第二幕 第四話

「エエッ、養女ですか」
 シャワーを浴びてすっきりした状態で居間へと戻ると、新八くんが出勤して来ていた。簡単に朝食の準備を済ませたあとに、皆んなで食卓を囲みながらわたしが「出て行く」という話を切り出すと、新八くんは眼鏡の奥でここぞとばかりに目を丸くした。
「その、松平って、あの警察庁長官のサングラスの怖そうな人ですよね」
 こくりと頷くと新八くんは顔を引き攣らせる。
「サングラスにまともな奴はいないネ。凛子、悪いことは言わないアル、断った方がいいヨ」
「こら、神楽ちゃん! でも、そんな方が、凛子さんにどうしてそんなことを」
 二十代もそこそこの女に、養子を勧めてくるのは普通じゃないとでも言いたげだ。わたしも普通じゃないと思う、という言葉は一先ず飲み込んで、瑣末を簡潔にまとめる。
「わたし、その、色々あって戸籍とか諸々がないのよ。身寄りもいないし、どこにも行く宛てがないのを心配してくれたみたいで」
 新八くんと神楽ちゃんにも、きちんと真実を話していないことを心苦しく思いながら、わたしは曖昧に苦笑いを浮かべた。
「エエッそうだったんですか!?」新八くんは驚いたように眼鏡を手の甲で掛け直すが、横から神楽ちゃんに「うるさいダメガネ」と殴られて眼鏡が宇宙の彼方へ消える。
「きっと向こうにはそんなこと関係ないネ」
「どういうこと?」
 わたしの横で神楽ちゃんはご飯をかき込む手を止めて、神妙な顔つきになった。まるで、名探偵のような……。
「心配する素振りを見せて、凛子を食べる気アル。三流のエロ漫画によくある展開アル。旦那を不慮の事故で失った未亡人に近所のオッさんが近付く為の良い口実ネ」
「神楽ちゃん、それ妙に生々しい喩えで引くから。そんなの、どこで学んで来たの」
「うるせぇな眼鏡。銀ちゃんの隠してたヤツに決まってんだろ」
 神楽ちゃんの言葉に、一斉に視線が銀さんへと集まった。
「隠してねぇから!」
 と、銀さん。
「いやっ、隠してたけど、そんな話一個も載ってなかったから! 俺寝取られ好きじゃねぇしどちらかというと清廉潔白な女の子を染めていきたいタイプだし? ウン、おぼこい子をこう銀さん色に染め上げるっていうの? 真っ白に、なんて? つうか三人してこっち見ないでくれる!?」
 言わずもがな、だれも聞き入れるはずがなかった。
 もうそんなの読んでは駄目だと神楽ちゃんに言い聞かせつつ、彼女のほっぺについたご飯粒を指先で取った。
「でもまあ、仮にも警察官だから、さすがに変なことはしないはずですよね」
 新八くんはお茶をすすりながら言った。
「そうだと信じてるけどね」
「そのポリ公のトップがストーカーだけどな」
 肩をすくめたわたしをよそに、銀さんは一言吐き捨てながらお新香をポイ、と口に放り入れた。神楽ちゃんはそれにウンウンと頷いていた。
「ま、つーことで、凛子は今度から松平になるかもしれねぇから、お前ら今のうちに欲しいモン考えておけよ」
「もう、銀さんったら。たかる気満々ですね」
 やれやれ息をつく。だがすかさず神楽ちゃんが「私、酢昆布一年分がいいアル!」と覆い被さってくる。
「いや神楽ちゃん、君さっきまで反対してたよね? いいの? 凛子さん松平になっちゃってもいいの?」
「本当にいちいちうるせぇなぁ眼鏡はよぉ。長い物には巻かれろって言うだろ」
「オイコラ、キャラ設定! こんなチャイナ娘、僕嫌なんだけど!」
 いつのまにか、というより、予想通りいつものように騒ぎ立てながら、万事屋の朝食の時間は過ぎていく。
 ブラウン管テレビから流れてくる朝のニュース番組が、新たにほかのワイドショーに変わるのにも気が付かないほど、賑やかで。
「ともかく、真選組には伺ってみることにします」
 本当は、できるなら行きたくないのだけれど。きっとそうもいかない。すっかり冷めてしまった茶碗を手にしながら、銀さんに聞こえるように口にした。
「おーいいんじゃね。そこで、つい酔った勢いでって言われたらそれまでだしな」
 一寸銀さんを見つめたが、結局、その瞳の奥がなにを考えているかなどはよくわからず。ただただ能天気なその言葉に、わたしは小さく唇を噛んで、そうですね、と一笑した。

 次の日は、雨だった。ザアザアと降りしきる滴が、窓を打ち付けて辺りを白く染めている。
 そんな天気とはうらはらに、しっかりと化粧を施し、いつもの小豆色や生成り色の着物ではなく、少し華美な薄紅色の着物に袖を通した。
「あの、凛子さん。一応、用心してくださいね」
 香を焚いて甘い香りを仄かに体に纏わせるわたしに、新八くんは難しい顔をして言った。
「ありがと、新八くん。でも、曲がりなりにも警察官だから、きっと大丈夫よ」
「そうなんですが。その、真選組にも色んな人がいますので。安全とは言い切れませんから」
「ゴリラとかマヨラーとかサドとかな」
 横から勢い良く抱き着いてきたのは神楽ちゃんだ。
「凛子、やっぱり行かないでヨォォ。あんな変態の集まる場所に凛子みたいな凡人が行ったら、変な色に染められちゃうのがオチだヨォォ」
「神楽ちゃん、それ、さり気なく貶してる?」
 ぎゅうぎゅう、と動けないほどの力で抱き締められて、わたしは目尻を下げる。大丈夫の意味を込めて、神楽ちゃんの背中をとんとん、と叩くと、今度は頭をぐりぐり押し付けられた。まるで小さな子どもみたいで、張り詰めた心を和らげてくれる。
「ううう、凛子は今のままが一番アル。変わる必要なんてないネ。だから、万事屋で毎日お味噌汁作ってヨ! 時々薄かったり、めちゃくちゃしょっぱかったりするけど、あったかい味で私好きアル!」
「だから、さり気なく貶してるよね。わかった、お料理の修行するから、もっと美味しいお味噌汁作れるように頑張るから」
 さてどうしようかしら。困っていると、「神楽ァ、凛子が行けねぇだろうが」と銀さんが助け船を出してくれた。渋々と離れる神楽ちゃんを、わたしこそ名残惜しく思いながら、その頭を優しくひと撫でする。
「凛子さん、時間大丈夫ですか?」
「ええと、正午にいらっしゃる予定だから」
 そう言って時計を見ると、ちょうど良く呼び鈴が鳴った。
 襟元と裾元を整えながら、玄関へと向かう。
 できるだけ粗相のないように引いた戸の向こうには、真っ黒な隊服を見に纏った男の人が立っていた。
 これから、真選組屯所に行かなくてはならないのだ、と体がつい強張る。それでも、なにも今生の別れではないのだから、と無理やり頑なな筋肉をほぐして、山崎さんでも、土方副長や局長でもない隊士に会釈をした。
「それじゃあ、いってきます」
 振り返り笑みを向けると、玄関先までついて来てくれた神楽ちゃんと新八くんの他に、ソファの背凭れの向こうから、ひらりと腕が上がるのが見えた。
「いいんですか、銀さん」
「いいもなにも。昔から、雨宿りするにゃ、古い軒の下に入れっていうだろ」
「なんでヨ。トイレだったら古い所は大抵汚いネ、新しい綺麗なデパートとかの方が気持ちがいいアル」
「馬鹿野郎、トイレは別だ」
 パトカーに乗り込むわたしを、そんな風に見送っていたとは知らず。

 三度目の屯所である。二度あることは三度あるとはよく言ったもので、雨粒が吹き付けるガラス越しに、どこかアンニュイな気持ちで《武装警察 真選組 屯所》の文字と、豪奢な武家屋敷の門構えを眺めた。まるで、時代劇からそのまま出てきたかのような出立ち。ガラス一枚隔ててなお、迫力がある。
 やがてパトカーが停まって車から降りると、まるでどこかのセレブの如く傘を差し出された。濡れないようにと慎重に、だがどこか無骨な感じがして、ふ、と眉を下げる。
「ようこそいらっしゃいました、凛子さん!」
 玄関先に着き、我先に元気よく挨拶してくれたのは、なんと天下の真選組局長でもあるお方だった。まさかそんな偉い方が直々に迎えに上がるとは思わず、失礼にも一寸動けないでいると、下がって良いぞ、とここまで連れてきてくれた隊士に命令を下すのが聞こえて、はっと意識を取り戻した。
「あの、近藤様……」
 なんでしょうか! とピンポン球のように言葉が返ってくる。
「その、わざわざ、お出迎えありがとうございます」
「いえいえ、礼には及びません! なにせ松平のとっつぁんのワガママにお付き合い頂いているんですから、こちらが礼を申し上げる側ですよ!」
 ハハ、と豪快に笑う姿は、お妙ちゃんに殴られて喜んでいるあのストーカーゴリラとは同一人物には思えない。
 いつもそうしていればいいのに、と考えたが、そんなことは野暮なことだ。
「ささ、こちらへ。雨が凄かったですが、お濡れになってませんかね、大丈夫でしたか」
「ええ。隊士の方が傘を差して下さったので。でも、きっと彼の肩はずぶ濡れです」
「なに、心配には及びませんよ。名誉ある濡れ方です」
「でも、お礼も言えませんでしたので、宜しければ感謝していたとお伝え願えますか」
 そう言って瞳を伏せると、彼は目元を優しく垂らして、「はい、必ず」と言葉を返してくれた。
 すまいるの外で話すのも、真選組の局長としての彼と接するのもこれが実に初めてなので、とても不思議な感じだ。だが、イメージとは違う彼の人柄と懐の深さを目の前に、少しだけ緊張の糸を解した。
 雨がザアザアと降る中、布の擦れる音を立てて廊下を進んでいく。
「凛子さんは、飴屋で働いていると伺いましたが」
「そうでしたが、つい先日色々あってお店もなくなってしまって。今はその、無職なんです」
 飴屋のことを思い出して苦笑いを浮かべると、近藤さん――近藤様はやめてくれと言うので、そう呼ばせて頂くことになった――も眉を下げて、それは運が悪かったですね、と相槌を打った。
「就職率は下がる一方で離職率は右肩上がり、幕府も頭を抱えていますよ」
「厳しい世の中ですね」
 温暖化然り就職問題然り、どんな世界でも、抱えているものは似ているようで。世間話に花を咲かせながら、屯所内を進んでいく。
「いやぁ、うちも人手不足で女中を募集しようとは考えているんですがね。いかんせんこんな場所ですから、なかなか人が集まらなくて」
「そうなんですか。勿体ない、立派な場所なのに」
「若い人からすると、男ばかりのむさ苦しい職場で掃除炊飯の仕事は、やはり嫌煙したいものですからね」
「きちんとした由緒ある場所なので、なかなか応募し辛いのかもしれませんね。わたしも、気後れしてしまうかもしれません」
「はは、凛子さんのような人だったら大歓迎なんですがねぇ」
 裏表もないように大きく笑う近藤さんに、ぼんやりとした笑みを返す。
 本当なら喜んで飛び付きたいくらいの案件ではある。けれど、流石にそんな勇気は今のわたしにはない。それでも近藤さんを前にすると、全ての毒気が抜かれるような、そんな気がしてつい調子が狂う。
 お妙ちゃんのお尻を追い掛けるストーカーゴリラの印象が強いからだろうか。よっぽどそのままでいてくれた方が、複雑な心境にならなくて済んだのに。
 ――この場所に慣れてはいけない気がする、それなのに。
 どうすればいいか、わからない。喉の奥になにかが絡んで気持ちが悪いような、そして、それを取り除きたくてもがきたくて堪らない、そんな感じだ。
 ――なんだか、大人気ないな。
 前だけ向いて行きていけたら、それほど楽なものはないのに。理想とはうらはらに、それはまだ少しだけ難しいのだと思い知らされて、なんとも言えない気持ちになる。
 こっそりと溜め息を吐きながら、近藤さんの後ろをついて行く。
「凛子さん」
 呼ばれて、顔を上げた。
「“どうしてわたしが”って顔をしてますね」
「え……」
 足を止めてこちらを見ていた近藤さんの屈託のない黒目と視線がかち合う。思いがけず目を丸くすると、近藤さんは眉尻を下げて笑いながらうなじを掻いた。
「図星、でしょうかね」
「すみません……その、そんなに顔に出ていましたか」
「いやいや、無理もない。とっつぁんが突拍子もないのは母上殿のお腹の中にいた頃からでしょうよ」
 そう言って彼は雨の降る中庭に視線を遣った。
「いつも俺たちの想像を超えたことをしてのけて、何度、度肝抜かれたことか」
「なんだか、思い浮かびます」
 一瞬こちらを向いて、そうでしょう、と薄く微笑んだあと、彼はまた外を眺めた。
「けど、とっつぁんはね、ああ見えて一本気な男です」
 わたしは、その横顔を眺めながら、はあ、と相槌とも溜め息ともとれるような息を漏らす。
「だからこそ、俺たちはあのひとについてきた」
 古き良き日本の佇まいを残した庭。銀の大きな雨粒が、ザアザアと降り注いでは草花や小石に打ち付けられ、小さく飛沫を上げる。庭の中央に位置する立派な小池には、数多の波紋が浮かんでは消えていく。
 その先に彼はなにを見ていたのだろう。
 辺りは白んで、呼吸を繰り返すたびに、独特の匂いがした。あの青々とした、大地のような。それでいて湿っぽい。どこか、安心するような、匂い。
「どうにも信じれないとは思いますが、きっと、貴女のことを考えてのこと。どうか、悪く思わないでやってください」
 近藤さんは再びわたしを見つめてまなじりを緩める。
 返す言葉に迷うわたしを包むようにして雨は絶え間なく降り続く。
「松平様は、本当に好いお人だと思います」
 しばらくして、そう言うと、近藤さんは嬉しそうに無邪気に笑った。
「さすがは、凛子さん。とっつぁんが見初めたお人だ」
 からりと言ってのけた彼の声は、強い雨の音にも混じることはない。
「とはいえ、正直なところ、俺も初めはなぜそこまで、と思いましたがね。でも、凛子さんを見てると、どうも、とっつぁんの気持ちがわかるような気がしてくる」
 おそらく、わたしは、道に迷った子どものような顔をしているのだろう。銀さんが、前にそう言ったように。きっと、今も。
 近藤さんの真っ直ぐな視線に、唇を小さく噛んだ。
「近藤さん、あの」
「これは俺からのお願いです。どうか話だけでも、最後まで聞いてやってはくれませんか」
「それは……」
 言葉に詰まった。だけど、掠れかかった声で、「必ず、お聞きします」と頷く。
 近藤さんは目を細めた。それから戯けるように頭を掻いて、「いやあ、喋りすぎましたな。とっつぁんに怒られちまう。ささ、行きましょうか」と止めていた足を再び動かした。
 ――どうして、こんなにもこの人たちは……。
 思考の渦に飲み込まれそうになるのを堪えながら、わたしはやんわりと笑みを頬に浮かべて、近藤さんのあとについて行った。

「凛子さん、こちらです」
 ついた先は先日訪れた座敷とは別の場所だった。これだけ大きな邸宅だ、いくつも部屋があるのだろう。一人ではきっと迷路に迷い込んだネズミになってしまうに違いない。
 近藤さんが襖の引き手に手をかける。深呼吸をして心化粧を整えると、近藤さんはそうっと後押ししてくれるように、反対の手を背中に添えてくれた。
 そして、襖が開く。
「オイ近藤、その汚ねぇ手を今すぐ退けなァ。三つ数えるうちに退かさねェと脳天撃ち抜くぞ。いーち」
 ――パァンッ!
 破裂音のような激しい音と共に、現れたのはオールバックにサングラス、そして黒い隊服姿の警察庁長官、松平片栗虎だった。
「アッ、いけね! 凛子ちゃんの前で銃ぶっ放すなんて、オジさんうっかりしてたよォォ。大丈夫? 怪我はない? アッゴリラ菌移ってない? 今すぐオジさんが消毒してあげるからねェェ」
「とっつぁぁん! 全っ然、二と三がなかったんだけどォォ!? 俺、死ぬとこだったんだけどォォオオオ!?」
「うるせェ! 男は一だけありゃ生きていけるって何度言ったらわかんだテメェはよォォ!」
 騒ぎ立てる二人を他所に、呆然と立ち尽くすわたしを、副長である土方十四郎は座布団の上に胡座をかいて睨みつけるように見据えていた。