これぞまさに、出鼻を挫かれたというのが正しいだろう。関係者のみのパーティーとはいえ、当然新聞社やらテレビ局やら多くの報道陣がやってきている中、今夜に備えてダイウォールで先手を打つ前にダイジェットを放たれてしまったわけだ。
会場にいたルリナやソニア博士のあの驚きの顔。久々に生存確認が取れたと思ったら、ホウエンチャンプのパートナーだなんて仰天ニュースもいいところだろう。どよめく会場の中でただ唯一メロンさんだけは親指をグッと立てているのが見えた。
「副社長、きちんと訂正を入れて下さい」
エキシビションマッチまではまだしばらくある。だが、このままではこれからの業務にさえ支障がでてしまう。ここから歓談タイムが始まり、副社長は来賓やゲストへ挨拶回りをする。ポケウッド映画でよく見るやつだ。その副社長の後ろについて、やってくる人々の名前や役職来歴を告げるのが秘書の役目。
と、なれば、格好の餌食なわけで。本来の挨拶回りよりも先ほどの追及で歓談タイムが終わってしまう。
「その必要はないよ」
だが、副社長はこの調子だ。
「ですが、副社長としてもあのような説明は――」
困るでしょう、そう言うつもりだった。控え室へ向かうさなか、燕尾服を着た彼が立ち止まった。その背にぶつかりそうになり、私は慌ててドレスの裾をつまみあげ、どうにかヒールで踏ん張った。
「ローラちゃん」
いや、と彼は言い直す。
「ローラさん」
そうしてふり返り、私の顔をじっと見つめた。目と目が合う、その一瞬でポケモンバトルが始まる。そんなシグナルを私たちトレーナーは決して逃さない。けれどそんなものではなくて、幾度となく見つめたプラチナの瞳がなにを言いたいのか、私はわかるような気がした。それでいて、わからないふりをして唇を小さく噛んだ。
「そんな顔をしないで」
「私は、あなたの邪魔をしたくありません」
「わかっているよ」
すべて悟ったようにかすかに微笑し、彼はドレスの裾をきつく握りしめた私の手をとる。
「キミは邪魔なんかじゃない。ボクにとって、キミの存在が邪魔になるなんて、そんなこと、ありえるわけがない」
世間が思っているよりも、彼の手のひらは硬くてゴツゴツしている。それに、心臓がふっとすくわれるようなあたたかさで、しかし、現実を呼び起こすように指輪がひやりと触れてしまう。
「ボクはキミに、隣に立っていてほしいんだ」
ふわり、彼はまたひとつ小さく笑う。口もとをゆるめて、目を細めて、そうして黙り込んだ私の腕を引いて、ぴったり肩を並べる。三歩後ろを歩いていた私を、これからもそう歩こうとしていた私を、彼は許してはくれない。
「だいじょうぶ、キミは今日この会場でいちばん美しいよ」
「そんなこと、あるわけないじゃないですか」
可愛げのないことをぶつぶつと吐く私に、厳しいな、と彼は髪を揺らす。ドレスと同じ、きらきらと光るプラチナブルーの髪。
室内灯にすら瞬いて、青く輝いて、この世のどの宝石よりも美しい。
「名前、呼んでくれる?」
結局、うやむやにされてる気がする。唇を尖らせる私を彼は覗き込んでくる。
「いやだ」私はせめてもの抵抗をした。
「キミがダイゴって呼んでくれたら、今日一日、いちばんつよくてすごいのはボクになるのにな」
「いつもじゃないですか」
自信家でまっすぐで、自らの正しさや信念をいだき、決して揺るがない。大きな岩と一緒だ。てこでも動かない。
「……ダイゴさん」
くしゃり、目もとがしわくちゃになる。
「もう一回」
「いや」
「ねえ、そこをなんとか」
「いやです!」
「キミって、案外頑固だよね」
「副社長に言われたくありません!」
と、和やかに控え室へ一度戻ったが、もちろんその後の歓談は副社長とそのパートナーの話題でもちきりだったのだった。
「……ぜったい、このパーティー終わったら有給申請してやる」
貼りつけた笑みをほぐすように頬に手を当てる。かわるがわるやってくるゲストの波をさばき、やっとの思いで解放された私は会場から出た関係者通用口の壁に寄りかかって天をあおいでいた。
副社長は一足先にデボンのスタッフのもとへ向かい次の新作発表の準備をしている。私もその場にいるべきなのだが、「今日は長いからすこし休んでいて」と副社長に送り出されてしまったのだ。
情けないな、と思いつつ、そういうとき結局隣には立たせてくれないのかと唇を尖らせる。……面倒な女だと自分でもおもった。
本当はどこかに座ってヒールを脱ぎ捨ててしまいたい。履き慣れないピンヒールだからか、かかとが痛む。けれど、下手なことをしてパパラッチに撮られても困る。ふうと息をついて頬を軽く叩く。メイクを直して、次に備えないと。
壁から体を起こすと、にゅっと大きな影が視界に入り込んだ。
「キバナ……」
よう、と手をひらり振るのは、いつものあのドラゴンパーカーではなくミッドナイトネイビーのタキシードに身を包んだキバナだった。髪をぴっちりまとめて、薄いカラーのサングラスをかけている。
「ミアレコレクションみたい」
そんな私の言葉すら軽くかわして、彼はポケットに手を突っ込んで歩いてくる。ただの廊下さえランウェイになるのは、昔からそうだ。正装した姿は何度雑誌やニュースにとりあげられたことだろう。
「こんなところ、歩いてて平気なの」
「それはこっちのセリフ」
ぐうの音も出ない。幸い裏方はデボン社員ばかりだからパートナーの意味を知っている人間も多い。とはいえ、あまりこの会場で気を抜いていられない。四面楚歌ってこういうことをいうのだろうな、という心地だった。
目の前に立った男を見上げる。サングラスの下で碧い瞳がゆっくりと下りてくる。
バウタウンの海よりもはるかに澄んだ瞳。それでいてどこまでも深く人々をいざなう深碧の色。あたたかくて眩しくて、きらきらと瞬いて、まさに楽園そのもの。
垂れたまなじりは甘く、秀でた鼻梁はラテラルの山嶺に優る。なにもかもが彫刻で、芸術で、私なんかにちっとも釣り合わないひと。
「どうかしたの」
先日、スボミーインでネコ被りがバレたのもあり、すこし語末が弱まる。私たちが一緒でなくなって、たった数か月。だというのに何年も話していなかったみたいに、距離を隔ててしまった。
今さら、どうしたらいいのかわからない。それに、こんな格好……。
「足」キバナはひと言告げて腕を掴む。
「ちょっと」
なにするの、という言葉はみるみるうちに窄まりやがて消えてしまった。そのまま辺りを見渡して彼はすぐそばにあった空き部屋に入った。
「そこ座れよ」
椅子と机以外本当になにもない、そんな部屋でキバナは優しい声色で告げてくる。渋々腰をおろし彼を見上げれば、彼は言葉もなく前に傅いた。
「変な歩き方、してたろ」
なんで、という言葉すら声にならず、ドレスの裾から覗いた靴を半ば奪うようにして彼は脱がしてくれる。
窮屈さから解放された足に、じんわり血流がめぐった。
「そんなに、変だったかな」
「さあ。オレさまはわかったけど、ほかはどうだか」
ガラスの靴のようにキュッと形が整ったそれを、キバナは揃えて隣に置く。
いつもより何センチも高いヒールは、華奢で美しくて、でもそのぶん私が背伸びした証のようでもあり、たちまち鋭利な棘となって心に刺さる。たった数十分、歩き回っただけ。なのに、靴ひとつ履きこなすことができない私は、ちっぽけな女だ。
「血、出てるか?」
「それは、ないと思う」
「ならよかった」
靴を脱がせるくせに、指一本肌には触れず彼は顔を上げる。
「なんだよ」
眉をあげた顔は、何度も何度も愛した顔だった。胸の奥が、喉の奥が、目の奥がツンと痛み苦しくなる。そんな彼に唇をとがらせ、なんでもないとかろうじて告げた。
「そんな顔すんなよ」
「そんな顔なんて、いわれるようなカオしてない」
「してる」
ぷっと吹き出したキバナにムッとして、「それより」と話を逸らそうとすると、外から声が聞こえてきた。
「まさか、あのデボンの御曹司に女がいるとはな」
「今までひとつもスクープ撮れてなかったのに、ここにきてこんなの撮れるとは報道陣も思ってもみなかっただろうね」
「でも、カノジョ、案外フツーだったな」
「それ、マジで? って思ったもん」
わかってる。わかっているのだそんなこと。本当に、余計なお世話だ。
ぐっと唇を噛み締め、その話し声が遠ざかっていくのを待ってから私は立ち上がる。
「行かなくちゃ」
「もうすこし、ここで休んでいけよ」
「でも、副社長が働いてるのに、私がここで時間つぶしてるわけにはいかないもの」
久しぶりに触れた平行な床の感覚に目眩を憶えた。それでも、私はガラスの靴を履かなくてはならない。
「ただの、上司だろ?」キバナは言う。
「上司だから、だよ。馬鹿にされたくないもの」
そうだ、ただの上司だ。思い上がるな。さっき触れたプラチナの熱と、楽園の海に潜む熱と、そのあわいでぐらついて今にも吐いてしまいそうだ。
腕を掴むキバナの手をどうにかすり抜けて、ヒールを履いて背伸びをする。そうしているあいだは、強くなれる気がするから。
「行くなって言ったら」
立ち上がった彼が私を見下ろす。
「そんなこと言われる価値なんて、ないよ、私に」
ああまた、どんどん卑屈になる。だからほんとうに、いやになる。
海に突き落とされたとき、目に映った唖然とした顔とそれから熱と悪意に満ちた顔が脳裡をよぎる。水面にぶつかった瞬間、とても痛かった。体も、心も。そのままもがいて死んでいまえたらよかったのかもしれない――そう考えて、次に視界を奪うのはいつだってさらりと揺れるあのプラチナの髪だ。
「行くなよ、ローラ」
――それなのに。
この声が好きだった。甘くてとろけそうな、低く脳髄を揺さぶる音色。その声で名前を呼ばれるのが大好きだった。
「オレのところに、いてくれよ」
止まったら、ふり返ったら、元に戻れる。キバナと二人でまた歩いていける。
――本当に?
――私たち、うまくいく?
「聞いた? あの女の人ってただの秘書らしいよ」
「えっマジ? ただの女避けってこと?」
「でしょ、ツワブキダイゴにそこらの女なんか似合わなすぎ」
「わかる」
ああ、本当になんて日だろう。前に進もうとする私を押し戻すように足もとに波が寄る。何度も何度も、抗いたいのに抗えない。
来なきゃよかった。こんなの、参加しなきゃよかった。どんどん募っていく。怒りだろうか呆れだろうか、哀しみか失望か。副社長のよくわからない気まぐれなわがままになんか、付き合わなきゃよかった。
「ローラ」
呼ばないでよ。そんな声で私を呼ばないで。
だって、もっと、みっともなくなってしまうから。
涙がこぼれそうになって唇を噛み締めて上を向く。そうして、ノブを掴む。ガチャリ、音を立ててドアを引く。その手を大きな手が阻む。
「――彼女が、お世話になったようだね」
だが、降りかかってきた声は、ここにないはずのそれだった。
「ダイゴ、さん」
自然とこぼれたそれに、彼は目を細めて無防備になった私の腰にそっと手を回す。
「すまないね、キバナくん。ボクたちこれから用があるから、また後ほど。フィールドで顔を合わせるのを楽しみにしているよ」
丁寧なはずなのに、いつになく温度のない声と言葉尻で告げて彼は私を自分のそばへ引き寄せる。
「ローラ!」
その声にふり返ろうとして、「ダメだよ」柔らかな牽制がそれを阻んだ。
