五条さんに引きずられて泣く泣く参加したパーティーだった。比喩でもなんでもなく、ほんとうに首根っこを掴まれて高専のある西東京からグッバイ。
仕事用のブーツの踵がズズズと地面に容赦なく軌跡を刻んでいたとか。仕事用とはいえ、特級呪霊に踏まれても大丈夫! の宣伝に惹かれて、数か月分のお給料つぎ込んだだけどな、なんて。
そんなうらみつらみはさておき、あの白髪目隠しの男に連れてこられたのは都内のとあるホテル。
「高専への献金、一千万集めるまで帰れまテン!」
などとふざけたゲームをふっかけられたわたしは、引きつる顔をどうにか人間のそれまで戻して壁際まで逃げ込んでいた。
シャンデリアの瞬く大ホールは、芸能人の結婚披露宴や政治家の開催するナントカパーティーといった催しものが似合うような豪華絢爛そのもの。ホール内にはドレスアップ姿の、人、人、人。
真っ黒いパラシュートパンツとショートパーカーというユニフォームから着替え(させられ)て、ドレスを着ているから自分もその中のひとりではあるのだけれど。
「一千万なんて、ムリ~~~~~~~~」
いやあ、ね? お金が必要なのはわかる。それくらいは常識知らずと言われる呪術師であってもわかっているんだわ。
都立呪術高等専門学校という名前のとおり、腐っても高専は公営機関。国や都から助成金が出ているとはいえ、その額などたかが知れている。
その上、万年人手不足なくせに労災やらなにやらで秒ごとに資金とおさらば。その中には、白髪目隠しのだれかさんが、ちょっと「赫」みたいなアレで吹き飛ばした道路や橋の補償費用も含まれているのだけれど。
わかる、お金は大事だ。なにかあっても札束をデッカいアタッシュケースに入れて机の下から「スッ」と取り出せば、たいていの問題が解決しちゃうもんね。そして、少なからず自分がそのお金を必要とする側の人間であるということも。
いたいけな教え子たちに、「(その身体で)稼いできてね」なんて言うわけにはいかないもん。うんうん、わかるよ、資金調達は大人に任せなさいってね。ちょっとカッコよくポーズなんか決めちゃったりしてさ。おまえたち、先生といっしょにあの夕日へ向かってダッシュだ! なんて。
赤ジャージに身を包んで、夢と友情いっぱい(ラブもほんのりあるよ!)の青春ドラマを脳内で描きつつ、周囲の男女をものともせずテーブルにグラスを積み上げていく家入さんの姿を遠く眺める。
こちとら、パーティーといったら同期の伊地知としずかにショートケーキへろうそくを一本刺して、仲良くフーってしたくらいだ。それってパーティーなの? といった突っ込みはさておき、呪術師というのはたいていそういうもの。
中学の同級生なんてヴァンサンカンを機に第何次結婚ラッシュとベビーブームを迎えたらしいけれど、こちらの世界に足を踏み込む覚悟を決めたときから「ふつう」とは決別した。
引きずり出す人員のミスをしている。討伐任務に補助監督どころか窓でもない、そこらへんの散歩していたおじいちゃんを連れ出してしまうくらいありえない間違いだ。まだ、赤ちゃんを連れてきたほうが一攫千金のチャンスはあった。
そのくらい六眼で見抜けなかったのかという文句はまあ置いといて、あの傍若無人の五条悟ムーブに抗うなどできるはずもなく。
仕方なく、そう仕方なく、営業モードマシマシ、猫どころか(気持ち的に)虎をかぶって、いざ社交界の花になったわけだけれど。
結果は惨敗。
人類がわたしという人間の魅力を理解するにはあと百年早かった。
勇気を出して声をかけた男性には、「あ、ああ、ドモ。や~、いい天気ですネ、ホント、曇天のなんとすがすがしい……」などと、とんちんかんなお断りを入れられ。
目が合ったが最後、チャンスだ! とシャンパン片手に意気揚々と会話の輪に飛び込もうとすれば蜘蛛の子を散らすように輪が解散する。
「ヤー、オマエなら余裕でしょ、余裕余裕。お酒飲んで、ちょっと会話するだけの超カンタンなおシゴトだって」
なんて、五条悟は言ってたじゃん! 仮にも準一級、一千万、すぐ稼げるよって! 稼がないと帰ってきちゃダメだよ、って! オマエの席ねーからを遠回しに軽~~く突きつけられたわけだけれども!
現実はそう甘くはないってコト。そういうわけで早々にバトルを諦めていそいそ壁際まで退散してきたのだ。
ギンギラギンにさりげなくスパンコールが輝いてるクラッチバッグ片手に、お守りにつけてきた丸っこいキーホルダーを指でいじって。
一千万については潔く土下座をするとして、せっかくだからおしゃれなスイーツでも食べて帰るかと何杯目かのシャンパンに手を伸ばしたときだった。
「なんで、ここにおんねん」
なめらかな黒のタキシードに、かきあげたシャンパンゴールドの髪。
丸い額と、それとはうらはらにまなじりはつうと天を目指している。薄い唇は引き結ばれ、なんとも不機嫌そうな表情な顔を浮かべていけすかない御三家の男が立っていた。
「や、それこっちのセリフです」
「はあ? 俺が先に訊いとんねん、そっちが答えるんがジョーシキやろ」
「それはたしかに」
わ、このひとに常識を説かれるとは不覚である。五条さんに説かれる次くらいにショックだ。
いつもの書生服ではなく、映画みたいにぴったり肉体に合ったジャケット姿。なんとなく知っていたけれど、想像より、その、エエ身体ですね……。
「というか、ひさびさの再会なのに相変わらずひどい……」
「こっちがなんぼ探したところで、悟くんのうしろでこそこそ金魚のフンしとるやろが。えらいよう回る口やな」
「ええ……五条さんのフン……」
それはいやだなあと思いつつ、わたしが手にするはずだったシャンパングラスをクイッとあおる男に唇を突き出す。
「それで、君のような万年一級崩れが、こないな場所でなにしてるん」
ぬっと大きな影が目の前をさえぎった。さらりと横を通り過ぎた給仕係のトレーにグラスを戻して、壁に背中をごっつんこしていたわたしをその身体で覆い隠したのだ。
「わ、あ、こ、これが、世に言う壁ドン……!」
「そんなんええから。どないして、いつから、だれと、なんのために、どうやって、君がここにおんねん」
ヤクザの5W1Hだろうか。効果音にすればズモモ……なんて背後の影が増大していくヤツである。こんなにも胸がキュンとしない壁ドンがあるだろうか。わたしのほうが伊地知にうまくやれる。
「五条さんに連れ出されました」
「あ゛?」
「五条悟大先輩に、連れ出されました」
「なんで、そこ言い直すねん」
気にするところはそこだろうかとクラッチバッグを抱きしめて影の中で小さくなっていると、禪院さんは整えていたはずの髪の毛をぐしゃぐしゃにした。
「せっかく、ディカプリオみたいでかっこよかったのに……」
「ディカプリオより俺のがかっこええやろ」
「それはその、ノーコメントでお願いします」
盛大な舌打ちをくらったのもつかの間。彼はきらびやかやな会場を細めた目で見渡すと低い声で訊ねてきた。
「で、いくらなん」
「え?」
「ほんま、愚図やな。献金、君いいように悟くんに駆り出されたんやろ、ノルマなんぼて訊いとんねん」
聞き間違いだろうか。スムーズにことばのキャッチボールが進んでいることに感動したいところだが(本当にスムーズかはさておき)、このときのわたしといったら、はじめて五条悟を見上げる三歳児よりもまぬけな顔をしていただろう。
「い、一千万ですけど」
「ほな、それで」
なにが?
ヘルプ、五条さん、ヘルプ! 御三家独自の通訳、求む! だがしかし、遠くに頭ひとつ分抜きん出た白髪を探そうとして、ハッとする。
「いない」
「ああ、悟くん? さっきすれ違たけど、もう帰る言うてたで」
まさかのまさかである。
「一千万、もう集めたの……?」
いや、たしかにあの顔にかかれば一千万や二千万、それどころか一億、さしたる金額ではない。五条悟の名のつく通帳を目の当たりにしたところで意識が宇宙に吹っ飛ぶ自信がある。いやほんとに。
シャンパンもないしお腹もすいたし。慣れないピンヒールを履いた足もそろそろ限界だ。
尖ったつま先を眺めながらこっそりため息をつくと、鼻頭のあたりに視線を感じた。
「なんです――」
か、ということばは、食べられてしまった。
あらわになった額と秀でた鼻梁と、淡くも深き底はかとない虹彩。ふわりと掠めるのは整髪料の人工的なかおりとわずかに伽羅のような渋いかおりと。
わたし、御曹司といったら花沢類派だったのに……。
鼻先が触れ合う。くちびるまであと僅か――なんて思っていると、スッと離れて、たくましい指で思い切り鼻をつままれた。
「えらいあほヅラやな」
「ンンッ」
いちおう、女の子なんですけど……? そんな文句はこのひとにはノーダメージだった。高専時代、たまたま京都校でバッティングしてしまったときから、それは変わらない。
いたい、と涙目になって抗議すると禪院さんは琥珀色の瞳をそっと細めて唇を薄くした。
なんだか満足げに見えなくもない顔つきだ。まったくこちらの気も知らないで。
それにうろんになっているあいだに、次は手がはなれて――今度こそちうっと、唇を小さく噛まれた。
「……!」
小鳥なんてかわいい生物、このひと知っていたんだろうか。猛禽類とかあるいは蛇とかそういう類ではなかっただろうか。
とにかく、カワセミが水面をつつくみたいに、軽く食んで、それから唇を舌でなぞって。わずかに開いたすき間からねっとり吐息を奪われる。
美容室で塗りたくられたルージュは彼の血の気のない唇に真っ赤な痕跡を残していた。
「その色、ドギツすぎてキッショいで」
「~~~~~~!!!!」
はくはくと口を開いたり閉じたり、喉の奥で罵詈雑言を溜め込んでいるわたしをよそに、「眠いから帰るわ」と彼は鼻笑いひとつで去っていく。
ほなそういうことでと手を振られたけども。
「ちょ、ちょっとぉ!?」
術式でも使ったんじゃないかというほど、人のあいだを音もなくタキシードの背中は遠ざかっていった。
「わたしのファーストキス……」
言うまでもなく、パーティーはその後も悲惨だった。
「いやぁ、まさか禪院家からお金をふんだくってくるとは! さっすが僕の同僚! んもう、悟くん、ドキがムネムネしちゃうッ」
次の日、気だるさから職員室のデスクで項垂れていると、しなを作りながら五条さんが入ってきた。
ちがうんだなあ。いま、求めているのは我らが心のオアシス、高専の良心こと伊地知潔高であって、グッドルッキングガイではないんだ。家入さんか七海さんでも許そう。だが、五条悟……さん、おまえはダメだ。
「……は?」
「え?」
「ん?」
「ン?」
こてんと小首を傾げる姿も、こ憎たらしいがさまになる――じゃなくて。
「今なんて」
「え、だから僕の胸が」
「そこじゃなくて」
「さすが僕の同僚?」
「そこでもなく」
「ああ、禪院家からってとこ?」
結局、全部リピートさせるじゃん。余すことなく再現させるじゃん。
とにかく、禪院家からお金をふんだくった? どういうことかと薄目で目隠しの向こうを見つめていると、パチン、と指をひと鳴らし。
「伊地知、例のやつ」
「……われらが潔高、五条さんの尻ぬぐいで都庁です」
「なんだよ、使えない。帰ってきたらその足で追加の書類、永田町に持ってってもらお」
「そろそろ、マジで胃に穴が開くからやめてあげてください」
ちぇっと二十七歳児のふてくされモードを披露しながら、わたしの顔の横に長い腕をのばす。
背後からマウスを動かして、キーボードを片手でタタタン。
「ぜんいん、なおや……」
モニターに映し出されたのは、高専所有の銀行口座のページだった。
「いっせんまんえ〜ん」
「タケコプタ〜、じゃないんですよ。これ、どういうことですか」
まさかの展開だ。新手の詐欺か? 親の病気の治療費が必要だからって振り込んだのに、女の子がホテルに行かなかったらキレられるやつか? いや、あの人がしょうもない万年準一級のぼんくら女をそんな用途で必要とするはずがない。
あっ自分で言ってて悲しくなってきちゃったな。そもそもわたしの男性経験の少なさはこの世界がいけないんだ。
キラッキラのハイスクールライフを夢みて高専にやってきたら、ところがどっこいギラッギラにもピカピカにもなれずにとぼとぼ任務に向かう毎日よ。
教室には男子ひとりだし、先輩たちは話しかけられる雰囲気じゃないし! 今はなかよぴこよぴ!(七海さんの平たい視線を感じる……ここにはいないのに……)だけれども!
そんなことを思っているうちに、すぐ横に置いていたスマホが振動した。
《今から銀座。一時間以内に来たら百万》
画面に浮かび上がったポップアップ。ポン、なんてかわいい音に癒されたわたしの心をかえして。
「待てまて、いったいどういうこと? 五条さん、これ、もしかして!?」
差出人不明だが、こんなの送ってくる人間はひとりしか思いつかない。もちろん五条さんもそのていでぴゅうっと口笛を吹いた。
「やっるう。んじゃッ、これからもこの調子でよろしく頼むよ」
「ちょっ、五条さん!?」
「おっつかれサマンサ〜」
この先振り込まれる計ウン千万のお金によって、わたしの人生がめちゃくちゃになるとは――想像していたけれども、うん、なんとなくわかってたけれども。
そんなの、考えたくもなかった。

※コメントは最大1500文字、10回まで送信できます