1-6

「なんで、こうなるの」
 美月はびしょ濡れになった白いワンピースを指先でつまみながら、ため息を漏らした。
 彼女がいるのは、妙な腐敗臭のする地下下水道。クラウドに助けられたあと、無事エアリスとティファの救出に成功し――とはいえ、エアリスはロッドで男を気絶させており、ティファはコルネオをベッドに捩じ伏せて、二人とも完全にドレスからいつもの服装に戻っていたが――コルネオへの尋問を行ったのだが、話さないと〇〇しちゃうわよ攻撃で、見事コルネオを論破したものの、コルネオの巧妙な罠にかかってしまったのだ。手下にバレットのことを探らせていた理由を訊きだすのと引き換えに、彼ら四人はベッドの下に空いた穴へと真っ逆さま。さらにはそこで気味の悪いモンスターに遭遇して――今に至るわけである。
「もう……ほんとう……」
 とことんついていない。つい先ほどまで、仰々しい装飾のコルネオの寝室にいたというのに、今はもう、物理的にも精神的にもとことん奈落にでも落とされた気分だ。
「ミツキ、だいじょぶ?」
 一戦を終え、物陰に隠れていた美月にエアリスが声をかけてきた。
「うん、大丈夫。エアリスは?」
「わたしも、平気。念のため、ケアルかけとくね」
「疲れてるのに、ごめんね」
「いーのいーの」
 エアリスがケアルと唱えると、緑色の光が灯り、美月の疲労はすうっとその光の中へと溶けていくように感じた。
 そこへ、魔物の落としたギルを拾い集めていたクラウドとティファがやってきた。
「無事か」
「はい、この有り様ですけど……」
 茶色く染まった裾をつまむと、クラウドが小さく息をついた。
「ここを出たら、魔法で体きれいにしよう。それまでは我慢してくれ」
「ごめんね、ミツキ、巻き込んじゃって……」
 二人もなんとか無事なようだ。
 美月はすまなそうなティファに、気にするなとも大丈夫、とも言わず、ただ曖昧に微笑んでみせた。
「でも、本当に七番街プレートを落とす気かしら」
 ティファが先ほどのコルネオの会話を思い起こして、ぐっと眉根を寄せる。
 セブンスヘブンにうろついていたコルネオの部下は、神羅の治安維持部門総括ハイデッカーからの依頼を受けたコルネオの命令で、片腕が銃の男を探っていた。ではなぜそんな依頼を神羅が出したか。神羅の目的は自分たちを邪魔するアバランチを潰すことであり、なんと、プレートを支える柱を壊して、文字どおり七番街のアジトごと潰すという計画を目論んでいたというのだ。
「もう、ダメだわ……。マリン、バレット、スラムの人たち……」
 ティファが頭を抱えて嘆く。
「ティファさん……」
 美月はそっと、ティファの背中に手を添えた。
 プレートが落とされれば、七番街スラムは間違いなく惨状となるだろう。そこに住む人々は瓦礫の下敷きになり、多くの命が奪われてしまう。
 どう言葉をかけていいか、美月は迷っていた。確証もないのに、大丈夫、と言うのも無責任な気がする。だからといって、頑張ろう、と鼓舞するのも、軽率な言葉になってしまう。なにしろ、多くの命が奪われる瞬間が待ち受けているのだ。美月が知る場所で、少なからず彼女が関わりを持った人々の命が、危ぶまれている。
 どうすればいいのだろう、ティファの温度を感じながら、美月はひとりでに息をつく。
 すると、エアリスが二人ににっこりと笑いかけてきた。
「あきらめない、あきらめない。柱、壊すなんて、そんなに簡単なことじゃない、でしょ?」
 彼女の言葉には、不思議な力があった。ティファは俯いたまま、「そうね、そう、よね……。まだ、時間はあるわよね」と呟き、ぐっと拳を握りしめる。
「とにかく、ここを出ないといけませんね」美月もティファの背中をそっと撫でて、口元をきゅっと引きしめた。
「ここは六番街だから、そんなに時間はかからないだろう。とにかく、急ごう」
 なにかを考え込んでいるようだったクラウドがそう口を開くと、皆、納得してこっくり頷いたのだった。
 こうして、七番街プレートの落下を阻止するべく、美月たちはとにかく先を急ぐこととなった。
「巻き込んで、すまなかったな」
 地下下水道を抜け、列車墓場にたどり着いたところで、クラウドが美月にそう話しかけてきた。美月はゆっくりとかぶりを振って、ハの字に眉を下げて笑う。
「……もとより、行くあてもないですし」
 彼女の前には、自分の足で先へ急ぐ道を探すティファとエアリスの姿がある。今の美月には、それすら一人ですることはかなわない。コルネオの館へティファを助けに向かったのも、今こうして、プレートの落下を阻止するために動いているのも、彼女がそうするしか道がないからだった。助けなくちゃという使命感なんてものではない。クラウドたちについていかなければ、美月は一人になる。力もなく、お金も、知識もない、そんな彼女が、この世界で生きるたたひとつの術だったのだ。
 クラウドは彼女の考えを察したのか複雑そうに唇を結んでじっと顔を見つめてくる。
「そんな顔、しないでください」
「だが……」
 美月は、ふっと目を細めた。
「そうだ、これが終わったら、安全な場所に連れて行ってくださいね」
 クラウドに向かって、にっこりと嫋やかな笑みを作ってみせる。先ほどまでの、あのギリシアの女神の余韻を残した笑みで、
「報酬は、そうですね……。じゃあ、マッサージ一回!」
 と唇にそっと指先を当てて、クラウドを見上げた。
「どうです、これならそそられますよね?」
 こてん、首を傾げてみるも、精悍な顔つきは微動だにしない。
 場を和ませようとしたのは失敗だったか。そう思い美月は、なんちゃって、と戯けて誤魔化そうとした。
「いいだろう」
 が、返ってきたのは思いもよらぬ言葉だった。
「え?」美月が驚いてクラウドの顔を見返すと、端正な眦がふっと緩んだ。
「マッサージ、忘れるなよ」
「え、嘘でしょう? 本当に?」
「自分で言っといてなんなんだ、アンタは」
 くく、と喉を鳴らして、クラウドは笑っている。初めて見る彼の笑みは、笑顔とまでは言い難かったけれど、唇がやわく弧を描いてとてもやさしい顔だった。その美しさに、美月は呆気にとられてしまう。だが、すぐさまハッと意識を取り戻すと、顔を真っ赤にして、「やっぱ、やっぱり今のなしにしてください……」と言うのだった。

 そんな和やかさとはうらはらに、自体は思わしくない方向へと一転していった。
「間に合った! まだあったのね!」
 列車墓場を抜けると、七番街プレートの支柱下へとたどり着いた。人が集まっているが、支柱はまだ元の形でそこにある。ティファは安堵の声を上げ、そちらへと走っていこうとした。
「待て! 上から、音が聞こえないか?」
 クラウドがそれを制止して、上を見上げる。と、人が落ちてきた。
「大丈夫か、ウェッジ!」
「ッ……」
 落ちてきた男の顔を見て、美月は声にならない悲鳴を上げた。バレットとともに、アバランチの活動をしていた仲間の一人だ。全身血だらけで、顔には大きな傷がある。
 どうして……。美月が上を見上げると、銃声が聞こえてくるのがわかった。
「銃声……」
「バレットさんが、上で、闘ってるっす」ウェッジは言う。
「わかった。もう喋るな」
 クラウドはウェッジのそばに膝をつきながら、彼の目元にかかった髪を払った。
「クラウドさん……めいわくかけて、すまないっす……」
 悲鳴や銃声が鳴り響き、騒々しいはずなのに、ウェッジの消えかけた声ははっきりと美月の耳に届いた。血だらけの唇から吐き出される息が、どんどん弱まっていく。
 ――ぴちゃん
 命がこぼれ落ちていく。
「こんな……」
 つい昨日まで、たしかに生きていたはずなのに。怪しい美月にも、「ミツキさん、なんかあったらすぐ言ってくださいっす」となんだかんだ心配そうに声を掛けてくれた、やさしい青年だったのに。
「登るぞ! エアリス、ウェッジを頼む!」クラウドが言う。
「うん、任せて」
「おい、ミツキ」
 美月は呆然とウェッジの顔を眺めていたが、クラウドの声にハッとして、顔を上げた。
「アンタはここにいてくれ。エアリスと一緒に、六番街に逃げろ」
「でも……」ぎゅっとワンピースの裾を握りしめる。
「アンタを無事で帰せる保証はない」
 一刻を争う状況だ。自分がいては足手まといになってしまう。クラウドの真剣なまなざしに、美月は恐る恐るこっくり頷いた。
 支柱の上で、銃声が激しく鳴り響く。金色の髪が揺れ、背に担いだバスターソードが遠ざかろうとする。
「……待ってください!」
 唇をきゅっと噛みしめると、美月はクラウドを呼び止めた。振り返るクラウドのもとに駆け寄って、慌てて耳たぶからピアスを外した。
「これ、預けておきます。だから、必ず、返しにきてください」
 お守りの代わりに、せめて彼らの無事を祈って、大きな手にピアスを握らせる。
「だが……」
「依頼、まだ終わってません、から」
 美月がぐっと口元に力を入れて笑みを浮かべると、クラウドはピアスを受け取って、耳につけた。
「そうだな。金ヅルを逃すわけにはいかない」
「ここは、わたしとエアリスに、任せてください」
 こっくり、頷いたクラウドの金色の髪の合間から、きらり、オーロラ色の宝石が輝く。すまない、と小さく紡ぐ彼に、美月はかぶりを振った。
「ミツキ!」そこへ、ティファが駆けてくる。
「お店に、お店にまだマリンがいるの!」
 必死に正気を保とうとしているが、ティファの動揺は手に取るようにわかる。少しでも触れれば、きっと、張り詰めた糸がぷつんと切れてしまうだろう。
 美月はクラウドとティファの顔を見比べたあと、唇に弧を描いた。
「ティファさん、わかりました。マリンちゃんを迎えに行ってきます」
 クラウドとティファが彼女の言葉に、強く頷いた。
 それを合図に三人は各々の役目を果たすべく動き出した。二人はプレートへと続く階段へ、美月は、ウェッジに回復魔法をかけるエアリスのもとへと駆け寄る。
「エアリス、わたし、マリンちゃんを連れてくる。ウェッジさんをお願い」
 ウェッジの息は大分遠のいていた。彼の様子をちらりと確認して美月は苦々しく眉を顰めたものの、彼女の不安を包み込むようにエアリスはやわく微笑んだ。
「わかった。気をつけて行ってきて」
 美月はぐっと歯を食いしばり、こっくり首を縦に振ると、柱のほうへと視線を向けた。
 クラウドとティファの姿はもう大分遠い。心臓がドクドクと煩いほどに鳴り響いている。血潮が勢いよく流れて、頭がガンガンする。喉元になにかが迫り上げ、いまにも吐き出してしまいたくなる。
 それでも、美月は拳を握りしめ、セブンスヘブンへと走り出した。

 美月には、わからなかった。星を守るために力をもって神羅へ反抗するアバランチが正しいのか、そして、それに反撃をする神羅が果たして間違っているのか。
 バレットやティファのそばにいると、いかに星が枯渇し、神羅が非道な手段を駆使しているのかが伝わってくる。それと同時に、美月には、アバランチのしていることが街を破壊し人々を混乱に招き入れ、また人々の命を少なからず奪っているようにも見えてならなかった。
 どちらか一方に立てば、自ずと真実は見えなくなる。ましてや彼女はこの世界の人間ではない。なにをどう見ればいいのか、どこに正しさを見出せばよいのか、その判断は星の起源を辿ることよりもはるかに複雑に思えた。
 いつプレートが落ちてくるかというこの状況で、美月はとにかく走るほかなかった。
「セブンスヘブン、は……」
 七番街を駆け抜けて、やっとのこと店が見えてきた。足はどろどろになり、いやな汗が体中に吹き出している。胸はひゅうひゅうなり、酸欠で過呼吸を起こしそうになっていた。それでも、足を緩めることはなかった。
「マリンちゃん!」
 セブンスヘブンの扉を思い切り開くと、カウンターのすぐ近くにうずくまる少女の姿が見えた。美月は急いで駆け寄った。
「おねえ、ちゃん……とうちゃんは……?」
「お父さんは……」
 目を潤ませて訊ねてくる少女に、美月は言葉を詰まらせる。彼女の父親が、今なにをしているのか。脳裏に、混乱状態の人々の顔と、上空から降りそそぐ銃声が掠める。
「お父さんは、いま、みんなを助けようと頑張ってるよ」
 悪い奴を倒す、だとか、戦う、だとか、そういった言葉で言い表すのは、どこか違う、そう思った。
「とうちゃん、がんばってるの」か細い声が震える。
 頬にぐっと力を込めて、怯える少女に美月は、うん、と微笑んだ。
「だから、マリンちゃんは、安全なところでお父さんの帰りを待とう」
 美月にとって、粗暴な行動の目立つバレットはいまだに恐怖の対象でもある。しかし、マリンにとっては、かけがけのない父親なのだ。
 ぎゅっと震えるマリンの体を抱きしめると、腕の中で、小さな頭がこくりと揺れた。美月はすかさずマリンを抱き上げた。
 勢いよく外へ出ると、七番街は先ほどよりも騒然としていた。大人も、子どもも、頭上から降ってくる音に恐れをなしている。
 耳につけたピアスを美月は無意識に触っていた。ひやり、指先に妙な冷たさが伝播して、いやな予感がした。
 あとどれくらい、プレートがもつのだろう。まだまだここにはたくさんの人がいる。このまま、下敷きになってしまうのだろうか。いや、もしかすると、クラウドたちが、間一髪で防いでくれるかもしれない。だが、そこに確証はない。
 美月は指先をぐっと握り、マリンを抱き直した。
「みんな、七番街から、早く離れて!」
 必死で叫んでいた。なにを守りたいのかもわからずに。なんのために、必死になっているのかもわからずに。
 ただ、目の前にいる親子が、兄弟が、老人が、若者が、美月の前ではたしかに生きていたのだ。血相を変えて、必死に叫びながら、泣きながら、迫り来る恐怖にその命を咲かしていた。
「逃げないと、死んじゃう! はやく、早く逃げて!」
 マリンを抱いたまま、美月は走る。母とはぐれて泣き喚く子どもの腕を掴んで、ともに六番街を目指す。
 いくら恐怖で足が縺れようとも、瓦礫や石で足を傷つけようとも、目の前の存在を守ろうと、手の中にある命を守ろうと、彼女は必死になって走った。

「ミツキ、エアリス、大丈夫かな」
 下を覗きながら、ティファは不安げに呟いた。
「エアリスは土地勘がある。心配ないさ」
「……でも、ミツキは?」
 ティファの言葉に、クラウドは少し考え込む。
 クラウドにとって、美月という女は不可解な存在であった。突如自分たちの前に現れたかと思いきや、猫に変身してみせた女。いや、クラウドが拾った猫の本当の姿、と言ったほうが正しいかもしれない。ともかく、第一印象は最悪だった。猫の様子を見に行けば、下着しか着けていない女がベッドにいて、「目が覚めたらここにいた」の一点張りだったのだから。神羅の新たな刺客か、それとも新手の賊かと思ったものだ。
 だが、それは次第にクラウドの中で杞憂に変わっていった。
 彼女はわけもわからぬ世界へやってきて、目の前の状況にただ怯えている女だった。スラムを目の当たりにして、ねずみの走る物音一つでびくびくしたり、列車の警報に呆然としたり、モンスターを目の当たりにして失神したり、放っておいたら死ぬような人間だとクラウドは思った。
 それが、今はどうだろう。あれほど些細なことで取り乱していたというのに、先ほど見た彼女の瞳はまっすぐに自分を貫いていた。たしかにその瞳の奥は、怯えかそれとも不安か、なにかわからないものに微かに揺れていたが、それでも力強いまなざしだった。
「……きっと、大丈夫だ」クラウドは口にする。
 階段を登りながら、見下ろした先に掠めた背中を思い出す。瞬きをすれば、消えてしまいそうな小さな背中が、たしかに、セブンスヘブンへ向けて遠ざかっていた。
 不可解な存在だった。厄介を拾ってしまった、そればかり考えていたというのに、ときおり見せる表情に、ふと意識が奪われている自分がいた。いや、違う。意識が、溶け込んでいくような感覚を味わっていたのだ。
 耳もとに手を伸ばす。ひやり、マテリアの一粒玉のピアスがたしかにそこにあった。
 ――アンタは、誰だ?
 脳裏に浮かぶ彼女のシルエットに問いかけるが、当然、答えはない。みぞおちのあたりがやけに疼き、心地が悪い。
「ミツキ、知らない場所に一人で、きっと、怖いのに……こんなことに、巻き込んじゃって……」
 ティファの顔が曇る。と、そこで、二人は支柱の上にたどり着いた。
「とりあえず、今は、そんなこと考えてる暇はなさそうだぞ、ティファ」
 銃を放つバレットと、神羅のヘリの姿を認めたクラウドは、彼女のことを一瞬にして思考の外へと追いやってバスターソードを抜く。
 すぐさまそれを呼び起こすことになるとは、思いもせずに――。
「どうしよう、クラウド! 止め方がわからないの!」
 タークスである赤髪のロッド使い――レノとの戦いも虚しく、プレートに仕掛けられた時限装置爆発まで、刻一刻と時間が迫っていた。
 ティファがレノの操作したメインコンピューターを弄るが解除することはできない。クラウドがそばに寄って思いつく限りの操作を試みるも、装置はびくともしなかった。
「……ただの時限爆弾じゃない」
「そのとおり。それを操作するのは難しい」
 そのとき、上空からプロペラの轟音とともに、声が降ってきた。
「どこかの馬鹿者が勝手に触れると困るからな」
 オール・ブラックのスーツに、長い髪を後ろへ撫でつけた男がヘリのドア口に立ち、こちらを見下ろしている。
「……タークス」
 クラウドは忌々しげに呟いた。タークスの証であるスーツがヘリの光に仰々しく艶めいている。お願い止めて、とティファが時限装置を止めるよう懇願するが、神羅役員会の決定なしでは止めることができないとあしらわれてしまった。
「クソ、ごちゃごちゃうるせぇ!」
 バレットが銃を放つ。と、男――ツォンがヘリの中から一人の女を引っ張り出した。
「そんなことされると、大事なゲストが怪我するじゃないか」
「エアリス!」
 それは、六番街に逃げたはずのエアリスだった。後ろ手に拘束された彼女の名を、驚きと悲痛の表情で叫んだティファに、男は愉しげに唇をつり上げた。
「おや、知り合いなのか。最後に会えてよかったな。私に感謝してくれ」
「エアリスをどうする気だ」
 ツォンはクラウドの問いに、さあな、と眉を跳ねた。
「我々タークスに与えられた命令は『古代種』の生き残りを捕まえろ、ということだけだ。ずいぶんと長い時間がかかったが、やっとプレジデントに報告できる」
 彼女を人質にとられては、そう簡単に攻撃をしかけることもできない。矢も盾もたまらずにツォンを睨みつけていると、あろうことか、エアリスの肩を掴んで乱暴にそばへと引き寄せた。
「ティファ!」エアリスが叫ぶ。
「あの子、大丈夫だから! ミツキと、一緒にいるから!」
 あの子、そしてミツキ、その言葉にクラウドは心の中で安堵を覚える。
 その横で、ツォンが胸元からPHSを取り出して、耳に当てた。
「承知しました」ひと言紡いでから、素早く、端末を操作する。
「おい、なんだってんだ!」
 この状況で一人冷静なツォンの態度に、クラウドたちの苛立ちは募る。だが、バレットの叫びに男は一瞥もくれない。それどころか、再び手の中のPHSを耳に当てると、思いもよらぬ言葉を発した。
「――伍番街だ、白い猫を捕まえろ」
 白い猫、その言葉に、エアリスが大きく反応する。
「そんな、ミツキには手を出さないって約束でしょ!」
「上からの命令でな。『古代種』と関わりがあるかもしれないと判断された」
「なんにも、関係ない! 約束も守らないで、あなたたち、最低!」
 ――パァンッ
 叫ぶエアリスの頬をツォンが手のひらで打った。
「エアリス!」ティファが悲痛の声を上げる。
 男は、俯いた女をヘリに押し戻すと、喉を鳴らして笑い出した。
「そろそろ始まるぞ。逃げ切れるかな?」
「待て!」
 クラウドの叫びも虚しく、激しい風が彼らを打ちつける。それから間もなく、柱上部が崩れだした。

 美月はエアリスの家を飛び出して、彼女と出会った教会へと向かっていた。
 後ろでは、なにかが崩れる激しい音がしてくる。無事マリンを連れてエアリスの家までたどり着いたというのに、なにもかもが最悪な方向へと進んでいた。エアリスはタークスに連れ去られ、プレートは崩壊、そしてさらには美月も、あの赤髪のタークスに追われる身となった。
 ――なんで、こんなときに
 そもそも、ツォンというタークスの手前で猫に変身してしまったのが運の尽きだった。
 六番街を必死で抜けていく途中、遭遇したオールバックのスーツの男。それが、ツォンだった。『古代種』であるエアリスを連れて行くのと引き換えに、ツォンはマリンと美月の無事を保証すると告げてきた。『古代種』がなんであるのか、また、なぜそこまでして彼女を欲するのか、さっぱりわからない美月であったが、以前エルミナからエアリスが神羅に追われている身であることを聞いていたのを思い出し、咄嗟に彼女を守ろうとした。だが、エアリスはそれを止めると、マリンと美月を家まで送り届けたあと、自らツォンについて行ってしまったのだ。
 異変を感じたのは、彼女が、だいじょぶだから、と微笑みながらそばを離れたときだった。全身に駆け巡る血の流れ、臀部へと集まる熱。エアリスの儚い背中がだんだんと小さくなるのを、なにもできずにただ見つめる自分が不甲斐なくて、彼女を連れ去る神羅という会社がその瞬間酷く憎くて、わけもわからない世界がどうしてここまで牙を剥くのかわけもわからなくて、それまで溜め込んでいたなにかが地中で蠢くマグマになりある瞬間を待ちわびているかのようだった。そして、彼女がヘリに乗り込んだ瞬間、その感情の昂りは火山の噴火となって現れた。気がつけば、猫になっていた。
 まずい、そう思ったときには時すでに遅し。ツォンがPHSでなにやら連絡をとる様が見えた。上層部にでも報告をしていたのだろう。マリンとエルミナが事情を察して、美月を必死でどこかへ隠そうとしてくれたものの、すぐにあの赤髪の男が現れた。
 美月は逃げた。行く当てなどない。だが、とにかく、捕まってはならない、そんな気がして、小さな足でひたすらスラムを駆け抜けた。
(ここまで、くれば……)
 逃げ込んだのは、エアリスと出会った教会だった。ここは瓦礫があって、猫を探すとなれば、ひと苦労だろう。黄色い花房をその体に掠めながら、瓦礫の物陰に隠れると、美月は息を潜める。
「ったく、人使いの荒い上司だぞ、と」
 間もなく、聞こえてきたのはあの男の声だった。
(うそ……もうここまで……)
 子猫のすばしっこさで撒いたと思ったのに、美月は体を震わせる。
「おーい、猫ちゃーん」
 こつ、こつ、響く音が確実に近くなっている。心臓の音がそれに比例するように激しさを増しては、美月をまるで断崖絶壁の縁まで追いやっていく。
(大丈夫、このまま隠れていれば、大丈夫だから)
 瓦礫の下に入り込んでしまえば、さすがのタークスでも探し出せまい。ぎゅっと体を丸めて、息を止める。だが、その瞬間――。
 ――え?
 じわりじわり、熱が霧散していくのがわかった。どくどくと心臓は早く打っているのに、スーッと体をなでるような感覚が全身に広がっていく。視界が徐々に高くなって、気がつけば、美月は元の姿に戻っていた。
 ――カタン
 その拍子に、積まれた瓦礫の一部が崩れて音を立てた。
「おっ、そこにいるのかな、と」
 まずい! 美月は逃げることもままならず、その場にぎゅっと身を縮こめた。
 見つかったら、殺されてしまうだろうか。それとも、どこかへ連れて行かれるのだろうか。自分は異世界から来た、猫に変身する奇妙な人間。もしかしたら、牢獄に閉じ込められるかもしれない。だが、こつり、革靴が鳴る音はもうすぐそこまで迫っている。
「子猫ちゃん、見ぃつけ――」
 おねがい、だれか――きつく目を瞑りながら祈るように指先を握る。
「……女?」
 素っ頓狂な声に恐る恐る目を開くと、赤髪の男が唖然とこちらを見つめていた。
「あ、の、なにか……」美月はなにごともないふうを装う。
「いや、猫を探していたんだが」
「ねこ……白い、猫なら、そっちに……」
 一か八かの賭けだった。ぎゅっと体を抱きしめて、美月は出口のほうを指差す。
 男は美月の指先を追った。
「そうか。恩にきるぞ、と」
 なんとか、誤魔化せただろうか。まさか、猫が人になるとは、この人も思うまい。ロッドを後ろ手に首に当てて、屈めていた上体を起こした男に、美月は一抹の期待を胸に浅い呼吸を繰り返す。だが、
「なーんて、な」
 美月の期待も虚しく、こつり、軽快に革靴を鳴らして男はこちらへ迫ってきた。
 ニヤリ、口元を歪めた男が、ひとつ、またひとつと近くなる。恐怖のあまり身動きが取れないでいると、あっという間に距離がゼロに等しくなり、目の前で男がしゃがみこんで、露わになった美月の脚に触れてきた。
「姉ちゃん、隠すもんはきちんと隠さないとダメだぞ、と」
「ひっ……」
 つ、となぞっては、挑発的な緑の瞳を向けてくる。ぴくり美月が体を震わせると、男はぴゅう、と口笛を吹いた。
「ツォンさんにこんな趣味があるとはな」
「やめ……」
「逃げようとしたって無駄だ」
 慌てて後すざろうとする美月だったが、男に腕を掴まれてしまった。体が震え思うように力が入らない。腕を振り払うこともできず、ただ恐々とした目で男を見つめていると、脚をなぞる手が太ももから腰へ、そして臀部へと伸ばされていった。
「本当に、猫とは。レノさん驚きだぞ、と」
 そこにあるなにかに、男は触れた。人間にはあるはずのないもの――獣の尻尾だ。
 なんということだろう。完全に人間に戻れず、尻尾だけが残ってしまったなんて。言葉とはうらはらに、男――レノは、顔は新しいおもちゃを見つけたように妖しく笑みを浮かべている。尻尾を撫でたり、掴んだり、そのたびに背すじに電流が走る。
「ひゃ……あっ、はぅ……やめっ……」
 恐怖なのか、それともなんなのか、研ぎ澄まされた感覚に声を抑えられない。
「いやぁ、いいモン見つけちまったな」
 なんて淫らな触り方なのだろう。なんで、よりにもよって、この人の前で戻ってしまったのだろう。美月は自分の格好を恨みながら、必死で逃げようと抵抗する。だが、当然、敵うはずもない。
「逃がさないぜ」
 ギラリ、緑色の瞳が光る。
 その瞬間、首に衝撃が走り、美月は意識を失った。