日常っていうのは気がついたときには過ぎ去っているものだ。
――なあんて、哲学者っぽいことをモノローグでかっこよく決めた直後に、半身に激痛が走って言葉にならない叫び声をあげた。
「あだ、あだだだだだだ、家入さん、もうすこしお手やわらかに!」
今日も今日とて五条さんから振られた任務だった。
都内のとある学校での呪霊討伐。等級自体はそこまで高くなかったが、瓦礫で足を踏み外した拍子に相手の攻撃。キツい一発だった。
最近はそういうヘマをしなくなっていたというのに、そのまま壁に激突して骨がいくつかおじゃんである。
とっさに受け身をとったことである程度は軽く済んだのだけれど。肋骨のひびと、左肩のなんとか骨の複雑骨折。その他、腹部腰部の打撲。
朝方、高専に戻ってきて医務室に直行。家入さんの治療を受けているいま、反転術式に悶絶ちゅう。
「これでも、だいぶやさしくしてやってるけどな」
「これでェ!? 肩えぐれると思いましたよ……!」
「そりゃ粉々の骨と周辺組織を再生してるから。これに懲りたら、もう少し身体のこと考えるんだな」
骨折程度なら、ちょちょいのちょい。とはいえ、家入さんの術式にも限界がある。
とくにどこそこの骨が完全にイカれてやがるとかなんとか。魔法学校のなんとかポッターも、ない骨を生やすのに悶絶してたもんな……。
ぐわあとかひいとかひたすら叫ぶわたしに、家入さんはいやな顔もせず淡々と治療を施していく。ストレートの髪がさらりと揺れて、わずかにこちらを向いた目もとにはえらい隈だ。
「けがをするなとは言わないから、頻度と期間。こうも酷使してると、いつ骨や神経のほうに限界がくるかわからないよ」
基本的には夜間も待機だもんなあ。交代制で他の術師と勤務しているとはいえ、正規の校医は家入さんだけ。反転術式の可能な人員が限られているのもあるが、ほんと人手不足もここまでくるとどうしようもないな。
「五条さんと上に言ってくださいよう」
「そうか、昇給審査か」
「そ、万年準一級はいい加減一級に上がりたいですからね。できることも多くなるし、給料上がるし。とはいえ、最近あからさまにいろんな任務ふられまくってますけど」
準一級までは五条悟というコネパワーを使ってなんとかなった。でもその先がどうしても進めない。
むかし、お偉いさんに殴りかかったのがいけなかったかなあとぼやけば、
「殴りかかっただけじゃなくて、蹴とばして腕ひしぎ逆十字固めまで披露しただろ」
と返ってくる。
「ちょうど、伊地知とプロレスラーからの依頼を受けてたときだったんですよね」
「ああ、新人レスラーが呪霊に連れてかれて帰ってこないってやつか」
「そうですそうです。でもあれ、もう十年はまえですよ? だとしたら相当、ねちっこいヤツじゃありません?」
とはいえあのときはスカッとした。
連日の骨の折れる(これは文字通り)任務。「京都に行ってこい」と言われて向かったら、総監部の人間の身内だか関係者だかが騒がしくしていたから、ちょっと黙ってもらったわけ。ノックアウトしたとき、勝利のゴングを聞いたね。
もちろん、拳を突き上げるわたしのうしろで伊地知は顔を真っ青どころか真っ白にしていた。夜蛾センは……思い出すだけでも恐ろしいから忘れたことにしよう。
家入さんは「自業自得」と一蹴したあと、治療を終えたのか今度はギプスの形成に入る。板のような白いそれを水に浸し、それからわたしの肩に押しつける。
科学のちからってすごいや。いまや石膏だなんだと大仰な作業をするまでもなく、ものの数分でギプスの完成だもんなあ。だというのに人間ときたら、東京がジャングルだったころから、同じ愛のかたちなんか探しちゃってさ。東京って、ジャングルだったっけ。縄文まで遡れば皆いっしょかあ。
などとくだらないことを考えていると、ギュッと肩を掴まれてヒィと情けない声を上げる。
「とにかく、次はない。せめて一か月、骨が定着するまで粉々にはするなよ」
「あい……わかりまちた……」
家入さんはため息をついたあと丁寧に包帯を巻いていく。
彼女の後方から朝のひかりが射し込んでいた。きらきらと遠い日に何度も見たきらめきがあらわれてぼう然と眺める。
「家入さんは――」
むかしに戻りたいと思います?
『いぢ、いぢち、けつ? けつたか?』
『……いじちです。いじちきよたか』
『きよたか! かっこいーね!』
『きよたか~~~、帰り、プリクラ撮りにいかん?』
『えっ……?』
『だってさ、せっかく池袋なんておしゃれな場所に行くんだよ。遊んで帰んなきゃソンでしょ!』
『あ、クレープも食べたいな。バターシュガーがいちばん好きなんだけど、あれってお店だとめっちゃぼったくりだよね。だから生クリームマシマシにしてアイスとブラウニー入ってるやつにする。それからサラダクレープと、あとタピオカミルクティー』
『(……よく食べるなあ)』
『ねー、きよたか、聞いてる?』
『聞いてる。まずは任務をがんばらないと』
『わたしらだったら、だいじょーぶ! いえいっ!』
『……きよたか、そば、たべてく?』
『……』
『――センパイがあそこおいしいって』
『……いまは、』
『……でも、たべなきゃ』
『あっ、きよたか、きつね神社! お参りしてこ! きょーの任務、せいこーしますよーにー!』
…………。
『五条悟にはなれない。夏油先輩にも家入先輩にも、七海先輩、――ら先輩にも』
ひとは、自分でしか在れない。いくら他人を羨んだって、妬んだって、自分以外にはなれない――。
『かえろ、きよたか』
ピィ――――――と耳鳴がする。
結局、訊ねることはせずに、影を背負った瞳をもたげた彼女に、「なんでもないでーす」と素知らぬ顔で口笛を吹く。
外からは今年度の一年生たちのにぎやかな声がした。開いた窓の向こうに白黒のパンダと目が合って、三人組が医務室へと顔をだす。
「うわっ、また腕吊ってら」
「ありゃいつもどおり、相当悟に無茶ぶりされたみたいだな」
「いくら」
ひょっこり顔をのぞかせる彼らに、ひらひら手を振る。
「きょーの体育は自習でランニング五十周になりまぁす。タイムも測るのでめちゃくちゃ気合い入れてくださぁい」
「げっ、それ自習って言わねえんだよ」
「せめて三十周にして」
「すじこ」
やいやいとにぎやかに好きなだけ言い放題して彼らは去っていく。
「いやー、アオハルですね。わたしもそろそろ赤いジャージにクローズチェンジしようかな」
「おさげに眼鏡で?」
「ですです。おまえら、あの夕日に向かって走るぞ! って」
「うざがられるぞ。というかもはやそのネタが通じない」
やっぱり? 遠ざかる三人の背を眺めながら、ノーモアクライよわたし、なんて唇を突き出す。
そのあいだにも家入さんは包帯を巻き終えていくつか薬を処方してくれた。
「一日三回、いつもより強いから必ず食後に飲むこと」
そう言い添えて、さっさとデスクに向かってノートを開くとカルテを作成する。
「いつから審査受けてんだっけ?」
こちらには視線を寄越さない。
「そーですねえ、たしか高専卒業してすぐくらいだったと思いますけど」
「二十からか」
「ですです。いくら任務出ても上からの『よくがんばりましたで賞』のスタンプがもらえなくて。どうにかこうにか、コネをこねこねしまくって準一級です」
カリカリとペンが紙を擦る音が聞こえて、家入さんの髪が光にまたたく。
「なんでまた、あのお坊ちゃんを助けるためにあんな無茶をしたんだか」
――なんだ、五条悟じゃないのかよ
宵を孕んだきらびやかな髪の下で、ぞっとするほど冷ややかな琥珀がひとりの男を見つめていた。
「若気の至りですよねえ」
「向こうは慣れっこだろうし、助けてほしいなんざ思ってなかっただろうに」
「ごもっともです」
あの眼を思い出すといまでも心臓のあたりが凍てつく。気がついたら総監部のなんたらかんたら「父上に言いつけるぞ!」なんて叫ぶボンボンを吹っ飛ばしていた。
『すみませえん、手がすべりましたあ』
『はっ!? おかしいだろその距離で!』
『あ、こんどは足が』
『アァ――――ッ!!!!!』
あのときの伊地知の真っ白な顔は、思い出すだけで笑っちゃうな。まさしく「終わった」って顔でさ。ま、わたしの円満呪術師人生も無事終わりを告げたわけだけれども。
「習ったばかりのプロレス技を披露したかったんですよ。伊地知にやったら確実に怪我させちゃうし」
「そういうとこあるよな」
「そういうとこ?」
「やる相手をわかってるってこと」
キイとデスクチェアが軋む。こちらを向いて片眉をあげた家入さんに、わたしはニッと笑う。
しょうがないなと言わんばかりの顔で、最後に頬のキズに絆創膏を貼ってくれた。扱いが小学生じみてるなと思わなくもないが、もらった絆創膏を指でなぞる。
「そのきつね、昔から好きだろ」
まさかどうにかこうにか片手でスマホをだして確認すると丸っこいフォルムのゆるキャラがほっぺに鎮座していた。
「家入さん、ラブ!!!!!」
「はいはい、終わったからさっさと帰って」
「つれない!!!!!! でも好き!!!!!!!」
ちなみにわれらが潔高くんはひ弱なので、わたしのプロレス技をくらったら全治五か月とかになると思います、まる。
なんて、そんな日常をしばらく過ごすこと二週間。
「なんでェ???」
ひさびさのオフだった。それはもう歓喜の拳を突き上げながら、徹夜明けの任務から帰路につくはずであった。
高専での報告を終えて新田ちゃんの車で都内の自宅マンションへと送り届けられて、いま。オートロックのデザイナーズマンションのエントランスには場違いなタキシード姿。
また明日ぁなんて、新田ちゃんに手を振ってスキップで入り口に向かっているところだった。
自動ドアの真横に立つ金髪のイケメンのことは、「お仕事がえりかな? お勤めご苦労様です!」なんて心中ねぎらいの言葉を送っていたくらいだ。
これまでも朝帰りのタイミングで、ラウンジやホストで働くお姉さんお兄さんとバッティングしたことがあるから。
「遅いねん」
まさか、この御仁だったとは……。
「えっ、どうして?」
「いくら電話してもつながらんかったやろ」
「え? 不在着信すら……」
やっちまったな。
シャツのボタンもジャケットのそれもはずして。ボウタイすらほどいて、色気むんむん。その彼を前に、思い当たるふしがあって、ぴゅうぴゅう口笛を吹く。
「なんやねん」
「やっ、高専で五条さんと『落としそうめん』してたら、興奮のあまりスマホ落としちゃって」
「はぁ?」
ちなみに「流しそうめん」ならず、「落としそうめん」というのは、その名のとおり高所からそうめんを落とす食べ方だ。
竹を割って流しそうめん機を作るのもいいが、「いますぐやりたい! おもしろいことしたい!」と言う五条さんに付き合って、そうめんを落とした。
結局、「正直、あんまおもしろくなかった」と散々な結果だったわけだが。わたしが「いきますよー!」と調子に乗って校舎の三階の窓から乗り出した瞬間、ポケットに入れていたスマホがぽろりした。
「いやあ、アレだけはウケたよ」
慌てて、そのまま窓からスマホを追いかけようとしたわたしを、真希ちゃんが止めてくれなかったらきっとお空へダイブしていた。五条さんには上記のお褒めの言葉を頂戴したが、全然うれしくはなかった。
「いっつも五条さん名義なんで、今回もお任せしてたんですけど。あ、ちなみに携帯代も機種代もちゃんと五条さんに払ってますよ」
「いや、どこから突っ込んだらええねん。悟くん名義てなに?」
どこからといいつつ、ツッコミの無駄をはぶくセンスはさすがの関西出身か。そんなことを言ったら心底いやな顔をされそうだけれど。
「わたし、いろいろあってローンとか契約って自分の名義使えなくて」
「……どないな人生やねん」
「ねえ? いたってフツーに過ごしてるだけなんですけどね。とにかく、そういうわけで携帯も家も五条さんを通して契約してるんですけど。落としそうめんでスマホも落としちゃったので、新機種に替えてもらったんです」
まあこの原因は昇級審査と同じ理由だろうなあと、突じょガラケーが使えなくなり、半狂乱しながら伊地知の肩をブンブン振った十代の記憶を蘇らせる。
「それとこれと、なにが関係あんねん」
「電話番号、変わったんですよ」
「は?」
「だから、電話番号。ただ機種変すればいいのに、なんか最新機種が安かったからとか。で、乗り換えでもなんでもなく完全、新規」
「はあ?」
「文句は五条さんにオネシャス!」
携帯、替えといたから。ついでに番号も、なんて軽く言われるのにも慣れっこだ。
ガラケーがまったく鳴かなくなった最初のころは、さすがに夜蛾先生に相談して、補助監督に支給される高専用の携帯を持たせてもらっていた。だが、いつまでも、それを使っているわけにもいかず――。
というか、ブラックリスト入りしたことを伊地知にも隠していたのに、教師になってすぐ五条さんにバレて、彼に泣く泣く甘えさせてもらっているのだ。
いろいろあるけど、五条家ともなれば、下手に手出しできないしねえ。
「…………ま、ええわ」
「沈黙が長かったですけど」
「うっさいねん。とにかく、君、賠償金抱えてんねんで。それ、払ってもらわなウチも困るわ」
天下の御三家なのにぃ? はて、と首をかしげようとして、思い切り琥珀色の目で見下ろされて、「ハイ……」と小さくなりましたとさ。
「それで、今回もどこかパーティーですか?」
通学の学生の姿が朝日の中に飛び込んでいく。
こんな朝っぱらから、キラッキラのハリウッドスター顔負けの姿(ただしちょっとエロティック)を見せつけられて、両目を手で覆いながら続ける。
「いちいち気になんねん、その手ェ」
「だって、目がつぶれる……」
「ほお、そないにええん?」
それはもう、容姿だけでいえばそこらの人間なんてみんなへのへのもへじに見えるレベルですからね――と、言おうとして手首を掴まれた。
「おもろいなあ、そんならほんまにつぶしたろか」
セリフがいちいち物騒すぎる。言葉と行動がまったく合ってなくて、掴んだ手をそのまま口許に持っていく。唇がふれるかふれないか、かすかに温んだ吐息が肌をなぞる。
「ワッ、色気!」
「その色気のない態度をどうにかせえや」
「わ、わたしだって十五まではそれなりに!? それなりに恋愛、してましたけどォ!?」
ただ、クラスに男子はおろか人間がひとりしかいなかったんだ。ワクワクルンルン、教室を開けた瞬間のあの衝撃。入学式には寝坊して間に合わなかったんだけど。その時点でウキウキのハイスクールライフは桜とともに散っていった。
いまとなっては伊地知とニコイチさせてもらってますけど。ニコイチって言った瞬間の伊地知の顔を思い出してちょっとキーッとなったけれども。
「とにかく、わたしは徹夜で呪霊を祓って、登校する学生たちをさわやかに見送ったあとは、シーツに包まれる予定だったわけですよ」
それが、今からまたご出勤ですか。せめて仮眠とらせてください、後生ですからお願いしますと地面にくずれ落ちると、ピッカピカの革靴が光を撥ね返す。
「……いまから一時間のドライブや。助手席で寝とき」
長い脚を折り曲げて、わたしの好きなキャラクターのキーホルダーのついた車のキーをしゃららと揺らす。
「ワッ、禪院さんもそれ、お好きなんですか!?」
「うわ、急に圧かけてくんなや。甚壱くんがいらん言うからもらったっただけやわ」
「甚壱くん、このかわいさがわからないなんて!」
甚壱くんてだれだかご存知ないですけども。
「ほんまに、しょうもないねん。君もそう思うやろ?」
「思う思う! めーっちゃ思う!」
いや、甚壱くんだれだ? お友だち? まっいいか!
そんな逡巡のあいだにも、彼はふっと笑って。そう、きれいに――けれどほんのすこしだけ笑って、禪院さんは立ち上がった。

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