「えっ」
銀座に来たら百万――その言葉に釣られて指定された場所に着くと、すでにあの男の姿があった。
銀座の一等地にあるカフェ・テラス。昨日と同じくタキシードに艶やかな蝶ネクタイを締めて、太陽に瞬く髪を撫でつけている。
「読者全員サービスは前回で終わりじゃないんですか……?」
「なんやねん読者て。しょうもないこと言うとらんで、さっさと座れや」
読者は読者なのだが……。懐かしいなあ、ちゃおの全サ。グロスとかコロンとか、あったよね。それはそれとしてここはレッドカーペットですか? もしかして、このテラスの一角だけオスカー授賞式ですか?
アイアンのガーデンチェアに頬杖を突いて、いかにも大義そうな様子でどっぷり椅子に腰掛けていた男はわたしの姿を見るや顎で前の座席を示した。
「同じテーブルにすわるの、イヤなんですけど……」
「はあ? 君そないな指図できる人間やった?」
「……ナンデモナイデス」
呼び出したのはそっちなのに、どうしてそんなに不機嫌マックスなの!? こちとら昨晩の(心の)傷がちっとも癒えていないというのに。
われらが潔高は都庁へ行ったきり帰ってこないし、助けてくださいと家入さんのヒールにすがりついたら、「反転術式の無駄遣いだな」と容赦なく一蹴されるし。
挙句、あの白髪目隠しのいけすかないグッドルッキングガイは、わたしの隠していたとっておきのお取り寄せお菓子をわざわざ見つけて、ありたけ腕に抱えて職員室を去っていったし。
わたしのデスクは盗賊に遭ったみたいに、あらゆる引き出しの中身が空っぽでしたとさ。
すべてお菓子だったんかいという突っ込みは置いておいて、とにかく目の前の御三家、おさわり厳禁、関わったら最後、懲罰部屋行きとうわさの禪院家のおぼっちゃまだ。
まばゆい太陽の光の中で、機嫌悪そ――ゲフンゲフン、しずかにどこかを眺めている姿はたいそう絵になる。
そういえば、高専時代も似たような場面を見たことがあった。
京都校での交流会のときか、周囲が五条さんの学年の試合に夢中になるなか、ひとり離れて椅子に座りながらモニターに映し出されたフィールドを睨みつけていた。
高専所属でもないし、なぜこのひとここにいるんだろうと思ったのもつかの間。音もなくその場から消えていた。あのときの午後の光を浴びた横顔を今でも憶えている。
そのときは数メートルはおろか十メートルくらいは離れていたと思うのだけれど、それがいまや同じテーブルでたった三十センチほどの距離にいるのだから人生なにがあるかわかったものではない。
「朝帰りでもなさったんですか」
「あ? んなわけないやろ、こっからまた一個仕事やねん」
正面に座るのは(視界に入った瞬間、殺されそうなので)憚られ、おずおず隣のイスを選ぶと、「くそだるホンマに殺したろかな」などと端正かつ高貴な顔立ちからそんなことばが飛び出してくる。
や、それ、わたしのことじゃないですよね? 仕事のことですよね? テーブルの温度はダダ下がりである。春の陽気の中でひとりだけブリザードを浴びているみたいだ。
やだよ~~~~おかあさん、わたし帰りたいよ~~~~~なんて。十年近く会っていない両親の顔ではなく夜蛾学長の顔を思い出して、つい手に掲げてきたカバンのキーホルダーを指先でいじる。
もじもじ、いじいじ、キラキラと影の底でもまたたくクリスタル。いつかどこかで買ったのだけれど、……どこで買ったんだっけ? っていうのはさておき。なんだかんだ、気に入っていつもつけている。
丸っこいフォルムのアニマルモチーフに、今日もかわいいでちゅね~~~~とスーハー無機物のにおいをたしかめたい気分になったが、ブリザードの中では致し方ない。まったく春なのによお! 向こうのテーブルからは相変わらずの灼熱の視線なのだから、さらに居た堪らない。
陽光に輝く金糸に、すべらかに光の粒子が転がる鼻梁。これから仕事なら、平術師のわたしなんか呼ばずにリラックスでもしていればいいのに。
わたしだったらそうしてるね。自宅のソファーか、あるいは高専の職員室で五条さんが任務なのをいいことにチェアを奪ってベッドにして横になるんだ。
顔には読みかけの(読んでない)本を開いたまま置いて、見かねたわれらが伊地知潔高が、「またそんなところで」なんて呆れをにじませた声を落とすのをへらへらしながら受けとめるのだ。
五条さんといっしょで、精神統一とか準備運動とかそういうのは必要ないタイプなのだろうか。そういえばこのひとが戦っている場面をまともに見たことがない。
そもそも御三家の人間はSSR級のレアだ。それこそ、本家筋の後継ほどの立場ともなれば、SSRどころか、ショップで一千万はくだらないなんとかカードのプレミアムレア並み。いいなあ、わたしも御三家じゃなくてレアカードがほしい! かわいい女の子のキラキラしたやつ!
五条さんが近くにいるから感覚がバグるけれども、そういや御三家ってそういうものだよなあと精緻なご尊顔を眺めながらしみじみ思う。
午後の日差しがアイアンの黒テーブルの上へ光を投げ出していた。まもなくギャルソンがメニューを持ってきて、アイスコーヒーを頼もうとすると視線がこちらを向いているのに気がつく。
「……ナンデショウカ」
琥珀色がわずかに細まったのもつかの間、へえ、と禪院さんは唇をひしゃげる。
「君、しっぽ巻いて逃げると思たわ」
案外、肝座っとるんやねと、上司の軽薄さとは異なる妙に明るいざらついた声に唇をちょんと突き出す。
「そりゃあ、腐っても高専の人間ですから」
いや、全然、逃げたかったですけど。三十六計逃げるにしかずとはよく言ったもので、宛名のないメッセージだったから知らんぷりをして任務に飛び出すという手もあった。
だがしかし、いつもは猫の手も借りたいほど激務かつ多忙なくせに、今日だけは午後のスケジュールが真っ白だったわけ。これにはさすがに恣意的なものを感じて、七海さんに電話しようと思ったね。電話して、結局、出てくれなかったけども。
七海建人はそういう男だよ……。そんなこと言うと猪野氏にしこたま怒られそうだが。わたしと五条さんからの着信はとりあえず取らずに留守電が入るまで様子を見るってヤツ。
いつだったか、酔っ払って深夜二時にご機嫌コールをしたのがいけなかった。五条さんから、「ついに職場の先輩後輩ってことは、この儀式をやらないとね」と。
わたしも実際、五条さんから深夜のハイテンション電話を何度も受けてきたから、本当だと思ったんだ……。ほら、高専ではまともに先輩後輩なんて仲良しこよしする雰囲気じゃなかったし。
「ついに訪れた大人のアオハル!」なんてウキウキワクワクテレフォンショッキング回は、その後しばらく七海さんに着拒されるという凄惨な現実となってかえってきたとさ。
それで、なんだったっけ? あ、そうそう、とにかく五条さんとさらには夜蛾先生にまで送り出されては逃げ道もなかったわけ。泣く泣くここまで来たけれど、百万、そう百万円さらにくれるというから。
お茶くらいならと思って、メニュー表をATフィールドがわりに禪院さんをのぞきかえす。なんですか、と文句を言おうとしたところで、ちょうど目の前の麗人が鋭く視線を流してギャルソンを呼び戻した。
「なに」
なにて。関西弁だからかそれともこのひとだからか、問いかけなのにクエスチョンマークがつかないイントネーションだ。
「え、と、アイスコーヒー」
いますぐメニュー表のこちら側に隠れてしまいたい。気持ち肩を縮めつつチラチラうかがうと、彼は返事もせずにやってきたギャルソンに、「グアマテラ、アイス」と告げた。
「ミルク? それとも砂糖?」
「ブラックで……」
「ほなそれで」
メニューを預かり、恭しく一礼して去っていくベストの背を見送り、そっと前を盗み見る。
「なに」
「いや、そういうの、されるんだなあと思って」
「そういうの、て」
「こう、スマートに注文するとか?」
ちょっと、いやかなりドキドキしたっていうのは内緒だ! だって、高専時代の彼といったら、老若男女問わずだれかを敬うだとかだれかのためになにかをするだなんてまっぴらごめんといった調子だった。
まず、初手に顔を合わせたとき、「へえ、今年はお顔で選んだんやないんやね」だ。
たしかに、五条さん世代も、七海さん世代も顔面偏差値が爆上がりの時代だった。世が世なら、「顔採用世代」と言われてもおかしくなかった。
とはいえ、実際にはそのお綺麗な顔に油断すると心底痛い目に遭う恐ろしい世代でもあったわけだけれど。恐ろしいと思っていたころが懐かしいなとセンチメンタルを感じながら、もごもごと言い淀みつつおしぼりで手を拭う。
ジャケットの内ポケットからスマホを取り出した彼は、「そらな」とにべもなく言った。
「君らとは育ちがちがうねん」
「……それはたしかにそうですけど」
でも、言っとくけど、うちの潔高だって負けてないかんね!?!?! 常に胃痛を抱えているけれど、五条さんからのお土産があれば真っ先にわたしの好きなやつを死守しといてくれるんだから!
疲れてソファーから一ミリも動けないときは、出前のそばを電話で頼んでくれる。もちろん、あったかいおあげふわっふわのきつねそばだ。
そんなこんなで勝手に保護者ヅラをしながら脳内で伊地知くんと禪院くんを戦わせていると、彼はスマホを懐へしまい直してそのまま席を立った。
「えっ、いや、いまアイスコーヒー頼んだばっか」
「そんなん泥水、わざわざ飲まんでもええやろ」
「全世界のコーヒー愛好家にケンカを売ってる! というか、禪院さんも飲んでたじゃないんですか!?」
「はあ? 俺は外でホイホイ飲み食いしやんねん。知らん人間が作たヤツとか、キショくて食べられへんやろ」
じゃあなぜカフェに!? と突っ込みが追いつかないうちに、たくましい手がマネークリップから万札を取り出してテーブルの並々残ったままの陶器のカップの下へと挟みこんだ。
まばゆい陽光の中へと金糸が溶け込んでいく。
「ぜったい、うちの潔高のほうがいい男」
だってわたしが飲み終わるまで、一時間でも待っててくれるもんね!
任務で奥歯を三本ヤッちゃったとき、あまりに痛くてちびちび飲む同期にひと言も文句を言わなかっ――。
「ちょ、あの、これからどこ行くんです!?」
待ってくださいと追いかけるわたしに向けられた視線、プライスレス――なんて、言えたらいいなあ。
そんなこんなでやってきました、都内のとあるホテル第二弾!
連日の宴会で読者は飽き飽きだろうよ、と脳内でふてくされる二十五歳児をよそに、これまたぴっちり撫でつけたオールバックでテーラードのタキシードを着こなす御曹司が隣に立っています。
胸からのぞくチーフは超最高級、一枚ウン十万するような白のシルクだ。
なぜ値段を知っているかというと、ゴートゥーザホテルのビフォアに、ブティックで突然の「この中で一番高いやつ選ばないと帰れまテン!」が始まってしまったからである。
当然、禪院のこのひとがそんな陽気なことを言うわけがないので、脳内で突如、五条さんが叫んだのですが。
まあとにかく、ブティックに着くやいなや――「これ気にくわんから、新しいやつ選んでくれへん」とかなんとか。
そのたったひと声で、血反吐を吐く思いでまったく同じに見える白いハンカチーフからとっておきの一枚をピックアップしたのである。
白って百通りあんねんと大阪のなんミカさんの顔が店員さんの背後に浮かんでいたのは幻覚だったと思いたい。
隣に立つのは、一流ブティックも三ツ星ホテルも似合う男。
ツンとやや上向きに前を向いた顎。涼やかな目はわずかに細めて、目尻はラインを引いたように天へ駆ける。
それがなんともいつものいけすかない傲慢さを感じさせるが、いかんせん顔がいい。
得体の知れない恐怖を感じさせる目つきをしておきながら、聡明そうな、けれど少しあどけなさの残る額があらわになっているのも正直高ポイント。
顔採用ではないけれど、禪院家ってもしや一族名乗るのに顔審査とかある?
「それで」
「あ?」
「これは一体」
と、いうわけで。
黒塗りの車中でエアコーヒーという苦汁を飲まされながら銀座を連れ回され、二日連続のドレスアップである。
昨日の無難なブルーのフォーマルドレスではなく、今日はなんと淡いシャンパンゴールドのロングドレスだ。しかも、ご想像のとおり禪院直哉セレクト。
もっと派手なザ・ワインレッド! などを選ぶかと思ったのだけれど、ブティックの豪勢なカウチソファーにどっぷり座りながら、ドレスを着たわたしを見るや「次」「色が下品」「あかん露出多すぎて貧相に見える」「胸なさすぎひん?」だなんだと文句を飛ばして選んだ珠玉の逸品だった。
「まァ、悪ないんちゃう」
つま先から頭のてっぺんまで、さっと一瞥して薄い唇を意地悪くひしゃげる。
「それは……ドウモ、アリガトウゴザイマス」
「悟くんの選んだヤツより、俺のがマシやね。悟くんにもできひんことて、あったんやなあ。ようやっと君もスタートラインやわ、おめでとう」
なんのスタートライン? というのは、絶対に訊かないことにして。
さりげなく差し出され肘に戸惑っていると、「そのお留守の手ェを置くんやで」とひと言。
「ほんまトロすぎやろ、今までどうやって生きてきたん」
「ぐう……。エスコートなんて知らない人生……プライスレス……」
「安い女やな」
とまあ、二言も三言も余計な文句を追加で付け足されながら、不承不承そこへ手を伸ばす。
たくましい、がっしりとした丸太みたいな腕だ。そんな表現をしたら、刺すような眼で見られるかもしれないけれど。
またひとつ、禪院さんの琥珀色の瞳がわたしの全身を検めた。けれども、ふしぎと舐めるようないやらしい視線とはちっとも思わなかった。
ゆっくりと、透明なグロスの塗られた唇がかすかな弧を描いて。
「勝利の女神が微笑むとええなあ?」
このあと? それはもうジェームズ・ボンドもイーサン・ハントもびっくりな妖艶美女の活躍でパーティーは幕を下ろしましたよ。
「うそつくなや」
訂正――イタリアンマフィアみたいな男がみごとパーティーをぶち壊していきましたとさ。めでたしめでたし。
えっ、めでたしめでたしじゃない? まだ続くの!?

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