第四幕 第四話

 さて、うら若き乙女たちの保護者役を拝命したわたしは、やや緊張した空気の大江戸デパートを歩いていた。
 前には神楽ちゃんと征夷大将軍茂茂の妹、そよ姫が楽しげにあっちへふらふらこっちへふらふら、その光景はなんとも微笑ましい。ちょっとお姫様のボディーガードは荷が重い……と思っていたわたしだったが、神楽ちゃんと、そのへんの女の子がキャッキャとはしゃぐのと同じように笑い合う姿を見ているうちにどんよりとした気持ちは吹き飛んでいた。
 神楽ちゃんが同年代の女の子と過ごしているのを、初めて見たからというのもあるかもしれない。たしかに上等な振袖をまとい、はにかむ仕草さえ洗練された可憐さを感じさせる彼女は武家の、それも江戸のお姫様なのだけれど、神楽ちゃんに連れられてフロアをあちこち歩き回る姿は十代の女の子そのものだった。
 二人並んであっちのぬいぐるみがかわいい、だ、このパフェが食べたい、だ、時折お財布が痛いが、なんとも胸が熱くなる。弛んだ頬もそのままに、「転ばないようにね」とすっかりおなじみの言葉を神楽ちゃんとそよ姫に投げ掛ければ、二人は生返事だけして《水泳人すうぃまあ》という雑貨屋に走っていってしまった。
 原宿にありそうなカラフルな雑貨たちにどこか既視感をおぼえながら、もう、と息をつく。
 ゆっくりと彼女たちを追いかけようとして、斜め前方の呉服屋が目に入った。
 わたしのよく知る江戸よりもはるかに文明の進んでいるこの江戸だが、デパートのイメージはどこかハイカラという言葉が似合う。髷を結った洋装姿の男性もいれば、日本髪に着物や袴を着込んでいる店員もいる。その光景は百貨店のできた明治時代にでも迷い込んだみたいだった。
 以前、土方さんへのハンカチを探す際にやってきたことがあったが、お客さんがいるのといないのとではまた印象が違って、見えないところまでよく見える気がする。もちろん、いい意味で。
 でも、記憶のデパートとはちがう百貨店の店並びの中でも、ひときわ異彩を放つ、そのお店がそうだった。
 異彩というのは、表現が適切でないかもしれない。畳の小上がりがあり、姿見と上等な反物と、いかにも老舗呉服店といった佇まい。本店は京都、創業ウン百年といった貫禄があった。
 普段なら絶対に縁のないお店だというのに、わたしの目は吸い込まれるようにそちらへ向かってしまった。
「きれい……」
 白藍の反物だった。空よりも薄く、海よりも淡く、ほのかに緑がかった可憐なあおいろ。見たこともない、うつくしい色だった。裾には薄い白練色のぼかし染めがあしらわれ、それを彩るように吉祥文様が散りばめられている。
「ようおこしやす」
 ぼうっと眺めていると、わたしに気がついた女将さんがしながかった仕草で反物のうしろから顔を出した。あざとくない、けれど惚れ惚れする仕草だった。
 はっと手を振り頭をさげようとすると、女将さんははんなりと笑みを浮かべたままちょいちょいと手招きをする。
「これ、手描き友禅の一点ものやさかい、よかったらお顔に当ててみはったらいかがどすか」
 京都の人なのだろう、その緩やかな口調についついふわっと気持ちがほどける。京都弁って、いい、なんて頬に手を当てているうちに女将は艶やかに笑みを深めて、わたしをその小上がりのところへ連れていってしまった。
「あ、連れが……」
 おりますので、という言葉もむなしく、さあさと畳にあげられ鏡の前へ。なかなかに関西気質というか、なんというか。したたかである。脳内で銀さんの、あーあ、という声が聞こえてきそうだ。こうなっては断りきれないと心の中で泣いた。
 けれど、女将さんが畳を摺り、その白藍の生地をわたしの肩に当てたとき、なにもかもが吹き飛んでしまった。
「よう似合ってはるわあ」
 あまり、持ったことのない色だった。もっと繊細なシャーベットブルーと言えばいいか、ミントブルーとのあいのこと言えばいいか、青とは言い切れないその生地の色合い。
 思っていたよりもなめらかで、しとやかという言葉が似合う。けれど、ちっとも地味ではなくて、文様のところどころにあしらわれた金糸の刺繍がなんとも上品で洗練された印象を見せる。
 本当に、きれい……。
 言葉が出てこなくなってしまったわたしに、女将さんは変わらず優しく、艶やかに微笑んでいる。
「凛子ォォ、どこ行ったアルか? 大のほうアルか?」
「凛子さん? 迷子ですか?」
 そんな声がしてはっとするが、彼女たちがわたしを見つけるほうが早かった。
「あっ、いたネ!」の声とともに、ダダダッと音が響く。こらこら走らない、なんて思ったのもつかの間。
「凛子、とっても似合うネ!」
「はい、凛子さんのために生まれたお着物みたいです」
 にょきっと両脇から生えるように顔を出した二人に、これをお願いします、とすかさず口にするわたしだった。

 

 その後は屋上の簡易遊園地で遊んだり、レストランでお子さまランチを堪能したり――これはお子さま二人だが――、またまたショッピングに勤しんだり、すっかりデパートを堪能したころには日が傾き始めていた。
「そよ姫とお泊まりしてくるアル!」と、極上の籠へ乗っていった神楽ちゃんを見送り、わたしはひとり帰路へつく。
「買ってしまった……」
 例のアレである。さすがは老舗呉服店というか、なんというか、あれほど素敵なものをふつうの洋服を買うように手に入れられるわけもなく、およそお給金一か月分を吹き飛ばしてしまったのだ。
 財布の中身はすっからかん……というより、えいてぃえむまで走りました。口座の中身まですっからかんです。それでも、おそらく破格の値段なのだ。そよちゃん価格になったといえばいいか、女将さんが反物から着物に仕立てる価格をまるっとおまけしてくれたのだ。おかげで、帯や帯留め、半衿なども手に入れることができた。
 懐具合は寒しいが、でも、実ははじめて自分で手に入れた着物だった。……まだ手に入ってないけど。
 思えばずっとお登勢さんからいただいた袷や紬などを着ていたわけで、着物のすごいところは何年経っても保存の仕方によってはまったく色褪せないところだ。古いものが新しいものになる、本当に素晴らしいものに、古いも新しいもない。身丈が違っても仕立て直すことができるし、渋い色も明るい色も、洋服のそれよりも自分にしっくりくる。お登勢さんのおかげで本当になにひとつ不自由なく、衣食住の衣を充してこれた。
 今日着ている桜色の付け下げもお登勢さんのお下がりだ。あずき色も桜色も、どれも気に入っている。けれど、自分で、自分の働いたお金で着物を買うというのは、なんだかようやく自分の足で立ったようで心が弾む。――懐はすっからかんだけれども。

 大江戸デパートから長屋までの道のりを、巾着を振りながら歩く。そんなささいなひとときも、ちょっぴりすがすがしい。春を感じさせる明るい風が、日暮れの中を通り抜けていく。ほんの少しまだ肌寒いが、道端の河津桜がすっかり満開だった。
「夕飯はなににしよう」
 今にも歌を口ずさみだしそうな勢いで家路へいそぐわたしを、通りがかりの大店の番頭さんがにこにこと見ていたが今日は気にしない。ちょっとどころかかなり気分がいいから、スナックお登勢にでも行こうかしら、と思うが、すぐに懐具合を思い返して、スンッとなる。しかし、万事屋で過ごしたころを思い返せば、たまごともやし生活も苦ではない。
 道筋を進み、四つ辻へさしかかったところで、ふと、うしろを振り返った。
「……気のせい?」
 まだ辺りは明るいし、人通りも多い。連れ合いの男女や、洋装のひつじやさる、子どもたちも近くの川縁から駆けていく。黄昏れ刻、夕餉に向けて棒手振りのおじさんが立っているその前を通り、家へ帰るのだろうか。その雑踏を眺めて、首をかしげた。
 おかしいな、と思うが、なにもない。たしかに、視線のようなものを感じた気がしたのに。その瞬間、蘇ったのは秋の記憶だ。茜色の空が紫だつ紺色に変わる。夜に向けての準備が始まる、忙しないひととき。ありふれた景色が広がっていたはずなのに、ゾゾ、と首すじにまとわりつく、なにか。

 ≪後ろに気をつけて≫

 そう、差し出されたエリザベスのプラカード。

 四ツ辻に立ち尽くす。突如世界が遠くなる。わたしは大丈夫と、思ってきたのに、どっとあの日の光景が脳裡に流れ込んでくる。それはだくりゅうのように、またたくまに思考をのみこんでいく。

 道筋を逸れた先、暗がりから影が生まれる。ぬらりとそれは立ちはだかり、襲いかかってくる。全身に這う蛞蝓、粗暴な手、獣のような吐息と、やけに冴え冴えとした星空。次の瞬間、訪れる重みと、飛沫と――……。

「オイ」

 ハッと我にかえった。目の前に、銀さんが立っていた。
「なんだ、銀さんか……」
「なんだってなに、いや、俺の顔見るなりため息つくのやめてくんね?」
 ぼりぼりと鼻をほじる、いつもの姿――ではなく、額から真っ赤な血を垂れ流している。
「……お化け屋敷のバイトですか?」
「本当にオマエはアレだよ、アレ、ネジがひとつもふたつもぶっ飛んでんだよ」
「銀さんに言われたくないですよ」
 むっと唇を尖らせると彼は手を差し出してきた。
「お金ならありませんよ、今日大江戸デパートで着物を仕立ててしまいましたので」
「いや、ちげーだろ。俺どんなイメージだよ」
「そんなイメージです」
「カァーッ世知辛ェ!」
 血濡れた銀さんの手に、巾着からとりだしたポケットティッシュを握らせる。
「おいおいおい、こういうときは花柄のレースのハンカチって相場が決まってるだろうが」
 まじまじと見つめるそのティッシュには、「キャバクラ☆江麗願好えれがんす」の文字。ここまでくる途中にもらったやつだ。
「なんで銀さんに渡さなきゃいけないんですか?」
「いや、真顔やめて、傷つくから」
「たしかに花柄のハンカチも持っていますけど、なんでお気に入りを銀さんに渡さなきゃならないんですか」
「大事なことだから二回言った? ねえ、そうなの?」
 ったく、色気のねーやつ……とぶつくさぼやきながら、銀さんは滴る血を拭う。当然ひとつでは足りずに、もうひとつ江麗顔好のティッシュを渡すはめになった。
「でも、今回はどんなバイオレンスなお仕事だったんですか」
 神楽ちゃんが言うには、近くの建築現場への手伝いがあり手が離せないということだった。たしか、定春が神楽ちゃんと散歩中にフリスビーを追いかけて突っ込んだ現場を修復するとかなんとかだ。だから、女子二人の買い物にわたしが付き添うことになったのだ。
「ちょっくら便所にジャンプ買いに行ってたら金づちが飛んできたんだよ」
「ずいぶんと品揃えのいいお手洗いなんでしょうね」
「そりゃあな。でもマジで投げてくるとは思わなかったわ。俺じゃなけりゃ死んでたね」
「でしょうね」
 やれやれと乱雑に額を拭う銀さんの手からティッシュを半ば受け取って、代わりに残った血をふきとってあげる。サボってお咎めを食らったとあれば自業自得だ。そんなことだろうと思っていた。――と、ため息をつくと、銀さんの目がじいっとわたしを見ていることに気がついた。
「なんです?」
「いや、お前、いちご牛乳持ってない? なんかいいにおいすんだけど」
 一瞬、逡巡する。しかし、ああとすぐに思い立って微笑んだ。
「そういえば、香水をつけたんです。神楽ちゃんとそよ姫とおそろいの。若い子にはいいけど、なかなか甘ったるいにおいですよね」
 たしか、バニラストロベリーの香りだったか。思えばそのまんまいちごミルクだ。自分ではもう鼻が慣れてしまっていたが、まだにおいが残っていたらしい。目敏い、この場合は鼻敏いか、そんなふうに笑っていると、顔を拭う手首を掴まれた。
「ふうん」
 なにかと思えば、その手を口もとに持っていかれる。正確には、鼻に、なんだけれど。くん、とにおいを確かめた拍子にかかった吐息に、ぞくっと背すじが震える。
「腹が減るにおいだな――って、テェ!」
「変態! セクハラ! スケコマシ!」
「いやいやいや、おまえもうアラサーだろ!? やっぱり処女なの!? ねえ処女なの!?」
「おまわりさん、ここに変質者がいます!」
「いいから聞けエエエエ!!!!!」