THEY ARE STARVING

 殺し屋の仕事というのは、実に多種多様だ。物陰に隠れて銃のスコープを覗き込み、ただ人差し指を動かすだけの仕事もあれば、正面切ってターゲットと死闘を繰り広げることもある。それから、相手の懐に潜り込んで、その寝首を掻くことも。
 その日ダイナーに訪れたエヴァの姿は、いつもと違って、オフショルダーのイブニングドレス姿だった。鬱蒼とした森によく似たダークグリーンのドレスは、彼女が動くたびにその体の線を浮かび上がらせ、惜しげもなく露わになった肩や、スリットから覗く肌の白さを際立たせる。高いヒールを鳴らして、天井から下りたヴェールをかき分ける仕草はとても気怠げ。しなを作って辺りを見回す顔は、物憂げにも、はたまた熱を秘めたようにも見える。ひどくあでやかだった。きわめつけは、首元に咲いた真紅の華。なにをしてきたかは、一目瞭然だ。
 こつ、こつ、とヒールが鳴るたびに、先ほどまでお祭り騒ぎだったロス・チカーノスが黙り込んでぴゅう、と口笛を鳴らしている。カウンターに立っていたボンベロは、補充する必要のあるボトルを手に取りながら、長い前髪の合間からぎょろりと視線だけを彼女に遣った。
「ボン、いつもの」
 サイドにまとめたゆるやかな巻き髪を手でかき上げ、エヴァは特等席に着く。
 仕事を終えて、そのままここへ寄ったのだろう。返り血を浴びていない様を見ると、今日も完璧に任務を遂行したらしい。だが――
「鼻が曲がりそうだ」
 ボンベロは目の前に座った彼女から漂う香りに、作業をしていた手を止めて、忌々しげに彼女を見遣った。きつい香水の香り。女物ではない、男物独特の鼻に粘りつくような甘ったるさと渋さを混ぜ合わせたような匂いだ。
「文句を言うならあの世に向けて言って。私の趣味じゃない」
 疲労をその顔に載せて、気怠くカウンターの上の花瓶に手を伸ばすエヴァ。そんな調子になにを言っても無駄だとわかったのか、ボンベロは黙って酒棚からシャンパンボトルを手に取り、細身のグラスに注いだ。
 彼女がそういった仕事を請け負っていることは、珍しいことでもなんでもない。殺し屋というのは殺しを生業なりわいにした、いわゆるなんでも屋みたいなもので、それぞれの倫理観によって仕事を選ぶ場合もあるが、大抵は彼女のようにあらゆる仕事を請け負うことが大半だ。キッドのような快楽のために殺しを楽しむ人間も中にはいれば、ただ生きるために、組織の狗として殺しをする人間も多くいる。彼女もまたその一人。
 とはいえ、また、派手にやったのだろう。子どものように泣きじゃくる女の姿はもうそこにはなく、つややかな肌の上に咲いた華がいやに脳裏を掠めていった。
 エヴァから受けた注文に取りかかるため調理場に移ったボンベロは、扉に取りつけた小窓から、カウンターに座る彼女の横顔を眺めた。
 相変わらず色濃く引かれたアイライン。白い肌には不釣り合いすぎるほどの赤いルージュ。カウンターの下で足を組んで、独り咲き誇るアストランティアの花に指を伸ばすその様は、とても物憂げだ。ここが夜景の見えるバー・ラウンジでもあれば映える光景だっただろうが、いかんせんここは殺し屋専用のいかれた連中が集まるダイナーだ。
 なにか面倒が起こるのも時間の問題だろう。ボンベロはマドレーヌの生地を一気に仕上げたあと、シェル型に流し込みながらひとりでにため息をつく。
 と、その矢先にブロがバーボンのボトルを手に、彼女に近寄っていくのが見えた。
「よお、エヴァ。よかったら、一緒にどうだ?」
 オーブンの回る音の合間、聞こえてくる声に耳を澄ます。
「ごめんなさいね、今そういう気分じゃないの」
 待ってましたとばかりに声をかけたブロだったが、対するエヴァは、ひどくやさしい声で彼を窘めるも、ちらりと男に一瞥もくれてやらない。ボンベロはすぐさまブロの負けでその場が収まると思い、使用したボウルを洗いにホールに背を向けようとした。
「そんなこと言わずに、エヴァ、楽しいこと・・・・・しようぜ」
 が、ボンベロは思いとどまった。ホールに意識を残したまま、台の上のフルーツに手を伸ばす。ブロはニヤリと下卑た笑みを浮かべ、好物の極上のステーキ肉が目の前に用意されたかのごとく、視線で彼女を舐めまわしていた。
「楽しいこと?」
 エヴァはそこで初めて顔を上げた。
そうだシィ。天国を見せてやる。絶対に、お前を退屈させないぜ。どうだ?」
 ブロは舌を舐めずりながら、指先を見せつけるように擦り合わせる。エヴァはそれを横目で見遣ると、顎先を上げ、アストランティアの花を一輪花瓶から抜き去って口元にあてた。花の匂いを嗅いでいるのか、それとも、口づけているのか。彼女は長い睫毛を瞬かせて、どこか熱っぽいまなざしを浮かべると、ボンベロに背を向けてブロを振り向いた。
くしてくれるの、ブロ?」
もちろんクラーロ子猫ちゃんガティート
 彼女の顔はこちらからでは見えないが、あのまなざしを向けられたとあらば、男ならたまったものじゃないだろう。その憶測どおり、ブロは餌に食いついた彼女に笑みを深めた。なまめかしい男女の駆け引きに、見ていた仲間たちが沸く。が、ブロは指揮者のごとく筋骨隆々な腕を振ってそれを制すと、彼女の花を刺青だらけの指先に取った。
「さあどうしてほしいか教えてごらん、子猫ちゃんガティート
 自らもそれに口づけると、視線で目の前の馨しい女を味わいながら、美しいカーブを描いた輪郭や華の咲いた首すじ、そして、つやめいた肩を花びらでなぞった。
 彼女の髪がゆらり揺れ、白い腕が深緑のドレスのスリットに伸ばされる。
 ボンベロはフルーツをカットする手を止めて、すばやく手を拭った。
「じゃあ、あなたのすべて・・・をちょうだい」
よろこんでコン・ムーチョ・グースト、エヴァ」
 ブロが野獣のようなまなざしを剥き出しにして、妖艶な唇を奪おうとした瞬間、
「そこまでだ」
 低い声が響いた。
 ボンベロはホールに姿を現すや否や、唇に咥えた葉巻に火をつける。それから、エヴァの肩を掴んで思い切り後ろへ引いた。
「おいおい、ボンベロ、邪魔しないでくれよ」
 いいところだったのに、と呑気な男にボンベロは静かに紫煙をくゆらせる。
「ブロ、ここでそいつに頭を撃ち抜かれるか、大人しく席に戻って旨い飯を食うか、どっちか選ぶんだな」
 くすりとも笑わずに告げるボンベロに、ブロはエヴァを見遣る。と、ごくり唾を飲み込んだ。太ももに覗く小銃、それがなにを意味するか言うまでもない。
「アミーゴ、ボンベロ! 決まってるだろ俺は旨い飯を食いに来たんだ」
「ならいい」
 降参の構えを示したブロが渋々と席に戻ると、ボンベロはエヴァを視線で捕らえた。うんざりしたように気怠げな顔でそっぽを向いている。ボンベロが顎先をグイっとヴェールの向こうへとやると、エヴァは瞳を伏せてこっくり頷いた。

「お前は客を煽るな」
 ホールから繋がる貴賓室、ソファにとっぷり身を預けた彼女に、ボンベロは唸った。
「向こうが絡んできたんじゃない……」
 エヴァは叱られる子どもさながらにムッと唇を尖らせる。先ほどまで妖艶な空気を醸していたというのに、変わり身が早いものだ。それに、自分自身の格好を微塵も理解していないらしい。
 ボンベロは無性に苛立ちが募った。舌打ちをしそうになるのをすんでのところで噛み殺して、葉巻を持たぬほうの手で小さな顎を捕らえる。彼女がハッと息を飲むうちに、白い首すじに長く太い指先を這わせた。
「これだけ華を咲かせて、それでも煽っていないと?」
「っ……」
 赤い鬱血痕をひとつひとつ、数えるようになぞるボンベロに、彼女はぴくりと体を揺らす。花びらの周りに円を描くと、彼女は慌ててそれを隠した。これが殺し屋のエヴァだとは思えないほど、初々しい反応だった。
「気がついていなかったのか」
 ボンベロは眉を微かにひそめた。
「……なんだか、どうでもよくて」
 弱々しく零れた声は、ホールから聞こえてくるロス・チカーノスのどんちゃん騒ぎに埋もれていく。寒さに凍える迷い子だ。ボンベロは思った。
 急に体を小さく縮こめたエヴァに、ボンベロは息をつく。そして、ソファの肘掛けに掛けてあったブランケットを手にすると、彼女に放り投げた。
「しばらくここにいろ。こっちに飯を運んできてやる」
「ごめんなさい、ボンベロ……」
 ぎゅう、とブランケットを抱きしめた彼女を、垂らした前髪の下から一瞥して彼は葉巻をふかした。
「憂さ晴らしに店を汚されちゃ困るからな」
 低くうんざりした声とはうらはらに、彼女の唇で美しく咲くアストランティアの花が脳裏にちらつく。
 自分の中にもたげたある種の高揚を煙に巻いて、彼は貴賓室をあとにした。

 

アストランティア: ヨーロッパから西アジアに分布するセリ科植物。花言葉「愛の渇き」。

飢えた獣たち