スキンがボロボロの体を引き摺ってダイナーへやってきたのは、それから、ほどなくのことだった。ボスに言われてあることを探っていたスキンだったが、気がつけば敵に囲まれていたのだという。
ボンベロは血塗れになった彼の体を拭い、真っ白な包帯を巻いていく。ときおりスキンが頼りなく呻きを漏らすが、ボンベロは容赦なくきつく巻きつけた。それを終えると、ボンベロは食事の用意をすると言って調理場へと出ていった。
ふかふかのソファにどっぷりと身を預けたスキンの話し相手はわたしとなった。
お前も気をつけろ、と手当の最中、スキンがボンベロに告げていた言葉が気にかかったが、なにが起きているのかを訊くのは憚られた。
なにを話すか迷っていると、先ほどまで虫の息といっても過言ではなかったのに、スキンはまだ微かに虚ろな瞳をもたげて、わたしに笑いかけた。
「カナコ、ボンベロになにかあったら、君が彼を守るんだ」
いいね? と、あの黒いポップなキャンディ缶を差し出して。
なぜわたしなのか、理解が追いつかなかった。スキンが、ほら、とそれを揺らす。こつん、中でなにかがぶつかる音がした。
わたしはなかなかそれを受け取ろうとしなかった。やがて、わたしがなにか言いたそうにしているのに気がつくと、すべて見透かしたように微笑んだ。
「……俺は、彼女にふさわしくないんだよ」
と、傷だらけの頬に、悲しみを湛えて。
だが、今、そのスキンは横たわっている。バラバラに砕けたコンクリートや、木の破片が散らばる床の上に。
「どうして、どうして撃ったの!」
腕の中からすり抜けた彼の感触をその肌に残したまま、わたしはボンベロに向かって叫んでいた。
「そいつは、こいつを爆発させようとしていた」
ボンベロはスキンの着ているベストを捲った。そこには、カチカチと点滅するなにかが巻きつけてあった。スキンは体に起爆装置をつけていたのだ。視界の端に、そのスイッチと思われる四角い小さな箱が転がっているのが見える。
ものの十分前のことだ。いつものようにボンベロのスフレを食べたスキンが、壊れた人形のように暴れだしたのは。
突如、狂ったように笑い始め、持っていた銃で容赦なく弾丸の雨を降らせた。
スフレを食べただけなのに。それに、今日こそ、完璧なスフレだったはずだ。
母の面影を思い出して、しきりに操り人形はいやだ、怒らないで、と繰り返すスキンの姿は、まるで誰かを見ているかのようだった。
「……ジュリア」
ボンベロの放った弾丸によって、スキンはもうほとんど眠りについていた。だが、彼が微かに声を漏らすと、ボンベロは荒んだ吐息を落ち着かせて、「もう来る」とだけ言って彼のベストを剥いだ。わたしは震える体で立ち尽くすほかなかった。
「ボンベロ!」
そのとき、ジュリアがダイナーへ飛び込んできた。
凄まじい光景を目の当たりにして、彼女は目を剥く。そして、横たわるスキンを見つけると、一目散に駆け寄った。
「スキン、ああ、スキン……!」
力なく天を仰ぐ愛しいひとの体に、彼女は縋りつく。スキンの髪の毛がさらりと落ちて、傷だらけの、それでいて整った目元が露わになる。瞳はほぼ閉じかかっていた。
「ジュリア……最後に、聞いてくれるか」
スキンの微かな声が聞こえてくる。あの、やさしくて切なくて、甘い声が。
「うん、いいわよ」
ジュリアの声は震えていた。スキンを抱く体も、小刻みに揺らいでいるように見える。
凄腕の殺し屋だったというボンベロが、彼を一発で仕留めなかったのは、もしかして――鈍る頭を働かせて、まるでわたしたちには踏み込むことのできない、薄いヴェールを纏う二人を眺める。
彼の傷だらけの手が、ジュリアの頬に伸ばされる。
「――――」
スキンが、ジュリアに向けてなにかを言った。声にはならない、だが、たしかに彼の薄い唇がなにかをかたどった。
ジュリアはスキンの手に自分の手のひらを重ねて、ゆっくりと頷いた。
「私も、あいしてるわ」
今にも涙の海に溺れそうになりながら、それでも、必死に愛らしい笑みを浮かべて、ジュリアはスキンに告げた。
彼女の前では、いつも強張っていたスキンの顔がゆっくりと緩む。一切の苦しみから解放され、口元に笑みを湛えたまま、瞼が下りていく。
ジュリアは彼の唇に、そっとキスを落とした。
やがて、唇が離れると、ワンピースをたくし上げ、ジュリアは太もものホルスターから一丁の拳銃を取り出した。カチャン、と軽やかな音を立て、銃上部を引く。ゆっくりと銃口をスキンの頭に押し当てる。
そして、迷いもなく、その引き金を引いた――。
――私に彼を殺させて
あのときの彼女の言葉を、まさか、理解する日がくるとは。
わたしは呆然と立ち尽くしていた。
だらんと落ちるスキンの手。真っ赤に咲いた花。黒々とした銃口が、彼女の頭蓋に押し当てられる。
「無駄な死体処理をさせるな」
だが、ボンベロがその手を掴んだ。
大きな手が彼女の手を包んで、一本一本、その指を数えるようにほどいていく。銃はボンベロの手の中に納まり、彼女の腕が、ほのかに温もりを残しているだろうスキンの体に落ちた。
ぽろり、大粒のしずくが白い頬に伝った。彼女のきれいな顎先から、それが愛しいひとの顔に、落ちていった。
それを皮切りに、透明なしずくはぽろぽろと溢れていく。長い睫毛が揺れるたび、煌めきが彼女の頬を滑り落ちていく。
静かだった。本当になんの音もしないくらい。ただ目の前で、ジュリアが泣いていた。声も出さずに、じっとじっと安らかなスキンの顔を見つめて。ほのかな温もりの残滓を逃しはしまいと、彼の頬を撫でて。
さめざめと泣く彼女を放って、ボンベロはわたしのほうへと歩んできた。そして、彼らを見つめていたわたしの肩をどん、と強く押した。
「二人きりにしてやれ」
「でも」
ボンベロはわたしの言葉に取り合わなかった。
「いいから来い。お前には訊かなければならないことがある」
ボンベロの有無を言わさぬ声にこっくりと頷く。
腕を掴む力が強い。ミシミシと骨が軋む。もつれる足をなんとか動かして、ボンベロに着いていく。すでに、このあとなにが待ち受けているのか、はっきりと理解していた。
途中、わたしは後ろをふり返った。
丸まった背中が小刻みに震えていた。知らずのうちに聞こえだしたすすり泣きが、いつまでもいつまでも耳を撫で続けた。
その姿は殺し屋でもなんでもない、ただ、ひとつの愛を喪った女の人にしか見えなかった。
