第四幕 第七話

「やだわあ、また四番街でストーカー殺人ですって。こんなになるまで犯人を放っておくなんて、番所はなにしてるのかしらねえ」
 テレビから落ちてくるリポーターの声は、のどかな現場で起きた白昼の事件を緊迫した様子で伝えている。画面の向こう側のできごとともあれば、それを見ているこちらはのんきなもので、女中部屋に集った先輩がたは休憩のおともに極厚せんべいをバリボリとかじっている。食べられる石とも名高いせんべいをお茶請けにするとは、人生の大先輩たちはひと味ちがう。ヨシヱさんなんてつい先日、豆大福で入れ歯がとれたなんだと騒いでいたというのに。
「凛子ちゃん、浮かない顔してどうしたんだい。また土方副長にパワハラされたのかい」
 石というより茶色い薄い岩を片手に話しかけてくるのはトモ代さんだ。三度の飯よりパパラッチが好きなピ――歳のお姉さまである。
「土方副長、そういうところあるわよね。前に辞めた花子ちゃん、副長にマヨネーズ五十本買いに行かされたんですって」
「あら、あの花子ちゃん? 喜んでマヨネーズ買いに行ったきり、戻ってこなかったのよねえ」
「うわさによると、買ったマヨネーズがキュー○ーじゃなくて、キ○ーピーハーフだったらしくて」
「花子ちゃんもお気の毒ねえ。副長の身体を気遣ったばかりに」
 彼女たちが話しているのはおそらく花見(名字)さんのことだろう。そして彼女が辞めたのはマヨネーズ神の怒りを買ったわけではなく、お付き合いされていた恋人とのゴールインによる寿退社だったわけだが。
「なにかされたら、すぐに言うんだよ。あたしらがちゃちゃっと叱ってやるからね」
 ……女中に叱られる真選組って。と、思うが、日常茶飯事だったため、「ありがとうございます」と苦笑して流すことにした。

〈白昼堂々、行なわれた犯行は、平和な住宅地を揺るがしました。いちどは交際関係にあった二人でしたが、いったいなにが彼らのあいだに起こったのでしょうか〉

 物騒になったわねェとのんきな言葉が続く。バリボリ、バリボリ、目の前の岩には手を伸ばす元気もなくて、ぼんやり高い位置に置かれたブラウン管テレビをじっと眺めていた。
 まさか、自分がそういう対象になるとは思ってもみなかったわけだ。
 ポストの中に投函されていたA4サイズの封筒にめいっぱい詰められた写真。そこにはすべて、「わたし」が写っていた。
 街中を歩く姿、スーパーで買い物をする横顔、川沿いの河津桜を眺める背中、そして、神楽ちゃんと笑う姿、銀さんと言い合いをする姿。どれも遠くから、または死角から撮られたもので、わたしがカメラのレンズに気がつくことはない。
 すがすがしい朝を迎え、仕事についた矢先。更衣室で開いた封筒の中に、目の前が崩れていくようだった。まさか、そんな。そればかりで、何枚もの写真を見つめていることしか、できなかった。
 気持ち悪い、そんなことをするなんて最低だ。お通ちゃんの話を聞いていたとき、たしかにわたしはそう思っていたけれど、ちっとも、彼女の気持ちを理解することなどできていなかった。
 食べものものどを通らず、それはおろか胃の中を吐き出したくてたまらなくなって。変な汗が全身から吹き出て震えが止まらない。立ってることすら、ままならなくなって――。
 だってそんな、こんなの、ありえない。そう思うのに、手にした写真が現実を突きつけてくる。
 ロッカーの奥深くにしまったけれど、全然心の奥にしまうことはできずに時間だけが過ぎていった。屯所の中にいれば安心だと言い聞かせてはいたが、それでもどこかでだれかが見ているのではないかと思えて、気が気でなかった。
「おい、東雲」
 呼びかけてきた土方さんにさえ気づかず、わたしはぼう然と庭の鯉にエサやりをしていた。
「そいつらの腹をハチ割るつもりか」
「……っ、あ、ひ、土方さん」
 肩を大きく揺らしてふり返るわたしに、土方さんはうろんな目を向けてくる。
「総悟じゃねーんだ、鯉を食おうと餌づけすんのは止してくれよ」
「たしかに鯉はおいしいですけど……さすがに錦鯉は……。って、沖田さんそんなことしていらっしゃるんですか?」
 どうりでエサの減りが早かったわけだ。沖田さんが可愛がっていらっしゃる鯉だから大事に育てなくてはと気にかけていたというのに、のんきに水面から口をパクパクさせている鯉たちを眺めて複雑な心境になる。
「アイツが生きものを可愛がるとロクなことがねえ」
「……肝に命じておきます」
「あァ」
 すっかり空っぽのエサの袋を丸めて、折っていたひざを伸ばす。あとで買い出しリストに書き足しておかないと。沖田さんに知られたらさぞからかわられるにちがいない。
 そんなことを思っていると、じいっと見られていることに気がついた。
「……おい、東雲?」
 途端、汗が止まらなくなって、はくはくと呼吸をくり返すことしかできなくなった。
「……大丈夫です」
「いや、その顔はどう見ても大丈夫じゃないだろ」
「すみません、ちょっと、お手洗いに」
「ちょっと待――」
「あーッ、土方クソ野郎が東雲の姉さんの手、握ってやがる。こいつぁいけねエ、強制わいせつ罪ならびにお江戸迷惑防止条例に違反したとして、六か月以上、十年以下の懲役に服してもらわねぇと」
「お前、なんでこんなときばっかりじょう舌なんだよ」
「俺の舌は土方コノヤローをあの世へ葬り去るためにあるんでね」
「もっとほかのことに使えエエ!」
「さて、言い残したことはそれだけですかィ」
「おい、そこでバズーカ構えんな! このあいだ、とっつぁんが来て障子も畳も新調したばっかだろうが! 女中のヨシ子に叱られんのは俺なんだよ!」
「クソが、土方め。ヨシ子じゃなくてヨシヱだよ」
 
 結局、気を遣われて早上がりになってしまったわたしは真昼のかぶき町を歩いていた。
 夜の街ともあり、昼間はどこか閑散としている。こののどかな風景が好きだったはずなのだけれど、投じられた一石によってまるきり違う風景に見えるのだから、かなわないものだ。それでも、人通りの多い場所を選んで家路を目指す。
「おや、その顔は凛子殿ではないか」
 途中、世紀末アイドルの格好をした桂さんに遭遇したり、ベンチにうなだれる長谷川さんの姿を見つけたり、うりふたつなもじゃもじゃくせっ毛の赤ちゃんを抱いた銀さんに遭遇したり。
「ちょっとオオオ! ひと言で片づけないでくれる!? 世も末な変人どもと同列に扱わないでくれる!?」
「安心してください、同列ですよ」
「安心してください、穿いてますよのノリで言うんじゃねえよ! こっちはパンツ穿きたくねえクソガキにパンツ穿かすためにすったもんだしてんだよ!」
「安心してください、穿いてますよ」
「穿いてますよじゃねェェんだよ! 2023年のトレンドネタぶち込めばなんとかなると思ってんだろ、全っぜん、面白くねーから。アイム・ウェアリーング! パーンツ! とかいっしょになってコール・アンド・レスポンスしようとか思ってねーから。つぅか、テメーはどさくさにまぎれて脱いでんじゃねェエエエエ!!!!」
 ほら、赤ちゃんってそういうものだから、なんて慰めは届くはずもなく。おなじみの穿いてますよポーズを決めた赤ちゃんを捕まえた銀さんは血まなこになってオムツを穿かせている。
「ところで、どこでこさえてきたんですか」
「それだよ、俺が求めていたのはまさにそれだ」
「…………」
「いや、ほんと、そんな目しないだくれる? アッ、ちょっと汚い目で見るのやめて、地味に傷つくから、お兄さん、傷つくから!」
「お兄さん……?」
「そこじゃねーんだよ! つか、俺がおっさんならお前はバァさんだろうが!――ッブフォアッ」
 巾着から取り出した一枚の岩を銀さんの口へ突っ込めば、主人公にあるまじき声が飛び出てきた。
「死ぬから、俺、死ぬから!」
「おいしかったですか、そんなに?」
「いやまって、二枚目は無理。こんなん岩食ったほうがマシだから、二枚目を構えないでお願い」
 銀さんの足もとで地面へ座り込む赤ん坊を抱き上げて、銀さんの胸に戻す。
「あー、これはあれだ、まあ、そういうことだ」
 なんだかんだ岩をバリボリとほおばりながら、銀さんは言う。
 バリボリ、バリボリ。おまけに銀さんそっくりの赤ちゃんもバリボリバリボリ。前歯であの岩を噛み砕いているのだろうか?
「……そういうことも、ありますよね」
「イヤイヤイヤイヤ待って、おめーの反応が一番まともだけど、ちょっと待って!? ちげーから、こいつ、ちげーから!!!!!」
「いいんです。人は一回や二回、過ちを犯すものですから」
「過ち認定やめてくれる!? 銀さんそんな爛れた男じゃねーから!!!」
「きちんと腹を括って育てると決めたのであれば、わたしたちが口を出すことではありませんから」
「だから、話を聞けエエエエ!!!!!!」
 本当は、「なにシケた顔してんだよ」――なんて、言われたかったのに。しょんもりした気持ちで、騒ぐ銀さんを放って家路についた。
 
 
 あのことは気のせいだと思い込むことにして。そうすれば、気づかぬうちにやり過ごせるのだと、知ることができた。
 時はつつがなく流れていく。春の香りはいっそう強くなり、屯所の桃の花が可憐に咲き出した。
「ひなまつりってモンは、江戸に来てとんと縁がないと思っていたがなあ」
 華やかなちらし寿司を前にそう嘆息をつくのは近藤さんだ。彼のほかにも多くの隊士たちが桃の節句にちなんだ献立に頬を落としている。
「女中のみなさんと相談して決めたんです。ご姉妹がいらっしゃる方は経験があると思うんですけど、そうでないとなかなか、桜でんぶのたっぷり載ったちらし寿司と甘いひなあられなんて、召し上がらないでしょう?」
「そうだなあ。ウチは毎年、姉のために盛大に祝ってはいたが、こんなにもにぎやかなひなまつりは久しぶりだ」
 彩り豊かなちらし寿司に、蛤のお吸い物。それだけでは男所帯の腹は膨れぬからと、特別に手羽元のからあげを。ただ素揚げにするだけでなく、身を削いでチューリップ型に工夫を加えてみた。甘味には砂糖をまぶした甘いひなあられと、菱餅を模したゼリー。すべて、女中たちで作ったものだ。
「華やかでいいな、なあ、トシ!」
「まあ、悪かねエ。うしろで騒いでるやつらがいなけりゃもっといいがな」
「あれれ~? もしかして土方コノヤローも、ひなあられのおかわりが欲しいんじゃないですかィ~? あれれ~?」
 ここから更なる諍いが勃発するのは、言わずもがなだ。
 大乱闘なんとかブラザーズなど目じゃない騒動を背に、近藤さんが蛤のお吸い物に口をつける。
 うむ、と大きくうなずいたあとに、頬を緩めて。
「――うまい。ホラ、トシも総悟も喧嘩しないの。せっかくのメシが冷めちゃうでしょ。お残しはいけませんってまた吉田さんが入れ歯構えてやってくるからね」
「吉田じゃなくて、ヨシ子ですぜィ。……あっ、間違えた」
 土方さんがなにやら物言いたげにこちらを見ていたが、食後の甘酒を用意に厨房へ戻った。
 蓬には早いが、土筆がちらほら頭を出し始めていた。屯所では、将軍さまとそよ姫さまが春の摘み草へ向かう話で盛り上がったり、一緒に摘み草をした松平さんがたっぷりと野草を持ち帰ったために、連日厨房が大忙しになったり。春を満喫するにはうってつけの日々が続いて、やがて蓬が背を伸ばし始めれば、踏みつけられないよう早くに新芽を摘んで、天ぷらにしたり、草餅にしたり。
 暇をしない毎日に流されて、新たな季節を迎えるはずだった。
 しかし、ロッカーの奥に隠していた封筒がそこからなくなることはなく。いっそのこと燃やしてしまおうかとひと気のない縁に腰かけてぐしゃぐしゃになった茶封筒を握りしめていたときだ。
「東雲さん?」
 ハッとしたときには、遅かった。驚いた拍子に手から封筒が飛び出して、地面へ中身が散らばってしまった。
 伏せようにも伏せられない、写真の数々。
「……これは」
 縁の曲がり角からやってきた山崎さんが、顔をこれでもかとしかめていた。
「……いつからですか」
 その問いには答えずに、「お気になさらず」と慌てて縁から下りて写真を拾い集めた。
「そんなこと言われても」
「副長たちには言わないで大丈夫です。いま、大事なお仕事中ですし、こういうのよくあるって言うじゃないですか。それに、銀さんにはもう、相談しましたので」
 そうだ。お通ちゃんの警護はまだ続いている。犯人も捕まっていない中、体制を崩すわけにはいかないのだ。国民的にアイドルになにかあったとしたら、真選組の立つ背がなくなってしまう。
 山崎さんは納得のいかない顔をしていたが、銀さんの名前にしぶしぶ引き下がってくれたようだ。
「……なにかあったら、すぐ言ってくださいよ。俺も力になりますから」
 ありがとうございますと微笑んで返す。
「女性だって、安心してこの街で暮らす権利があります。そのために俺たちがいるんですから」
 震える手を、彼に気づかれてはいなかっただろうか。

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2023年7月3日たゆたえども沈まず第四幕 春にわくのは虫だけじゃない