17

 次の日。昼休み、お手洗いから帰る途中、結梨は多々良のクラスの前で足を止めた。
 幼馴染と言えど、もう高校生。あまり干渉しすぎても良くないとは思うが、本心としては、やはり少しばかり幼馴染が心配だった。
 中学時代にやっと多々良離れのチャンスかとは思ったものの、そんなに柔な関係ではなかったようだ。結梨としては、嬉しいことだったが。
 多々良を見守るだけだ、と心の中で呟きながら、こっそり、視線を向けた。彼の姿を探すと、明るい髪の大きな男と目があった。
「おっ、結梨! おめーもこっち来い!」
 五組の教室の中――窓際の席から、廊下に届くほどの大きな声が掛けられて、思わず目を丸くした。
「ガジュさん!?」
 なんで一年の教室に、と思ったが、多々良と一緒にいるのが分かって、それは飲み込んだ。賀寿と居るのなら大丈夫か、と先程までの結梨の杞憂は霧散した。
 だが、彼らの目立つこと。皆二人をチラチラと視界に入れている。不特定多数の前で、あの賀寿の良く通る威勢のいい声で呼ばれると、結梨まで注目の的だ。羞恥に微かに頬を染めながら、おずおずとした様子で多々良のクラスに入っていく。
 赤面症は大分治ってきたが、やはりこうした状況は少し苦手だった。多々良は苦笑いを浮かべている。
「ちょうどいいべや、結梨も菓子食い」
「あ、うん」
 多々良の隣の席を借りて、二人の会話に混ざる。
 机の上に、チョコ菓子やらポテトチップスやらを広げて、先日、結梨が借りた席に賀寿は座っていた。あの女の子の席だ。
 賀寿は、小さなせんべいの包みをぽい、と結梨に投げ渡す。胸で受け止めて、礼を言うと「ナイスキャッチだべ」と牙を見せた。
「ガジュさんもお菓子食べるんだね」
「そりゃ、そうだべ。結梨俺をなんだと思ってるん?」
「だって、アスリートっぽいから?」
「まあ、食いモンには気ぃつけっけど、たまにゃいいべ」
 そう言って、賀寿はチップスを摘んで口の中に放り込む。バリボリと、噛みごたえの良い音がした。
「仙石さんも、よくさやえんどうくん食べてたよ」
 多々良はその場面を思い出すように、笑いながら言った。結梨は驚いて返す。
「そうなの!? バレリーナとか、食事制限厳しいって聞くから、てっきり同じなのかと思ってた」
「まぁ、競技ダンサーの中にもそういう人も居るっちゃ居るがね」
「別に、案外普通の人間だで、みんな」と次はスティック状のチョコレート菓子を手にして、結梨にほい、と渡した。餌付けされているような気分だ――否、妹にお菓子を分け与える兄か。
 根っからの文化系な為、結梨は自分が極端なイメージを抱いていることに気がついて、つい賀寿の話に感心するとともに、かばかりか親近感を感じることが出来たのだった。
「ありがとう」とチョコ菓子を受け取ると、はむ、と口に咥える。
「兵藤くんなんかは、食べてるところ見たことないけどね」
「確かに。兵藤さんはあまりお菓子とか食べなさそう」
「そおけぇ?」
 結梨はぼんやり彼の姿を想像してみた。
 みかんを食べている姿を見たことはあるものの、多々良の言う通り、今、彼らが食べているようなスナック菓子とは無縁そうだ。それこそ――単なるイメージかもしれないが――コーラ片手にポテトチップスだとか、菓子袋を一杯に広げるだとか、似合わない気がした。
「まあ、アイツは自分じゃ買わんがね。けど、饅頭とか案外好きそうに食ってたで」
「まんじゅう……」
 意外なところを突かれて、結梨は思わずぽかんとして繰り返してしまった。
 てっきり、洋菓子とかお洒落なお菓子かと思っていたのだ。チョコレート菓子を長い指先で摘んで、少しずつ優雅に食べる姿は、容易に思い浮かぶが、まさか和菓子とは。予想をはるかに超えて、渋い好みだ。
 饅頭を食べる清春、その姿を想像する。
 黒糖饅頭を手にして、小さくちぎりながら口に運ぶ。みかんの皮を剥いていた時のように、かすがボロボロと落ちているが、表情はいつものあの眠気眼。
 ――やばい。
「か、可愛い……」
 ぽろり、と思わず口から零れ落ちた。
「可愛いだぁ?」
「えっ、口に出てた!?」
「結梨……」
 慌てて口を両手で覆うも、時既に遅し。多々良は呆れたような顔をして頷き、賀寿は眉を顰めていた。
「いやだって、なんか、そんな兵藤さんレアじゃない? 想像したら、ギャップがすごくて」
「あはは……まあ、言いたいことはわかるよ」
「あーね。可愛くはねぇけんどな!」
 誤魔化すように必死に言葉を探せば、多々良のフォローの甲斐もあって、賀寿はそれ以上食いつくこともなく、次のお菓子に手を伸ばした。
「がっ、ガジュさんもお饅頭食べたら、可愛く見えるよ!」
「そんなん喜べないやい」
「まんず女子の可愛いはアテになんねえっきゃ」そうは言いつつも、満更でもなさそうな賀寿に、――色々やり過ごせた、かな、と結梨はホッと胸を撫で下ろすのだった。
 暫くそんなことを話していると、多々良が何かに気がついて、視線を動かした。それに続いて、賀寿がふと顔を上げた。
「あ、ここん席?」
「悪ぃ、どくわな」と言って立ち上がった賀寿の視線を追うと、一人の女の子が立っていた。賀寿が座っていた席の持ち主が帰って来たようである。
 綺麗に伸びた髪と聡明そうな額、涼しい目元と鼻筋、そして、すらりとしたしなやかな身体のラインは思わず羨ましくなる。目元の印象の為か少しキツそうに見えるが、とても美人だ。
 彼女をこっそりと見上げながら、多々良が振り回されている女の子はこの子かあ、と結梨は感心した。
「あ、そうだ。わたしもそろそろ教室帰るや」
 結梨はブレザーのポケットから携帯を取り出して、開く。まだ昼休みの時間はあったものの、クラスの友人から「結梨ちゃん帰ってきてー! 女子会するよ!」との、メールが届いていた。思わず、ふふ、と口元を緩めると、賀寿から声を掛けられる。
「そおけぇ。結梨も今日来たらどうだべ?」
 今度は多々良の後ろ――室井の席に腰を据えた賀寿が、携帯を片手に結梨を見ていた。
「え? どこに?」
「小笠原! 番場さんがお見合いするらしいん。面白そうだべ?」
「そうそう、結梨が来る前に話してたんだよ」
「へぇ、お見合い?」
 番場って、あの人だったよね――と眼鏡姿のふくよかな女性を思い浮かべる。二人の口から出た一つのワードに、難しそうな顔をして小首を傾げると、多々良がハッとした。
「結梨、お見合いって、ダンスのだからね!?」
「あ、そうなの……びっくりした。お見合いを覗くってどういうことかと」
「さすがにそんなことはしないってば」
 何考えてるんだよ、と訝しげな視線を向けられて、「だよねえ」と結梨は苦笑する。
 カコーンと鹿威しの響き渡る和室で、顔を合わせる男女の姿を急いで一掃した。
「仙石さんにも挨拶しにきたら? 会いたがってたよ」
「え、要さんが!」
「会いたいなあ」結梨は意識を戻して嬉しそうに眉を上げると、多々良も破顔した。
 海外遠征続きの要も、コンペが終わって暫く日本に滞在しているとのことだ。自分に会いたいと思ってくれる人がいるのは、なんと幸せなことだろう。
 高校の制服姿もまだ見せていないものだし、先日の東京ダンスグランプリにも行けなかったものだから、久々に小笠原ダンススタジオに顔を出そうか、結梨は迷うこともなく返事をする。
「部活帰り、時間あったら寄るね」
「うん! 連絡して」
「わかった」
 ――どうか遅くなりませんように、と願いながら、席を立つと、多々良たちにバレないように黒板の上に掛けられた時計を見るフリをして、再び、多々良の前の席の女の子を視界に入れた。
 多々良よりも綺麗にすらりと伸びた首筋に、結梨は見惚れた。同じ女だというのに、何故か違うような次元にいる感覚がした。どんな子なのか、結梨は気になって、喉の奥がむず痒くなるような気がした。
 賀寿が、何やら妹の真子に電話をし始めたのを横目に、「またね」と結梨は手を振って、教室に戻っていった。