第二幕 第三話

 そこそこに賑わう定食屋、衝立に遮られた畳の間に、二人の男が頭を突き合わせている。
「それで、山崎。なにか掴めたのか」
 丼をかっ込み、一人の男は言った。対して山崎と呼ばれたもう一方は、その丼の匂いに顔を顰めていたが男の言葉を受けるや否や「それが……」と視線を俯かせて箸置きを見つめた。
「はっきりしろ」
「ハイ」
 山崎はこうべを垂れる。
「では、単刀直入に言いますと、お昼になると財布だけを持ってランチに行くような、単なる都内の綺麗なお姉さんでした。はにかむ姿がどこか可愛いかったです」
「です、じゃねぇよ。抽象的だし私情挟みすぎだろうがァァッ」

 

「――でも、土方副長、どうしてそこまで疑うんです」
 ここ二週間の密偵の報告を終えて、山崎は頬を真っ赤に腫れあがらせながら、土方を窺い見た。
「どうしてもクソもねェ。俺らが疑わねェでだれが怪しい奴らを疑うんだ? え?」
「まあ、そうですけど」
「いいか、いい歳した大人の女が、攘夷志士のもとに身を寄せておきながら、蓋を開けてみりゃ、なにも知りません、じゃ、世の中通用しねェんだよ」
 土方スペシャルの最後の一口をかっ込んで、「贔屓の旦那を庇う遊女じゃあるまいし」と付け足す土方に、山崎は、確かに、と言葉を詰まらせる。
「それにどこを探しても、東雲凛子なんざいた記録がねェンだ。可笑しな話だと思わないか」
「それは、攘夷戦争で色々あったからだと万事屋の旦那は言ってましたけど」
「じゃあなんだ、人畜無害そうな女だから疑う必要がないって? だからお前は詰めが甘いって言われんだよ! 給食のカレーより甘ェ! 大体万事屋の野郎とつるんでること自体きな臭ェだろうが!」
 それでも二週間毎日ターゲットを監察してきた山崎は、はあ、と納得いかないように相槌を打つ。
 フン、と鼻息を荒くして、土方は胸元から煙草の箱とを取り出すと、器用に箱を指で叩いて一本飛び出させそれを口に咥えた。
 山崎は慌てて灰皿を手に取って、上司の目の前に差し出す。
「気に食わねェ」
「それは副長の個人的な……」
「るせェ! テメェはいいから今後も続けてあの女を張れ! 」
 横暴な言葉に、山崎は頭を垂れて、へえ、と返事をする。土方はそれでいいんだよとでも言いたげに、満足そうにもう一度鼻息を吐き出すと、煙草に火をつけた。
「あの女、絶対ェ、尻尾掴みだしてやる」
 鋭く眼光を放ち、唇の合間から紫煙を吐き出した。

 

 

「聞いたよォォ、凛子ちゃん若いのに苦労してきたんだってねェ」
 まさか、この松平公の言葉があんなことになるなんて。
 兎にも角にも、二回目のすまいるへの出勤は、とんでもない波乱を呼び寄せる幕開けとなった。

「銀さん、起きてください」
 朝方、万事屋へ帰ると、わたしはいつものようにお風呂へ向かうでもなく、真っ先にソファに寝ている銀さんの体を揺らした。
「んァ……んだよ、母ちゃん、あと五分」
「母ちゃんじゃありません。凛子です。大変なことになったんです!」
 こんな大きくてマダオな息子いらないわ、と思いつつ、目も開けずにむにゃむにゃ呟いて再び眠りに誘われた銀さんを、ゆさゆさと揺すり続ける。
「ん? ん? ンン!? やめ、ちょっなんか、なんか出そう! 出ちゃいけないやつ出ちゃいそうだから! 喉の奥からコンニチハしちゃうから、ねえ、ちょっ凛子ちゃんンンン!?」
 ゴフォッだかヴォエエだか妙な音が銀さんの口から飛び出してくるが、お構いなしだ。
 それから程なくして、後生ですからと必死なわたしに、銀さんはやっとの思いで起き上がった。
 寝起きだというのに、既に肩で息を繰り返し、顔はどこか蒼ざめてぐったりとしている。
「おはようございます」
「おはようじゃないから。今日の天気は晴れ! 爽やかな月曜日の朝です! みたいな顔してるけど、銀さん危うく川渡りそうになったから」
「そんな、大袈裟ですよ」
「大袈裟じゃねぇから! 大人しい顔してやることエグいんだよ!」
 ああもう、と手のひらで抱え込むようにして両目を覆う銀さんに、お水を注いでくる。彼はぶつくさと文句を呟きながらも、グラスを受け取ると一気にそれを飲み干した。
「……んで、どうした。って、クサッ」
 ふう、と息を吐き出した銀さんに、話を切り出そうとすると、顔を顰められた。
「はい?」
 首を傾げたわたしに、銀さんは鼻をつまむ。
「すげー匂い」
「あ、すみません。一応、バブリーズはかけたんですけど」
 いつものようにすぐさまお風呂に入らなかったから、きっと煙草の匂いがするのだろう。昨晩のことを思い返すと、ずっと煙と共にお酌をしていた気がする。
 思わず髪の毛をひと束手に取って鼻に寄せる。たしかに苦い香りがした。
「マーキングじゃあるまいしよォ。ったく、あのオヤジは……」
 銀さんはそう言って、頭を掻きながら大きな欠伸をした。
 マーキング、それは確かに言い得て妙だ。煙草の匂いが銀さんにふりかからないように少し離れる。反対側のソファに座ると、ちょうど銀さんと向き合う形になった。
「んで、なにがあった」
「ちょっと、大変なことになって」
 膝の上でぎゅ、と手のひらを握りしめて言うが、銀さんは眉と目の間を開いて間抜けな顔をしたままだ。
「なんだよ。ついにお前までストーカー拾ってきたか?」
「違います」
「そんなこと言って隠してもお見通しだからね? なんでもかんでも拾っちゃダメって銀さん言ったでしょ。怒らないから、今すぐ戻してきなさい」
「だから、違いますって!」
 シーンとした室内に、声が響き渡る。
 欠伸を噛み殺しながら小指を耳に突っ込んでいた銀さんは、動きを止めて視線を擡げた。
 神楽ちゃんはまだ寝ているというのに。わたしはひとつ咳払いをして、「すみません」声のトーンを下げる。
「どうした?」
 その顔に感情こそは出さないが、銀さんは先程までの気の抜けた顔をやめて小さく訊ねてきた。低い声がどこか耳を擽るようでむず痒い心地を覚える。だが、髪の毛を耳に掛け直して誤魔化した。
 どう言えばいいのか。言葉を選んでいると、不意に銀さんの瞳と目があった。真面目な顔つきだが、目だけはどこかとろんとしていてなにを考えているのかはわかりかねる。だが、先を促されるようにじい、と覗き込まれて、観念して息を吐いた。
「その、昨晩、松平様に養女にならないかと言われまして」
 途端に、溶け出したバターのようなとろんとした眠気まなこが、はっきりと丸くなった。
「は? 幼女?」
 そして、銀さんは瞬きを何度か繰り返しながら言う。
「多分それ違います」
「いやいや、わかんねーだろ文字にしてみねーと。同じかもしれないじゃん?」
「わかります。銀さんの顔に書いてあります」
「ねえよ!」
 その気持ちもわからなくないが。どっぷりと背凭れに身体を預けて、はぁああ、と天井を仰ぎながら強く息を吐き出す銀さんに、わたしは昨晩のことを軽く頭の中に思い浮かべていた。
「養女ねぇ」
 ぽつり繰り返された言葉に、こくりと静かに頷く。
 出会ってから顔を合わせたのは二度目だというのに――はっきり言ってインパクトはその回数の数百倍くらいあったが――――昨晩、松平様から告げられた言葉は、あまりにも想像の斜め上をゆくものだった。

 ――オジさん考えたんだけどさァ。凛子ちゃん、松平になる気はない?

 口調は軽いものだったが、サングラスの奥の眼は真摯に真っ直ぐ向けられていた。お妙ちゃんや近藤局長がいれば、笑って流せたものを、卓にはわたしの他にだれもいなかった。
 いや、一度はプロポーズじゃあるまいし、と戯けた。それでも、松平様は続けた。

 ――とりあえず詳しい話は後日屯所でするからさァ。悪い話じゃねェと思うんだけど、考えておいてくれる? オジさん凛子ちゃんと家族になりたいんだよォ、か弱い女の子を一人で放っておけないよォ、ねっ、いいでしょ? アッでも、凛子ちゃんとチョメチョメできなくなっちゃうのは困るなぁ。どうしようかなぁでもなぁ。

 口を挟む暇もないほどの勢いだった。どうしてこうもこの世界の人はノンブレスの人が多いのだろう。
 それはさておき、明後日の正午に迎えを寄越すまでも息継ぎ待たずに言われてしまい、その次の言葉を考えることもできなかった。正直なにが起こっているのかもわからず、そのときのわたしの顔は酷く間抜けであっただろう。豪快に笑う松平様の隣で、戸惑いを隠せず、あのだとかその、とか金魚のように唇を開閉して、終いにはただ彼の言葉に頷いていた。
 そのあとのことは、詳細には覚えていない。
 だが、グラスに注がれたドンペリの、細かく揃った泡が天に昇るようにして水面に浮かんでいく光景はやけに鮮明に脳裏に描かれた。わたしは、ただただ困惑にも、怒りにも、そして悲しみにも似たような笑みを浮かべて、それを眺めていたのだ。
 細かなあぶくは、眩い光にパチパチと弾けるように煌めいて、胸の奥を疼かせた。

「ねえ、銀さん、局長さんにどのようにお話なさったんですか」
 その疼きを途端に思い出して、親指を握りながら、わたしは訊ねた。
「どのようにって、なにを。目的語を言え目的語を」
「その、わたしの身の上話についてです」
 言いづらそうにするわたしに、銀さんは「あーそれね」と気のない相槌を打った。
 後から聞いた話だが、あの時――先生の粛清を聞いた日、わたしからの依頼を受けた銀さんは、真選組の局長に直談判しに行ったという。まさか、お願いをしてはいそうですか、と簡単に頷いて貰えるようなことではないので、結果に至るまでは紆余曲折があったのだろう。銀さんは頑なに話そうとはしないので、わたしは詳しく知らなかったが。
 その際に、わたしの話をしたはずだ。
 松平様は真選組の局長から聞いた話の内容について、すまいるで口にすることはなかったが、きっと。
 ――よく頑張ったなァァズビビッもう一人じゃないからねェェ、んぐッ、オジさんを頼るんだよォォ。
 と、強面の男が鼻をすすりながら言うものだから、そうに違いない。
「アーどうだったっけなあ、覚えてねェかもなあ」
「……銀さん」
 考えるように宙を見上げていた銀さんだったが、わたしにもう一度名前を呼ばれると、彼は思い出したように、ぽん、と手を打った。
「そういえば、天涯孤独の末、恋人にこっぴどくふられて思い悩んで入水自殺を図ろうとしたところをあの優男に助けられた、だったような」
「え、それを……?」
「アー、ウン確かそんな感じ?」
 そんな感じ、って。
 語末を曖昧にしたものの、彼の記憶は明瞭だったらしい。
 すらすらと口から飛び出した言葉に、わたしは握っていた親指を離して、こめかみに人差し指と中指の腹を当てた。
「合ってるようで合ってないような、なんか色々ドラマティックになっているような……」
「いやぁ、あのゴリラ、涙流しながら話聞いてくれたから助かったわ」
 もはや開き直ったのか、銀さんは我ながらよくやったとひとりでに頷いている。
 まったくこのひとは……と思うが、銀さんが局長さんに話した内容は当たらずとも遠からずだ。この世界には身寄りがいないこと、恋人に捨てられて半ば自棄になっていたこと、あの人に助けられたことも。ここに来る前、わたしはたしかに長年付き合っていた男性に別れを告げられた。だが、微妙に、違う。川に落ちたのは自殺しようとしていたわけではない。いや、わからない。けど、そうではなかったと思う。たまたま落ちて、気がついたら…………。たまたま? 本当に、たまたまだったのか?
 ――とにかく、肝心な部分はうまく隠されているようだった。
 ――ひょっとして、銀さんは、〝知って〟いたのだろうか。
 わたしは銀さんを見つめながら、小さく息を吐いて肩の力を抜くと膝上で軽く手を組んだ。そして、その指先をそっと擦り合わせた。
「銀さん、わたしのこと、どこまでご存知でいらっしゃいますか」
 銀さんは動きを止めた。
「あの人は、わたしのことを、なんと……」
 違う世界から来たことを、先生は銀さんに言ったのだろうか。それとも。
「さァな」
 彼は言った。
「俺が知るのは、お前が川に浮かんでたってことと、あの優男に助けられたってことぐれェだよ」
 死んだ魚のように気怠げな瞳からは、その言葉の真意は窺えない。
 どっぷりとソファに身を預け、脚を組み、銀さんは両ひじを背凭れに掛ける。わたしは自分の心臓の音をどこか近くに聞きながら、ごくりと唾を飲み込んだ。
「ほんとうに、それだけ?」
「それだけ? って。なに、銀さんにはもっと知っていて欲しかったって? ったく、凛子は素直じゃねぇなぁ。どれどれ銀さんがその閉ざされた胸の扉を」
「いや、違いますけど」
「いや、じゃねえよ。ちょっとは肯定しろよ。そのきょとんとした真顔で毒吐くのやめて」
 いつもの口八丁によりその先は訊ねることはできなかったが、きっと、なんとなしに彼は知っているのだと感じた。

「んで、凛子、お前松平のオヤジの件はどうすんの」
 銀さんは話題を元に戻す。
「どうするもなにも、突然すぎて正直信じられないというか」
「んなモン今更だろ。あのオヤジが突拍子もねェのは生まれた時からに決まってる」
「そうかもしれないですけど」
 すぐに返事なんて、できるわけない。だって、幼女になれだなんて。まちがえた、養女になれだなんて。
 心底参っているというように、瞳を伏せて膝の上に組んだ手を見つめる。昔は気を使ってネイルだなんだとしていたが、今は甘皮の伸びた爪。
 銀さんはそんなわたしをよそに、ソファの脇からジャンプを手に取っておもむろに読み始めた。
「でもよォ、ちょうどいいんじゃねェの。仕事も住むところも探してんだから」
 ぱらぱらとページを捲りながら言う銀さんに、そうですね、と相槌を打つ。
 確かに、今のわたしにとってはこの上ない話だ。松平家の後ろ盾を得ることができれば、衣食住はもちろん、就職はおろか幕府が倒れない限り将来も安泰。しかし、そんな虫のいい話あるのだろうか。こんな、なにもない――自分で言うのもなんだが、むしろ怪しさ満点の女を家族に迎え入れるなんて。
「そんなに悩むことかよ」
 銀さんは相変わらずジャンプを捲っている。
「俺だったら受けるね。考えてみろよ、セレブだぞセレブ。玉の輿狙う必要もねェくらいになるんだぜ? 三食毎日和牛、いや、三食毎日パフェ付きも夢じゃねェ。最高かよ」
「色気より食い気なのは銀さんじゃないですか」
「なんだよ、お前もその口だろ」
「銀さんよりマシですぅ」
 その軽い物言いに、なんだか考えるのも馬鹿馬鹿しくなってきた。組んでいた手のひらを解くと、わたしもソファに身を預けて、はあ、と溜め息混じりに天井を仰ぐ。
 昨晩から色々考えを巡らせたからか、やけに頭が重たかった。気を抜いたら、ソファに沈んでいってしまう。このまま沈んでしまったら、楽かもしれない。
「つうか、考えすぎじゃね? お前もっと気楽に生きた方がいいぞ。人生損してるって、三丁目のヨシ子がお前のこと心配してたから」
「はいはい、あのお節介焼きのヨシ子さんね。自分の息子のこともっと心配した方が良いって言ってあげて頂戴よ銀さん。今度で四度目のお見合いでしょう?」
「いや、お前ヨシ子ってだれだよ」
「ねえ、話題振ったのそっちなんですけど?」
 涼しい顔をして銀さんは続ける。
「まあなんだ。いずれここを出て行くつもりだったんだ。そんなうまい話逃す方が馬鹿じゃねぇの」
 ですよね、溜め込んだ息をここぞと吐き出す。
「……依頼金も、借金も全部返せますもんね」
「むしろ俺がなりてぇよ。んで、こんな胡散臭ェとこからはとっとと出て行くね」
「自分で胡散臭いとか言いますか」
 でも、確かに銀さんの言うことは尤もだ。
 ただ、どこか腑に落ちないような、受け入れられない気持ちが抜け切らない。自分でも上手く言えないが、なにかが引っかかる。
 だらんと力を抜きながら頷こうとしたその時、

「凛子が出て行くって、どういうことネ」

 神楽ちゃんが寝室からのろのろと目を擦りながらやってきた。
「神楽ちゃんごめんね、起こしちゃった?」
「二人が乳繰り合う声で起きたネ」
「いや、乳繰り合ってねェから。乳繰り合うにしてもんな煙草臭い女はごめんだから」
「銀さんの馬鹿」
 お風呂に入っていないことを思い出して、羞恥から頬を赤らめる。
 神楽ちゃんも神楽ちゃんで、スンスンと鼻を寄せて「本当アル」と眉を顰めたので、わたしはシャワーを浴びる事に決めたのだった。