「凛子、行ってくるアル!」
「凛子さん、すみませんが留守中の戸締りよろしくお願いします」
「気を付けてね。くれぐれも崖から落ちたり、変なキノコを食べたりしないようにね」
気合い十分に階段を駆け下りて行く神楽ちゃんと、律儀に頭を下げてからそれを追い掛ける新八くんに、わたしはにっこりと笑って手を振る。
「ガキどもは元気でいいよなぁ。こちとら、朝の冷えがダイレクトに銀さんの銀さんに伝わって便所近くて堪んねえっつうのに」
「朝イチから下ネタはやめてくださいよ、銀さん」
のろのろと敷居を跨いで出てきた銀さんに呆れ顔を見せると、彼は大きな欠伸をした。
これから彼ら三人は定春を連れて、遠くの山へキノコ狩りに行くのだと言う。すっかり食欲の秋全開だ。どうせテレビで近頃は自然の松茸が獲れるというのを見たのだろう。
一度その美味さを味わってみるんだと神楽ちゃんは意気揚々に語っていたのを思い出す。
「本当、気を付けてくださいね。キノコ狩りに熊はつきものですし」
「あー、心配すんなよ。熊に出会ってもアレだろ? 死んだフリしときゃいいんだろ?」
「それ迷信って聞きましたけど」
「いやいや、これ昔からの言い伝えだから迷信とかあるわけねーじゃん。大丈夫に決まってんだろ」
本当に大丈夫かなぁ。ふわふわの綿菓子のような頭を掻きながら、一段一段ゆっくりと階段を降りていく銀さんを心配しつつ、いってらっしゃい、と声を投げ掛ける。彼は振り返りもせず、手をひらりと振った。
「松茸土産に帰ってくらァ。そしたら、炊き込みご飯な」
「ふふ、楽しみに待ってます」
キノコ狩りへ行く彼らを見送って、一通りの家事を終わらせたあとは、わたしはお登勢さんからの頼まれごとを済ませるべく、町に繰り出した。
頼まれごとと言うのは、お登勢さんから預かった手紙と荷物をかぶき町の三番街にいる彼女の知り合いに届けるというものだ。一日仕込みで手が離せないから、と託されたのである。
三人と一匹がいないとなれば、一人寂しく煎餅をつまんでワイドショーを見ていたところだったので、気分転換にもなってちょうどいい。
家に一人でいたら、きっと余計なことを考えてしまうだろうから。そういう時は、体を動かせば少しは気が紛れるものだ。
三番街へは花街を抜けて行かなければならないので、草履をぱたぱた鳴らしながら、往来を進む。初めは歩くのにも不便だったのに、今ではもう慣れたものだ。
時刻は午後三時を過ぎただろうか。ほんのりと陽が傾き始めて、柔らかに差し込む日差しが心地よい。
蕎麦屋、甘味屋、それから、団子屋。食べ物屋の看板を次々に目に入れては、帰りにどこかに寄ろうかなと思案する。どうせなら行ったことがないところが良い。それでいて、隠れた名店だったりしたらもう言うことはない。
お妙ちゃんに話した日から、もう何日も経っている。
あれから、わたしはあの件について深く考えないようにしていた。もう一度あの腹の蠢きを感じるのが、恐ろしくて堪らないからだ。自分が自分でなくなるような、そんな瞬間は、とてつもなく気持ち悪い。
幸いなことに、だれもあの件について触れようとはしてこなかった。
――みんなに、申し訳ないことをしているな。
お妙ちゃんの困ったような顔や、なにも言わずとも元気付けようとしてくれる神楽ちゃんや新八くん、そして、いつも通りなにもなかったように振舞ってくれる銀さんの様子を思い出して、そう思う。
いつ、松平様のところに行こう。もう少しだけ、有耶無耶にしていても、いいだろうか。
ぼんやりとかぶき町の軒並みを眺めながら考える。穏やかな日常の風景が流れていっては、それを酷く恋しく思った。
せっかくの好意を断るということが、怖いのだ。あんなにも頑なに断ると言ってのけておいて、今となっては重たく枷のようにのしかかる。
少なからずわたしの選択は、彼を傷付けるだろう。腹の底では酷いことを考えているくせに、傷付けるのを恐れているなんて、おかしな話だ。
道端の小石をつま先で蹴飛ばしながら、小さく息を吐こうとして、思いとどまった。こんなに溜息ばかりついては幸せがまた逃げてしまう。
そして、それ以上は考えないように、わたしは顔を上げた。
――あれ?
すると、人の波の合間に、見覚えのある顔が浮かび上がった。
「かっ」
「か?」
思わず大きな声をあげてしまいそうになって、慌てて手で口を押さえる。
「桂さん、どうしてこんなところに!?」
「桂じゃないキャプテンカツーラだ」
こそこそと小声で言うが平然とした顔で返されて、目を瞬かせる。
攘夷志士の桂小太郎――そんな彼はキャプテンの名の通り黒い海賊の衣装に身を包んで、片目を眼帯で覆い、イメクラだかキャバクラだかの看板を持って立っている。
「その、カツーラさん?」
「カツーラじゃない、桂だ。アッ、間違えた、今のなしね」
相変わらず美麗な顔ですっとぼけている桂さんに、はあそうですか、と気の抜けた相槌を返して続ける。
「それで、こんなところでなにしていらっしゃるんです」
かぶき町のど真ん中、花街はこれからの時間が掻き入れどきともあって、人通りが多い。もう暫くして陽が傾き始めたらあっという間にネオンがきらめき始めるだろう。
そんな所で、仮にもお訊ね者の桂小太郎が下手な変装、というよりも仮装をして立っているなんて、大丈夫なのだろうか。
神楽ちゃんや新八くんが以前、良くどころではない、しょっちゅう会う、と言っていたのを思い出す。
「なに、入り用でな。攘夷活動にも銭がかかる。こうした資金調達も活動のひとつ。情報収集がてら、こうして街を――アッそこのお兄さん! ウチ! ウチ良い子入ってるよ! 猫耳娘とか、ナースとか、お兄さん格好いいからサービスしちゃうよ!」
「もういいです、なんとなくわかりました」
要するにお金稼ぎにコスプレキャバだかイメクラだかのキャッチのアルバイトというわけだ。
少し不思議な人、という印象が一瞬にしてがらりと変化する。銀さんたちの桂さんへのあしらい方が塩辛いものだったのには頷ける気がして、わたしは一歩身を引いた。
変なことに巻き込まれる前に、去った方がいい。なんとなしにそう五感が告げているので、話の途中で呼び込みを始めた桂さんにぺこりと頭を下げてその場を去ろうとするが、腕を掴まれた。
「待て」
桂さんは神妙な顔つきでわたしを見てくる。
「ええと、なにか?」
「近頃はこの辺も物騒だ。女の一人歩きは気をつけた方がいい」
急に真面目な口調で告げられ目を丸くしていると「凛子殿は容姿も整っているからな」とさらりと付け足されて、ほんのり頬を染める。
「その、お気遣いありがとうございます」
「礼には及ばん。銀時は一緒ではないのか」
「はい。今日は松茸を採りに行くとかなんとかで、朝から出掛けていて」
今頃、キノコ狩りに精を出している頃だろうか。毒キノコを食べたりしないといいけれど、そんなことを思いながら、呆れたような顔付きの桂さんに苦笑いを返す。
「あやつはまた金に目が眩んだか。仕方あるまい、俺が用があるところまで送っていこう」
「いえ、近い場所ですし、カツーラさんのお手を煩わすほどのことではありませんよ」
「しかし……」
それでも食い下がりプラカードを置いてわたしの横に並んで歩き出そうとする桂さんだったが、強面の男の人がちょうどすぐそばのお店から出てきた。
「カツーラさァァァん? この間も日本の夜明けを見に行くっつったまま帰ってこなかったよねェエ? そうやっていつもいつもサボられちゃ、困るんだよねェエエエエエ」
とかなんとか、結局首根っこを掴まれて、引き摺られて行ってしまう桂さんであった。
「ときめきの無駄遣いしてしまった」
あっという間に消えていったその姿を最後まで見送る事もなく、踵を返しながら小さく呟いた。
やれやれ。多少冷ややかな心地で肩を竦めたところで、肩を叩かれた。
「あら、エリー」
振り返ると、白いオバ○姿に海賊帽を被ったエリザベスがそこには立っていた。彼も同じ仕事だったらしい。
《後ろに気を付けて》
そのプラカードに、そっと頬を緩める。
「確かに。引ったくりとかも多いって聞くから、気をつけるね」
そう言うとエリザベスはこくりと頭を振って、桂さんを追いかけて店の中へと消えて行った。
「高杉、って人のせいかしら」
近頃はこの辺も物騒だ――桂さんの言葉を繰り返しながら、頬に手を当ててひとりでに呟く。
なにはともあれ、用心するに越したことはない。用事を済ませるべく、足早にその場を後にした。
*
「ったく、夏にも祭りでさんざ騒ぎを起こした癖に、高杉も懲りねェ野郎だな」
「でも珍しいですねィ。いつもなら騒ぎの後は、暫く京だとか地方に逃げ隠れてるはずなのに」
紫煙を吐き出す上司の横で、沖田は団子の串にかぶり付きながら言った。
近頃、攘夷浪士達の動きが不穏だという報せを監察方から受けた真選組は、こうして、昼間の花街を見廻っている。高杉の一派がかぶき町の外れで見かけられたというのもあって、殊厳重に人員が配備されているのだ。
「テメーは仕事中に団子食うんじゃねェよ、どこで寄り道してきた?」
「やだなぁ土方さん、差し入れですぜ差し入れ。山崎がついさっき角の団子屋で買ったのを届けてくれたんでさァ」
「山崎ィイイイイイイッ」
米神に青筋を立てながら土方は勢いよく振り返って怒号を飛ばすが、山崎の姿はそこにはなかった。
どいつもこいつも……などと本日何度目かの溜め息をつきながら頭を抱えると、沖田がもしゃもしゃ団子を咀嚼しながら、ぽん、と慰みに肩を叩く。
「安心してくだせェ、なにしろ万事屋の姉さんを見かけたらしいんで、慌てて後を追いかけていきやしたぜ」
「そうか。ならいい」
「まあ、ありゃ惚れた女の尻を追い掛ける男の姿を見てるようでしたがねィ」
「単なるストーカーじゃねぇか!」
土方のさらなる怒りが木霊したのは言うまでもない。
*
「……っ?」
足を止めて、思いがけず振り返る。
無事用事を済ませて、三番街から帰るところだった。なにやら視線を感じて振り返ったが、道行く人が相も変わらず先を急いだり、井戸端会議の如く軒先で話に花を咲かせている。
いつも通りのかぶき町だ。
ぐるり、見渡すが、怪しい人物は見当たらない。
――気のせいか。
溜め息を洩らして、再び歩みを進めることにした。
「っこんの野郎、どうしてくれんだ!」
だが、暫くして、男の野太い声が向こうから飛んできた。
何事だろう。気になって目を向けると小さな人だかりができていた。人混みの合間から背伸びをして、前の人の肩口からそちらを覗く。否や、ぐにゃり眉が歪むのがわかった。
猫だか犬だかよくわからない頭をした天人が、地面に蹲る子どもに激しく足蹴を入れている。五、六歳だろうか、丸腰の子どもだ。頭を抱えて、悲痛な叫びを小さく上げながらその子はひたすら暴力を受けている。
一体これはどういうこと?
相手が天人だからだろうか、人だかりの大人たちはこそこそ鬩ぎ合いをするだけで、一歩も動かない。
天人の足元には、串に二つだけ残った団子が落ちていた。
「あーあ、みたらしついちまったよ。このブーツ高いんだけど、ホラ、バーチンだよバーチン! あ? バアちゃんのブーツじゃねーよ! バーチンだよ!」
ごめんなさい、ごめんなさい、としきりに謝る声が続く。きっと、あの子が天人にぶつかりでもしたのだろう。その拍子に団子が落ちて、ブーツが汚れてしまった。
確かにブランド物のいいブーツなのはわかるが、いくらなんでも度が過ぎている。天人の顔を見ると、それはそれはいやらしい笑みに全体が歪んでいた。
酷い。あまりに酷すぎる。それ以上したら……!
その光景に、みぞおちの下あたりが、ジクジクと疼くのを感じる。途端にカァアと喉元が熱くなって、まるで炎が燃えているようだった。
「ちょっと!」
天人がもう一度足を男の子のお腹に入れようとした瞬間、いてもたってもいられず、わたしは人を掻き分けて天人の前に飛び出していた。
「なんだ、この女ァ」
「子ども相手に、やり過ぎです」
「アァ?」
蹲る男の子を守るようにしゃがみ込み、キッと下から睨みつけると、天人は面白くなさそうにこちらに詰め寄ってきた。
犬のような猫のようなどっちつかずの顔、下卑た面差し。はらわたが煮えくりかえるとは、今のことを言うのだろう。なんとも胸焼けがする。犬も猫も好きなのに、この顔はどうにも生理的に受け付けない。
「ブーツなんて拭えば汚れも落ちるでしょう。ここまで暴力を振るう必要がありますか」
「なんだと、女には関係ねェだろうが」
あります――堪らず声を荒げた。
「目の前で子どもが、バカな宇宙人に殺されかけてるのを守らない大人がどこにいるっていうの。そのわけもわからない動物のナリじゃ、考える力もないわけ?」
相手の毛が逆立つのが見えて、わたしは態とらしく眉を跳ねさせる。逆上するようなことを言うつもりなんてなかったのに、するすると蛇のように言葉が飛び出て行く。どくどく、心臓が嫌に煩い。血液が一気に身体中を駆け巡って、目元が破裂しそうなほど、ズキズキする。
こんの……と悪役さながらの台詞を吐きながら、天人はコートの胸元に手を突っ込んで、なにかを取り出そうとした。
その仕草は知っている。
確か――。
「やれるもんならやってみなさいよ」
「こんのアマッ」
黒いリボルバー式拳銃の銃口が向けられた。
「おい、拳銃だ」
「まずいぞ!」
人だかりからそんな悲鳴が聞こえる。心臓が痛い。目の奥が千切れそうだ。だけど、ここまできたら引き下がれない。
銃口が突きつけられるなんて、初めてだった。もはや、銃すらこの目で見たことはなかった。
もう終わりだ、とでも言うように、天人が勝ち誇ったように厭らしい笑みを浮かべて、安全装置に親指を掛ける。
――カチッ
乾いた音に、みぞおちが逆撫でされた心地だった。その先を覚悟して、子どもを抱え込み、ぎゅう、と目を瞑る。
――怖い。
自分から挑発したくせに、そんなふうに思うなんて。唇が、震える。
――もしわたしに力があれば。
そうだ、力さえあれば、こんな奴……。
( )
「はい、そこまで」
強く強く唇を噛み締めたその時、訪れたのは、破裂音でも、焼けるような痛みでもなく、場にそぐわぬ、穏やかな声だった。
