「これ以上進むのは難しいな」
太陽が沈み、辺りはすっかり暗くなっていた。後ろに見えていたかつての鉱山も、今は黒々とした影を空に落としている。外灯のない、月明かりだけの世界ではさすがに先を急ぐのは困難だった。
クラウドの考えで川のせせらぎがするほうへ三十分ほど歩いたあと、カームで手に入れたテントを立てた。
「キャンプなんて、はじめて」
うきうきした様子のエアリスに、「遊びじゃないんだからな」と、クラウドは呆れ気味である。ティファと二人で顔を見合わせて笑っていると、焚き木を拾い集めたバレットとレッドⅩⅢが戻ってきた。
「さすがに、ここいらは緑が生い茂ってるな」
よっこいせ、と下ろした木の枝を丸く集めて、そこへレッドⅩⅢがファイアを唱えて火を点ける。ジュッと音を立てて宿った炎は赤く辺りを照らした。
「ミッドガル周辺は一面灰色だったものね」
ハイウェイを降りたばかりのころは、荒野が広がっていた。乾いた土にひび割れた大地。見渡す限りモンスター以外の動植物は見当たらなかった。
「ひでぇもんだったろ。都市を支えるために、神羅はあれだけ星の血を吸い上げてるってこった」
バレットは物憂げに木の枝を火へ放り込む。カラン、カラン、と乾いた音が響き、火力が強まる。
日が落ちて、辺りはだいぶ寒くなっていた。夜特有の冷気に包まれた体をあたためるために、美月はしゃがみこんで炎に手をかざす。
ゆらゆら、揺れる烈火はまるで命の燈のようだった。儚くも、激しい、木々を焼き消し炭にする、炎。
「……人びとが生きるためとはいえ、皮肉ね」
目を閉じると、焦げの匂いに混じり青々とした大地の香りを感じた。ミッドガルでは感じることのできなかった豊かな香り。これこそ、星が生きている証拠だろう。
川がせせらぎ、樹々が風に揺れ、大空を鳥が切る、ここにそれを邪魔するものはない。できることならば、いつまでも残しておきたい豊かな自然。だが、人々が一度享受したものを易々と手放せるかといったら、また別のことだ。カームの人々が言っていたように、魔晄で世界が明るくなり、手にした便利さは人類を発展させた。星の生命と引き換えに。
赤くなった指を眺めながら、美月はバレットに訊ねた。
「バレットはいつからアバランチの、その、星命学の考えに賛同しているの?」
「いつ、か」バレットは珍しく小さな声でぼやく。
「ええ」甘皮が剥がれ、ささくれのできた指先を美月は撫でる。
「なかなか、星だとか世界だとか、そういった大規模のはなしなんて、身近に感じられないじゃない? だから、バレットのこと、すごいと思って」
たとえば、地球温暖化が進んでいたとして、オーストラリアの森林が消えている、そんなことを言われても、実際にそれを防ぐために行動するのは難しい。いくらニュースやドキュメンタリーなどで悲惨な光景を目にしたところで、次の日には、結局また同じ日常を送っていく。それが、普通だ。
初めはもちろん過激な思想を持つ彼が怖かった。体は大きいし、見た目もいかつく、やたらといつも叫んでいる。元の世界で一般的な暮らしを送ってきた美月からすれば、神羅相手に周囲を巻き込む彼こそが悪に見えた。だが、そこには複雑な信念があると気がつくと、不思議と怖さは消え彼の純粋なひととなりが残った。たしかに、魔晄炉を爆破させ、人々を混乱に貶めたことは許されることではない。それでも、マリンへ対する愛情はもちろんだが、仲間や大事な人たちのいる星を想う気持ちは人一倍強い、それがバレットの良さだ。
ぱち、と火の粉が舞う淡い光の中で、するりと左手首のミスリルの腕輪を撫でる。
「すごいなんざ、言われるようなもんじゃねぇ」
バレットは頬を橙に染めて頭を掻いた。
「ただ、オレは星の悲鳴が聞こえる気がしてならねぇ。それに、この状況を作った神羅が憎い、それだけだ」
神羅が憎い。その言葉に美月は眉を下げる。
「でも、怖く、なかった?」
「怖い?」バレットが美月を見た。
こくり、美月は頷く。
「たとえば初めてアバランチとして活動するとき。その、モンスターだとか、神羅兵だとか、相手にすることもあるでしょ?」
美月はひそかに震えた手のひらをぎゅっと握る。濃藍の空に浮かぶ下弦の月にはうっすら雲がかかり始めた、本格的な夜の始まりを告げていた。
ケッ、と笑って、バレットはまたひとつ、枝を投げ込む。
「んなこといってたらいつまで経っても、魔晄炉の爆破なんてできねぇぜ」
パチ、と炎が爆ぜた。
「たしかに、それはそうね」
これ以上、この話題を続けるのはどこか憚られ、ただ美月は肩をすくめた。
「ミツキ、ごはんの用意するから手伝って」
エアリスの呼び声がして、美月は立ち上がる。
「ごめん、バレット行ってくる」
「いちいち謝る必要なんざねえ。ウマイ飯、頼んだぜ!」
「わかった」
美月はぎこちなく笑った。
「ミツキ、ナイフでお肉切ってくれる」
「うん」
ティファに言われて、美月はカームで買った干し肉をまな板に載せた。乾燥させているとあってか、生肉よりもだいぶ硬く、ビーフジャーキーを分厚くしたような感触だった。きっと、結構な力を入れなければ切ることができないだろう。
刃渡り二十センチほどの、ダガーよりも短いナイフを握る手は、小さく震えている。ティファとエアリスが談笑しながら野菜を皮剥きし、どんどん鍋へと入れていくうしろで、美月はぐっと唇を噛みしめながら肉へ刃を入れた。
じっくりナイフが肉を切る感覚が、美月の全身の毛穴を粟立たせる。ぶしゅっ、と顔に吹きかかる血液、ぐにゃり、肉を抉る感触、それから、アークドラゴンのたしかな脈動。昼間の出来事が鮮やかに蘇るようだった。
今日、初めてこの手でモンスターを刺した。クラウドに言われたとおり、逆手でダガーを抜き、一心不乱にアークドラゴンの腹へと突き立てた。力がどれほどこもっていたのかもわからない。ただ、なすがままに刃を向けていた。だが、飛び込んでくる勢いもあってか、息の根を止めることまでは叶わなかったものの、ダガーは皮膚を破り、アークドラゴンの肉を抉った。
「っ……」
嘔吐きそうになるのをこらえながら、美月は右手に左手を添えて、肉をぶつ切りにしていく。
「ミツキ、できた?」
「うん、できたよ」
肩口からひょい、と覗き込んできたエアリスに、美月は震える手を隠すようにナイフを置く。それけら、ニィッと笑ってみせ、そばに置いていたタオルで手を拭った。
「そっち、入れればいい?」
「うん。もう、お肉入れて煮込むだけなんだ」
「二人とも、野菜やってくれてありがとね」
まな板ごとぶつ切りにした肉を焚き火の元まで運び、鍋へ入れる。先に炒められていた野菜が、甘い匂いを放っていた。
「これは、なんていう料理なの?」
まな板の上の肉片がすべてなくなって、美月は内心ほっとしながら鍋をかき混ぜるティファに訊ねる。
「もう、ミツキったら。名前なんてないよ。ただのごった煮」
ティファはからりと笑った。
煮込みが完成するまでの間、美月はエアリスたちと三人で星を眺めながらとりとめもないことを話した。クラウドたちが地図を広げて頭を突き合わせているすぐそばでそんなことをするのは正直少し気が引けたが、「いいの気にしなくて」とティファに言われて、エアリスが話すおもしろおかしい話にお腹を抱えて笑った。
「ね、ミツキの世界の話、してよ」
隣に座っているエアリスが、こてん、と肩に頭を載せてくる。
「あ、いいね、それ。私も聞きたい」
「そんなに、おもしろいことはないよ?」
「いいの、いいの! なんでもいいから、知りたいな」
ね、と美月の髪の毛を指先に絡めるエアリスに、美月は眉を下げる。
「じゃあ、なにから話せばいいかしら。二人が質問して」
「ミツキの暮らしていた場所」
はい、と手が挙がって、ティファが言った。
「わたしの暮らしていた場所、かあ」
「うん。どんなところだったの?」
美月は紺色の空を眺めながら、思い返す。
「日本の東京、ってところなんだけどね、高層ビルがたくさん並んで、毎日人でいっぱいだった」
「ミッドガルみたいだね」と、エアリスが言う。
「そうね、ミッドガルと少し似てるかも。スラムまではいかないけど、治安のよくないところもあったし、街中には高速道路……ハイウェイが迷路みたいに繋がってた」
東京を車で走るとなったら、一苦労だったものだ。懐かしくなって美月はひとりでに忍び笑いを浮かべる。
「ミツキはそこで生まれたの?」
「ううん。生まれたのは、べつの場所。もうちょっと田舎だった。はじめて、東京に行ったときは、感動したな、なんでも新しくて、ハイセンスで、かっこよく見えた」
毎朝の通勤電車のラッシュや、照りつけるビル反射、積み重なっていく仕事、向こうにいたころ東京での日々はひどく疎ましかったのに、今ではもう恋しいと思っている。仕事が終わらないとエナジードリンクを飲んで残業をした同僚、月に何度か居酒屋に飲みにいった友人、それから、両親。元気にしているだろうか。
いいなぁ、行ってみたい、ティファの相槌に美月は微笑む。
「そうだね。もしこの世界がつながっていたら、二人を連れていろんなところに行きたいな」
「お花、いっぱいある?」エアリスがすぐそばから美月を見上げてきた。
「うん、お花がたくさん咲いてるところもあるよ」
「じゃ、そこ、いきたいな」
「いくらでも。ティファが好きそうな場所も、ね?」
「やくそく」とエアリスが小指を出してきて、美月とティファがそこに絡める。なんだかこそばゆくて、あたたかくて、救われる思いだった。
*
そうして宵は更け、夕食後の作戦会議を終えると、それぞれテントに入った。
タンクトップのワンピースというラフな夜着に着替えて寝転がると、ごつごつとした石の感触が背中を撫でる。下に敷いたブランケットはお世辞にも寝心地は良くはなかったが、かえって大地を感じて自然に還った気分にさせてくれた。
「はぁ、つかれた!」
同じくごろん、と天を仰いだエアリスに、ティファが、「ほんと」と洋服を丁寧に畳みながら相槌をうつ。
外にはまだ焚き火が灯っており、ほのかに影が揺らめいている。そのたしかなシルエットまでは見て取れないが、これはクラウドの影だ。モンスターが出てはいけないから、と夜番をしてくれている。
やがて明日の準備を終えたティファも横になり、三人で真っ暗な空を仰いだ。
「電気、消すね」
ティファの合図で、魔晄色のライトが消える。いよいよ本格的に闇に包まれた。静かになった世界に、わずかにぱち、ぱち、と焚き火の音がする。
「今日のミドガルズオルム、すごかったね」
静けさの中で、エアリスが言った。先ほどまで明るかった声は、もうすでにその輪郭を丸くしていた。
「そうだね」と、ティファもしめやかに相槌をうつ。
美月はブランケットをぎゅう、と抱きしめた。
「セフィロス、あんなの倒せちゃうんだね」
うん、とティファが静かに頷く。
「ジュノンに行ったら、セフィロスがいるんだよね」
――うん。美月も、心の裡で頷く。右手が、微かに震えた気がした。
「でも、クラウドがいるし。だいじょぶ、だよね」
「……うん」
ティファのか細い声が宵闇にほどけていった。
おやすみ、という合図から、どれほど経っただろうか。しばらく目を瞑っていた美月だったが、やけに頭が冴えてしまい、ちっとも眠れずにいた。
静寂に包まれた世界で、美月は仰向けにテントの天窓から空を眺めていた。
(心臓の音がいちばんうるさい)
カームでもそうだったが、車のエンジンなどの生活音が聞こえないというのはまったく静謐な世界である。それだからか、誰かと話していれば平気だったものが、ふと訪れてしまう。どくり、どくり、血液を送り出す生命の音色。普段よりも格段に強いそれを感じながら、美月は月明かりに手を伸ばした。
メッシュ状の天窓の向こうには、円を欠いた月影が紺色の雲居に覗いている。
(まだ、震えがとまらない)
銀色の淡い光に輪郭を伴った手は、痙攣を起こしたように、小刻みに揺れていた。
昼間、ミスリルマインでアークドラゴンを刺した感覚が、いまだに鮮明に残っている。ぶしゅ、と飛び出した血の温かさ。ダガー越しに伝わるアークドラゴンの脈動。精肉を切ったときとも違う、肉を抉る生々しい感触。
(恐かった……)
自分が、肉を切っているというその感覚が、いまだに夢のようであり、たしかな現実としてこの手に残っている。血はすっかり綺麗になったはずなのに、いまだ、闇色を纏っているようだった。
(モンスターだったからよかったけど、あれが人間だったら……)
そこまで考えて、はた、と気づく。
(人間だったら? 人間だったらどうなるの? ――モンスターだっから、よかった?)
ゾッとした。人間を斬る想像をしたからではない、自分が自然と抱いていた考えに、だ。
人間はダメだけど、モンスターならば斬れる。自分たちとは姿形の違う怪物であれば殺せる。そんなの――手の震えがいっそう強くなる。
ニブルヘイムの魔晄炉で、高濃度の魔晄に浸された人間がいた、とクラウドが語ったことを思い出した。
今日、美月が刺したモンスターもまた人間だったかもしれない。うさぎや犬、馬や羊だったかもしれない。真っ赤な血がたしかにあの体から流れたのだ。それだのに、モンスターだからとその命を奪っていいとたやすく考えるなんて――。
ずっしりとなにかがお腹にのしかかる。見えない、重石のようなものだった。これが、剣を握ることなのだろうか、美月は狭まった喉をひゅっと鳴らして呼吸を繰り返す。だとすれば、なんと重いのだろう。クラウドたちが抱えてきたものは。
なぜ、バレットが複雑そうに炎を見つめていたか、その答えを見つけて、いっそう手の震えが止まらない。
魔晄炉を爆破した結果、どれほどの命を犠牲にしたか。また、その過程でどれだけたくさんの血が流れたか。彼は知っているのだ。そして、その覚悟の上で、いまなお銃を向けているのだ。
(簡単に、訊くべきじゃなかった)
それなのに、あまつさえ、『すごい』だ? なんて陳腐な言葉だろう。
バレットがどんな思いでここまでやってきたか。エアリスも、ティファも、レッドⅩⅢも、そして、クラウドも。どんな思いで神羅を、セフィロスを相手に戦おうとしているのか。
恥ずかしいことに、心のどこかで、自分にもできると思っていた。カームでクラウドからダガーを受け取ったときは、少なからずそう思っていた。
だが、剣を握ることは、そう簡単じゃない。
結局、『わたし』はなにもできないのだ。美月は塊となった空気を懸命に吸い込む。
異世界から、平和な世界から来た人間に、そうする覚悟なんてない。そして、そうすべき、理由も。
月が雲に隠れていく。明かりが薄まり、再び手は黒く染まっていく。
ぬるりとした血の感触。アークドラゴンの悲鳴。肉を抉り、奥深く突き刺さる、手の重み。
(……わたしに、一体なにができるんだろう)
いつまで経っても、震えが治ってくれない。
(彼らと一緒にいて、いいの? )
求めた先になにが待ち受けるか、まだはっきりとはわからない。だが、いずれ旅の過酷さは目に見えて増していく。その中で本当に自分がいていいのか、美月にはそれを肯定できる自信がない。
ずきん、こめかみが脈打つ。
――となれ
声が、聞こえた気がした。
(あのときと、いっしょ)
ガラスケースの中で脳に流れ込んできた、女性の声。
(……気のせい、かしら)
ふっと空を仰ぐと、すっかり月は覆われていた。ただ朧ろな月暈が厚い雲の輪郭を染めている。美月は闇に溶ける自分の手を必死で見つめていた。
