」
 レッドが立ち上がり、ゆるりと体を振るう。
「なにか、憑きもののついた顔だな」
 まったく、そんなにわかりやすいのだろうか。曖昧に笑って、美月は肩をすくめた。
「ん、なんだか、いろいろ考えてしまって」
「セフィロスのことか?」
 鋭い指摘にどきりとしながら、赤い美しい毛並みに手を伸ばす。
「そんなところ。――ねえ、撫でてもいい?」
 きょとん、とレッドは目を瞬かせたが、やがてふっと息をつくと、「ああ」とまぶたを下ろした。
「ふふ、きもちい」
 大型犬を撫でたときに似ているだろうか。つややかな体毛を手のひらに感じながら、彼の背を撫でる。昨晩の震えはどうやらもう治っているようだった。やっとあたたかなものに触れて、心がじんわりと溶けていく。
 レッドも心地よいのか、されるがままに美月の手を受け入れていた。

「もう起きていたのか」
 しばらくレッドとの穏やかな時間を楽しんでいると、テントから出てきたのはクラウドだった。
「おはよう」と声を返すと、ああ、と憂いを帯びた睫毛を揺らして、首を二、三度左右に捻る。バスターソードはまだ背負っておらず、また、肩当てもつけていないので、ニットタンクトップと末広のズボンというラフな姿だ。
「うるさかった?」
「うるさい?」
「うん、レッドと話す声。起こしちゃったかしらと思って」
 きょとん、と目を丸くしたクラウドだったが、すぐに、得心した様子で美月のそばに寄ってきた。
「べつに。それより、川まで向かうが、一緒にくるか?」
 美月は咄嗟にレッドの顔を見遣る。
「私はここにいる。気にせずに行ってきたらどうだ」
 と、言われて、美月はこっくり頷いた。

 なにをするのかと不思議に思った美月だったが、クラウドは単に顔を洗い、朝食に使用するための水を汲みに行くだけだった。
 ぱしゃ、と軽やかな音を立てて顔を濡らしたクラウドに倣い、美月も両手に水をすくって顔にかける。冷ややかな温度が心地よい。
「先に使え」
 滴を長い睫毛にたっぷり載せたまま、片目を開けてクラウドがタオルを差し出してくる。
「ありがとう」とそれを受け取ると、彼は、「これくらい普通だ」とすげなく言い濡れた前髪をかき上げた。
 きらきら、朝陽に金糸がきらめく。美月は目を瞠った。太陽の下で見る彼の髪が綺麗なことは知っていたが、朝陽となるとまた格別のようにも思えた。シャンパンの泡がグラスを上がっていくような儚さと、オランダかどこかの一面の小麦畑のようなあたたかさ。だが、すぐにクラウドが気がついて視線を寄越してくると、なんでもないふうを装い急いで顔を拭ってタオルを返した。
「そういえば、傷、平気か」
「傷?」
「昨日の。アークドラゴンに突き飛ばされただろ」
 肩を引っ掻いた鉤爪を思い返し、美月は一瞬体をこわばらせるがすぐに、「大丈夫」と答えた。
「エアリスにケアル、かけてもらったし」
「見せてみろ」
「大丈夫だってば」
 傷のことは、正直、痛みもなにも感じなかった。すぐに回復魔法をかけてもらったのもあったが、とにかく必死で剣を握っていたから、アドレナリンでも大量に分泌されていたのだろう。痕が残っているのかも、気にしていなかった。
「それより」と美月は続ける。
「ここから先、わたしよりエアリスと一緒に行ったほうがいい気がするんだけど、クラウドはどう思う?」
 一瞬の静寂が訪れた。
「なぜ?」
 ややあって、クラウドが口元をタオルに埋めたまま、一瞥を送ってくる。
「なぜって」美月は言い淀む。
「わたしはなにもできないし。もし、セフィロスと会ってしまったら、きっと邪魔になってしまうから」
 それに、と今度は矢継ぎ早に続けた。
「もし、ジュノンの街について、そこが安全そうだったら、そこに置いていってもらってもいいから」
 ね? と笑いかけると、クラウドは視線を外してタオルでガシガシと顔を拭った。
「アンタはそれでいいのか」
「そうしたほうが、いいかなって」
 川の上流から風が吹き、涼しげな空気が頬を撫でる。
 もはや、美月の中には、あの七番街プレート落下時の我武者羅さなど残っていなかった。なにもわからず、ただ目の前の子どもや人々を助けるために、声を枯らし、脚を傷つけながら走った、あのときの無垢な勇ましさなど。
 視界が自然と下降していく。まぶたが重く、瞬きをすることすらも億劫に思えた。
 はらりと風を孕んだ髪を耳にかけ直すと、顔を拭き終えたのか、クラウドがふるりとかぶりを振ってまた美月を視界に留めた。
 じっと、碧い瞳が美月を見つめる。
「そんなに見ないでよ」
 恥ずかしいから、と顔を逸らした美月に、クラウドはなにかを言いたげに口元をもぞつかせたあと、ひとつため息をついた。
「アンタを足手まといだと思ったことはない」
「うそ」
「うそじゃない」
 美月はかぶりを振る。
「そんなこと、言わなくていいの」
 結局のところ、それが事実だ。やわく、はにかんで美月は告げる。
「クラウドにはクラウドのやることがあるし、わたしは、なんとか自分で帰る道を探す、だから」
 クラウドの手が勢いよく美月の肩を掴んだ。かなり強い力でそれを押し、無理矢理自分のほうを向かせた。
「行かなくちゃ、って言ったのはアンタ自身だろ」
 美月は思わず身をよじる。
「そう、だけど」
 つい一昨日、旅に参加する意志を訊ねられ、はっきりと答えたのは、紛れもない美月だった。だが、怖気づいたのだ。なにもできない彼女がいては、彼らが危ない目に遭う、と。
 クラウドの顔はいつもとあまり変わらないが、いつだったか、彼が蹲り美月の手を掴んだときのことを思い起こさせた。救いを請うそれか、あるいは、母を求めるそれか、肩を掴む指が皮膚に食い込んでいく。
「クラウド」
 その名を呼ぶが、彼には聞こえていないようだった。
 神羅ビルで美月に言い放ったときのように、「好きにすればいい」と言ってくれれば、と考えていたというのに。心のどこかで、そう言い呆れられるのではと予想もしていた。だが、予想は思わぬ方向に裏切られてしまった。
 柳眉をひそめて自分を射抜く熱いまなざしに、火傷してしまいそうになる。
「クラウド」
「アンタは……っ」
 突如、瞳孔が見開かれた。
「ッ……ぅあッ……」
 呻き声を上げて、クラウドが頭を抱えこむ。肩を掴んでいた手が離れ、がくん、と視界から金糸が落ちていく。美月は慌てて手を伸ばした。
「クラウド? クラウド!」
 俯いた彼の背は丸まり、あの逞しい肩が小さな子どものように震えている。
「クラウド、大丈夫?」
 その肩に手を添えて、美月は落ち着かせるようにゆっくりと撫でた。
何度かそれを繰り返すと、やがてクラウドが微かに、「あぁ」と答えた。意識を取り戻したのだろうか。ゆらりと上体を起こしたクラウドの体を支えて、額にかかった髪をよける。
「よかった、でも、顔、ひどいわ」
 蒼白だった。もとより肌が白いのに、一切血の気を感じない。レッドに言ってポーションでももらってきたほうがいいかもしれない。そんなふうに考えて、美月は彼が手にしていたタオルを預かって、薄らと汗の滲んだ額を拭ってやる。
 と、今度はクラウドの長い睫毛が揺れ、碧い瞳がこれでもかと見開かれた。

「――危ない!」

 目を瞬く間にクラウドに抱き寄せられる。視界を埋め尽くす濃藍。どくり、どくり、自分のものではない、強い鼓動。一体なにが起きたのか、考える暇もなかった。
 おそるおそる顔を上げると、クラウドが鋭い視線のまま、「ファイラ!」と呪文を放った。
 体を抱く力が強くなる。ジュッとなにかが焼け焦げる音がして、やがて、グアア、と短い唸りが風に舞う。
「クラウド?」
 しばらく、抱きしめられたままだった。逞しい腕が美月の背を抱えこみ、出っ張った喉仏が静かに上下を繰り返している。
「……怪我はないか」
「う、ん」
 モンスターを倒してくれたのだろう。バスターソードは背になかったが、彼の腕のバングルについた緑色のマテリアが功を奏したようだ。
 厚い胸板から香る彼の香りに唇を軽く噛み締めて、美月は深呼吸をする。とくり、とくり、鼓動が波打ち、気を抜けば溶け込んでいってしまいそうになる。
「ごめん」
「アンタが謝る必要はない」
「でも……」
「最初から、わかりきってたことだ」
 瞳を伏せると、背を抱く力がいっそう強くなった。
「アンタができないぶん、俺が守る。タークスにだって渡さない」
 美月の不安を拭うようなその声に、不意に泣きそうになる。きつく、彼の手のひらが背に食い込んでいく。それはエアリスに向けるべきなんじゃないかな、そんな言葉は飲み込んで、美月はクラウドの胸板に額を当てた。
 このままでいいのだろうか、そんな思いを心に残しながら。

 心の底に溜まった不安と悩みは、はっきりと太陽が見えるようになってもそのままだった。むしろ、モンスターと遭遇するたびに、負の感情は募っていくようにも思えた。
「凶斬り!」
 ザシュッザシュッと大きくバスターソードをふるうクラウドの背中を眺めて、美月はぎゅう、と泣きそうに顔を歪める。レッドがクエイグを唱えて、モンスターは結晶となって散っていった。
 刃についたモンスターの体液の残りを振り払い、クラウドが大剣をくるくると回して背に戻す。
「問題ないか」
「うん、クラウドたちは」
「大丈夫だ」
 と、いう彼の頬についた汚れを指で拭う。バッと目を見開いたクラウドに、美月は反射的に、ごめん、と謝った。
「いや、すまない」
「ううん。レッドは、ポーション、いる?」
「ああ、いただこう」
 そっぽを向いたクラウドを気にかけないようにして、ティファから預かった道具袋から青い小瓶を取り出し蓋を開けてレッドの口元に持っていく。がぶり、口のところを咥えたあと、彼は勢いよく顎を上げてそれを飲み干した。
「だいぶ、相手が強くなってきたな」
 レッドは尾の炎を翻してクラウドを見遣る。
「そうだな。もう少し攻撃の精度を上げてからこの先に進まないと、きついかもしれない」
 二人の会話を耳にしながら、美月は道具袋の口をキュッと絞めた。
 カームを出たころとは比べものにならないくらい、襲いかかってくるモンスターが強靭になってきている。クラウドとレッドがいくら戦い慣れしているとはいえ、先頭時間が長くなり、負担が増しているのは一目瞭然だった。
 涼しげにしているクラウドの額にも薄っすら脂汗が滲んでいる。
 美月は腰につけたダガーを撫でると、なにかマテリアの反応がないかを確かめてみた。
(ない……か……)
 銀色の美しい装飾に触れただけで、微かに手が震える。もしも魔法が使えたら、少しは力になれるかもしれないのに。とは思うも、人生ままならないものだ。だったらダガーを握ればいい、心の中で違う自分が囁くが、美月はそれを聞き流した。
 ふう、と小さくため息をつく美月をクラウドがひそかに見つめていた。

 それからまた、果てしない大地を進んだ。飛行機や電車、車が発達していた地球から比べると、町と町を繋ぐ移動手段がないのはたいそう不便なものだ。普段人々はどのように暮らしているのかとクラウドに訊ねてもみたが、車か、あるいは船なんじゃないか、と言っていた。彼がニブルヘイムから出たのも、その二つを使ってだったという。飛行機もあるにはあるが、基本的には神羅の限られた人間にしか使えないらしい。電子機器は遜色なく発達しているというのに、不思議なものだ。まが、ミッドガルはかなり開発が進んでいたが、カームを見てもわかるように、そのインフラには歴然の差があるのだろう。
 仕方ないか、と思い脚を叱咤するもせめて車でもあったら、と思わずにはいられなかった。
「ミツキ」
 前を行くレッドの尻尾を追いかけて草原を歩いていた美月にクラウドが後ろから声をかける。ミッドガルを出て以来、ずっとクラウドが先頭だったが、今朝からこの隊列に変わった。
 後方から声がかけられると、なんとなく、この世界へトリップしたばかりのことを思い出す。これまでテレビでしか見たことのないような本物のスラム街に怯え、電線がぱち、と音を立てるだけで飛び上がっていたころが少しだけ懐かしい。
「なに」と足元に気をつけながら声を返すと、ふいに手持ちぶさただった左手に、温もりが触れる。
「……クラウド?」
「いや、小さな虫がついていた」
 一瞬のふれあいだった。だが、たしかに、クラウドの指先が美月の手に触れた。ぎゅっと恋人同士が歩いていて手を繋ぐときのように、熱をまさぐる感じ。ありがとう、小さく呟いて、反対の手でふれた箇所をなぞる。
「クラウド……」
 朝から、おかしいよ? という言葉は飲み込んで、美月はそのまま、歩みを進めた。
「なんだ」
「ううん。クラウドって、優しいのね」
 なにを言えばわからなくなるなんて、自分でも口から飛び出た言葉には驚いた。ばか、と心の中で叱責して、彼が後ろにいるのをいいことに、口元をもぞつかせる。振り返って、その顔を確認することもできない。まったく、どうして、こんなことになったのか。
「そう言うアンタは、お人好しだな」
「なによ」
「いつか誰かに騙されそうだ」
「それって褒めてる?」
「どうだかな」
 そうやって憎まれ口だけ叩いてくれればいいのに。そう思いながら、この後もしばらく歩いては戦ってというルーティンを繰り返していった。

 太陽がすっかり真上に上がったころには森の中を歩いていた。
「西は、こっちね」
 クラウドから任されたコンパスを手のひらに載せて、方角を確認する。ジュノンは北西の海岸沿いにある町だ。見渡す限りの緑と茶色だが、まずは西へ向けて森を抜ければいいだろう。
 前方の少し開けた箇所を指で示すと、レッドは、「そのようだな」と鼻を鳴らした。
「なにか、匂い、するの?」
「ああ。微かに、ニンゲンの匂いだろうか」
「もしかすると、先に誰かが通ったのかもしれないな」
 誰か、そのクラウドの言葉に無意識に体がこわばる。黒マントの男か、それともタークスか。どちらもできれは遭遇したくない――いや、クラウドからすれば、前者は願ってもない邂逅だろうが――相手だ。
「とにかく、進んで、みよっか」
 くるりと不安定に揺れる羅針盤をベルトに吊るし、指先をすり合わせてぎゅっと拳を握る。口の中がいやに乾いてしかたがない。
「ああ。念のため、私からいく。合図をしてからミツキはついてきてくれ」
 凛々しい片目が美月を見上げて、情けない笑みを浮かべながらこっくり頷く。
 ここを抜けなければジュノンへはたどり着けまい。そろりそろりと匂いを嗅ぎながら進むレッドの背を見守り、きつく手のひらに爪を食い込ませる。
「ミツキ」
 すぐそばで、胸を撫でるようなテノールが響いた。
「握ってろ」
 硬い岩を作っていた手を大きな手が包み込み、一度ぎゅうと握られた。息を呑むまに、あられもなく体が震え、おもむろに振り返るとクラウドの顔が近くにあった。
「クラウド」
「ダガーを、先に握っていれば怖くない」
 ひゅうと短く吐息が漏れて、手のひらがほどかれる。クラウドの手は、ひやりとしていて気持ちよかった。大きな手に導かれるがまま、腰元のダガーにふれる。ゆっくりと、指一本一本を柄に絡ませるように、クラウドは美月に柄を握らせた。
「うん……」
「もしモンスターが出てきたら、抜いて、自分の前に突き出しておくんだ」
「わかった」
 心の中でそれを暗唱しながら、振り返ってこっくり頷いてみせたレッドのもとへと向かう。クラウドの手はまだ離れない。このままでは小刻みに震えているのが、ばれてしまう。するりと、硬くなった親指のはらが手首のあたりをなぞる。
「自分の身を守ることだけ考えていろ」
 熱っぽく、やや掠れた声だった。なぜ、そうなったのかわからない。耳元で囁くような、その妙な色っぽさ。気にしないでいたいのに、やけに耳にこびりついてたまらない。
(やっぱり、クラウド、おかしい)
 なにか変なものでも食べたか、あるいは、モンスターの変な呪文にかかってしまったか。
 震えがバレぬようにぐっとダガーを握る。一歩、二歩、と歩む間も、熱は離れない。
(いったい、どうしちゃったの)
 こんなんじゃなかったのに、心の中で熱に浮かされたままぼやくと、それがバレたのか、「おい」と、またしても耳元で囁かれた。
「ちゃんと前見てろ」
「わかってるってば」
 レッドがこちらを見ている。その表情はよくわからないが、絶対、この状態を怪訝に思っているに違いない。だって、あのクラウドだ。蜜蜂の館でセクシーランジェリーを手に入れた挙句、骨太のおなごを見事演じ切ったとはいえ、興味ないね、が口癖のクールなクラウドだ。なのに、こんなの、おかしい。
 つ、と、今度は中指が美月の手をもてあそぶように指の関節をなぞって、彼女は唇を噛み締める。
 ただ、森にはいるだけだよね? 言い聞かせながら、ぴったり、うしろにクラウドがくっついた状態でどんどん歩く。
「獣道を人が通ったようだ。なにが出るかわからない慎重に進もう」
「うん」とレッドの声に頷くと、そのとき、ザザザッと樹々が揺れる音がした。
 添えられた手の力が強まり、咄嗟に斜め後ろを見仰ぐと端正な顔がこっくり頷いた。
 大きな手のひらがはなれ、クラウドはバスターソードを抜く。
「なにか、来るな」
 レッドが体勢を低くして待ち構える。震える手でなんとかダガーを握るのを強くするが、抜くことはできなかった。
 ガサッ、手前の広葉樹が揺れ、躊躇うことなく、「ファイラ」とクラウドが唱える。
「うあああッ」と聞こえてきた間抜けな声と、飛び出してきた少女に、美月は呆気に取られた。