1-2

 身寄りもない、家もない、金もない、ないない尽くしの美月は、セブンスヘブンで世話になることになった。いささか信じがたいことではあったが、なんと彼女は猫で――まだ憶測ではあるが――しかも、その猫をクラウドが拾って帰ってきたのだという。したがって、彼がきちんと責任を取らなければならないという結論に至ったのだ。
 美月としては、知らない世界に一人で放り出される危機を免れたのは、なんともありがたいことである。だが、クラウドを筆頭にバレットもその仲間たちも美月のことをいまひとつ信用していないことには変わりがなかった。
「今日のミッションに、ミツキを連れて行く?」
 ティファの荒らいだ声に、美月はマリンとあやとりをしていた手を止めた。
「一般人を巻き込む気なの?」
「だが、あの女を店に置いておくわけにはいかねぇだろ!」バレットが唸る。
「そんな、きっと、ミツキは大丈夫よ。マリンもあんなに懐いているし……」
「すまないがティファ、俺もバレットの意見に賛成だ」
 聞こえてくるのは、不穏な会話だ。マリンが不思議さと不安を入り混ぜたような視線を向けてくるが、美月は曖昧に笑みを浮かべただけだった。
 彼らは反乱組織『アバランチ』として、『神羅』という会社と対立している。クラウドは今回、幼馴染のティファに頼まれて、傭兵として雇われているだけらしいが。
 今日、昨日の壱番魔晄炉爆破に続いて――美月はティファからその話を軽くだが訊いた――その活動のひとつが行われる。セブンスヘブンで女店主をしているティファも今夜は作戦に参加するようで、店に美月を置いていくかどうかで争っているのだ。
 怪しいのは重々承知している。仕方ない、美月はひとりでに息をつく。
「ミツキお姉ちゃんは、わるいひとなの?」
 すると、マリンに訊ねられた。どうだろう、と美月は苦笑する。悪い人――どこからどこまでを少女が意味しているかにもよるが、少なからず、善人だとは言い切れない。
「父ちゃんやティファを傷つける?」
「マリンちゃん……」
 少女の揺れる無垢な瞳に、美月は笑みを引っ込める。少しばかり唇をきつく結んだが、やがて大きく息を吸い込んだ。
「それだけは、絶対にしないよ。マリンちゃんも、マリンちゃんの大切なひとたちを傷つけたりはしない」
 あやとりの紐をぎゅっと握りしめた小さな手に、自分の手を重ねる。
 自分の存在が、彼らにとってどう影響を及ぼすかはわからないが、それでも、彼らを貶めたり、攻撃したりするつもりは一切なかった。そもそも、そんな力を持ち合わせていない。
「約束する」
 ふっと微笑むと、マリンは唇をきゅっと噛みしめたあと、美月の胸元へと飛び込んできた。突然の衝撃に尻もちをつきそうになったものの、美月はすぐさまマリンの背中に手を回して、彼女の頭を撫でた。
「ミツキ、話は聞いてたよね?」ティファの声が飛んでくる。
「はい。わたしは構いません。ティファさんたちに言われたように行動します」
 マリンを抱っこして立ち上がると、ティファはすまなそうに眉を下げた。
 会って間もない人間に気遣いや優しさを向けてくれる彼女に、美月は全てを受け入れるように口元を緩める。
 ティファの向こうに複雑な顔を浮かべるバレットと、無表情のクラウドが立っていたが、「大丈夫です。ついていきます」とはっきりとした声で念を押した。

「ねえ、ミツキ、やっぱり悪い人じゃないと思うの」
 今日の作戦に向けて、自分の身丈ほどあるバスターソードの手入れをしていたクラウドに、ティファが睫毛を伏せて指先を丸めながら言った。
 クラウドが拾ってきた猫が変身した――それは、あくまでも可能性の話だが――という女のことだ。ほぼ裸に近い状態の女に気がついたときは、男の性ゆえ思わず呆然とその肌の白さを見つめてしまったが、蓋を開けてみれば、これまで出会った誰よりも奇妙な人間だった。なにせ、異世界からやってきたという、不可思議な境遇を抱えているのだ。それに忘れてはならない。彼女は猫かもしれないのだ。
 ティファの言葉に、クラウドはしばらく黙って剣の手入れを続けた。
 脳裏に不安そうに揺らぐ黒曜石が映し出される。耳に一粒ついたオーロラ色のマテリアが、彼女の白い肌と濡羽色の髪に彩りを与える。
 確信は得ていないが、クラウドは彼女がたしかにあの白猫だろうと考えていた。片耳のピアスがなによりの証拠だ。それに、あの不健康に近い肌の白さもきめの細やかさも、それから、髪の艶やかさも、猫の持つ毛並みや醸す雰囲気に限りなく似通っている。猫が人になるなんて聞いたことがないし実際に変身する瞬間を見たわけでもないので、ほぼクラウドの勘に過ぎないのだが。
 気を失った彼女の姿が、スクラップ置き場に埋もれる猫の姿に重なる。
 異世界から来たこと、猫に変身すること、それらを除けば、彼女はどこにでもいるような女に思えた。ティファの言う通り、悪人と言い切るのは難しい。
 白磁の肌、小ぶりな唇、羽搏きのごとく震える長い睫毛、クラウドはひとつひとつ思い描く。あどけなさを孕む可憐な見た目は、言うなれば無垢。それとはうらはらに、状況を飲み込んだ彼女の落ち着きや、醸す空気のやわらかさは、彼女の人となりを存分に表わしているようにも思えた。
 だが、だからと言って――ねえ、とティファが痺れを切らしたように再度クラウドに声をかける。
「……なら、店番を頼むか?」
「それは……」
 ため息混じりに言うと、ティファは言葉を詰まらせた。
「あまり、不用意に人間を信用しないほうがいい。なにかあってからじゃ遅いからな」
「そうだけど……」
「妙な行動を起こしたら、放り出す。もしそうでないなら、そのときはそのときだ」
 元ソルジャーとしての判断か、それとも、単に彼女の持つ特殊な事情を確かめたいという勝手な興味か。
 女の素性だとかそんなものには興味がない、ただ、彼女が自分の拾った猫かどうかを知りたい。自分に言い聞かせる。昨日までのクラウドならば、切り捨てていた瑣末な出来事かもしれないが、なぜだか彼は完全に頭から彼女のことを切り離すことができずにいた。
 腑に落ちない様子のティファだったが、クラウドが武器の手入れを続けるのを見ると、諦めたように息を吐いた。

 ついて行く、とは、言ったものの、美月はその自らの言葉を酷く後悔していた。
(う、うそぉ……なんか、すごく治安悪いんですけど……)
 セブンスヘブンの外は、想像を絶する世界であった。
 緑の妖しい光の中、建物――といってもいいのかもわからない。スクラップでできた掘っ建て小屋のようなものだ――は薄汚れ、そこかしこにゴミや瓦礫が散らばっている。美月の暮らしていた地域にも、治安があまりよくない地区はあったが、ミッドガルのスラム街はそれとは比にならぬほど陰鬱としていた。
 異音や異臭がするのは普通のことで、スラム街独特の雰囲気に飲み込まれそうに体をぎゅっと縮こめながら、ティファのあとをついて歩く。心配そうに途中彼女は何度か振り返ったが、美月は気丈に振る舞った。
 大学生のとき、始発前に新宿歌舞伎町を歩いたことをふと思い起こす。華やかなネオンが消え、朝日に包まれた街は、夢から覚めたように下水道の匂いに満ち、閑散として、ゴミがそこらに散らばっていた。だが、それもまだマシなほうだった。
 空はプレートと呼ばれる鉄の塊で覆われており、雨は降らないがその代わり晴れることもない。今が夜なのか昼間なのか、それすらも鈍らせる。
 とにかく、生まれてこのかた二十数年感じたことのない異様な空気に、思考が悪酔いしてしまいそうだった。
 大した会話もなく、一行は駅にたどり着いた。駅、というより、列車置き場に近いかもしれない。廃車となった列車たちが、そこかしこに転がっている。まるで列車の墓場だ。
 とんでもないところに来てしまった。ぱち、ぱち、と電線が奇妙な音を立てるたびに、美月は体を震わせずにはいられなかった。
「おい、さっさと歩いてくれ」
 体を縮こめてしばらく列車墓場を眺めていた美月に声を掛けたのは、後ろを歩いていたクラウドだった。
「……はい、すみません」
 伏し目がちにティファやバレットたちアバランチメンバーが列車に乗り込むところなのを確認すると、美月はぐっと唇を噛みしめる。
 彼らのいう任務とやらの詳細は教えてはくれなかったが、常ならぬことをすることは、なんとなくわかる。学生時代、悪さなど教師に隠れてスカートを短くしたり、化粧をしたり、掃除の手を抜くことくらいだった美月にとっては、それがとてつもなく恐ろしいことのようにも感じた。
「……死にたくなきゃ、しっかり前を見るんだな」
 恐怖に飲み込まれそうになりながら、足を踏み出そうとした美月に、霞んだ空気にたゆたう低い声が届く。ハッと振り向くと、あのビスクドールほどに整ったクラウドが、碧い瞳で美月を見ていた。
 彼の瞳は、エメラルドグリーンよりも深く、空の青よりも儚い。その緑がかった美しい碧に、美月は思わず魅入ってしまう。
「……いわれ、なくても。そうします」
 死んだらどうなるかはわからないが、こんなところで死ぬわけにはいかない。
 不躾な態度のクラウドにムッと唇を結ぶ美月だったが、碧い視線から逃げるようにティファたちの乗る列車に大股歩きで近寄っていった。

「おう! こいつぁ、貸し切り列車じゃねえぞ! 散れ散れ!」
 バレットの言葉とともに、ウェッジ、ビッグス、ジェシーが車両を移っていく。列車の中は日本の電車とさほど作りは変わらないようだったが、スラム街同様、薄暗くどこかジメジメとした空気が漂っていた。
「ずいぶん空いてやがるな」
 酔っ払いだろうか、椅子に横たわりむにゃむにゃと寝言を言っている男を視界の端で眺めながら、美月はぐるりと車内を見渡す。
 バレットの言葉通り、彼ら以外に乗客は酔っ払いとスーツ姿の男のみだった。平常がわからないので比べようもないが、妙な過疎感に肌がぞわりとするような感覚を覚える。
「おい、どうなってる?」
 スーツの男に、バレットは掴みかかる。
「ヒッ、き、きみたちみたいなのがいるからす、すいてるんじゃないか……」
「んだと」
 このまま、本当について行っていいのだろうか。美月は男の胸ぐらを掴むバレットの姿を見て、胸の内で自問していた。
 彼女からすると、なんの罪もない男にバレットが難癖をつけて襲いかかっているようにしか見えない。行きすぎた不良を見ているみたいだ。
「ニュ、ニュースぐらい見てるだろ? アバランチの爆弾テロ予告があったんだ。こんな日にミッドガルに出かけるのはサラリーマン神羅ぐらいさ」
「お前、神羅の人間か!」
 バレットの大声に美月は、びくりと肩を揺らした。これまで彼みたいな人種と関わることがなかったぶん、いい大人だというのに、怒声だけで肝が冷える。
「バレット!」
 ぎゅっと手のひらを握っていると、今にも男に殴りかかりそうなバレットを止めたのはティファだった。
 名を呼ばれ、バレットは舌打ちして男から離れる。
「ごめんね、ミツキ。バレット、作戦前は気が立っているから」
 そういう問題なのだろうか、と思うも、すまなそうな表情の中に不安の色を孕んだティファの手前なにも言えず、美月はただぎこちなく唇に弧を描いた。
「さて、どうするんだ」
 一人、クラウドは泰然とした様子だった。
「ケッ! 落ち着いた野郎だぜ! こっちのペースがくるっちまう」
 バレットが鼻息を荒くする。と、そこで、大きく車体が揺れた。
「っ、な、なに……?」
 美月は驚いてびくりと体を跳ね上げる。
「列車の接続がすんだみたい。出発するわ」
「列車の、接続……」
 ティファの言葉に、胸を撫で下ろす。クラウドがなにやら意味深な視線を向けていたが、美月は気がつかなかった。
 ガタン、ゴトン、と線路を走る音が次第に早くなるのを耳にしながら、一行は本日の作戦についての話を始めた。
 どうやら、伍番魔晄炉というのを爆破する、それが今日のミッションのようだ。美月はティファの話でその名は聞いているものの、いまいち魔晄炉という言葉にピンと来ない。それがどのようなもので、爆破するとなにが起こるのか、全くもって想像がつかない上に、正直、首を突っ込むのは気が引ける。そういうこともあり、結局、話の流れを止めてまで訊ねることはしなかった。
 一行はひとまず爆破地点に向けて、プレートの上の都市へと繋がる列車に乗っていた。ほどなくするとID検知ポイントがあり、その前に飛び降りるのだとバレットは言う。
「あと、三分ほどね。路線図でも見ましょう、美月」
「三分……」
 カップラーメンが出来上がったら、走る列車から飛び降りなくてはならない。魔晄炉がなんなのか、気にするどころではなくなってしまった。
 飛び降りる――美月は窓の向こうを見る。轟々と音が鳴り、真っ暗な螺旋トンネルを進んでいる。ひとつ、ふたつ、とライトが瞬く間に消えては、その残像が瞼の裏にこびりつく。本当に、飛び降りなくてはならないのか。やけに背すじが冷える。腰から臀部にかけて、疼きが走る。
 ティファは車内を歩いて路線図のもとへと行ったが、美月はその場を動くことができなかった。
「なあ、アンタ……」
 ――ビーッ ビーッ
 クラウドに声をかけられ、動揺の色を隠さず顔を上げたところで、突如けたたましい警報が鳴り響いた。
「おかしいな、ID検知エリアまでまだあるのに」
 ティファが顔を強張らせながら呟く。赤いランプがちかちかと点滅し、物々しい雰囲気だ。
 ――な、なんなの? 美月は内心パニックに陥っていた。呼吸が短く、浅くなる。
『A式非常警戒体制を発動。列車内に未確認のIDを検知。各車両緊急チェックに入ります。くりかえします――』
「どういうこと?」アナウンスにティファが眉を顰める。
「まずいことになっちゃったわ!」
 騒然とする車内に飛び込んできたのはジェシーだった。
「説明はあと、早くこっちの車両に!」
「チッ、しくじりやがったな。いくぜ! モタモタすんな!」
 しくじったってなにを。美月は内心悲鳴をあげる。バレットやティファが一目散に前の車両に走っていくが、美月の足はまるで床に貼りついてしまったように動かなかった。
『車両一に未確認ID検知。警戒レベル一。車両一をロックします』
 携帯の地震速報ですら、いくら被害が大きくなくとも彼女を怖がらせるには十分だというのに、けたたましい音と赤いランプが美月の思考を混乱の渦に引きずり込む。
「聞いてたのか、アンタ。走れ!」
 ドン、と背中を押されて、美月は前へつんのめる。転びそうになったところを、腕を引かれてなんとか体勢を立て直すと、碧い目が美月を貫いた。
 走らなくちゃ。小さく頷いて、美月は消えてしまったバレットたちの背中をただひたすら追いかけた。
 ガチャン、ガチャン、と扉がロックされる音を幾度となく聞きながら、美月は先頭車両にたどり着いた。
「なんとか、やりきったな」バレットが息をつく。
 赤いランプはまだ点滅を続けているが、どうやらやり過ごせたようである。美月は肩で息をしながら、ここから先はどうするのかとバレットの顔を必死で見上げた。
 だが、考える間もなく、列車のドアが開け放たれた。
「よし、いくぜ! こっからダイブだ!」
 一瞬、なにが起きたのかわからなかった。風に舞う髪もそのままに、美月は呆然と立ち尽くす。赤い兵服――神羅の制服を着た女の人がバレットのそばに立っているが、それはどうやら仲間のジェシーらしい。
「作戦二にチェンジよ」と焦ることもなく告げている。
「……こわいね」
「いまさらなんだよ、だいたい、どうして来たんだ」
「だって……」
 ティファとクラウドがなにやらやり取りをする横で、美月は轟々と唸りを上げる暗晦を見つめていた。痛いほど心臓が強く鼓動を打つ。ひゅっと全身が冷え、呼吸がままならない。
「おい、時間がないぞ!」
「うん! 決めた! よっく、見てて。私、飛ぶから!」
 ティファが勢いよく飛んだ。彼女の長い黒髪がふわりと風を孕み、イルカの尾ひれのように束ねられた毛先が、一瞬にして飲み込まれていく。
「次はアンタだ」
 クラウドが美月に視線を寄越した。
 心臓の音がピークに達した。今にも喉から飛び出してしまいそうだった。
「なんで、こんな目に……」
 クラウドの合図に応えることもなく、彼女の口から出たのはそんな言葉だった。
 唇が小刻みに震えている。赤く照らされる頬は、恐怖のあまりどこか青白い。
「早くしてくれ、時間がない」
 クラウドはおかまいなしに苛立った声で急き立ててくる。
「でも……」
「おい!」
 バレットも怒声を浴びせてくる。やらなくてはならない、それはわかるのに、美月は一歩も踏み出すことができなかった。
 うねりを上げる闇を見つめる――そのとき、はあ、と息を吐くのが聞こえた。
「行くぞ」
「っ……!」
 腕を掴まれ、突如浮遊感が訪れる。視界に掠めたのは、ツンと天を指す金糸。なんと、クラウドに担がれたのだ。
「まっ、ぃやああああああ!」
 制止も虚しく、美月は闇に吸い込まれていった。

 目を開くと、そこはトンネルの中だった。
「生きてる……」
「当たり前だ」
 呟くと、なにやら呆れ声が耳に届いて、美月の足は地面についた。
「ミツキ、クラウド、大丈夫だった?」
「これくらい、どうってことない」
 心臓の音はまだ治らない。涼しい顔のクラウドの横で、くらくらする感覚と戦いながら、美月は駆けてきたティファに、はい、と小さく頷いた。
「お前ら、まだ油断するなよ。ここからが本番だ」
 トンネルはどうやら螺旋状に続いているらしい。先をまっすぐに見据えて、幾分か落ち着いた様子でバレットが言う。
 美月はその視線の先を追った。この奥に伍番魔晄炉がある。ライトは灯っているが、やはり薄暗い。地面越しには列車の振動が伝わって、足先から戦慄が走るかのようでもあった。このときすでに、美月はついてきたことを心底後悔していた。
 帰りたい。でも、帰れない。帰る術も知らないし、ここまで来てしまってはついていくほかない。夢ならば覚めてくれと美月は心の中で必死に唱えるも、泣きべそをかきたくなるのをこらえながら、バレットとティファのあとに続いた。
 線路内を抜けていくと、唐突に目映い光が目を焼いた。どうやら警報センサーが敷かれており、その先へ進めないようだった。一行はダクトを通り、再度プレートの下へと潜ることになった。
 プレート内部を進んでいく。機械や管がそこかしこに繋がり、鉄製の梯子や鉄網の敷かれた様はまるでどこかの工場のようだった。
「ねえ、ミツキは、当然神羅のことを知らないのよね」
 転ばぬよう足元に気をつけながら歩く美月に、ティファが声をかけてきた。
「はい。まこう? というものも向こうにはなくて」
「……胡散くせぇな。だったらどうやって生活してるってんだ」
「バレット!」ティファが諌める。
 ケッ、と舌打ちをしたバレットに美月はややぎこちなく笑みを浮かべた。
「いえ、そう思われるのも、仕方ないです。わたしも、正直わけがわからないので」
 そう口にするのは何度目だろうか。言いながら、美月はひとりでに肩を落とす。ティファがすまなそうに眉を下げた。
「ごめんなさい、大した説明もせずに連れてきてしまって……」
 場が静まり返ったそのとき、「おい、ティファ、来るぞ!」と一番後ろにいたクラウドが声を張り上げた。
 咄嗟に前を向く。そこには、赤い犬を模した獰猛な獣がこちらへ牙を向けて、今にも飛びかからんとしていた。
「な、なに……?」
「モンスターだ。アンタは俺の後ろに下がってろ」
 クラウドが咄嗟に美月の前に歩み出る。
 背中に差した大剣を抜くと、すっと腰を下げて構えた。同じく、ティファとバレットもそれぞれ構えをとった。
 モンスター――美月はクラウドの背中越しに獣を見つめる。犬でもない、虎でもない。動物の形をしているのに、この世のものではないおどろおどろしい体色。目は薄暗がりに妖しく光り、まさしく、ゲームの中で見るような怪物だ。
「クラウド、ミツキを頼んだわ!」
「ああ」
 目の前で、ティファがモンスターに向かって走っていく。危ない! そう思って瞼を閉じるも、聞こえてきたのは野太いうめき声だった。
「サンダー!」
「おらあ!」
 次いで、いかづちが落ち、銃声が鳴り響く。美月は、その場にへたり込んでいた。
「この程度でびびってるんじゃ、生きて帰れないぞアンタ」
 なにが起きているのか、わからなかった。モンスターが現れたときからすでに、美月の頭の中は混乱状態だったというのに、彼らは己の体や武器を使い、それを倒したのだ。血を流して倒れたモンスターを前に、地面に腰を抜かしている美月をクラウドが乱暴に引っ張り上げる。
「すみませ……。さっきも、助けてもらったのに……。モンスターなんて、見たことがなくて」
 かろうじて取り戻した意識で、よろめきながら美月はクラウドに謝る。
 その言葉に、ティファとバレットが目を剥いた。
「モンスターを見たことがないだぁ?」
「はい……」美月は気まずそうに俯く。
「それじゃあ、戦ったことないってこと?」
「剣も、銃も、握ったことありません」
 誰かを殴ったことも――そこまでは言い添えなかったが、さすがにここまでは誤算だったのだろう。目の前でクラウドの精緻な顔が微かに歪む。
「ねえ、バレット。ミツキにちゃんと説明しないと、このままじゃ危険だわ」
「……けどよ、神羅がいつオレたちの動きに気づくか」
「この状態で先に進んだとして、足手まといになるのは目に見えている。少し休んだほうがいいだろうな」
 一刻も早く先へ進みたくて煮え切らないバレットだったが、クラウドの言葉に、「リーダーはオレだ!」と怒りつつも、美月に説明してくれることとなった。
 この世界は、地中から汲み上げられる魔晄エネルギーというのを使用して生活している。その技術は数十年前に神羅カンパニーによって編み出され、人々の生活の基盤となった。だが、その魔晄は元を正せば星の生命エネルギーでもあり、魔晄を使い続けることは、いわば星の命を削っていくことと同義のようだ。ここミッドガルは神羅カンパニーの築き上げた魔晄都市であり、その被害が顕著に表れている場所である。スラム街に草木が生えていなかったのも、魔晄のせいで土地が枯渇しているのが原因であり、つまり、このままでは星は滅びゆく一方なのだ。
 その神羅に反抗するのがバレットたち『アバランチ』であり、長年続く抗争の末、今日の作戦に至るわけである。
「魔晄……」
 その説明を聞いて、魔晄は石油のようなものかと美月はぼんやり考えた。
「ミツキは、どんな世界から来たの?」
 ティファの問いに、美月は息をついて、長い睫毛を伏せる。
「平和な、世界でした」
 銃よりも剣よりも、ペンを握れ。そんな言葉が浸透するほどの、争いのない世界。こと彼女の暮らす日本では、銃を持つことも剣を持つことも法律で禁止され、世界からは随一の安全性を誇っていた。
 だが、本当に、平和だったのか。美月は自分で口にしておきながら、疑問に思う。
 テレビでは連日殺人や、地球のどこかで起こっている紛争や災害の報道がなされていた。ただ美月が目を向けなかっただけで、原子力だとか環境汚染だとか、魔晄問題と変わらぬ状況がどこかにあったのかもしれない。
「少なからず、モンスターは出ませんでしたから」
 ぎこちないはにかみを浮かべて言い添えると、そっか、とティファが眉を下げた。
 戦力にならない美月は、一番腕の立つクラウドのそばにつくことを条件に、作戦は続行されることとなった。
 たびたびモンスターに襲われるも、なんとか生き永らえながらプレート内を進むと、奥で仲間のジェシーやウェッジ、ビッグスが待ち受けていた。慎重に足を進め、扉の解除装置も難なくクリアしていった。
 残すところは伍番魔晄炉に爆弾を仕掛けるのみ、となったところで、クラウドが突如頭を抱えて蹲ってしまった。
「あの……」
 そばにいた美月が声をかける。
「大丈夫、ですか」
 肩に触れるか触れまいか、迷っているとグローブの手が美月の指先を掴んだ。
「っ……」
 突然のことに、驚いて身動きが取れなくなる。クラウドは、顔を伏せたまま。と、その様子に気づいたティファやバレットが後ろを振り返った。
「おい、しっかりしてくれよ」
「クラウド、どうかした?」
 二人の声に、手を掴む力がふと緩む。
「……いや、気にするな。先を急ごう」
 それまで掴んでいた美月の指先を乱暴に払いのけ、クラウドは立ち上がった。
(なによ、自分で掴んだくせに)
 少々、周囲の状況に慣れたからか、にべもない彼の態度にムッとする美月であった。
 大きな工場の足場を思わせる狭い通路を進み、目の前に伍番魔晄炉がそびえた。繰り返される機械音。鉄の匂いと、土の匂い、それから、纏わりつくような油の妙な匂いが鼻腔を撫でつける。美月は初めて魔晄炉を目の当たりにした。
 美月の上半身ほどはあるバルブのもとに、クラウドが爆弾を仕掛けている。その上を辿っていくと、上部は巨大な釜のような形状をしており、ほのかに緑の光が放たれていた。スラムの街中に浮かんでいた緑の光ととてもよく似ている。
 あれが、魔晄エネルギーなのか。
「おっしゃ、あとは爆破させるだけだ!」
「こっちね。来た道を戻りましょう」
「ああ。行くぞ」
 ぼう、と眺めていた美月をまたしても碧い瞳が貫いた。

「そこまでだ!」
 来た道を戻り、上層部に上がったところで、青い軍服を纏った一団が行く手を阻んだ。
「な、神羅兵だと。どうなってんだ」バレットがたたらを踏む。
 すごい量だ。見えているだけで、軽く十人は超えている。これが噂の……と美月は体をきゅっと縮こめながら、反射的にクラウドの後ろに回った。
「……ワナ、か」
 クラウドが背中のバスターソードに手をかける。
 と、突如辺りに高笑いが響いた。彼らの前に現れたのは、深紅のスーツに身を包んだ、恰幅のよい妙齢の男だった。
「プレジデント神羅⁉︎」バレットが叫ぶ。
「なぜプレジデントがここに」
 ティファも男の姿に後退りをした。
 プレジデント、神羅……美月は小さく口の中で繰り返す。
「ほう、君たちがアレかね。なんだったかな?」
 自分に向けてキッと銃を構えたバレットを見るなり、男は意地悪く唇を歪めた。
「アバランチだ! 覚えておけ! お前は神羅カンパニー社長、プレジデント神羅だな」
 バレットの言葉に合点がゆく。仕立てのよいスーツに高慢そうな顔、いかにも悪徳社長らしい出で立ちだ。
 神羅カンパニーの社長が、どうしてこんなところに。
「久しぶりだな、プレジデント」
 クラウドがバスターソードを構えながらプレジデントを見据える。
「久しぶり? ああ、君がアレかね。アバランチに参加しているという元ソルジャーの」
 プレジデントはふむ、と顎に手を当てクラウドを舐めるように見つめた。
「たしかにその目の輝きは魔晄を浴びた者……」
 美月は眉根を寄せた。クラウドが元ソルジャーという肩書きを持っているということは聞いていたが、魔晄を浴びる、とはどういうことだろう。目の輝きとは、一体――。
「その裏切り者の名はなんと言ったかな」
「クラウド、だ」
 バスターソードの柄をぐっと握り直したクラウドに、プレジデントは、はて、ととぼけた顔をした。
「すまないがソルジャーの名前なんて、いちいち覚えとらんのでな。せめてセフィロスぐらいにはなってもらわんと。そう、セフィロス。優秀なソルジャーであった。そう、優秀すぎる……な」
 後半はほぼ独り言のような言葉だった。
「セフィロス、だと……?」
 クラウドの纏う空気が明らかに変化する。
「んなこたぁいい!」バレットが話を切った。
「もうすぐここはドッカン! だぜ。これで神羅はおしまいだ!」
 悠長に構えているプレジデントをバレットが煽ろうとする。だが、プレジデントは意に介さない。それどころか、「ウジ虫を散らすにはうってつけだ」と鼻で一蹴すると、PHSでヘリを呼び寄せた。
「君たちと違って暇ではないんでね。ここらへんで失礼させてもらおう。なにせこのあと会食があるんだ」
「会食だと……! ふざけやがって」
 プレジデントのほうが何枚も上手のようだ。憤りに任せて銃口を向けるバレットだが、同時に一斉に神羅兵たちが銃を構えてくる。
 やばい! 美月は待ち受ける惨劇に、ぎゅっ、と目を瞑った。
 ――ゴオオオオオ
 だが、銃弾の雨が降ることはなかった。代わりにヘリのプロペラ音に混じって、地響きのような音がこちらへ向かってくるのがわかった。
「君たちの遊び相手はほかに用意させてもらったよ」
 プレジデントの声に、クラウドの後ろに隠れながら美月は恐る恐る目を開く。
 そこには、戦車のような大きなロボットが妖しい光を放ち、こちらへと向かってきていた。
「ひっ……」美月は言葉を失う。
「アンタは下がっていろ」
 クラウドに言われて迷いもなく頷くと、大きく後退った。
 自分の背丈を優に二メートルは超えるであろう大きさ。緑色のボディに筋肉のように屈強な凹凸を纏った不気味な見た目は、物語で読んだことのあるゴーレムに近い。とにかく、こんなもの、見たことがない。
 そのあまりの存在感に、忘れていた感覚が蘇り、美月の足がガクガクと震えだした。
「我が社の兵器開発部が試行した機動兵、『エアバスター』だ」
「……機動兵、だと?」
 一同が騒然とする中、プレジデントは高笑いを浮かべて、ヘリへと乗り込む。
「では失礼。名もなきソルジャー、そして、アバランチのウジ虫たちよ」
 エアバスターを残し、彼は消えていった。
「待て、プレジデント!」
 クラウドがヘリを追いかけようとするが、バレットがそれを止める。
「おい、クラウド、そんな場合じゃねえ!」
「クラウド、これ、ソルジャーなの?」
 バレットの制止に冷静さを取り戻したクラウドは、かぶりを振る。
「いや、まさか。ただの機械さ」
 美月はクラウドの背中越しに、エアバスターと対峙していた。目があるわけもないのに、目が合っているように感じてしまう。その異様な存在感はまさに、未知との遭遇だ。
 戦闘の邪魔にならないように、気を張っていなければならないのに、列車の中と同じく、足が地面に吸いついてびくともしない。
 魔晄炉が稼働しているせいか、辺りはそれなりの温度の高さだ。だが、氷嚢でも当てられているみたいに背すじが冷えてくる。指先が震え、握りしめることもままならない。
「あ、あ……」
 美月を襲うのは、強い恐怖。これまでとは比べ物にならない、思考を食い潰すような重く、激しいその感情の塊に、腰から臀部にかけて妙な熱と疼きが駆け巡る。
「や……やだ……」
 こわい、こわいこわいこわい……!
 死の恐怖。死の絶望。
 美月の中にそれらがはっきりと浮かびあがり、全身を飲み込んだ。
「……っ!」
 ぐらりと歪む視界の中でクラウドたちが武器を構え、エアバスターへと向かっていくのが見える。
 力になんて、なれない。ここから、逃げ出してしまいたい。いなくなってしまいたい。
 だれか、
 だれか……。
「おい、クラウド! あの女がいないぞ!」
「なんだって。まさか――」