太陽と月のマリアージュ

「んぅ、このスパゲティ、最高」
 開け放たれた窓からは、穏やかな風が吹いている。鮮やかに染まった青空を彩るように、家々の白い壁に反射した絹の陽射しが、やさしく煌めいては視線を攫っていく。
 二人は、また新たな国にやってきていた。列車と車、さらにはフェリーを乗り継ぎ、居を構えたのはギリシャのとある島。自然豊かなリゾート地ということで、今回は海辺の小さなコテージを借りた。連なる白い建物と青い空や海、それらのコントラストの美しさはさることながら、今まで辿ってきた国々とは異なる異国情緒に満ちていた。
 ボンベロは目をぎゅうと瞑って、頭を小刻みに震わせながらスパゲティに舌鼓を打つジュリアに、当たり前だと鼻を鳴らす。
「肉ばかり食べていたから、たまには魚介もいいだろう」
「うん、最高。魚介の風味が効いたスープに麺が絡むのが、もう……」
 止まらない! とフォークで器用にくるくるスパゲティを巻きつけてそれを口いっぱいに頬張るジュリア。ガキじゃあるまいし、と半ば呆れるものの、ボンベロも満更でもない。腰に巻いた白いサロンをサッと外してキッチンの壁に掛けると、自分の分の昼食を手に、ジュリアの前の席に着いた。
「ギリシャ風スパゲティって、こんな感じなの?」
「いや、有名な魚介スープがあるんだが、それをベースにアレンジした」
 ふうん、と感心するジュリアを一瞥して、ボンベロもスパゲティに手をつける。深めのパスタ皿に黄金のスープがなみなみ注がれ、太めの麺の上にアサリや白身魚などの魚介が彩りよく飾られている。
 ジュリアと同様、器用にフォークだけでスパゲティを食べると、ボンベロは満足げに、うむ、と頷いた。奥深い魚介の出汁に、さわやかなレモンが香る。悪くない。
 しばらく静かに食べ進めていたところで、ボンベロはなにやら視線を感じ取り、顔を上げた。
「どうかしたのか」
 視線の主は言わずもがな、目の前の彼女である。フォークを白い皿の縁に置いて、細身のワイングラスを手にしている。
「ボンベロの食べる姿って、色っぽい」
 にっこり笑ってワインを口にしたジュリア。あどけなさの残る表情とはうらはらに、その言葉がどれだけ過激かを彼女は知っているのだろうか。やけに熱のこもった視線だなとは思っていたが、ここまで正直に告げられるとは。
 本当にお前は、とボンベロは半ば呆れ気味だ。
「誘っているのか、それは」
 精悍な顔つきはそのままに、巻きかけのスパゲティをくるりと巻いて、優雅な仕草で口に運ぶ。いつもと変わらずに食べ物を口にし咀嚼するだけなのだが、見られている手前、気を抜けない。
「そうって言ったら?」
 ふふ、と花が咲くように笑みを零すジュリアに、ボンベロはいよいよ手を止めた。
 長く垂らした前髪の下から、微かに細めた瞳を向ける。ぷるん、と白ワインで潤んだ唇が目につく。思わず生唾をごくりと飲み込んだが、彼はそのまま視線を上へともたげた。
 視線が絡み合う。彼女の丸い瞳は、太陽を見るときのように細められている。が、まるで、見ているのは月だった。ぽっかりと紺色の空に浮かぶ、真ん丸な銀の月。
 ボンベロは喉がカアッと渇きを覚えたのを感じた。だが、それをどうにかこらえ、フォークにスパゲティを巻きつけると、もうひと口、口にした。
 やおら挑発するように、じっくり咀嚼する。まっすぐ、視線は逸らさず、彼女の熱を帯びた瞳を捕らえたまま。彼女が唇を舐めたところで、ごくん、と大きく喉を動かすと、彼はにやり、唇を歪めた。
「まだだ」
「……いじわる」
 ムッと唇を隠した彼女に、ボンベロは眉を上げる。
「そんなに、ほしい・・・のか」
 なにが、とは言うまい。むくむくと苛虐心が首をもたげるが、なにごともなかったかのようにナプキンで唇を拭い、ワインに口をつけた。軽い口当たりとはうらはらに、喉を過ぎると強い香りが鼻に抜ける。気を抜いたら思考が溶けだしてしまいそうだ。
「もう、ボンなんて知らない」
 ついに彼女は拗ねてしまったようだ。とはいえ、それが恥ずかしさを隠す手だとお見通しなので、彼はくつりと喉を鳴らして笑うだけ。
 そう焦らなくとも、もちろん、たっぷりと彼女を愛するつもりだ。ただ、食で満たされたこの体には、彼女はもったいない。もっともっと互いに飢えた状態で、貪るように味わおうじゃないか。
 ジュリアはツン、と澄ました態度で食事を再開したものの、スパゲティを頬張る様はまるで少女のようなあどけなさだ。そんな姿に、ただただ愛しさが増すばかり。
 窓の向こうに広がる美しいコントラストと、たっぷりと陽射しを溜め込んだ部屋、そしてそこに佇む彼女と相棒。そのすべてを抱き込むように、ボンベロは大きく息を吸った。
 皿が空になり、足元で苺を食べていた菊千代が腹を満たして床に丸くなり始めたころ、ボンベロはデザートに用意していた柑橘のソルベを出した。
 甘いものは別腹、とばかりに先ほどまでの拗ねた様子を吹き飛ばして、目を煌めかせる彼女。単純な奴だ、と呆れを見せつつ、やはり満更でもないボンベロだった。
 それもぺろりと平らげて、まったりとした絹の陽射しに身を預けながら、穏やかな午後を過ごす。ボンベロは新聞を、菊千代はカウチで昼寝、ジュリアは目の前でぼう、と頬杖をついて、空を眺めていた。
「ねえ、ボン」
「なんだ」
 ぺらり、紙を捲りながらボンベロは答える。
「カナコ、どうしているかしら」
 ボンベロは紙面から視線を上げて、彼女の横顔を見た。
 午後の光に溶け込んでしまいそうに、どこか朧げな目元。だが、あの日とは違う。そこには、たしかに光が宿っていた。