「ローラ!」
あどけない声が青空に響き、「来たな、少年」とポケモン研究所の植え込みでイオルブを観察していた私は白衣を翻しふりかえる。視線の先には、アーマーガアのワンポイントワッペンの入った黒いポロシャツにベージュのハーフパンツ姿の少年。「今日こそ一緒にバトルしてもらうんだからな!」と叫びながら駆け寄ってくる。
「あ、またあの少年じゃん」
カップを両手に、研究所から出てきたのはソニア博士だ。はいとそのうちのひとつを差し出して、コーヒーに口をつける。砂糖たっぷり、ミルク多めの日は徹夜明けの証だ。
「少年、またローラさんに挑戦しにきたわけ?」
「そうだ! ずっと前に約束したくせに、一回もバトルしてくれないから!」
ついに少年が目の前にたどり着く。ブラッシータウンの勾配ある街並みをずっと駆けてきたのだろう。ブレーキをかけたときにはすでに肩で息をしており、顔は真っ赤だった。それでもきらきら光る瞳は、太陽の石の名を持つヘリオライトみたい――とダイゴなら言うのだろう。思わず笑うと、「なんだよ」と不機嫌な顔が飛んできた。
「なんでもない、元気があっていいなあと思ったのよ」
「また子ども扱い! おれ、もう十歳なのに!」
たかが十歳、されど十歳。自分のポケモンを持ち、旅をすることができる年齢だ、たしかに、子ども扱いはよくなかったかもしれない。
「お、じゃあ今年からジムチャレンジじゃーん。推薦もらってんの?」
しかし、ソニア博士の問いに、「まだ」と少年はもじもじと答える。
「あらら、キミ、たしかターフタウンの子でしょ? ヤローさんに相談した?」
「おれは!」
――おれは?
威勢よく叫んだものの、彼はバッと顔を上げたあと、再び地面を見つめる。
「……おれは、ローラからの推薦がほしいんだ」
思わずソニア博士と顔を見合わせた。
少年との出会いは三か月前、ソニア博士主催のポケモン・オリエンテーリングだ。主にジムチャレンジ前の少年少女を集めて、トレーナーとはなにか、あるいはポケモンとはなにかを知ってもらうためのもので、そのときは第三回目、ちょうどダイマックスについての内容だった。
ダイマックスといえば、ガラルの名物。そして私の得意分野、ということで、よかったら一緒に少年少女たちにダイマックスを見せてあげないか、という誘いを受けてオリエンテーリングに参加したわけだった。
「それで、どうしてもローラさんからほしいんだ?」
ひとまず、彼にサイコソーダを出して、「推薦」の話をする。少年はグラスを睨みながら、そうだ、と唇を尖らせた。
「だって、ローラさん。どうする?」
「どうするもなにも、私に推薦権はないし」
苦く笑う。その途端、少年がバッと顔を上げた。まさに、「エッ」という顔だった。
「ないの……?」
「うん」と答えると、少年は見るからに絶望の表情を見せた。今度は「ガーン」という効果音がつきそうな勢いだった。
ガラルのポケモンリーグは他の地方とは異なり、ジムチャレンジ、そしてチャンピオンに挑戦できるチャンピオンカップから成り立つ。ローズ元マクロコスモス代表が打ち出したリーグ方式であり、長らくガラルはその二つで盛り上がり興行として産業や経済を主として支えてきた。それはさておき、ジムチャレンジにて八つのジムを制したトレーナーのみがチャンピオンカップに挑めるのだが、まず、ジムチャレンジに出るのにも「推薦」が必要なのがガラルリーグの特徴だろう。
だれでも好きなときに、自由に、参戦できるわけではない。ダンデはその枠組をすこしずつ変えようという思惑もあるのかバトルタワーやガラルスタートーナメントという新制度を新たに作ったのだが、ジムチャレンジの形式は従来のまま今年は進めている。
「残念だったね、少年」
とにかく、出場するには「推薦」が必要だが、その「推薦」はだれにでもできるわけではない。チャンピオンやジムリーダー、いわゆるリーグ関係者が推薦権を持つ。
ソニア博士の言葉に、少年はいまだに状況が呑み込めないのか、はたまた呑み込みたくないのか、あんぐり口を開けて肩を震わせている。
「だって、ソニア博士と一緒にいるから……」
「なるほどね。ローラさんのダイマックスバトル、かっこよかったもん。その気持ち、すっごい、わかる!」
つまり、私もリーグの偉い人だと思われたのか。たしかにデボンコーポレーションとしてリーグには関わっているが、あくまで私は一社員。困った、と眉をさげると、少年が悔しそうに唇を噛んだのがわかった。
「せっかく、ローラとバトルして、認めてもらおうと思ったのに」
ソニア博士と顔を見合わせたのは、本日二回目だ。
「あのさ」と切り出したのは、ソニア博士。
「キミは、ローラさんとただバトルがしたいの? それとも、ローラさんに認めてもらって、その上でジムチャレンジに挑みたいの?」
「……認めてもらって、チャレンジリーグに出たい」
はて、どうしたものか。小さくも確固たる意志を持った声にあごに手を当てると、「それなら、話は早い!」ソニア博士は指を鳴らした。
「ローラさんが認めた男なら、トクベツ! この偉大なるソニア博士が推薦状を書いてあげよう!」
そういうわけで、早速ブラッシータウンはずれにあるソニア博士の自宅に移り、バトルをすることになった。
「いきなりローラさんとバトルするのは、このソニア博士が許しません! と、いうことで、ホップとやってもらいまーす!」
「ヨロシク」と苦笑い気味に頭をかいたのは、彼女に引っ張ってこられた助手のホップくんだ。
「いや、ソニア博士、私よりホップくんのほうが断然バトル強いから」
チャンピオンとともにジムチャレンジを制し、ファイナルトーナメントまでのぼりつめたことは記憶に新しい。それどころか、数多の厄災からガラルを救ったうちのひとりだ。かつて、バウタウンのジムリーダーから推薦状をもらったものの、チャレンジそっちのけでレイドバトルにのめり込んだ女とは経験値がちがう。
「まあまあ、いきなりラスボスと戦うのはツマンないじゃん?」
「それはオレも賛成だな! 試練があってこそ、人もポケモンも強くなれると思うぞ!」
おや、なかなか話が大ごとになってきたぞ、と思ったものの、ホップくんの言葉に少年自身納得しているようで、太陽の瞳が燃えるように輝きだしていた。
「こっちの荷が重いんだけどね……」
胃をさするが、「それに」とソニア博士は構わず続けた。
「やるからには、未来のチャンピオン候補を育てるつもりでいなくちゃ」
打倒チャンピオン! そしてダンデくん! 斯くなる上は、「頼んだよ、ホップ!」と拳を握る上司に、ホップくんははいはいと肩をすくめたのだった。
さて、それからはスポ根ドラマであった。当然、ホップくんに挑んだ初戦は惨敗。手加減をしてもいいのとはないと彼のレベルを見ながらポケモンを選び、真摯と言えるほどの構えでバトルを受けたホップくんに、少年は悔し涙をのんだ。だが、そこで諦める少年ではなかった。そして、ホップくんの心にも火が点いた。男同士なにやら通じるものがあったのか、少年に合った戦略を考えることから始め、育成の仕方やトレーニング法まで、時間が経つのも忘れるほど真剣に彼に伝授していた。
その日はそこまで。結局、「推薦」はもらえなかったが、「強くなってまた戻ってくる」ということになり、一週間後ホップくんとの再戦を果たした。そして、見事に彼を破った。パートナーであるラクライをライボルトに進化させ、さらにはコイキングをギャラドスに鍛えあげて戻ってきたのだ。彼のバトルは目に見えて洗練され、以前の無鉄砲な少年の顔ではなく、ひとりのトレーナーとしての顔つきに変わっていた。
ホップくんの次は、いよいよ私。――と、なったとき、彼は驚くべき発言をした。
「きちんと、ヤローさんに推薦を頼んでみる」
思わず、私とソニア博士は目を見合わせた。ホップくんはそれを予期していたのか、「さすがだな」と笑って彼の頭を撫でてあげた。
「どうしちゃったの、いったい」
ソニア博士の言葉にも、「どうもしない」とひと言。
「でも、必ずローラのところに戻ってくるから、ちゃんと見てろよ!」
そして、ひとつのモンスターボールを残して、颯爽とターフタウンに帰っていった。
――それが、数分前。
「やあ、どうしたんだい」
モンスターボール片手にポカンとする私と、頬を染めて興奮気味に助手の肩を揺する博士の前に、なぜかダイゴが現れた。
アタッシュケース片手にブラッシータウンはずれの片田舎に出現した麗人。これもまた映画みたいなワンシーンであった。
「なんでここに?」
今ごろアローラにいるはずではなかったか。挨拶を返すよりもまず飛び出たのはそんな言葉で、ダイゴはそれをさらりと受け止め、「すこし問題が起きてね」と肩をすくめた。
「それで、ガラルに戻ってきていたんだけど、思ったより早く済んだんだ。だったら、前回忙しくて伺えなかったぶん、今日挨拶に回ろうと思って」
「ダイゴのそういう律儀なところ、本当に尊敬する」
そこは親ゆずりか、それとも彼自身の性質か。お世話になった相手に敬意を示し、また、行動する。彼の人望の厚さはこういうところから来ているのだろう。
「で、研究所に向かったら、マグノリア氏が三人ともここにいるとおっしゃってね」とダイゴは笑った。
「ダイゴさん、お茶でもいかがですか!」
キャッキャッとヒバニーが跳ねるような声で言ったのはソニア博士だ。ホップくんは彼女の肩振り攻撃に酔ったのか、青白い顔で苦笑い。
ダイゴはモルペコのようにきょとんと丸い目をしたが、すぐに、「では、いただこうかな」と微笑んだ。
「これ、イッシュとアローラのお土産」
テーブルの上に広がった地方限定のお菓子に、ソニア博士もホップくんも目を輝かせる。
「あまり時間がなくて、簡単なものばかりだけれど。口に合うといいな」
「いえ、いえ! ちょうど、手に汗握るバトルを見ていたから、糖分が欲しかったところでした!」
簡単な、と言うが、そのセンスはさすがとしか言いようがない。近ごろ話題になっていたヒウンシティの有名パティスリーの焼き菓子セットとアローラ産のコーヒー豆。王道のハートスイーツやインスタントのエネココアキットを買ってこないあたり、人の心を掴むのに長けている。
「あとは」とさらにアタッシュケースから取り出したのは、古びた書物。
「シッポウシティを訪れたら偶然見つけてね。古代ガラルの伝説を書いたものらしいんだけど、そういえばと思って」
こういうところ、である。おそらく百年は経っているだろうアンティークのそれを見た途端、ソニア博士の目がいっそう光を放つ。
「これ、読みたかったやつです! うそ! まさかイッシュにあったなんて!」
「たまたま入ったアンティークショップにあったんだ。訊ねたら古ガラル語で書かれているから店の主人もわからないって嘆いていたよ」
「すげー! ダイゴさんって強運の持ち主だな!」
ホップくんにはアララギ博士のポケモンの起源に関する論文。これもまたチョイスがツワブキダイゴだ。
キラキラと尊敬のまなざしでダイゴを崇める二人の様子に思わず笑っていると、ダイゴがこちらを向いた。
「もちろん、キミにもあるからね」
「さっすがダイゴさん、抜かりない!」
心配は、していなかったけれど。ふと頬をゆるめて感謝を告げると、彼はうれしそうに目を細めた。
夜の便でアローラに戻るということもあり、時間の許すかぎり四人で午後のブレイク・タイムに勤しむ。せっかくなのでさっそくお土産にもらったコーヒーにイッシュ産フィナンシェやマドレーヌを添えて、話題はダイゴの出張談からホップくんとチャンピオンのキャンプ話など、そして今日の話に至る。
「それで、三人ともここにいたわけだ」
果敢にも挑んできた少年の話に、ダイゴは笑いながら合いの手を入れる。
「そうなんです。その子ったらローラさんのダイマックスバトルに憧れたみたいで」
「その気持ちはわかるな。ダイマックス戦のローラはとても楽しそうにしているから」
自分が話題の中心にいると思うと、なんともむずがゆくなるものだ。やめてよ、と視線を逃しながらコーヒーに口をつけると、「そういえば」とホップくんが言った。
「ローラさん、あの子にモンスターボールもらってたけど」
「ホップ!」
きょとんとする彼とうらはらに、ソニア博士は親指と人差し指をくっつけて口の前でファスナーを締める。ナイショのサインだ。
「モンスターボールってことは、ポケモンかい」
だが、ここまできて話が終わるわけもなく。訊ねるダイゴに、そうだと思う、と先ほど受け取ったモンスターボールをポケットから取り出した。
「ソニア博士に見てほしかったとかじゃないのかしら」
「なるほどね」とダイゴは言うが、ソニアは、「ローラさんで合ってると思う」とひと言。
「ソニア、オレ、なんとなくわかったぞ」
そう言うのはホップくんだ。ますます、中身が気になってきた。
「とりあえず、見てみたらどうだい」
「そうね」
家が壊れたらいけないからと外に移動して、モンスターボールを放ってみる。と、出てきたのは、真っ赤なりんごだった。
「あ、カジッチュ! しかもつやがかっていて、とってもきれいな子!」
ここまで見事なカジッチュは初めて見た。のんびりと地面に転がるりんごに近づくと、その子は小さく鳴き声をあげて飛びはねる。
「うん、元気もいい。進化するとアップリューかタルップルになるんだけどね、中にはキョダイマックスする個体もいて……ってダイゴ?」
「この子は、ボクが預かるよ」
「えっ」
ゴホン、と咳払いをひとつ。そのあと私の手からモンスターボールを絡めとったダイゴに、うしろでは悲鳴にも似た黄色い声がかすかにあがった。
小さな騎士がその後ジムチャレンジを突破し、チャンピオンカップに挑むのはまた別の話。そして、神妙な顔をして懐へボールをしまい込んだ恋人の心情を知るのは、彼がアローラに発ったあとのことだった。
