第四幕 第三話

 話はこういうことだった。
 このごろ、仕事から家に帰ると奇妙な視線を感じるという。オートロックかつ入り口にコンシェルジュもいるという完全防備の最新マンションに住んではいるものの、お風呂に入るとき、部屋でリラックスするとき、はたまた眠るとき、いつでもどこでも見られている気がしてしまう。気がついたのは、ティッシュが切れて近くの大江戸マートへ買い物へ出たときだった。
「最初は、ファンに見つかったのかと思い冷や冷やしたんです」
 しかし、いつまで経っても声をかけてこない。しばらくすると、視線は立ち消えた。お通ちゃんは気のせいだと思うことにしたらしい。職業柄、見られることには慣れているし、今までもそういったことがなかったわけではない。だが、一週間に一度だったのが、二、三日に一度になり、果ては毎日、仕事から帰りマネージャーの車から降りてマンションへ向かうたった数十秒さえ監視されている気がする。
 そして、ここに来て、コンシェルジュを通じて一通の手紙が彼女に届けられた。

 ――もうすぐ、ぼくのものだね
 ――かならず、君の心を奪いにいくよ

「ストーカー、って、ことよね」
 よくサスペンスドラマや漫画で見るような、新聞の切り抜きを並べた文字の羅列を前に、ぽろぽろと伝う涙をハンカチで拭いながらお通ちゃんはうなずく。画面の向こうでは元気いっぱい奇天烈にギターを掻き鳴らすが、こうして見るとどこにでもいるようなふつうの女の子だった。
「教えてくれてありがとう」
 そっと丸まった背中に手を添えるとかすかに彼女は嗚咽をもらす。
「しかし、ストーカーですか……」近藤さんは、手紙を手にとり、それを心底疎むように眉をひそめた。
「ちなみに、心当たりは?」
 お通ちゃんはふるりとかぶりを振る。
「わからない、こういう仕事だから」
 それもそうだろう。何千、何万という人々がお通ちゃんのことを知っている世の中だ。親衛隊も設立され、今が売れどきの人気絶頂アイドル。ファンはおろか、たとえ彼女に興味がなかった人間であっても、いつどこで、善良の面を破いてストーカーになってしまってもおかしくはない。
「アイドルだからそういうことには慣れているつもりだったけど」とお通ちゃんは言う。悲しいことだ。でも、それが仕事だから、仕方のないことだと。
「だからって、私生活まですべて奪われて当然なわけじゃないと思うけれど……」
 家にいるのすら、怖くてここに駆け込んだのだ。今日はオフで、本当ならばつかの間の安息につけるはずだった。
 それなのに、「心配をかけたくないから」とマネージャーであるお母さんや事務所にも内緒で、藁にもすがる思いを抱えて、外に出てきてくれた。
 少しずつ落ち着いてきたのか、お通ちゃんはすみませんとハンカチを返してくれる。新しいものを買ってお届けします、そんなふうに言われたが、「気にしないで」と笑い、ねこやの羊羹をすすめた。
 外はすっかり晴れて春を感じさせるのどかな陽気だというのに、どうしたものかと近藤さんの顔を眺める。――って、このひともお妙ちゃんのストーカーだった。
「おいしい」
「あ、ほんとう」
 ようやく桜羊羹を口にしたお通ちゃんに頬をゆるめる。
「春限定なんですって。夏はこの桜が金魚になったり、秋は紅葉、冬は雪景色の富士だったかしら」
「とっつぁんはいつも粋なことをするな。俺たちには到底考えつかねえことだ」
 ええ、と答え、局長もどうぞ、とお皿に載った一切れと黒文字楊枝を差し出す。それからお通ちゃんにも、おかわりはまだあるから、と伝えた。
 松平さんのお土産センスはいつもすばらしいが、今日は殊更感謝したいところだ。
「しかしなあ」
 しばらく羊羹とお茶を味わったところで、局長が切り出した。
「ウチは特殊警察。本来ならば、個人的なストーカーであれば、奉行所が請け負っている仕事だ」
「ですが、局長……」
 しゅんと俯いたお通ちゃんを前に、まさか聞くだけ聞いて突き返すわけでは、と、神妙な顔つきの上司を見やる。腕組みをして思慮を巡らせる姿はどこか座禅を組む仏像のように、どんと構えていた。
「なに、凛子さん、心配には及ばんさ」
 そう言って、近藤さんはうなずき、ニッと力強く笑う。
「この国のアイドルが困っているとあれば、我々真選組の出番でしょう。安心してください、すぐにストーカーを引っ捕まえてみせますよ」
 その頼もしい顔にわたしはついホッと肩の力を抜くのだった。

「しっかしなんでィ、怪盗○ッドでも今どきこんな文句送りやせんぜ」
 ひらひらと大事な証拠品を風に遊ばせるのは沖田さんだ。手の空いた隊士がお通ちゃんを家まで送り届けたあと、すぐに幹部会が開かれた。
 下手すれば公務に関わることだし、と女中の仕事があるからとあとにしようとしたのだが、凛子さんも、と局長に言われては立ち去ることもできず。
「総悟はすぐ小○館ネタ出さないの! お門違いだから! 俺たち集○社だから! 百億の男、強いから!」
「ところがどっこい、近藤さん、三百億の男が出たって言うじゃねェですかィ」
「あ、総悟今週末予約した?」
「まだですぜ。なにせ土方の溜めてるドラマがウチの貧弱なHDDを圧迫してるんで、新しく予約できやしねェ。明日見るとかなんとか言ってますけど、まったく迷惑な話だ。明日奴の目の前ですべて消してやる算段ですぜ」
「地味な嫌がらせはヤメロ」
 らちがあかなくなるところを、土方さんが一刀両断して舵を取り直す。
「で、近藤さん、あんな小娘のために隊を動かそうってんだ。お上への言い訳はできてんだろうな」
「まあまあ。彼女はこの国を担うアイドル、いつどこで未曾有のテロに繋がるかわかりやしない。なにより、困っている市民を放っておくにはいかんさ」
 土方さんはため息をついた。
「東雲」
 ふと、そのやりとりを静観していたところで、声をかけられる。思いがけず肩を揺らすと、瞳孔の開いた眼がこちらを見据えていた。
「はい、副長」
 なんでしょうか、と答える前に、彼は続ける。
「このことはくれぐれも内密に頼む。万事屋だなんだと余計な奴らが出てきたら、またややこしくなるからな」
 それもそうだ。新八くんは生粋のお通ちゃんファンだから、黙ってはいないだろう。すぐに親衛隊総出でバリケードを張り、立ち向かうはずだ。しかし、どこまでも張り詰めたお通ちゃんの顔を思い出し、相承知致しました――そんなふうに畳に手をつくと、「下がれ」とにべもなく言い放たれた。
「あーあ、これだからムッツリすけべは」
「総悟、テメーは黙ってられないのか」
「あ、東雲の姉さん、今日のおやつは俺にもあの羊羹にしてくだせえ。真面目な顔してたら腹が減って仕方がねえや。なに、土方のぶんは犬にでも食わしときゃいいんで」
「総悟オオオオ」
 それならわたしが食べますよ、などという言葉は口にせずに、いつもどおりな彼に今一度こうべを垂れ、広間から出て行く。
 と、いうわけで、うららかな春も一瞬にして過ぎ去ることになったわけである。

 

 あたたかくなると変な虫がわくというのは言い得て妙で、冬の寒さという抑圧から解放されたこのごろはかぶき町にもそこかしこで小さな事件が起きているようだった。
「また、二番街の長屋でどろぼうだって」
 町内の立て看板に貼り付けられた「戸締り要注意」の紙を眺めて、酢昆布をしゃぶりながら隣を歩く神楽ちゃんに話しかける。
「先週は引ったくりだったネ。その前は露出狂。いよいよ世も未アル」
「春だからねぇ」
 もとより治安がいいとは言いがたいが、冬よりも格段こうした貼り紙の量が増えている。歩いていても、やれどこそこのお嬢さんが声かけに、ご老人が転ばされた、などなど。井戸端会議の主婦たちから情報は尽きない。
「神楽ちゃんも、外を歩くとき気をつけるんだよ」
「銀ちゃんに、おまえは平気だなって言われたアル。問題ないヨ」
 くちゃくちゃ、酢昆布娘はさもこともなげに歩いていく。その首にはいまだ白いマフラーが巻いてあり、もうそろそろシーズンオフとなるのにたいそうお気に入りだ。ついその色に頬が緩んでしまうのだが、そうではない。
「銀さんったら……」
 どうせソファに横になって鼻に指を突っ込みながら言ったのだろう。いくら夜兎とはいえ、神楽ちゃんはまだ十代の女の子だ。たしかに相手をかえり討ちにしそうなイメージはあるけど、いや、たぶん相手のほうが肉体的なダメージは大きいのだけれど、それとこれとは話が別である。
 ふ、と、お通ちゃんの顔が思い浮かんで、眉がさがる。
「とにかく、用心することに越したことはないから、なにかあったらすぐ言ってね」
「凛子に言われたくないネ」
「ぐっ……」
 ぐうの音も出ない。そろそろ反抗期かしら、と心の涙を拭いつつ大通りを進んでいく。

 さて、今日は屯所での仕事も休み。男子二人が近所の建築現場の手伝いで抜けているのもあって、神楽ちゃんと一緒に買い物へいくことになった。向かった先は大江戸デパート。ターミナルの手前、天守閣を持つ近代的なビルがそうだ。
「あいかわらず、都会ねえ」
 空に突き刺さるターミナルと、《大江戸デパート》の看板、その間を宇宙船が飛んでいく。電柱、電線、ビル、ビル、ビル。まわりには耳や尾の生えた天人や、豹や蛙そのものの顔の天人、あとは額からぴろん、と触覚を生やした天人まで。
 いつか、白うさぎが飛び出して走り去っていったり、なんでもない日を祝うおかしな人が出てくるのではと思ったこともあったっけ。それよりももっと奇天烈な存在が多いからすっかり忘れていた。
「凛子、早く行くアルぅ、パフェが逃げるアルぅ」などと手を引っ張る神楽ちゃんに、はいはいと母親じみた返事をする。
 ――と、豪奢な入り口の横で、あの額から触覚を生やした、ドラゴン○ールにでも出てきそうな天人が髷姿のドアボーイに突っかかっているのが聞こえた。
「余の大事なペットが腹を空かせてるおるというのに、なにごとじゃ。今すぐじゅ〜るを買ってかえらんと、アマンダが餓死してしまうぞよ」
「しかし、お客さま、本日当デパートは貸し切りでして」
 ……貸し切り?
「神楽ちゃん、おともだちも来るって言ってたよね?」
「うん、そよ姫に昨日電話したら、一緒に買い物してみたいって言うから誘ったアル」
 まさかのまさかである。
「神楽ちゃん、今日、デパート貸し切りだって……」
「キャッホウ! さすが征夷大将軍を兄に持つと違うアルな!」
「ちょっとオネーさんには荷が重すぎるのだけれど……」
 お財布の中身足りるかしら……。
 帯のあたりをおさえたところで、別の従業員が声をかけてくる。否や、回転扉へ突っ込んでいく神楽ちゃん。その背をつい遠い目で眺めるのだった。