カナコの足跡を探す旅は、想像以上に回り道ばかりだ。手がかりなどほぼない状態で、ひたすら国から国を移る。彼らがそのたびに身分を新しくすること以外は、食べて、祈って、まったりとした陽だまりに身を預けて、街で情報収集という名の散策をする様などは特に変哲のないただの旅行のようだった。もとより先を急ぐ旅ではない。日本を発つ際に、「世界をゆっくり見て回りたい」とジュリアがぼやいたのが、ひとつの理由でもあっただろう。ボンベロ自身は遠回りなど好んでするタイプではないのだが、彼女となら、それで構わないと思った。
あの日の戦いで自らの城を失くし、売りにしてきた腕は、銃弾を受けた後遺症で長時間包丁を握ることは叶わない。もう、ダイナーの王であるボンベロに戻ることは不可能なのだ。
だが、そこに後悔はない。彼女のそばで、同じものを見て、触れて、感じることができる今をもう離すことはできそうにないのだから。
腑抜けた頭だ、たびたびボンベロは自嘲した。
フランスに辿り着いてからしばらく、目ぼしい食べ物を食べ尽くし、外に出歩くのも億劫になったある日。彼らの借りたモーテルの一室、ボンベロは窓辺に立って煙をくゆらせていた。
「……ボン、また、煙草の本数が増えたわ」
だしぬけにジュリアが発した言葉に、ボンベロは葉巻を持つ手を止めた。
あまりに気の抜けた顔をしていたのだろう、先ほど声を発した主は、気がついてなかった? と小首を傾げている。
「意識はしていなかった」ボンベロは苦い顔で言った。
「一日で一箱、多いときはもっと。前もそんなに吸っていたの?」
「いや、息抜き程度に吸うくらいだ」
そもそも、煙草の類は程度が過ぎると舌を狂わせる。料理人にとっては致命傷を負わせる毒だ。やけに減りが早いな、とは感じていたが、無意識のうちに、一本ずつの間隔が減り、本数が増えていったのだろう。指摘されてしまっては、肩身が狭い。
今日も朝から、と指折りして数える彼女に、わざわざ数えていたのかとボンベロは肩をすくめる。
「気になっていたのよ、あまりにペースが早いから、なにか気を削がれるようなことがあったんじゃないかって」
「気にするな。ただ癖になっちまったんだろう」
なにせ、なにもすることがなく、部屋には彼女と〝二人きり〟なのだ。
ペースが早いと遠回しに咎められたとはいえ、今吸っている葉巻を手放すボンベロではない。癖ってねえ、と釈然としない顔つきのジュリアを、なんだかんだと言って彼はけむに巻く。相も変わらず涼しげな顔つきだった。
「煙草って、口寂しいときとか、手持ち無沙汰になると吸いたくなるっていうわよね」
「一般的にはな」
口寂しい、その言葉にボンベロは微かに瞳を擡(もた)げたが、ジュリアが思案を巡らせるようにこちらをじっと見つめてきたので、すぐに視線を逃した。
唇に載せた葉巻からはゆるりと紫煙がくゆる。窓の向こうからは、穏やかな鳥のさえずりが聞こえてくる。ここらでバウ、とひと鳴き聞こえてきそうではあったが、その菊千代は寝室のベッドを豪勢に独り占めして、苺をたらふく食べる夢でも見ていることだろう。
目の前ではジュリアがカウチに脚を組んで、膝に頬杖をついてこちらを見上げている。どこか眠たげな目元は光を受けてきらきらと艶(つや)めいている。つん、と上を向いた鼻やムッと結ばれた小ぶりな唇がいじらしい。顎にあてられた指には、真紅のマニキュア。視線を少しずつ下へずらせば、露わになった胸元や腕、陶器のような肌がなまめめかしく視界を奪う。ワンピースの裾から、なめらかな曲線を描く白い脚が覗き、室内履きを脱いだ足先がゆらりゆらりと揺れていた。
強い喉の渇きを覚えつつ、ボンベロはあからさまにため息をつきたくなった。
「わかった、料理が思う存分できないから!」
そんな彼の心を知らずして、名案、とばかりにジュリアは手を叩く。
「……それもあるな」
「でしょう。私もそろそろボンの料理が恋しいところだったもの。毎日していたボンにしたら、今の生活は物足りないわよね」
物足りない――本当は別のところにあるのだが、彼女の自信満々な様子に、ボンベロは真実を口にすることはなく、そうだな、と気のない返事をした。
「次のモーテルはキッチンがついているところにしましょう。いくらなんでもこのペースは健康に悪いわ」
立ち上がって窓辺に寄ってくる彼女は、疑問を解決する方法を見いだしてさぞご満悦なようだ。まるで歌でも歌っているみたいな口ぶりである。
淡いピンクベージュのグロスの塗られた唇が、とっておきのゼリーのようにぷるりと揺れては、彼の視線を奪っていく。
ボンベロは葉巻を咥えながら、隠すこともなく、じっと見つめていた。
「飴でも食べる?」
ジュリアが気づく様子はない。それどころか彼女は彼の顔をひょい、と覗き込んでは、上目遣いで彼を見上げてきた。
ごくり、ボンベロは唾を飲み下した。
「……ああ、くれるか」
かろうじて紡がれた掠れ声に、ジュリアはポケットからドロップ缶を取り出して、カランカラン、と音を立てて手のひらに出す。ハイ、とカラフルなキャンディが二粒、ボンベロに差し出された。
「こっちが蜂蜜で、こっちはミントね。どっちがいい?」
「どちらでも構わん」
「じゃあ、ミントがいいかしら。こっちはもらうわね」
と、琥珀玉のような蜂蜜のキャンディを白い指先で摘まんで口に含む。彼女は気にも留めないが、ボンベロはその動きをつぶさに見つめていた。
「食べないの?」
ジュリアはキャンディで頬を膨らませながら、不思議そうにしている。
「いや、食う」
ボンベロは葉巻を窓枠に置かれた灰皿に押しつける。と、自分を見上げる二つの瞳をとらえて、白い頬を手のひらで包んだ。
彼女の長い睫毛が揺れる間に、ゆっくりと早熟の桃のような瑞々しい唇に触れる。ちゅ、と啄み、舌先でなぞる。微かに開かれた唇を食べるように包んで、彼女の中に入り込んだ。甘い蜜の味がする。ずっとずっと、これを欲してやまなかったのだ。むしろ、これだけではない。これ以上を、彼女の体すべてを求めてしまっては、その衝動を抑えるのに必死だった。
歯ぐきや上顎をなぞり、彼女のすべてを味わい尽くす。彼女の体はそのたびに、ぴくり、ぴくり、と震え、ボンベロは笑みをこらえきれなかった。
カタン、彼女の手のひらに載っていた飴玉が、床へと滑り落ちた。二人の熱を持った吐息と淫猥な水音がモーテルを支配していく。
やがてボンベロは目当てのものを見つけると、呆然としたままのジュリアの頬をするりと撫でて、唇を離した。
「甘いな」
舌の上で、甘い、甘い飴玉を転がす。ぽかん、と間の抜けた顔が、徐々に赤く染まっていく様を、ボンベロはしたり顔で眺めていた。
