第一幕 五

 瀬古という男は世間一般には整った部類に属すのだろう。前頭葉のやや発達した額にさらりとかかるセンターパートのシルバーヘア、眉はさがり気味だが眼窩は深く、眉間から鼻先までは見事な傾斜を描いている。彫りの深さでいえば日本人離れした顔つき。一部縫合痕のような皮膚の凹凸のある頬は平坦で、男らしいというよりかは中性的な、それでいて繊細そうな印象を受ける。歳は四十代だというが紺色のチェックスーツを着こなす姿はやや若々しく見え、その場にいればはたと人目を引くだろう。しかし、いかんせん――。
 ニヤニヤニヤニヤ、キショいねん。糸ほどに細めた眼を胡乱に一瞥し、直哉は垂直なソファの背に肩肘を預けながら指先を擦り合わせる。
「いかがですか」
「上々ってとこやな。蠅頭が数匹、うるさい猿どもがワンサカ。どいつもこいつも、アホかボンクラかのしょうもない連中ばっか、なんとも賑やかな毎日やで」
 そうですか、と下がった眉をさらに情けなく垂らす瀬古の前で、直哉は大あくびを拵えながらブレザージャケットの堅苦しさに首をひねる。なんとも大義そうな仕草だが、客人がいるからとて態度を改める人間でもない。ましてやその客人が瀬古であれば、天地がひっくり返っても畏まりはしないだろう。それが直哉だ。やってきたコーラに口をつけ、直哉はそのまま不躾に瀬古という男をじろりと眺めた。
「しかし、よくお似合いですよ、その制服」
「そらおおきに。わざわざ急いで用意してもらったかいがあったわ」
 骨張った印象のそれでいて神経質に近い口もとに深くしわが刻まれる。下りたまぶたはそのままだ。コーヒーカップに添えられた手は、そこだけが独立した別個の生物のように緩慢な仕草でかすかに動きまわる。
 直哉は盾型のエンブレムのついたラクダ色のブレザーにシワが寄るのも厭わず、真昼のファミリーレストランの、微塵も座り心地のよくない席にだらしなく姿勢を崩した。
「それで、二日経っても例の呪霊は出てこやんのやけど」
 校内のみならず、律儀にも行き帰りに周辺の捜索も行なっている。その上で二日、残穢が確認されてからは三日が経過しているが、通常範囲内で低級呪霊が視認される程度だ。依然、状況に変わりはない。
 一万人――日本国内で一年間に起こる怪死事件あるいは行方不明事件の数だ。そのほとんどが呪いをもとに起こった被害と言われており、無論、中には今回のような惨殺が含まれている。未然に防げるものもあれば、当然、そうはいかないものもある。
「相手もすぐに尻尾を出すほど愚鈍ではないようですね」
 さてどうだか。コーラの泡沫を眺めながら直哉は視界の端で瀬古の虫酸の走るような顔を捉える。
「アンタのそのプロファイリングを掻い潜るような力の持ち主やしな」
 瀬古は笑みを崩さなかった。
「どうか無能やないってことを証明してくれるとええけど、その呪霊が」
 鼻で笑い直哉は汗をかいたグラスを軽く指で弾く。「――で、今日はなんの話なん」
 ここからが本題だ。定期連絡ならば電話で済むところを昼下がりのファミリーレストランで顔を突き合わせている。直哉が不躾な態度のまま言うと瀬古はジャケットの胸元から一枚の写真を取り出した。
「マスコミや一般市民には開示されていませんが、この連続殺人には共通点がありました」
 つ、と机の上を滑らせ直哉の前に差し出す。「惨殺やろ」表は伏せられていた。見ないでもわかることだった。
「さすがは直哉さん。そちらをご覧ください。……背後には気をつけて」
 直哉はその慇懃さに舌を打ちたくなりながら写真に手を伸ばした。予測していたとおり、画角に収められているのは真っ赤に血濡れた人間の肢体だ。布団の上に横たわり、無念にも腹を裂かれた遺体。頭部は損傷が激しく脳みその一部が露出しその脳溝すら崩すようにぐちゃぐちゃのゼリー状になっている。手脚の先に向かうにつれ血は渇き褐色に変色し始めているが、裂傷部はまだ艶がかっており、そこに蝿がたかりはじめていた。なによりそこから赤々とした臓器が飛び出していた。形状からみるにおそらく小腸だろう。
「コーラがまずなるわ」直哉はさっさとそれを突き返した。それから瀬古はさらに一枚写真を取り出した。
「遺体には一部臓器が損失していることがわかりました」
「そら、喰ったんやろソイツが。ゲテモノ好きはどこにでもおるからな」
「ええ、ですがこちらをご覧ください」
 今度の写真は冷蔵庫であった。たまご、もやし、缶酎ハイや発泡酒などのいかにも貧乏学生らしいそれの中に、おどろおどろしい猩猩緋色の物体が並んでいた。直哉は思わず顔を顰めた。
「流行りのミニボトルですね。ミキサーにかけたボトルでそのまま飲めるタイプの。便利なんですよね、これ」
 そんなことはどうでもいい。それより、其れだ。明らかに用途が見えるものだった。さもトマトジュースのように並ぶそれに入っているのは、おそらく《ナルミユウヤ》の遺体の一部。ミキサー部分は部屋に転がっていたという。
「それまでに見つかった遺体も、発見現場から半径一キロ以内で血塗れのバケツやボトルが見つかっています」
「たいそう、ご趣味がええんやな。興奮でゾクゾクしてきたわ」
 瀬古はまた胸もとに手を差し出し、似たように血みどろの容器が写っている写真を数枚とりだした。ファミレスの奥まった席。呼びつけなければ店員もここまではやって来やしない。のんきにティータイムといった親子づれやドリンクバーにはしゃぐ学生たち、その中で粛々と話は進められる。
「《平成の吸血鬼》って見出しでもつきそうやな」
「明らかに愉しんでいるとしか思えません。周到に用意された現場、痕跡を残さぬほど躊躇のない手さばき、なにより人間の体を弄ぶように貪った痕……。ですが、愉快犯と言うにもおぞましい目的があるのではないかと私は見ています」
 直哉は瀬古を一瞥した。
「人間を喰うこと、やろ」
 静かに、男はうなずいた。
「かつてアメリカで、プロファイリングの名を知らしめた凄惨かつ非道な連続殺人事件が起こりました。被害者の遺体は損傷が激しく、臓器が引き摺り出されている。非常に似通っています。幸いとして犯人は逮捕されましたが、複数人の命を奪い、そしてその血肉をミキサーにかけてすすった男は、知能・精神に長らく異常をきたしていました」
 ただ、と瀬古は続けた。
「それとは明らかに異なる」
 通常呪霊事故は無差別に起こるとされる。その呪霊の知能指数にも拠るが、呪霊事故に遭うことは、呪霊を視認できない人間たちにとっては4tトラックが信号待ちの歩道に突っ込んでくるようなものだ。いつ、どこで、なにが起きるかなどわかりはしない。そしてそのトラックを運転しているはずの呪霊自身も、多くはその被害者を特定ないし選別はしていない。できない、と言ったらいいか。だが、無差別に見せかけてここまで特定層を、特定のやり方で狙うとなると、無計画、無尽蔵に人間を襲っているわけではないのだろう。ましてやグラス、ボトル、バケツ、あるいはミキサーなどという人間の道具を使いこなすのだ。一級、否、特級――あるいはそれ相応の呪霊を降伏した呪詛師が裏にいる。
「血肉を体内に取り込むことに執着する例はいくらかあります。もとはといえば、古来欧州ではミイラ化した人体をすりつぶしたものが万能薬とされていたほどです。世界的に見ても、食人や食人族の歴史は我々が思うよりもはるか昔にさかのぼる。その上、根が深い。カニバリズムという言葉もありますしね」
 さらには一九八〇年代にはアメリカで悪魔崇拝者たちによる卑劣かつ残酷な宗教的儀式が横行し、その中でいくつか人間を生贄にする例も散見されたという。日本においても、古来より飢饉・飢餓の際にはやむを得ず人食に至る歴史があった。また呪術的にも、人間の体は立派な呪いの媒介となりうる。
「けど、そんなら、なんで残穢を残したん。これまで完全犯罪が成立してたわけやろ?」
 わざわざ足がつくような真似をするとは、捕まえてくださいと言っているようなものだ。相当な自信があるか、混乱する警察や術師たちの姿を嘲笑うのにも飽きたか。
「連続殺人犯は、わざと関連した手口を用いたり、目立った行動をとったり、存在を誇示することがあります」瀬古は写真を一枚ずつ集める。「これも、そういったもののひとつかもしれません。これはおれがやったんだ、さあ見てくれ!……褒めてほしい子どもと一緒です。それか、純粋に我々の眼を誤魔化すためのものか」
 最後に、ナルミの臓器が撹拌されたボトルの写真に手を伸ばすと、口もとをかすかに痙攣させた。「――あるいは特定の目的があるか」
「……血肉か」
 瀬古は笑みを深め、恭しい仕草でそれらを胸もとへしまい込んだ。
「それを、直哉さんには探ってほしいんです。わざと我々に手がかりを与えてまで、手に入れたいものがあるとすれば、再び怪物はあそこに現れる」
 それから指先を重ね瞑想するようにとん、と韻律を刻む。
「そして、それを守ることが、貴方にならできるはずです」
 直哉は鼻で嗤った。
「アンタがこいつにこだわる理由はそこか」
 指先の動きが止まった。
「……さすが、頭の回転が早い」
 ふうと息を吐き、瀬古は額に落ちた銀糸をさらりと揺らす。
「妻と娘を殺されたんです。四年前の冬に」