できるだけ画面の大きなタブレット端末をカバンから取り出したあと、指先が求めるものは決まっている。
シャワーを浴びたばかりの髪をタオルで拭いながら、それとなく携帯のメールや着信をチェックする。そのあと、タブレットをスリープ画面から起こして「ローラ」の名前を探すのはもはや癖だった。
すぐさま、ホウエン旅行のとき、カイナの市場でスムージーを飲む彼女を撮った写真が映し出され、自然と口もとがゆるんだ。
「ごめん、今、ゲンガーが持ち出した本を取り返してて」
じきに画面が切り替わり、現れたのは恋人であるローラの姿。いつだったか二人で揃えて買ったシャツにヘアバンドというリラックスムード。そうして開口一番告げられた言葉と、そのうしろで悪そうな顔を浮かべるポケモンの姿にさらに顔の力が抜ける。
「あいかわらず、キミのゲンガーはいたずらっ子だね」
「ほんとうにね、そろそろ卒業してほしいんだけどな」
またしてもなにやら悪さをしたようで、もうゲンガー、と彼女は画面から消えていく。毎度おなじみの姿といったらいいか、彼女たちのやりとりは見ていて飽きない。そうして二、三分の格闘のすえ再び戻ってきたときには、手のひらに石を握っていた。
「それ」
「これ? ダイゴからもらったやつ」
見覚えのある、鉱石だと思った。宝石というには控えめだが、それでも、画面越しにもわかる透明感とルースのきらめき。親指と人差し指で挟んで、「デスクに飾っていたんだけど、ゲンガーがまた隠そうとしてたの」と彼女は眉をさげる。
「飾ってくれていたんだ」
「まあね。最初に採ってくれたフローライトももちろん飾っているんだけど、でも、ゲンガーはこっちのほうが好きみたい」
その気持ちはわからなくもない。薄く青色に染まった石の中に、光が集まって七色のきらめきを宿す。実際にはクラックの具合によって起こるプリズム反応だが、それでも見事に虹が生まれる様子はストーンゲッターの彼でもひと目見た瞬間目を奪われたものだ。
彼女がそれを大事にしてくれていること、もちろん彼女の相棒たちも。それから、その石のみならず自分があげたものはどんな形であれ身の周りに置いてくれていること。その事実は一日の仕事を終えたダイゴにとってなによりのご褒美に思えた。
「ダイゴは、もう今日は仕事終わり?」
「うん、イッシュでの視察はあらかた済んだから、今日は午後久々にフリーでね」
「なるほどね。それで、洞窟にでも向かったの?」
「当たり。現地のひとに教えてもらっていくらか洞穴に向かったんだ」
まだイッシュは夕食にも早い時間だったが、帰ってくるなりシャワーを浴びたのはそれが理由だ。ローラには、なにもかもお見通しなのだ。そんな採掘する暇があったらもっと早く連絡をして、とか、またそんなところに行って、と呆れるどころか、「いい石はあった?」と訊ねてくれる。
「そうだね、みずのいしとつきのいしと」
最初はさぞ不可解そうに見られたものだが、ローラの素敵なところだ。今となってはけっして彼の趣味や好みを蔑ろにせず、彼女の一部として受け入れてくれる。
すこしでもタイミングが合わなければ重ならなかった人生だ。あの日彼がバウタウンに行かなければ、そもそもガラルに向かわなければ、彼女に出会うことはなく、ローラという女性を、そしてこうして彼女と過ごす時間を知ることはできなかった。
出会ったころのすげない視線を思い出してつい笑うと、彼女は画面の向こうできょとんとマメパトのような顔をした。
「なんでもない」とわらって、ダイゴは採掘してきた石をケースから取りだしてみせる。
「いいなあ、イッシュ。私も行きたい」
「今度は一緒に行こうか、いい洞窟なら案内するし」
「洞窟以外も案内してくれる?」
「ヒウンシティくらいなら」
彼女を知らない人生を思うと、胸の奥が軋む。じきに全身を蝕んでいてもたってもいられなくなる。ガラルで過ごす最後の日、ワイルドエリアで見た彼女の笑顔を手離せず、そして諦めなかった自分を褒めたいくらいだ。
「恋人がいることを告げる必要があるのか」――周囲から少なからず言われた言葉だ。現役を退いているとはいえ、いまだにホウエンという名をポケモンリーグという重い看板を背負っていることには変わらない。人気が左右する立場であることは、チャンピオンの座についたその瞬間から身をもって学んできた。
それでも、人生には逃してはならないタイミングがある。一瞬のきらめきを、一瞬の鼓動を、音色を、この手からこぼしてはいけない。
ひとつだけ、ケースの中に残った鉱石を眺めてダイゴは目を細める。
「今日のダイゴ、なんだかやけに上機嫌」
ローラは聡い。そして強く、一人でもきっと立って歩いていける。けれど、そのぶん繊細で儚い。
「そうかな?」
「そうよ。ね、ゲンガー、ダイゴがずっとにこにこしてる」
これまで過ごしてきた日々の中で、取りこぼしてきたものは山ほどある。何度も苦渋を飲み干してきた。そしてこの先も、それは変わらないだろう。
それでも、失いたくないものがある。
それを告げたとき、父であるムクゲはやっとかという顔をした。そして、「ダイゴがそう思うなら、きっと間違ってはいない」と肩に置いた手は力強くそしてなにより優しい父の手だった。
「キミと早く会いたいなと思ってね」
ふと口にしたダイゴに彼女はまたしても間の抜けた顔をする。しかし、すぐにはにかみ、「来週、お忍びでアローラに行こうかな」と手にした鉱石を大事そうにのぞきこんだ。
「うん、いつでも。ボクは大歓迎」
――あなたにふさわしい人間になりたいとキミはひとりで歩いて行こうとするから、その手を引いていくらでもボクは一緒に立ち止まる。
