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 二人なら――と楽観的に考えていた結梨ではあったが、やはりリードとフォローという問題は、そう簡単に一筋縄でいくようなものではなかったようだ。
 緊張の週末を終えて、ノービス戦の結果を聞く為に結梨は五組の教室を訪れた。そこには賀寿も居て、馴染みの四人で集まって昼食を摂ることになったのだが、D級への昇級を祝福する賀寿を横目に、多々良の様子は終始おかしかった。
「富士田組、幸先の良いスタートだね」「これでバンバン大会も出れらいね」と結梨と賀寿が言うが、どこか思い悩んで物思いに耽るように、心ここにあらずという風で、俯いてなかなか会話に参加をしない。
 賀寿の言う通り、D級から公認戦に出場することができる。大会を重ねていけば、年内にグランプリ戦に出場することも不可能ではない。雫や清春との約束を果たすことが出来る。そうだというのに、多々良は俯いたままだった。
 結梨は心配してそれを見守っていたが、やっとの思いで彼の口から出たのは、千夏に向けた、「僕達暫く別々に練習しない?」という言葉だった。

 そうして、放課後、多々良は「寄るところがあるから」と足早に教室を後にしてしまったので、結梨は、小笠原ダンススタジオに行くという千夏と一緒に帰ることにした。
 ――わかった、たたらがそう言うなら。
 個人練をしたい、という多々良にそう言った千夏ではあったが、纏う空気がどこか冷んやりとしていた。それもそうだ。次の大会へ向けて今が一番合わせ練習が必要だという時期に――賀寿が焦ったように言っていた――あんな風に突き放すように言われては、少なからずショックを受けるだろう。
「たたらと、何かあったの?」
 結梨は口数の少ない千夏に、意を決して尋ねるが、彼女は「んー、別に」と澄ましたように返すだけ。だが、何かあったのだろうと確信して、結梨は小さく息を吐いた。
 いつもは楽観的な結梨だが、今回ばかりは、気を落とさずには居られない。多々良の塞ぎ込みようと言ったら、今までとは程度が違ったのだ。少しずつ、自分が知っている多々良ではなくなりつつあることに、結梨自身もそれとなく気がついてはいたが、今回ばかりはそれを実感させられた。ノービス戦で一体なにがあったのだろう。それを知ることのできない自分に歯痒さが募る。そして、根拠も無く彼と千夏なら大丈夫と思ったことに、少しばかり責任を感じていた。
「たたら、結梨と一緒に居るとき、自然でいいよね」
 暫く無言が続いたところで、ぽつり、千夏がため息と共に吐き出すようにして口を開いた。
「え、そう、かな?」
「うん。言葉にしなくても、なんでもかんでも、分かり合えてる、って感じ? 正直、羨ましい」
 視線を落とした千夏に、結梨は肩をほんの少し竦めて、「まあ、小さい頃からの付き合いだからね」と返した。
 二人の間の違和感と衝突を解消できないでいる千夏のことを考えると、何かフォローをすべきだとは思うが、それ以上は何も言葉に出来なかった。
「ガジュさんから聞いたけど、たたらと組んで踊ったことあるんでしょ?」
 千夏が続ける。
「へ?」と思わず変な声をあげてしまった結梨だったが、記憶を辿って、小笠原ダンススタジオに初めて訪れた時のことを思い出して、「まあ、ね」と小さく返した。
「一番最初にね、要さんに踊らされたの」
 あの時の要の横暴さを思い返して、「いきなり踊れって言われて困ったんだよ」と苦笑いを浮かべてみるが、千夏は俯いたまま。
「上手に踊れてたって、聞いた」
 いつもの彼女の声とは違う、くぐもった声だった。結梨は驚きを隠せずに、「えっ」と呑気な声をあげたが、すぐにそれを飲み込むようにして息を吸うと、声を低くした。
「それ、誰が?」
「たまきさんが」
 結梨は千夏につられるようにして笑みを引っ込め、困ったように眉を下げる。
 確かにあの時も、多々良の傷を手当てしながら、環は「踊れていた」と言ってくれた。結梨がその気ならばダンスをやってみたらどうか、とも。環は結梨を可愛がってくれているから、優しいし、傷付けるようなことは決して言わない。それだから、きっと、千夏に伝わっている言葉の中にはお世辞も含まれているだろうし、それは、“全くの初心者が”いきなりホールドを組んで踊った中では、「上手だった」という前提が入る。
 千夏が気にすることではない。結梨はそれを伝える為に、懸命に言葉を探す。
「ちーちゃん、わたしたち上手なんかじゃなかったよ」
 だが、上手い言葉は見当たらなかった。口から辛うじて出てきたのは、捻りのない、ただの事実。
 結梨は自分の言葉に違和感を感じながらも、それをどうにもすることができなかった。千夏の顔は見えない。
「でも、お互いの動きをキャッチしてるみたいだったって。それって、相手のことをよく知っていて、考えることが分かるってことでしょ」
 それはそうだが……結梨は痛いところを突かれて、さらに返す言葉に詰まった。
 千夏の言っていることを否定することは出来なかった。あの時、確かに彼らは互いの中に通じてくる何かを感じて、踊っていた。結梨はシグナルと称したが、具体的にハッキリと目で見えるものだったわけでもないし、それが何だったのか結梨は未だにきちんと理解出来てはいない。
「でも、全然、ワルツの最初のステップ踏んだくらいだったし……」
「結梨がダンスやれば、きっと私なんかよりたたらと上手くやれてたよ」
 そう言う千夏の声は、まるで繊細なガラス細工のように、触れたら割れてしまうのではないかと思われた。
 結梨は唇をきゅう、と結んで、指先を擦り合わせる。「そんなことないよ」と言う声が、力むあまり、微かに、震えてしまった。
「たたらは、ちーちゃんがパートナーだから悩んでるし、上手くなりたいって、必死なんだと思う」
「でも、二人の間には、私なんか入れない」
「そんなこと……」
 ――決して無いのに。
 だが、言葉にはならずに結梨がまた黙り込むと、ついに千夏が顔を上げた。
「ごめん。結梨に八つ当たりしても、仕方ないよね、忘れて」
 眉を下げて笑いながら彼女は言うが、結梨は素直に頷けなかった。
 もし、自分が彼女の立場だったら、どう思うのだろう。そう考えると、このままにしておいてはいけないと思った。
「あのね、ちーちゃん」
 結梨はぎこちなくも言葉を並べていく。
「組んだっていうのも踊ったのも、本当だけど……あんなの組んだなんて言えないレベルで、というか、言ったら失礼なくらい! 要さんには介護老人と介護士って言われてたし」
「介護老人と介護士って、何それ」
 必死に繋げていくと、千夏が呆れたように小さく笑った。
 心なしか空気が解れたような気がして、結梨は続ける。
「ちーちゃん、それにね、わたしとたたらは家族みたいな感じだから。ね? それに……」
「なによ」
 眉をひそめる千夏を、気まずそうに見上げる。
「勘違い、しないでね?」
 途端、彼女は頬をぽっと染めて、次に目をカッと開いた。
「は、ハァ!? 勘違いなんてしてないから!」
 珍しく彼女が慌てて言うものだから、あまりに説得力が無く見えて、結梨はそうかなあと思うも口には出さずに、じいと見つめた。すると、「ないから!」と怒っているような口調で念を押されてしまった。
「結梨は気にしないでいいってば」
 溜め息混じりに千夏は言う。
「でも、小学生の頃とかよく揶揄われたから、ちーちゃんも気分悪くしてたらって思って」
「アンタたち、そんな頃からあんな感じなの?」
「うん?」
 あんな感じ? と結梨が首を傾げると、千夏は「そりゃまあ、やっかみも受けるわ」と何か吹っ切れたように、呆れた様子で呟いた。
 よく分かっていない結梨ではあったが、そのまま繋ぐ。
「とにかく、わたし、ちーちゃんとたたらの邪魔はしたくないから!」
「だ、だから、何言ってんの! ?」
 ぐっと拳を握った結梨に、再び、ギョッとしたように声を荒げる千夏。「そんなんじゃ――」とどうしても多々良への興味を認めたくないようだったが、結梨は「いいからいいから」と手を振って聞く耳を持たない。
「それにね、これは内緒、なんだけど」
 結梨はこそばゆそうに顔の横に垂れた髪の毛を耳にかけ直す。千夏は眉根を寄せた。
「わたし、好きな人、居る、から」
 照れ臭そうに視線を少し沈めたあと、思い切ってにっこり笑みを浮かべて「安心してね!」と顔を上げる。
 てっきり、「変なこと言わないでよ!」だとか諫められるかと思ったのだが、それまでのやり取りなど忘れてしまったかのように興奮気味に千夏が目を見開いた。
「だっ、誰!?」
 肩を掴まれて、その勢いに思わず目を丸くしたが、「気になる!」と目を爛々とさせる千夏に、どこか嬉しくなって、えへへ、と笑う。
「あのね」
 結梨は千夏に耳打ちをする。
 仄かに頬を染めて、そっと離れると、千夏は確かめるように彼の名前を繰り返しながら、結梨の顔を見た。こくり、頷く。
「えっ、ぇぇえええええ!?」
 千夏の叫び声が辺りに響いた。