どれほど、そこにいたのだろうか。滔々と意識の湖を揺蕩っていると、不意にあの科学者の声が聞こえてきた
「まさか! 古代種の遺伝子との合致――パーセントとは、いやはや、まさかな」
(古代、種……)
その言葉を思い浮かべた途端、こめかみがズキン、と痛んだ。
――あなたは、だれ?
(わたしは、美月よ)
――あなたは、なあに?
(なに、って……)
痛みが強くなっていく。背すじは冷え、体が震え出すのがわかる。
「偶然か、それともなにかの間違いか……」
声は響く。
――私は、だれ?
(しらない……)
――私は、なに?
(だから、しらないってば)
「新たなる可能性……いや、そんなはずは……」
――あなたは、だれ
(わたしは……)
「くくくっ、ゴミとなるか、それとも、とんでもない宝になるか」
頭が割れそうだ。体が、意識が、なにかに乗っ取られそうだ。真っ暗な闇へ。地も天もない、どこまでも続く闇へ。かれこれ二十数年、美月という人間を模っていたものを、すべて、すべて飲み込むように。なにひとつ疑いなく、美月だと思い込んできた人間の顔に黒いシミが侵食していくように。
男の声が遠ざかると、美月は、真っ暗な世界に引きずり込まれた。
なにも、見えない――。
――あなたは、なに
(わたしはっ……)
――ぴちゃん、
水が滴る音がした。
――探してる
――あなたを
――見つけなさい
(いや、なに……)
頭の中にどっとなにかが流れ込んでくる。
――探せ
――そこに
――あそこに
――ここに
絵の具をぐちゃぐちゃにかき乱すように、すべてが混じり、やがて大きな渦となっていく。
(いやだいやだいやだ、やめっ……)
吸い込まれる。ああ、すべて、すべて、奪われて――。
――見つけなさい
――……を
碧い、光が見えた。
――パリンッ
激しい音とともに、美月は闇から解放された。
「大丈夫か」
「くら……うど……?」
透明のガラスの中からこぼれ落ちそうになった美月の体を受けとめたのは、クラウドだった。片手にバスターソードを手にしたまま、左腕で美月を胸に抱く。
「どうして、ここに……」
「……ピアスを返してなかったからな」
暗闇から突如明るい――と言っても、研究所の中は総じて照明が暗いが――場所に飛び込んだ美月は、眩さに目を細めながらクラウドを見上げた。
金色の髪が鈍い照明にもほのかに煌めいている。白い肌は相変わらずキメが細かく、鼻はスッと通って、ビスクドールみたいな面立ちだ。碧い瞳が美月を見下ろしていた。
「ありがとう、ございます」
ふっと全身の力が抜け、安堵から美月が微笑むと、ああ、と低い声が耳を撫でた。
「ティファさんと、バレットさんは? ひとり、ですか?」
ゆっくりとクラウドの腕から床に降り立って、美月は辺りを見渡した。薄暗い研究所には、クラウドと美月のほかに姿はない。
「いや、二人は宝条を追い掛けている」
「宝条?」美月は首を傾げた。
「神羅の科学者だ。眼鏡をかけた、猫背の」
「宝条って、言うんですね」
美月はぼんやりとした意識の中で目にした男を思い出す。ひと目見ただけでかなり特徴的だったので、忘れもしない。
「でも、なぜ、その人を?」
「エアリスの居場所を知っているはずなんだ」
「そうだ、エアリス……」
美月はハッとして、クラウドを見上げた。こっくり、クラウドも頷いた。
「ひとまず、詳しい話はあとだ。動けるか?」
「はい、なんとか。足手まといにならないように、気をつけます」
何時間か動いていなかったのだ。じんわりまだ痺れているような感覚が指先に残るが、とにかく、ここでじっとしているわけにもいかない。
「……洋服は、着ているようだな」
美月は慌てて自分の体を見下ろす。薄緑のワンピースを――それに、丁寧にローヒールのパンプスまで――身につけているのを確認すると、ホッと胸を撫で下ろした。
油と薬品の匂いの混じった部屋を抜け、エスカレーターを上って六十八階に到着すると、なにやら慌ただしい声が聞こえてきた。
「エアリス!」ティファの声だ。
「っちくしょ、なにする気だ!」
大きなガラスケースの中にエアリスがいる。そして、そのすぐそばには、牙を剥く赤い大きな獣が。それを見たクラウドが一目散に駆けていった。
「クラウド、助けて!」
中からエアリスがドン、ドン、とガラスを叩く。
「滅びゆく種族に愛の手を……どちらも絶滅間近だ。私が手を貸さないと、この種の生物は滅んでしまうからな」
「そんな……」
宝条の言葉に、美月は口を手で覆った。ガラスケースの中でなにが行われようとしているか――エアリスと獣の交配だ。
「ひどい! エアリスは人間なのよ!」
「許せねぇ!」
ティファとバレットがガラスケースを壊そうと必死で叩くが、びくともしない。宝条は気味の悪い笑みを浮かべて、高みの見物をしている。
美月はここではじめて、神羅という会社の悍ましさをまざまざと感じた。人間をはじめとする命あるものを、単なる研究対象として扱う非道さ。同じ人間だというのに、同じ、生きている存在だというのに、なぜそんなことを。
腕が疼く。宝条に注射を刺された箇所だ。美月は咄嗟にそこを掴んだ。
「しゃらくせぇ! 下がってろ!」
バレットが銃を構え、やめろ、という宝条の言葉もおかまいなしにガラスケースへと弾丸を放つ。鋭い銃声が響いて、激しい音ともに、ガラスが割れた。
「なんということだ、大事なサンプルが……」
嘆く宝条のもとへ、赤い獣が飛びかかる。そのうちに、クラウドがエアリスを助け出した。
「ありがと、クラウド」エアリスが礼を言って、ガラスケースの中から出てくる。
美月はそこで、なにやら音がするのに気がついた。
「エレベーター……?」
「ッ、なにか来るわ!」
美月の微かな呟きを聞き取ったティファが、エアリスたちのいたガラスケース内を見遣る。
ゴオオ、と地を伝う轟音の果て、姿を現したのは巨大な生物だった。
「な、なに、これ……」
大きな爪の二本足に、隆々とした筋肉を彷彿させる太い腕。一方は三又に割れ、もう一方は足同様鋭い爪が備わっている。顔かなんだかわからないものの横には、大きな口。鋭い牙が見え隠れしていた。
その奇妙な生物の体がふらふらと横に揺れるたび、異様な匂いが鼻をついた。肉が腐ったような、そこに、アルコールの匂いが混じっている。全身は赤く、どこか表皮を剥いだ人間を思わせて目を背けたくなるような、まさにハリウッド映画顔負けのグロテスクな怪物だ。
「お嬢さん、ちょっとそこをどいてくれないか」
気持ち悪さに呆然と立ち尽くす美月の視界に、ゆらりと赤い炎がちらつく。あの赤い獣が彼女の前に飛び込んできたのだ。
「しゃ、しゃべった……」
「珍しいか?」
美月の頭は混乱していた。モンスターから美月を守るように立ちはだかった獣が、なんと流暢に言葉を発したのだ。美月の世界では、普通、動物は人間の言葉を多少なり理解したとしても、操ることはできない。
ロボットかなにかだろうか。考えるが、人間と同じように表情を動かし、自らの意思で話す姿は、作り物とは思えない。
「あとでいくらでもしゃべってやるよ。とにかく、今は、あいつを倒すのが先だ。私も、力を貸そう」
なにがなんだかわからないが、美月は獣にこっくり頷いた。
「ミツキ、エアリスと一緒に安全な場所へ!」
クラウドの声に、またしても美月はこくこくと頷くのみ。あの怪物を目の前に、無力な美月は無事で帰れる自信がなかった。彼の元へと駆け寄って助け出されたエアリスの腕を掴むと、一緒に駆け出した。
「ミツキ、だいじょうぶ? なにもされてない?」
すずらんのそよぐような声に、胸があたたかくなるのを感じる。
「なにも、とは言い切れないかもしれないけど、無事よ」
肩をすくめつつも、エアリスに向けて美月はやわく微笑んだ。
クラウドたちがモンスターと戦う間、二人は研究所の隅に隠れた。
「あのあと、結局、タークスに捕まっちゃったの」
美月が小さく打ち明けると、エアリスは、やっぱり、と言った。
「ごめんね、巻き込んで」
「ううん。エアリスのせいじゃないわ」
珍しく瞳を伏せるエアリスに、美月はかぶりを振る。
「途中で猫に変身しちゃったのは、わたしだし。それに、タークスのレノってひとの前で、人間に戻っちゃったの」
下着姿を見られたかと思いきや、気絶させられたり、殺気を向けられたかと思えば、強引に唇を奪われたり、とにかく散々だった。もちろん、それ以外にも神羅に来てから大変な目に遭ったのだが、美月は口にしなかった。赤い髪と緑の瞳が脳裏にちらつくが、苦い顔をしたくなるのをこらえ、やれやれと肩を落とす。
大変だったね、エアリスは眉を下げた。
「でも、また、会えてよかった」こてん、肩に重みが訪れる。
「……うん、よかった」
寄り添う温度にどこか泣きそうになるのをこらえながら、美月は微笑を頬に浮かべた。
やがて、クラウドの放つ雷音が響き、戦いが終わりを告げると、エアリスと美月は物陰から恐る恐る這い出た。
「ミツキ、エアリス、無事でよかった」
ティファが抱きついてきた。その勢いに美月は驚くが、ふわっと温かさが伝播して、そうっと背中に腕を回す。
「ティファさんも、バレットさんも、よかったです、ご無事で」
「ったく、心配ばっかりかけさせやがって」
ふんと鼻息を荒くしたバレットだったが、すぐさまティファに、「こう見えて、助けに行くぞって先陣切ったのはバレットよ」と言われて、気恥ずかしそうに鼻頭を掻いた。
あれほど怖かったバレットも、今では少し丸く見える。美月はティファのほのかに甘い髪の香りを感じながら、再会に微笑んだ。
「でも、いつのまにか、あのひといなくなっちゃったね」
宝条のことだろう。辺りを見回すと、エアリスの言うとおり、男の姿はもうそこにはなかった。美月はもう二度と会いたくない、と願いつつ、気味の悪い研究所を見渡すのをやめた。
「それで、このあとは?」
バレットが右手首をひねりながらクラウドに訊ねる。
「二人を助けることができた。もうここに用はない」
「そういうことなら、さっさとここを出ようぜ」
こっくり、美月もその言葉に頷いた。不意にクラウドがこちらを見ているようだったが、不思議に思って視線を返すと、すぐさま逸らされてしまった。
なんなんだろうか、疑問に思いつつ、美月は彼の足元にいる存在に視線を落とした。
「お嬢さんは、私のことが気になるらしいな」
赤い獣は凛々しい顔で美月を見上げてくる。なめらかな毛並みには、刺青が数多く刻まれ、鬣には髪飾りがつけられている。犬だろうか、オオカミだろうか。ゆらり、長い尾の炎が揺れる。
これで、言葉を話すのだ。気にならないわけがない。
「あなた、お名前は?」美月はおずおずと訊ねた。
「宝条は私をレッドⅩⅢと名づけた。だが、私にとって無意味な名前だ。好きなように呼んでくれ」
なんともクールな獣だ。その毛質を撫でてたしかめてみたいという衝動はなんとか抑えて、美月は続けた。
「レッドⅩⅢ……あなたも、あの人のサンプルだったの?」
「も、ということはお嬢さんもかな」
「……ええ。いろいろとあって。その、実験の影響で言葉を?」
美月は疑問に思ったことを口にする。レッドⅩⅢは一瞬きょとん、と間抜けな顔をしたが、すぐにフッと不敵な笑みを浮かべた。
「気になるか」
「……そうね」
「ではまずは、ここを出ようか。案内くらいなら付き合おう」
聞きたいことは山ほどある。だが、時間はそれを許してはくれまい。レッドⅩⅢがそう言うと、二人のやりとりを聞いていたのか、エアリスが、行きましょ、と美月に微笑んだ。
*
「アンタ、体は?」
ひとまず二手に分かれて六十六階エレベーターへと向かうことになり、美月はクラウドとともにレッドⅩⅢの案内について非常階段から下へと向かっていた。
後方からクラウドに訊ねられ、平気です、と美月は答える。
「……なにも、起こっていないのか」
「なにも、とは?」
ゆらり、レッドⅩⅢの尾に宿った炎が視界の端で揺れる。たしかに、まだ微かな気怠さはあるが、それは実験で使用した麻酔薬が完全には切れていないことからくるものだろう。そのだるさ以外は特に変異は感じられない。
「アンタはあのガラスケースの中で、魔晄エネルギーを浴びていた」
「魔晄エネルギー……」
緑色の、奇妙な光がフラッシュバックする。ずきん、またひとつ、頭が疼くように痛んだが、今回はすぐにその波は引いた。
「大丈夫か」
足を止めた美月に、クラウドが追いついたようだ。すぐそばから届いた声に、美月は、はい、と小さく返事を返す。
「……でも、あれは、魔晄だったんですね」
目映い緑の光。ゆらりゆらり、たゆたう感覚。弱々しい呟きにクラウドは、「気がついていなかったのか」と眉をひそめた。
「はい……。あの中だと頭がぼんやりして、あまりなにかを考えていられなくて」
痛んだこめかみを押さえる。どく、どく、強く脈が波打っているように感じた。
「濃縮された魔晄エネルギーは体に猛毒だ。それも仕方あるまい」
言い添えたのは、先を行くレッドⅩⅢだ。猛毒と聞いて、美月は唇を噛みしめる。
目映い光の湖の中、聞こえた声。女性とも、男性ともつかぬ、形の曖昧な声だった。それも、ひとつではない。いくつもの声が美月の脳に流れ込み、脳幹を撫でていった。もしかすると――。
「……幻聴、もその副作用でしょうか」
伏せた瞳は微かに震えていた。
「ありえなくもないな。なにか、聞こえたのか?」
美月は少し考えたあと、かぶりを振った。
「よくわからなかったんですけど……。でも、宝条ってひとの声は聞こえました」
「……普通の人間ならば、長時間照射されれば精神崩壊をきたしかねない。かなりの体に負担はかかっていることは間違いないだろう」
意図的に濁した言葉にクラウドは気づいただろうか。じっと見つめられているような気がしたが、美月は足元のコンクリートをじっと見つめたままだった。
「今は、本当になにもないのか?」
訝るような声に、こめかみに当てた手を下ろすと、ふるりと首を振る。
「……今のところは。麻酔が残っていて、怠いくらいです」
先ほどまでの明るいオフィスと違って、非常階段は薄暗く風もない。湿った空気で満ちている。ぎゅうと手すりを握る力を強くすると、はあ、とすぐそばから息がこぼれた。
「ならいいが、なにかあったらすぐに言ってくれ」
言って、クラウドは一段、二段、と階段を下りていった。
伏せた視界に金色がちらつく。こんな場所でも、その髪は鈍い光を纏い瞬いていた。
「お嬢さん、宝条は君が思っているよりも非道な人間だ。実験中の記憶がないのならば、なにをされているのか、わからない。無理はしないでくれよ」
レッドⅩⅢが数段先から振り返って、クラウドに続いた。
「……はい。ありがとう、ございます」
緑色の淡い魔晄の光に、美月のか細い声が溶けた。
無事、六十六階にてティファたちと合流すると、そこからエレベーターでエントランスまで一気に下りることになった。
「長い一日が終わるんですね」
もうどれほど経ったかはわからない。ガラスの向こうに見える空は紺色に染まり、ひとつ、ふたつ、と星が瞬いている。下方には、あちらこちらで眠らぬ街の目映いネオンが広がっていた。ここに来て初となる、正真正銘、夜の光景だった。
美月は夜景を見下ろして、どっと疲労が押し寄せてくるのを感じた。
伍番魔晄炉爆破から、ウォールマーケット、プレート落下、神羅での実験、どれもこれも衝撃の大きいものばかりで、すべてをきちんと思い返すのはもうすでに難しい。
「きちんと、終われるといいけど」
ティファがその横顔に気づいて、美月の隣に並ぶ。
「……そうですね」
遠足は家に帰るまでが遠足というのと同じで、神羅ビルを抜けて、安全な場所に行くまで油断はできない。クラウドもエアリスも、バレットも、そして、レッドⅩⅢも流れゆく景色を眺めていた。
視線が、吐息が、ミッドガルの夜景に吸い込まれていく。
どこか切なさがこみ上げるのは、やけに静かな夜の空気に包まれているからか、それとも、それが美月の知るものと限りなく似ているからか。
――ガコン
そのとき、エレベーターが止まった。
「なんだ?」
クラウドの声に、美月はそばにいたティファの腕を咄嗟に掴む。
「ミツキ?」
ほぼ無意識だった。
「あ、す、すみません……」
慌てて腕をひっこめ、ぎゅっと薄緑のワンピースの裾を撫でる。と、ちょうどエレベーターのドアが開いた。
「上を押してもらおうか」
止まったのは、六十階。エレベーターへと乗り込んで来たのは、サングラスをかけたスキンヘッドの男。やけに見覚えのあるジッパータイプのスーツを身に纏っている。
「うそ、タークス……」ティファが口を覆う。
「罠か……」
クラウドの端正な顔が歪んだのもつかの間。
「スリリングな気分を味わえたと思うが」
新たな声が絶望のエレベーターへと落とされた。乗り込んで来たのは――。
「楽しんでもらえたかな?」
艶めく黒髪に、美月は唇をグッと噛みしめた。
