まさしく阿鼻叫喚だった。

 つい数十分まえまでシャンパングラス片手に談笑。とある企業の創立ウン年を祝うため、えいこらせとシャンデリアに向けて杯を高く上げて、にぎやかに音頭をとっていたはずだった。
 きらびやかなドレスで着飾ったキレイなお姉さま方は、いまや瓦礫の向こうで無惨にも転がっている。今さっきまで彼女たちがちやほやしていた男性はそこには並んでいない。
 その企業の代表取締役。シルバーのスーツ姿の男性で、裏地はきっとワインレッドなんだ――というのはまあ想像だけど、彼がいわゆるターゲットだった。
 日本各地で頻発する呪詛師一派によるテロ。直近ではとある駅構内での呪霊事件、そのまえはショッピングモールでの襲撃――いずれも規模は小さいが決して無視はできないもので、万が一に備え、高専、そして御三家が水面下で動いていた。
 今回はまさにその御三家に下された密命。呪詛師一派との癒着が疑われている企業への潜入捜査とやらで、ヤダ~、ちょっとスパイみたいでカッコいいじゃんなんて、一丁前にボンドガール気取りで乗り出したのが、まずかった。
 上層部からの指示によれば、今日はあくまで企業側とのパイプを作ること。呪詛師一派の幹部情報を手にできれば御の字といったランク的には比較的軽い部類の任務だった。
 そう比較的、軽い任務。そのはずだった。

 それがまあ一体全体、なにゆえホテルの別館であるパーティー会場が半壊するほどの騒ぎになっているかというと、原因はもちろん、ただひとり。
 ヤのつく自由業の方々のフロント企業だとか、実態はもっとアングラな世界とつながっているとか。あまりよろしくないうわさばかりの取締役代表を今まさにタコ殴りしていた男性である。
 タコ殴りなんて表現はあまりにマイルドかもしれない。実際には彼の持つ相伝術式により、柱を折り、壁を蹴り。
 あらゆる彫刻や鉄筋コンクリートの基礎をも犠牲にしたうえで、目にも見えない速さでお相手は蹂躙されたのだ。
「俺の顔は高くつくんやで」
 それはあくまでナルシシズムからくるセリフではない、と思いたい。潜入とはいえ、禪院家次期当主の男の顔が割れていては、任務の忠実な遂行など不可能だったわけだ。
 男は禪院さんの姿を認めるやいなや警戒をあらわにするどころか、わたしを盾にとり、その場で呪詛師をけしかけようとした。
 一般人相手にいいようにされるか弱い女ではないけれど、腕を掴まれ刃物を突き立てられ、おまけにほかの一般人を巻き込もうとしているのを見たら是が非でも応戦しなくてはならない運命だった。
「今日こそ、おいしいお酒とスイーツを堪能するはずだったのに」
 禪院さんも、「君のお仕事がおわったら、好きにしてええんちゃう」と殊勝にもそんなことを言ってくれていた。だから、任務遂行を目指してえいこらさとサポート役に徹していたわけなのだが。
「一般の方はこちらへ避難してください」
 シャンパンゴールドのキラッキラドレス姿で、ぐちゃぐちゃになったスイーツたちを横目に人員誘導にいそしんでいるなう。
 なうってもう古いか、全っ然、なうじゃないヤツか。これじゃ高専生たちに笑われてしまうななんて、真顔で心中ぼやきながらゲストたちをホテルの本館へと移動させる。
 とはいえ全人員が関係者だ。中には実際になにひとつ後ろ昏いことなどしていない清廉潔白な人もいるだろうけれども、呪術規定により関係者の解放はしばらくあとになる。迅速に一般人を避難させると見せかせてゲストの囲い込みだ。
 高専側にはすでに連絡を入れた。五条さんは任務で留守だったので電話口に出たのは日下部さんだったから、こちらは心配しなくてもいいだろう。
「なんでお前そこにいんの?」なんて日下部さんの第一声には、ごもっともですと遠い目をしたくなったが、それはそれ、これはこれ。この場にも一応、協力者が数名いるとのことだったが、はて、瓦礫の彼方かいずこか。
 たしかに、スパイ映画みたいでかっこいいかもなんてわくわくしていた。
 インカムなんてつけちゃってさ、秘密の合図で突撃しちゃったり、ターゲットとの一糸乱れぬ心理戦しちゃったり、たしかにそんな妄想していたよ? ただ、この状況はちょっと違うんだわ。
 相変わらず、禪院さんは麗しいジャケット姿で亜音速並みのスピードを出してホールを破壊し続けている。
 あれだけきれいに魔法学校のおぼっちゃま級にほつれなく整えられていた御髪も、シャッシャッと風を切るようにして残像を刻んでいる。あっちにいたり、こっちにいたり、さっきのことばじゃないけれど、柱を蹴り、壁を破り、挙句はシャンデリア――。
「危ない――!」
 二十五歳、独身女性。職業、呪術師。近くにいた女性を前に抱えてフライ・アウェイ(的な)。
 華麗に宙へ浮いた瞬間、中学時代のキャンプ体験みたいなやつでビーチフラッグをやった記憶を遠くに思い出した。
 勢いよく飛んだはいいけど、案外、砂が痛くてね、なんて。そのころはこんなMI6の諜報員もびっくりな未来、想像していなかったはずだ。
「君、意外とやりよるんやね」
 女性を助けるうちに、背後に回ってきた呪詛師を拳ひとつで往なして。どこからともなく現れる黒装束の人間たちを禪院さんと待ち受ける。
「それはドウモ」
 などと答えるあいだにすでにその人影は残像だ。ふだん袴と着物により細やかな動きがカモフラージュされているぶん、タキシードのいま彼の全身の使い方が視界の端々に刻まれていく。
 あの速さで、あの軸のブレなさ。トップスピードを保ったままの強靭なパワー。それが術式由来のバフだとしても、軌道を追うだけで美しい。
 だから、そう――それだから。
 こんなはずじゃなかったのに。もっと大人しくパーティー会場を去るはずだったのに。ドレスがヒラヒラしていて動きづらいからとりあえず破っちゃお、なんて、スリットを新たに作成したところで、値段を思い出すまでがセットである。
「あっ、アッ、やっちゃった! ドルチェなんたら、スプリング・サマーコレクション!」
 これだけでわたしの月給数か月ぶん吹き飛ばしても足りないのに!
 や、あの、ちょっとというかかなりアクション映画に憧れました。戦うヒロインっていいよね、と調子に乗りました。
「ッ禪院さん、うしろ!」
 立ちのぼる砂ぼこりの中から飛び出してくる黒い影へとっさにヒールを脱いで投げつける。頭にクリーンヒット、じゃなくて。あの片方だけでも新社会人の月給超え!
 たくましい肉体の向こうに、瓦礫の端で見覚えのある色彩がちらついた。
 床へと伸されていたあの取締役社長だ。形容するのは憚られるが、額や頬からはかなり出血していて、真っ青に目を腫れあがらせたまま小さくできた血だまりの中から這いずり出るよう動いている。
 禪院さんがいま思ったことを当てよう。キッショ、だ。われながらいい線いってると思ったら、目にも留まらぬうちにその彼は男を鮮血へとふたたび転がしていた。
 容赦のない動きで、きらびやかだったはずのスーツの腕を革靴で踏みつける。

「おまえみたいな雑魚は、どうでもええんやけどなあ」

 ――にちり、とイヤな音がする。

「俺の女に手ェ出そ思た時点で――詰んでんねん。次はその手ェちゃんとなおしとき。ま、次まで肝心のお手てが残っとるとええけど」

 そして最後に、「ほな、ご苦労さん」。ひどい音がしたのは断末魔の起きる直前のことだった。
 想像よりも百倍はむごかった。

 

 そんなこんなで、今から恐怖の報告タイムです。
「や~、派手にやったねえ」
 と、革張りのカウチソファーにどっぷり腰を据えるのは大先輩五条悟尊師である。
 長い脚を投げ出して、片手には書類の束、もう片方には胃痛をこらえる伊地知から万年筆を預かる。
 その万年筆もウン十万打とかなんだろうなという突っ込みはさておき、五条さんはおみ足をじっくり組み替える。
「あの連中にはそろそろ飽き飽きしてたから、手間が省けてうれしいことこの上ないんだけどさぁ。ま、この請求書は欲しくなかったかな~」
 そしてそのまえに正座するわたし。痛みから眉を寄せるが、それより止まらない汗をひたすらハンカチで拭うわれらが潔高。
「わたくし、現場に居合わせただけでございます」
「うん、それで」
「アッ、ソノ、ソレデ、ドウニモデキナカッタナ~ナンテ」
「報告書のここに、シャンパンゴールドのドレスの女が破壊した物品一覧って載ってるけど」
「ほんっとうに、スミマセンでしたぁああ!!!!!!」
 高専時代に身に着けた、正しい土下座のしかたをとくと御覧あそばせ。
 かくかくじかじか、先日大暴れしたホテルから賠償請求が届いていた。
 通常は都を通じて都知事ならびに総監部の采配で直接高専に請求がおりてくるかは決まるのだが、いやあまさかね~上からの密命中だしなんとかなるでしょう、ははっと期待していたけれど、やっぱりどうにもならなかったんですね。
 そりゃそうだ、別館とはいえ文明開化の時代の歴史ある彫刻や意匠が残っている建物だというのだから。平安を携えた件のお家からすると赤子も同然だけれど、請求書の金額ひいてはゼロの数だけは確認したくないな。
「でも、でもでもでも、ほとんどあの男が壊しました!」
「君が気持ちよくなって、椅子を蹴り飛ばして壊した絵画の値段、聞く?」
「ノ~~~~~~~~!!!!!!!!」
 五条さんは、「ホント、厄介なことしてくれるよ」と目隠しのまま書類を眺めて手をひらひら振る。
 面談のために使用されている応接室はこのごろ来客がなかったからか、そこかしこに埃が溜まっていた。窓辺から射し込む光にちりがきらきらと光っている。
「保護した猫に手を噛まれるって、こんな気分ってとこね。だいじだいじに育ててきたと思ったんだけどなあ」
「保護猫?」
「こっちの話。ま、今回はあっちが再度の協力の要請と引き換えに、うやむやにしてくれるっていうから、それに甘えるとして」
「エッ!」
「上は僕の監督不行きってことで、うまくごまかしとくよ。ただし、オマエは罰として代わりにひとつ任務済ませてきて。あとそれ終わったらまた僕と反省会ね」
「ずっ、ずみ゛ま゛でん゛でじだああああっ……!」

 特級術師宛の任務を準一級ごときが代役を務められるのかという疑問はさておき(まあよくあることだ)、五条さんは応接をあとにしてその場にはわたしと伊地知だけが残った。

 同期組でこうしてふたりだけで顔を合わせるのはひさしぶりかもしれない。職員室、廊下、校舎内ではよくすれちがうのだけれど、互いに多忙ゆえに用がなければあいさつを含めて二、三言程度でグッバイだ。
 静まりかえった室内で、革張りの三人掛けソファーに背をあずける。ここに京都校のおじいちゃんでもいれば、眉を跳ね上げてたっぷりとしたひげを震わせるのだけれど。あいにく、ここにはわたしたちだけ。
 「……大丈夫ですか」
 時計の秒針の音が聞こえてきそうだった。代わりにやがて落ちてきた声に寝ころんだまま、左手を上げてひらひらと振った。
「相談しにくいようなら、私から夜蛾学長のほうに伝えておきますが」
「ンー、ダイジョーブ」
「……無理しなくて、いいのではないですか」
 顔の上に載せていた呪術高専の歴史とやらをずらして、伊地知を見上げる。ソファーからは遠くない場所に立っていた。けっして遠すぎず、かといって近すぎず。学生時代からの変わらない距離だ。
 やわらかな声色に比べ、垂れた眉はわずかに寄っている。
「ムリしてこそでしょ。まさしく、今でしょ!――でしょ!」
「ですが」
 家入さんなら、「でしょでしょうるさい」と一蹴するところを。君は、あいかわらずやさしいね。声には出さないけれど同期の顔をみて小さく頬をゆるめる。
「わたしがムリしないで、だれがムリするってのさ。ただでさえみんな手一杯なのに」
 五条さんがいるあいだはいい。けれど、そのあとは――?
「あのひといなくなったら、加茂と禪院とその他のやんごとなき御家と争わなきゃいけなくなるんだしさ。いまのうちに、できることをしとかないと」
 新しい一年も入ってきたことだしと、分厚い本を持ち上げる。
「使えるものは使えってね。泥臭くてもいい、生き残ることを考えろって。夏油さんが、一回だけそう教えてくれたからさ」
 五条悟の誕生以後と以前で呪術界の相関図は変わった。
 高専にとっては吉兆かもしれないし、悪夢の前日譚となったかもしれない。均衡は崩れ、おかしなパワーバランスのまま時間は進んでいった。眼前に広がる平穏など、五条悟という船があるからかろうじて形を成しているだけ。
 星漿体の暗殺、呪霊操術をもった術師の離反。あらゆる過去を経て、呪術界はいつ破滅の洪水が起こるか、だれが引き起こすのか手をこまねいている。

 ――やわらかな低い声で、おだやかに告げられたことば。
 あのときも射し込んだ光が宙に舞う塵芥を瞬かせていた。闇を抱いた長い髪がまだきっちり結い留められていた。光に輪郭を失うその儚さをいまでも憶えている。
 あのひとは笑っていたっけ。どんな顔をしていただろう。わたしは、わたしと伊地知はにぎやかな高専というものを知らない。
 ――ほんとうに?

 いつもどこか真綿で包んだような静寂がすぐそばにあった。それはやさしそうに見えて、人を窒息させかねないものでもあった。大人になってはじめて子どもたちが無邪気に笑うのを目の当たりにした。
「そのときはわたしだけのことだったけど。もうひとりで勝ち逃げするわけにもいかないじゃん?」
 守りたいものができたのは悪くない。ありていな言葉だけれど、守りたいものがあってこそ人間は強くもなれる。
 夏油傑――高専に入学して、判明したばかりの術式も体術もさっぱりで、けれども討伐に挑まなくてはならないわたしに唯一、守るすべを教えてくれたひと。命を投げうてばいいってものじゃない。

『だれかが犠牲になって救われる世の中に、意味を生み出したところでだれも救われないのだから』

 そのときあのひとは、なにを見ていただろうか。ついぞ、屈託なく笑う姿を見ずに別れてしまった。
 歴史書にはまだ彼の名は刻まれていない。彼の名は、術師としてのかの先輩の名はもうここにはないのだから。
「……とはいえ相手が悪すぎる」
 だよねえ、とぱらぱら本をめくりながら笑う。
「ま、案外あのひとも、いいところあるんだよ? 無茶苦茶だし、五条さんになんだかんだ張り合おうとしてるけど。そういうの隠してるつもりかもしれないけど、隠せてないのがなんかいじらしくてさ」
 記憶の中よりずいぶんくたびれてしまった姿だ。わたしも同期も。伊地知は眼鏡のブリッジをしずかに押し上げた。光に反射して、レンズの向こうははっきりと見えなかった。
「昔から、男性を見る目だけはなかったでしたね」
「ははっ! いいよいいよお、潔高! いざとなったら、一緒に地球の反対まで逃げよーねえ!」
 はあ、とため息が落ちる。
 その彼とはうらはらに読みもしない本をただ開きながら鼻唄をうたう。

「……そう言って、逃げたためしなど一度もないくせに」

 こぼれた音は、聞こえなかったことにした。

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2026年3月25日Money Talks