第二幕 第一話

「アレだ。お前もう諦めた方がいいんじゃね? 人生じゃねーよ、アレだよ、アレアレ」
 今日もかぶき町は晴天だ。
 雲ひとつない青空の下、呆然と立ち尽くすわたしの横で、銀さんが頭をボリボリと掻きながら欠伸を噛み殺して「ご愁傷さん」と言う。
 目の前には、《立入禁止》と書かれた黄色と黒の縞模様のテープでぐるぐる巻きになった家屋がひとつ。わたしは崩れ落ちたくなる気持ちを抑えて、その代わりにこめかみの辺りに指先を添えた。
「眩暈が……あれ? 目の前に蜃気楼が見える」
「いやいやちゃんと現実を見ろよ。事件は会議室じゃなくて飴屋で起きてるからね」
 ――いやいや、そんな馬鹿なことがありえるわけ……。
 もう一度目を凝らして見るが、やはり黄色と黒の縞模様。これは、アレだ。そう、アレ。とにかく、この惨状にいよいよ絶望感を感じずにはいられなかった。
 あれから、やっとの思いで採用まで有り付けたのがこの飴屋だった。
 小さいがそこそこ人気のお店で、歳を召した優しそうな老夫婦が営んでいた。温かくて、人情味あふれる場所で、いつも笑顔に満ちていた。
 いい職場も見つかったことだし、社蓄魂を思い出していざ働くぞ! と意気込んだのが一ヶ月前。順調に仕事も覚え、楽しくなってきたなあ、としみじみ思ったのが昨日。
 ところがどっこい、世の中そう上手くはいかないものらしい。
 今日は久々の休みだからと買い物へ行く途中、銀さんとお店の前を通ってみればなにやら人だかりができていた。はて、一体どうしたものか、とその人だかりを掻き分けて見れば、この有様だ。
 なんてことだ頭痛がする、と終ぞ両手で頭を抱えていると、テープの向こうからおばあさんが出てくるのが見えた。
「あら、凛子ちゃん」
「おかみさん! あの、二人とも、ご無事でしたか」
「ええ、私も主人も大事はありませんよ」
 その言葉にほっと安堵して、胸を撫で下ろす。
 話を聞けば、午前中冷やし飴を飲んでいた一人の男性が泡を吹いて倒れたとのことだった。救急車を呼ぼうとするも、時既に遅く。その人の息の根は止まっていた。
 原因は冷やし飴に混入した青酸カリによる他殺――。って、どんな火曜サスペンス?
「ごめんなさいねぇ、凛子ちゃん。お店は見ての通り。建物はなにともないのだけれど、こんな様子じゃ、開店しても人は寄り付かないわね」
 飴屋のおかみさんは眉を下げながらも、どこか戯けるように笑った。その様子がどこか健気で、こんなところで殺人を実行した犯人許すまじ、と憤りを覚えつつ、「おかみさん……」と口の中で声を転がすと、彼女はわたしをさらに安心させるように続けた。
「でもね、眠ったまま事件を解決してくれたお人がいらしてね、なんとか私たちは無事だったのよ」
「え?」
「私も主人も犯人に疑われたの、でもお客様のお一人が気を失うように眠りに落ちて、犯人を洗い出してくれたわ。それはもうすごかったのよ」
 眠ったまま?
 気を失うように眠りに落ちて?
 うっとりするように頬に手を当てたおかみさんを見て、目を瞬かせるわたしの代わりに銀さんが食い付く。
「ばーさん、その近くに眼鏡の坊主はいなかったか」
「ん? ああ、確かにいたねえ、でもそれがどうかしたかい」
「ばーさんとんだ厄病神に取り憑かれたな。有名な事件ホイホイじゃねぇか。お祓い行っておいた方がいいぜ」
 いやまさかそんな。見た目は子ども、頭脳は大人な名探偵じゃあるまいし。
 眉と目の間をだらしなく空けたままの銀さんを見上げる。
「銀さん」
「なに、お前まさか安○の女? 確かに日本国民みんな○室の女だけど、東の名探偵とF○I差し置いて、トリプルフェイスに心奪われちゃった派ですかコノヤロー」
 相変わらずのノンブレスだ。頭痛が痛いと頭を抱えたくなりながらも、わたしは冷静に突っ込みを入れる。

「それジャ◯プじゃありません。ちなみにわたしは灰○哀ちゃん推しです」
「おま、意外と見る目あるじゃねェか」
「はあ……」
 溜め息を吐くわたしに銀さんは「あのツンデレ具合がたまんねーよなぁ」と鼻をほじる。

「あの、力になれる事はなんでもしますので。遠慮なく仰って下さいね」
 ロリコン? これってもしかしてロリコンなの、ねえ、どうなの? なんて自問自答をする銀さんは放っておいて、おずおずとおかみさんに申し出る。
「ありがとう凛子ちゃん。でも、いいのよ、もうお店は畳むことにしたから」
 え? わたしは思わず目を丸くした。
 野次馬がガヤガヤと騒ぐ中、おかみさんは少し草臥れた様子だが、不思議と迷いの晴れたようなさっぱりとした顔をしている。
「この際、私達もいい歳だし、主人と話し合って潔く隠居することにしたの。何十年も忙しくて新婚旅行にすら行けていなかったから、ゆっくり余生を楽しもうって。だから、悪いけれど……」

 そういうわけで、再びわたしは無職になったのである。

「ま、気ィ落とすなよ」
 すっかり肩を落として歩くわたしに、銀さんは人差し指を鼻に突っ込んで、慰みも情けも篭っていない声で言った。
「鼻をほじりながら言われても。というか、ほじりすぎです」
「仕方ねェだろ、湧いて出てくるんだから」
「鼻血出しても知りませんからね」
 唇をむんずと突き出すと、彼は指先を宙で振るって、へいへい、と頭の後ろで両手を組んだ。
「でも、本当まさかのまさかですよね。やっと慣れていい感じだったのに、またイチからやり直しです」
「運が悪かったな」
「厄年は過ぎたはずなんですけどねえ」
 運が悪いで片付けることができたら良いのだが。
 困りました、と息を吐く。
 寺子屋の時といい、今回といい、立て続けにその職場自体がなくなってしまうのはもう遠慮したいところだ。特に二つ目に関しては正直納得がいかない。
 飴屋殺人事件ってなに。眠りの小○郎がいたってなに。
「働いた分の給料はくれたから良かったじゃねェか」
 呑気にも銀さんは言う。
「まあ、そうですけど……」
 帯の内側から紙切れ数枚ほどを入れたような厚み――と言っても厚くはない――のある封筒を手にした。
 ――せめてもの僥倖ってやつかしら。
 最後におかみさんが手渡してくれたお給料である。
 とはいえ、今月のお給料が貰えたと言っても、銀さんに支払わなければいけないお金にはきっと足りないだろう。依頼金だけならまだしも、万事屋に間借りして住まわせてもらっているのだ。
 このままいけば、銀さんを布団で寝かせてあげられる日もそう遠くはなかったというのに。また一歩遠のいてしまったわけで。
 それを考えると、意気消沈せずにはいられない。

「銀さん本当に申し訳ないのですが」
 わたしは溜め息混じりに切り出す。
「とりあえず稼いだ分だけお金はお支払いするので、残りはまた……。あと、住む場所も……」
 少しだけ後ろ髪を引かれる思いでぎゅっと目を瞑り、わたしは言葉を濁しつつも両手で封筒を差し出す。
 だが、銀さんは封筒を受け取ることはなかった。
「いらねぇよ」
「え?」
 それどころか、足を止めることもなく、頭の後ろに手を組んだまま歩き出した。
 かぶき町の人びとの合間を、彼はどんどん進んでいく。呆然とその背を見つめていたわたしだったが、封筒を落とさぬように一度しまい込み、戸惑いながらそのあとを追いかけた。
「あの、どうしてですか」
「どうしてって、初任給なんて自分のことに使ってナンボだろ。全国の母ちゃんはな、実際はそう思ってんの。ホラ、社会人の嗜みとして、バッグ買ったり財布買ったりぃ?」
 いくつになっても初任給というのは嬉しいし、欲しいものも買わなければいけないものもあるのは確かだ。
 銀さんの言葉に、それらが一気に脳裏に浮かんでは来たが、振り切るように、む、と唇を結ぶ。
「でも、悪いです。十分待って頂いたのに、これ以上待っていただくわけにはいきません」
「悪いもなにも、俺がいいって言ってるんだから、お前は、キャー、ありがとぉ銀さん! 大好きー! って抱きついてほっぺにチューしときゃいいんだよ」
「なんでそんなことしなきゃいけないんですか?」
「いやいや、そこはしろよ。真顔で言うな。全力で可愛い子ぶれ」
 ほら今ならタダで銀さんにチューできるぞー、とニヤニヤして頬を差し出されたので、顔を赤くして「しません!」と眉を釣り上げるわたしだった。
「んだよ」
 銀さんはつまらなそうに屈めていた身体を戻す。
「生娘じゃあるまいし、チューのひとつくらい減るもんじゃないだ……いや、もしかして」
「生娘じゃありませんけど!」
 毛を逆立てた猫のように言うと、彼はやれやれといった顔を浮かべた。
「わたしもいい大人ですから、キスの一つや二つどうってことありませんし?」
 ぶつぶつ念仏のように唱えるも、ふうん?
 となにやら銀さんは取り合わない。
「昼間からそういうこと言って……」
 まったく、呆れたいのはこっちだ。苦し紛れにぼやいて、熱くなった頬に手を当てて、溜め息を漏らしながら目を瞑る。
 すると、ふ、と頭になにかが置かれた。
「銀さん?」
 銀さんの大きな手だった。
 その手の温かさに浮かされそうになりつつ、銀さんを見上げる。相変わらず死んだ魚のような瞳だが、どこか真っ直ぐで、彼の言葉を待ち侘びて唾を飲み下す。
「家もねぇ金もねぇ、それからおまけに運もないときた。そんな不憫な女からむしり取るほど、俺は腐っちゃいねーよ」
 わかったか。
 ぽんぽん、とまるで小さな子どものように撫でられて、わたしは眉を下げて銀さんを見つめた。
「でも……」
 指先をもぞつかせる。まだなんかあんのか、とでも言いたげな視線が飛んできた。
「お登勢さんに家賃の滞納もありますし……」
「いや、今、超感動的なところだったんだけど? 凛子ちゃんもすごい見直しましたみたいな? 惚れ直しましたみたいな顔したよね?」
「あと、神楽ちゃんと新八くんに先月のお給料払ってあげてませんよね?」
「だから、現実見せちゃうの早いんだけどォォ!」
 それでも腑に落ちない顔をしていると、ついに折れたのか銀さんはガシガシと頭を掻いた。

「じゃあ、一万くれ」
 大きな掌が伸びてくる。
「それだけでいいんですか?」
「いやいや、お前それでんまい棒いくつ買えると思ってんだ。これだから現代っ子は……」
 そうですけど……と封筒から万札を一枚取りて差し出すと、彼は礼を述べながらニヤリ唇を薄くして受け取った。
 それを懐へそそくさとしまいこんだ銀さんは、「んじゃ、行くぞー」と先を歩き出す。
 目指していた大江戸スーパーとは逆の方向につま先を向けて、着流しの裾をはためかせる。
「どこ行くんですか?」
「軍資金を手に入れたので銀さんはちょっくらピカピカ光る銀の玉を回してきまーすって痛ァァァッ! いきなり足踏み付けんじゃねーや! つーか、お前、そんな子だったけ!?」
「あなたがそこまでマダオだったとは、心底見損ないました」
「いや悪かった、マジで悪かった! お願いだから、ゴミ溜めのハエを見るような目で銀さんを見ないで!」

 先生、かぶき町はいつも通り賑やかです。