第五幕 一

ガラステーブルに長い脚をのせ、直哉は腹の前で手を合わせていた。一点を睨み付けながら、とん、とん、と指先で韻律を刻む。その視線の先にあるのは、画鋲で留められたL版写真だった。
「四年前――」いくつもの写真と新聞の切り抜きが貼られたコルクボードを背に、デスクに腰を預けた本郷がタバコに火をつける。「私立煌心女学院中等部の生徒だった瀬古絢音は、自宅で就寝していたところを呪霊に襲われた」
 殺風景に近い十畳ほどのリビングダイニング、本郷の自宅だった。写真にはセーラー服に身を包んだ瀬古絢音とスーツ姿の今川香織が写っている。亜麻色の髪に大きな瞳、その交際は太陽の光を浴びて明るい色彩を放っていた。色素が薄いのは父親似か、しかしそれ以外は母親の血を色濃く継いでいる。
 当時、まだ中学一年生だった少女は、その写真を撮った数か月後に殺された。斯くも無惨なやり方だったと言えよう。部屋中は血の海であった。腹を抉られ、何十何百と肌を切り刻まれ、ベッドの上に五芒星を描くように横たわっていた。母親も同様のやり口であった。死亡推定時刻によれば、娘が先に殺されたようだった。その後、なにかを探し他の部屋やリビングを荒らし、母親を襲った。
 一家の主人である瀬古敏明がそれらを見つけたのは、仕事から帰宅後の深夜零時、死亡からおよそ一、二時間といったところだった。特殊事件捜査係であり、当時機動捜査隊を兼任していた本郷が到着したときには、すでに犯人は逃げた後、現場には母子の血痕のみならず、瀬古敏明の着ていたダウンジャケットの羽毛が彼の血で濡れた状態で見つかった。その後、自宅から百メートル離れた路上で瀬古敏明を保護。現場から約一キロ地点、霊園近くのトンネル内にて、当時事件の元凶と言われた呪霊が冥冥一級術師により祓除される。人語を話し、人肉を喰らうことで《ドウカ》し《ユイイツムニノソンザイ》になるのだとしきり語っていたそうだ。そうして事件は幕を閉じ、ありふれた呪霊事故としてあっけなく捜査が終了した。
「この瀬古家母子惨殺事件から約四年の冷却期間を経て、サロンスタイリストのサイトウカナエ、書店員のスズキヒサヒト、大学生のナルミユウヤ、そして、人材派遣会社勤務のヨシオカマナミ」
 それぞれの写真が周囲に散りばめられている。表参道の美容室、新宿ニノクニヤ、S英館大学、人材派遣会社。所属はおろか生活圏さえ異なる彼らを繋ぐのが、殺害方法や死体遺棄方法といった殺人の手口と、他でもない今川香織だ。
「今川香織、一九八九年生まれ。S英館大学外国語学部卒業後、私立煌心女学院中等部にて英語科非常勤講師として勤務」――伊地知が手に入れた履歴書の文言と相違ない。本郷は吸い殻で溢れかえった灰皿にタバコを押し付けた。「任期満了後は大学時代の教授のツテで現任校へ。採用試験に関しては筆記、実技、口頭試験ともに問題なし。今日に至るまで勤務態度も良好、熱心な指導により生徒からの人望も厚い」
 連なる写真を頂角に、線分を繋ぎ合わせた中央の五角形の中に今川香織がいる。今よりも少し若い、溌剌とした光が宿っている。その彼女の姿を見て、「それは少しちゃうな」直哉はようやく言葉を挟んだ。
「ちがう?」本郷は眉根を寄せる。
 ああそうだ。決して人望が厚いわけではない。だが、すぐに直哉は、「ま、ええわ続けて」と手をひらりと振って先を促した。本郷は釈然としない様子だったが、ワイシャツのカフスを外し何度か袖口を捲り上げると新たに写真を一枚追加した。
「彼女が一人目のサイトウカナエと接触したのは、七月後半。語学研修の引率でカナダに行く前のことだ」
 観覧車の前で生徒たちと肩を並べたそれは、語学研修参加者のSNSからとってきたものだという。彼女は七月末から八月半ばまで、カナダのモントリオールに滞在していた。サイトウカナエが殺害されたのは、そのあいだのことだった。次のスズキヒサヒトの件でも、彼が殺害される数日前、彼女が洋書の取り寄せを依頼したことが予約票一覧からわかっている。
「ナルミユウヤ――」本郷はまた一枚写真を貼る。「彼とはコンビニで顔を合わせるほか、大学内でも何度か顔を合わせていたらしい」
 カフェテリアだろうか、今川香織の前に座り、頭を掻いている様子が写っている。SNSの記事ごとスクリーンショットでもしたようだ。《あのユウヤがオネーさんナンパしてる(笑)》という文言とともに、これまた彼が殺される数日前の日付が記されている。
「その今川香織は、なに持っとんのや」
 ナルミユウヤの前ではにかむ彼女は、手に袋を持っていた。おそらくそれを彼に渡す予定だったのだろう。
「本だ」本郷は答える。
「本?」
「ああ、これだ」
 今度は胸ポケットから携帯を取り出し、スクリーンショットを見せてきた。そこには、一連の投稿に関するナルミユウヤの返信が連なっていた。
「《本、借りただけだし》――ねえ」
「このあと、ナルミユウヤのSNSに上がっていたのが、この画像だ」
 おそらくフランス語で書かれた本だった。ナルミはその投稿に、《マジ助かった! これで二外のレポート進められる!》と続けていた。
「二外ってのは、第二外国語、フランス語ってことだ」淡々と言い添えた本郷に、直哉は、「知っとるわ」と吐き捨てた。
「で、ナルミの部屋にその本はあったん」
「いや」本郷はナルミの横に画鋲で写真を留めた。「自宅、バイト先、サークル棟、くまなく探したが、なかった」
 と、なると、おのずと出でくるのは「返した」という選択肢になる。
「けど、さっさと返したにしては、早すぎるやろうな」
「ああ。借りてから数日、レポートを仕上げるとなると不可能な時間でもないが、その授業レポートは来月頭に提出だ。パソコンからも書き途中のレポートが見つかっている」
 つまり、失くしたか、盗られたか。
「連続殺人犯がいくらか持つ特定のパターンだ」本郷は言う。「金銭を目的としない猟奇的かつ快楽的な連続殺人の場合、《記念品》として被害者の所持品を持ち帰る連続殺人犯もいる。中には、犯行現場の写真を撮ったり、はたまた所持品のみならず遺体の一部を持って帰ったり。奴らにとって殺人っていうのは、《偉業の達成》であり、《記念品》はそのトロフィーなんだよ」
「もしかしたら、その犯人の家にホルマリン漬けの目玉とか内臓とかあるかもしれんっちゅうわけか」指先を合わせるのをやめ、肘置きに頬杖をつく。
「ホルマリンに漬けられてたらいいが。人皮の椅子とか洋服とか、指詰めの瓶があるかもしれない」
 直哉はあからさまに顔を歪めた。「ほんまにええ趣味やな」
「まったくだ」本郷も同調する。「で、今回わかったのは、今川香織と瀬古絢音の関係だ」
 パズルのピースを嵌めるように、本郷はコルクボードに手を伸ばし、今川と瀬古絢音の写真の隣に新たに写真を留めた。
「四年前、今川香織は瀬古絢音の通う女子中学校の講師だった」
 文化祭の写真だ。瀬古絢音の着ていたセーラー服と同じ制服を着た女子たちに囲まれ、朗らかに笑っている今川香織が写っている。
「アンタのお友だち――なんだったか、翔くんか」
「殺すで」直哉すかさず否定する。
「そんなこと言ってやるなよ。ま、とにかくその篠宮翔によると、香織先生をえらく慕ってたみたいだな」
 体が弱く、休みがちだった瀬古絢音が、だれよりも慕っていた教師だったという。他の教員に比べて歳が近かったからか、忙しい担任に代わり、保健室登校をしていた絢音のもとによく来て話をしてくれた。クラスにも馴染めず、学校を辞めようかと思っていたとき、香織先生がそばにいてくれたから、安心できた。あこがれの人だった。
「いつか香織先生みたいな先生になるんだ――か」本郷が笑い合う二人の写真を眺め、長く息を吐き出す。「たまったもんじゃねえな」
 彼はまたしてもタバコを一本取り出し口に咥えた。
「残るはただ一人、ヨシオカか……彼女だけ、一切の関係がない」
 だが、土曜に発見された遺体こそ、四年前の事件のものに一番近かった。切り刻まれた皮膚、引き摺り出された臓器、残る肌にも打撲痕が浮かび服はあられもなく破り裂かれていた。かつてない衝動性。瀬古が言っていたように、捜査の手が伸びるのを感じ焦燥に駆られたか、それとも、核心に迫ったか。あるいは、手をかけたのが求めていた人間ではなく、呵責に苛まれ手をかけたか。
「ま、これまでヤられたヤツらは結局、通過点に過ぎひんわけや、ご愁傷様って感じやけど」
 直哉はソファに体を沈め、タバコの空箱やライターの散らばったガラステーブルの上で脚を組みかえる。ああ、と本郷もタバコに火をつけながらうなずいた。
 肘掛けに頬杖をつき、これまでの被害者たちの顔ぶれを一瞥する。どいつもこいつも冴えない顔。最後、被害者ヨシオカマナミの隣に並ぶ松崎奈津子の写真を眺め、直哉は指先をひとつ打つ。篠宮、松崎、瀬古絢音、そして、今川香織。そこへ、忍び寄る影がひとつ。
「なぜ今川香織を狙うのか、だれが彼女を狙っているのか」
 影を炙り出す方法は一つ。頬に当てた指先を打ち、意地悪く冷笑を浮かべる。
「男と女には色々あるからな」
 本郷は訝るように訳知り顔の男を見たが、彼はいっそう唇をひしゃげるだけだった。