「はぁ食った食った」
夜風が耳の裏を撫でる。暦の上では春とはいえ、まだ片足は前の季節に突っ込んだままだ。呑気に鼻へ小指を刺している銀さんの隣でぶるり肩を縮こめる。
万事屋で囲んだ夕食が、お鍋だったことが救いだろうか。
「わざわざごめんなさい、銀さん」
ステーキがよかったアルという胃袋娘の顔を思い出しつつ、心だけはホクホクとした温もりを抱きながら銀さんに話しかける。
かぶき町からわたしの家までは歩いて二十分ほど。週二、三回、その道のりを銀さんは送ってくれる。
「まったくだ」とか「ガキどもがうっせーからな」とか、果てには「お礼はでにぃずの季節限定デラックスパフェな」とか厚かましいことを言ってきたりもするが、それでもなんだかんだ律儀にそうしてくれるのだから、頭が上がらない。
最初のうちは新八くんや神楽ちゃんも一緒にワイワイしながらアパートまで向かうこともあったが、結局神楽ちゃんが部屋へ上がり込んで「くっさい万事屋じゃなくて、今日からここがわたしの家ネ」と言い出したり、うつらうつら船を漕ぎ始めて銀さんがおぶって帰ったりと、散々なため銀さん単独になった。
今日とて、「おー」と返してさっさと銀さんは歩いていく。かぶき町はまだまだ眠らず、これからがかき入れどきと言ったところ。女一人で歩くのはやっぱり気が引けるから、その背がありがたい。
かぶき町を抜けたら、川沿いに出る。そこで、暗闇に橙色の明かりが灯っているのが見えた。
「あ、銀さん」
銀さんはンー? と眠たげな瞳をもたげた。
「おでん屋、寄ってきましょうよ」
「いやいや、お前数分前のこと覚えてる? 俺食った食ったって満足そうに言ったよね。お前まで胃袋ブラックホールになっちまったのか?」
「じゃあいいですう。せっかくお礼にがんもどきでも一個ごちそうしようと思ったのに」
「カーーッがんもどき一個かよ世知辛ェな。お願いします」
そんなこんなで、河川敷にぽつりと立つ屋台にふらりと立ち寄ることにした。
いらっしゃい、と気だるく飛んでくる声に、くたびれた椅子に座って、むっと立ち込める出汁のにおいに頬をゆるめる。
「はぁ、いいにおい」
「ったくシメがおでんとは、色気がねぇんだよな、色気が」
「パフェの屋台があったらよかったですね」
「おい、オヤジ、今後はパフェやろうぜ。ハイ、一攫千金待ったなし、俺が保証する」
ここにお登勢さんがいたら、マダオが何言ってんだい、と言うところだろう。それを想像して、笑いながらがんも二つと大根やたまごを頼む。
「そろそろおでんも食べ納めですかねぇ」
「だれかさんのおかげで、こちとら十年分のおでんは食ったけどな」
「あら、だれでしょう」
酔狂なひともいるものですね、という言葉に、すかさず「お前だよ」と返ってくる。からから笑いながら熱燗をひとつ頼んで、おちょこふたつにそそぐ。
「向こうに咲いてるのは河津桜ですかね」
対岸の並木はまだ裸続きだが、橋のふもとに一本白い小花が月夜に浮かんでいるのが見える。染井吉野にはまだ早いから、早咲きの種類だろう。そうじゃね? と適当な返事をする銀さんを放って、きれいですねぇ、とおちょこを傾ける。
「花見酒ってやつですね」
「花より団子がなに言ってんだか」
「がんもマイナス一」
「がんも取ったらなんも残んねえじゃねえか」
「銀さんには出汁だけでじゅうぶんです」
いつものやりとりをしているうちに、はいよ、と小鉢が二つやってくる。ふわふわのがんもとほっくりした大根、よく煮えたたまご。「オイ、オヤジ、俺の皿、なんか殺風景なんだけど。反抗期か? 反抗期なのか?」とぼやく声がして、わたしは割り箸でがんもを掴むと渋々隣の小鉢へ移してあげた。
「いや、大根は。たまごは」
「がんも一個の契約ですからね」
「変なところ頑固発揮するよな、お前。……あ、スミマセンデシタ、マジで、悪いこと言わねぇからその箸戻して」
行儀が悪いと思いながらも大根とたまごも銀さんにあげて、自分用には新しくとってもらう。
「もう冷めてんじゃねーか、ったく」
「だれかさんが色々言うから」
「そのやれやれって顔やめてくんね?」
これも、いつもどおりのやりとり。やいのやいのと騒がしい時間を過ごしたあとの、この大人時間はたまらない。吟醸で浮つく気持ちのまま、へらりと笑って大根を切る。
じゅっと染み出すお出汁の色はライトに照らされて金色に光り、なんとも皓々しいものに思えた。はふはふしながら口へ運んで、じっくり味わう。
「おでんがなくなったらどうしよう、次はラーメンですかね」
「食いモンばっかじゃねーか」
その後も二杯、三杯とお酒が進み、銀さんに家まで送ってもらった。
翌朝、かすかな怠さを抱えながら、部屋を出るとすでに大家さんが掃除を開始しているところだった。
おはようございます、と挨拶をすると、「おはよう凛子ちゃん!」パコーンと羽子板で打ち返したように溌剌とした声がかえってくる。銀さん曰く、見た目からしてうるせーとか、関西気質のババアだなんだと言うが、気さくないいひとだ。
……確かに、ヒョウ柄の着物はケバケバしいが。
「今日は遅いんだねえ」
「ええ、昨日は神楽ちゃんたちにお呼ばれする日でしたから、どうにか遅くしてもらったんです」
「そうだったかい。子ども懐かせるたぁ、あの銀髪もやるもんだねえ」
なんだか面倒な勘違いをされているようだが、ははと乾いた笑みを浮かべて引き戸の鍵を閉める。
わたしが暮らすのはまさに江戸時代! というような、長屋の一室。最初は松平さんから高級マンションを紹介されそうだったところを、どうにか断りお登勢さんの知り合いが管理しているここへ越してきた。
長屋というと庶民中の庶民が暮らすところ――というのがイメージだ。もちろん、そんなに金には困らせるつもりはない、と近藤さんにも言われたのだけれど。
でも、家賃と立地と、それから周りの雰囲気を見てここに決めた。近くはないけれど、徒歩五分県内に大江戸マートはあるし、治安もさほど悪くない。この大阪のオバちゃんみたいなファンキーな大家さんのおかげで、セキュリティーも衛生環境もバッチリ。中も改装してあるのか、通常一間の長屋が二間を繋げて一つの部屋になっており、案外広い。なにより、一度は住んでみたかったというのが正直なところ。
想像よりハイカラな長屋だけど、今でもなんだか気持ちが浮つく。
そんなことを思いながら大家さんに竹ぼうきを渡され手伝いをさせられていると、えっほ、という声が聞こえてきた。
「朝からご苦労さまです」
いわゆる月代の綺麗な髪型に捻り鉢巻、「佑」の丸紋が入った腹掛けと股引き姿の飛脚のお兄さんだ。
「東雲さん!」
それまで仕事モードの顔つきだったのが、パァッと少年のような顔にかわる。思わず笑うと、彼は「TAMAZON」と書かれた段ボールを抱えて走ってきた。
「ご出勤ですか」
「ええ、お兄さんも朝から精が出ますね」
「これが仕事ですから!」
見るだけで寒くなる格好だが、額にはじんわり汗をかいている。それもそっか、と納得して、あまり引き留めてはかわいそうだと頭をさげる。彼はそのまま奥の高橋さんの部屋へ。
さて、さっさと掃除のミッションを終えて屯所へ向かわないと――と思ったその時、背中になにかを感じて、手が止まった。
「……気のせい?」
振り返るが、先ほどの飛脚のお兄さんが荷物を受け渡している姿があるのみ。
では、なんだったのだろう。じっとり、灼きつくような、視線……。
「ま、いっか」
ほうきを握り直して、落ちた枯葉を集めた。
冬を迎えてここ数ヶ月、めっきり平和な日々を過ごしている。
朝起きて、寝間着の浴衣から着物へ着替えその日の天気予報とドラマの録画を確認して屯所へ。屯所についてからは、早番ならば朝餉の支度を。遅番ならば、洗濯物の回収から。いずれも前掛けをかけ、着物の袂を襷で結んで行う。
世間では攘夷だテロだ、と騒がしいがそんなものはまるでひとつ壁を隔てた先のもののように感じるほど。真選組の皆さんも、桂さんの捕縛に東奔西走するくらいで、今のところ目立った討ち入りなどは行っていない。
まさに平和ボケ、といったらいいか。手が空いたら、女中部屋で先輩女中さんたちと煎餅を齧りながら雑談タイム。
おそらく、この世界に来てからしばらく怒涛の日々を過ごしていたからこそ、そう思うのだろう。朝の違和感など忘れて、なんてうららかな春の訪れかとテレビを眺めていた。
「凛子ちゃん、ちょっとお客さんらしいからお茶出してきてくれる?」
バリボリと、午前の仕事を終えて、松平さんから差し入れられた伊勢海老煎餅を堪能していると、先ほど買い出しに向かったはずの先輩女中がひょっこり顔を出した。
「お客さん、ですか」
「そうそう、なんでも急にこっちに来ることになったらしくて。副長から凛子ちゃんに、お茶を持ってこいって伝言」
副長から……。目をぱちりを瞬くわたしに、彼女は、「休憩中ですよって言ったんだけどねえ」とやれやれ肩をすくめる。
だが、副長命令とあれば断る謂れもない。
「ごめんね、休んでるところ」
「いえ、ただテレビを見ていたくらいですから」
伊勢海老煎餅を贅沢にもパクッと口へ放り込んで、素早く咀嚼する。
《風邪には絶対、負けるなっとうキナーゼ!》
そんな声が聞こえてきたテレビを落として、わたしは立ち上がった。
「副長、東雲です」
お盆を傍へ置き、膝をついて襖の向こうに声をかける。「ああ」と返事がありすぐに襖が開いた。
「休んでるところ済まねえな」
珍しく煙草を消した土方副長が姿を現し、応接間の手前、控えの間から出てくる。
「いえ、手は空いていましたから。湯呑みは三つで構いませんでしたか」
「ああ、近藤さんが中でもてなしてるところだ」
「わたしがお届けを? それともここで副長にお渡しする形になさいますか?」
「中に入ってくれて構わない。だが――」
ひそひそと打ち合わせていると、奥の襖が突如開いた。
「ああ、凛子さん。すまねえな、ちょいと急用で」
近藤さんの先、一瞬まみえた応接間の立派な紫檀の座卓についた女の子の姿にわたしは目をパチリと瞬いた。
「お通ちゃん……?」
負けるなっとうキナーゼ!――の声がまさに脳裡で反芻する。
ハァ、と土方さんがため息をついた。
「東雲、このことは内密にしてくれ」
「あっ……ええ、はい、申し訳ございません」
うわあああ本物のアイドルがいる! と騒ぎだしそうになった口を一度閉じて、ンッと咳払いをしてから言い直す。隣にはマネージャーの女性すらいないことから、なにか並々ならぬことがあって真選組にやってきたに違いない。
すぐに仕事モードに切り替える――がしかし、心臓の昂揚は抑えられなかった。
「やだやだどうしよう、お通ちゃんだ。かわいい、肌白い、わあ、目もクリクリ、妖精みたぁーい」
そうそう――ん?
「って、ところですねィ」と締めたのは、控えの間でアイマスクをつけて柱にもたれかかっていた沖田さんだった。
「沖田さん、けっして、そんなことは」
「顔に出てやすぜィ。東雲の姉さんもしょせんはミーハー女ってことでさァ」
「ぐ、ぐうの音も出ません……」
だってアイドル初めて見たもん。芸能人初めてこの目で見たんだもん。なんて心中ぼやくが、すかさず、「お前いい歳してモンはねぇよ、モンは」とエアー銀さんの突っ込みが入る。
それでも――ああこらわたし、しっかり、と顔を作り直して、お茶の載ったお盆を掲げる。
「ま、俺はミーハー女ってヤツは嫌いじゃねェですぜ。なんといっても、そういう女は調教のしがいがあるってもんで」
「ンッ、ンンッ、では、わたくしこの後も仕事がありますのでこの辺で」
「まあまあまあまあ」
副長にお盆を渡して退散しようとしたわたしを止めたのは近藤局長だった。
「女の子がいたほうが、和らぐんじゃないかって思ってな。こんなムサ苦しい男には話づらいこともあるだろうよ、よければ茶ァだけでも出してってやってくれないか」
と、いうわけで、心の帯をしっかりと締め直して、お盆を手に応接間へ入ることになった。
失礼いたします、と声掛けをして襖を開けると、物憂い様子で視線を伏せていたお通ちゃんがこちらを向いた。
「京より取り寄せました煎茶と、羊羹をお持ちしました」
もちろんお茶は先ほどの問答で冷めてしまったので新しいのをすぐ淹れなおし、松平さんからいただいて内緒にしてあった「ねこや」の水羊羹をお茶請けに用意した。
突いていた膝を起こし、にこやかに室内へ入るとお通ちゃんの前に羊羹の載ったお皿を差し出す。
「甘いもの、大丈夫でしたか?」
四角く切られたそれは、単なるこしあんの羊羹ではなく、白餡で表現された空に紅色の桜の花が咲く、季節限定の羊羹であった。
見た目華やかなそれは、女子のみならず男子でも誰でも彼でも心が華やぐのではないか。それで少しでも安心して気負いを落としてくれたら、というのが願いだった。
でも、アイドルだから食事制限があったかも――と思い、さりげなくうかがう。その拍子に目が合った。
――ほろり。
落ちたのは、一粒の涙であった。
