第一幕 第二話

「ありがとうございます、坂田さん」
 タオルで体の汚れを拭いながら礼を述べると、ソファに横になってジャンプを読んでいた坂田さんは、雑誌から目を離さずに「いーってことよ」と返事を返した。
 あれから、坂田さんに連れられるがまま、白いスクーターバイクの後ろに乗ってかぶき町を駆け抜けた。
 一つしかないからと押し付けられたヘルメットを被っていたとものの堂々と二人乗りをしていたから、途中町奉行に捕まえられそうになったが、どうにか振り切って≪万事屋銀ちゃん≫までやって来た。
 せっかく釈放されたのに、またまた豚箱行きかと正直冷や冷やしたものだが、坂田さんが「僕ニケツ上級者免許持ってるんでぇ」だとかなんとか言って奉行人を遇らうのは面白かった。
 ニケツ上級者免許なんてあるわけない。
 でも、こびり付いたなにかが少しだけ、ほんの少しだけその時は風に吹き飛ばされたように感じた。
「で、そんな格好でなにしてたの?」

 万事屋をぐるりと見回していると、いつのまにかジャンプを読み終えて身体を起こしていた坂田さんが訊ねてきた。
「え、と……」
 思わず、言葉に詰まる。坂田さんはあくびを噛み殺しながらやる気のない声で続ける。
「いい歳して迷子ですか。なんなら、寺子屋に電話でもしてやるけど? おたくんとこの姉ちなん迷子だぜって。んで、優男先生を迎えに――」
「捕まって、いました」
 坂田さんの言葉を遮って言うと、彼はハァ? と目を丸くした。
 それもそうだろう、捕まるなんて、そうそうない事態だ。
「捕まってたって、だれに。あれか、痴情のもつれってやつ? 監禁? ねぇ監禁なの、そういうプレイなの。姉ちゃん大人しそうな顔してやることやってんのね」
「真選組です」
「ハァ!?」
 飄々とした顔が、これでもかと歪む。それから、ごくりと、唾を飲み込んで「真選組って……オイ、まさか」と唸るようにつぶやいた。
「……攘夷志士の疑いが掛けられて、拘留されていました」
 どうせ、寺子屋に電話をしたって、だれも出やしない。きっともう取り壊されて、跡形もなくなくなっているはずだ。坂田さんの手を煩わせる必要はない。だって、攘夷志士たちが隠れ蓑にしていたという、寺子屋なんて――……。
 タオルを握る手が、強くなる。
「アー、ということは……」
 震えないように、ぎゅっと力を込める。
「寺子屋はなくなりました。先生が攘夷の一派に肩入れをしていたようで」
 気まずく頭を掻いた坂田さんに、わたしは続けた。
 訳あって、わたしが世話になっていた寺子屋は、江戸の外れにあった。穏やかな農村部で、ターミナルやビルが連なる都心部とは違って田畑が広がっているような、そんな場所。近所の子どもたちが、十人にも満たないほどだが、毎日やって来ては手習いを受ける。そこで読み書き教えていたのが、先生だ。
 柔らかな物腰で、歳はわたしや坂田さんよりも少し上くらいの男の人。困っている人がいたら、迷わず手を差し伸べなさい、と言うのが口癖のような人で、子どもたちからも、近所の人たちからも慕われている、とてもいい男の人だった。
 だが、その先生は、裏で攘夷志士と繋がっていたのだという。攘夷活動を幇助していたのが露見し、危険分子と見なされた彼は、真選組に捕らえられてしまった。
 ――すまない。
 あの日、寺子屋で最後に見た光景が蘇る。

「詳しいことは知りません。あの屋敷で過ごしていたわたしも、先生の可笑しな様子には気が付かないほどだったので」
 堪えきれず震える指先を手のひらに隠して、その光景を押しやる。
 坂田さんは先程までの戯けた態度はしまい込み、なにも言わずにただ眉をひそめながらわたしをじいっと見つめていた。
「それで、証拠不十分と、その……神経衰弱から、一時的に釈放されたのが、今日で」
「無罪放免じゃねぇのか」
「はい。まだ、疑われていると思います。次なにかしたら、今度こそお縄に掛けると言われました」
 次はない、鬼の副長のそんな言葉が反芻し、溜め込んだ息を吐き出す。
 攘夷なんて、考える暇もなかったというのに。だが、それを証明する術をわたしは持っていない、だから、仕方がないのだろう。
 半ば諦めのように笑みを浮かべると、途端に空気が淀んで、そこかしこに澱が重なっていくようだった。耐え切れなくて、矢継ぎ早に言葉を繋いでいく。
「それで、住むところも職もお金もなくて、どうしようか途方に暮れていたところを坂田さんに声を掛けられたんです」
 その節は本当に助かりました、と頭を下げる。彼はさして気にしていない様子で、ひと言「ああ」とだけ返した。
「で、どうすんだ」
 低い声で訊ねられ、おうむ返しに「どうするんでしょうね」と口にする。
「どうするんでしょうねって、お前ね」
「どうしようも、ないんです」
「身寄りは?」
「ありません」
「知り合いは?」
「……いません」
 もしかしたら、あの村に行けば、だれかが泊めてくれるかもしれない。しかし、結局はまだ犯罪者の仲間という身分だ。迷惑をかけてしまう。
 ことごとくかぶりを振ったわたしに、坂田さんは大きな溜め息をついた。
「すみません。今日はどこかで雨風を凌ぎます。それから、住み込みで働ける場所を……」
「戸籍だなんだなくて住み込みなんざ、んなの、女郎屋くれぇだろ」
 言葉を遮ったのは思いのほか強い口調だった。
 やっぱり。予想通りの言葉に、ですよね、と小さく呟くが、心の中ではそれももう仕方がないと半ば覚悟を決めていた。生きていく為には、なにかを犠牲にしなければならないこともある。それを知らないほど、わたしも子どもではない。
「きっと、なんとかなります」
 肩を竦めて力なく笑みを浮かべると、坂田さんはこれ見よがしに、再び「ハァァァ」と盛大に息を吐いた。
「ったく、今時の若い奴はよぉ」
「すみません」
「謝られたって困んだけどよ」
「そう、ですよね」
 もはや苦笑するのがくせになっていた。だって、それしかできないのだ。そんなわたしに彼はまたしても溜め息を拵えたあと、やれやれと首元に手を当てた。
「普通の職が見つかるまで、ここにいればいいだろ」
 ……ここに、いればいい?
 きょとんとして坂田さんを見つめる。
「目の前の女が、これから体売りに行きますなんざ言ったら、引き止めないわけにはいかねーの。仮にも知り合いのよしみなんざ、優男のあの先生ですら化けて来ちまうぜ」
 ぽりぽりうなじを掻く。
「あの、まだ先生死んでません」
「あれ? そうだっけ?」
 ともかく、坂田さんは仕切り直す。
「親から受けた体だろ、できる限り大事にしときゃいつかきっとめでてェことがある」
 女がそうそうヤケになんじゃねぇや、坂田さんはそう口にすると、ソファからよっこらせといかにも気だるく立ち上がって、ふらふらと冷蔵庫に歩いていった。
「アー、真面目な話して貴重な糖分使っちまったわ、いちご牛乳あっかなー、おっ、あったぜ」
 なんてひとりでに呟きながら冷蔵庫を漁るその背は、少し猫背気味に丸まっているというのに、不思議ととても大きく見えた。

 

 

「凛子、一緒に定春の散歩行くアル」
 赤い髪に透き通るような白い肌、ビー玉のような青い瞳。人形のような可愛らしい見た目の女の子、神楽ちゃんがチャイナ服と揃いの巾着袋を手に爛々と誘ってきて、わたしはにっこり笑ってソファから立ち上がった。
「外は暑いから、お水も持っていこうね」
「また水道水アルか? いい加減アレも飽きたネ」
「飽きたって。でも、ないよりはマシでしょう」
 ここで過ごすようになって幾日、すっかり、わたしは万事屋の生活に馴染んでいた。水筒に水を汲んで、巾着に入れる。
「んじゃ、帰りにいちご牛乳買って来いよ」と横になったまま手をひらりと振る坂田さんに、神楽ちゃんは「マダオの言葉は無視ネ」と辛辣な言葉を返して定春のリードを手にして万事屋を後にする。いつものことだ。苦笑を残しつつ、わたしはその後を追いかけた。
「凛子はここに来る前どこに住んでたアルか?」
「江戸の外れよ。西のほう」
 無垢な瞳に、ゆっくり答える。
「田舎アルか?」
「うん、そうだね、田舎。山と畑ばかりだったよ」
 ふうんと相槌を打つと、彼女は番傘をくるりと回した。
「だからかぶき町の事なんも知らなかったネ」
 かぶき町に来る前、一度ここへと出てきたきり。だから、本当に彼女の言う通り、なにも知らなかった。
 空に聳え立つターミナルも、そこらじゅうを歩いている変な生き物も、なにもかも。それまで過ごしていた農村とはまるきり違う。
 あの田舎ならではののどかさを思い返しながら、わたしは頬を緩めて、そうなの、とこっくり頷いた。
「でももう安心アル。かぶき町のことなら、女王の私に任せるヨロシ」
「それは頼もしい。よろしく、女王さま」
 えっへん、と胸を張る可愛らしい仕草に胸がぽっと温かくなる。
 そんな彼女も、実は夜兎という天人の一族らしい。戦闘に特化した一族で、力が強く、治癒能力も地球人の何倍もあるという。初めてそれを聞いたときは開いた口が塞がらなかったものだが、ひどく整った顔立ち以外はよくいる女の子のように思えなくもない。いや、どうだろう。ちょっと普通じゃないけれど、ふつう、そんな感じだろうか。うまく言えないけれど。
 ちなみに、地球には出稼ぎで来ているらしく、若いなりに万事屋で働いていて、健気な一面もある。給料貰えないと散々文句を言ってはいるが。
 万事屋にはもう一人、新八くんという男の子もいるが、その子もいい子だ。
「凛子は仕事が見つかったら出て行くアルか?」
 大きくてふわふわの白い犬――定春のリードを手にしながら、神楽ちゃんはぽつりと口にした。
「そうだね。いつまでもお世話になっているわけにはいかないし」
「なんでアル。ずっとうちにいればいいのに」
 外聞的には、仕事が見つかるまでの「依頼」として万事屋に置いて貰っている。坂田さんだって、そのつもりだろう。
 神楽ちゃんは面白くなさそうに唇を尖らせ、「新八を追い出すアル」とか物騒なことを言い始めるが、姉のように慕ってくれる彼女に一抹の侘しさが募るも時間は待ってはくれない。
 お世話になると決めた時から、決めていたことだ。
「出世払いの金額が上がっちゃう前に出ないと」
「そんなの踏み倒せばいいアル。銀ちゃんは凛子なら文句言わないね」
「そんなわけにもいかないよ。いい大人だし」
 唇を尖らせ歩く彼女の横で、早く仕事を探さなくちゃな、と心の中で呟きながら肩を竦める。
 本当は、この心地の良い温度にまだまだ浸っていたい気もするのだけれど、現実はそうもいかない。
 ――だって、わたしは、彼女たちに内緒にしていることがあるのだから。
「ウチにいるイイ大人は毎日いちごみるく飲んで、ぐーたら家賃滞納してるネ」
 ソファで雑誌を読みふける坂田さんが思い浮かんで、たしかに、と苦笑した。

 定春の散歩から帰ると、銀さんが依頼だと言ってわたしを連れ立った。
「どこ行くんですか?」
「下のばーさんとこ」
 そう言って頭の後ろで手を組みながら、けったいそうに坂田さんは階段を降りて行く。
 万事屋の下は、お登勢さんという女性が営む飲み屋だ。お世話になる日に挨拶に伺い、無一文どころか、着の身着のままのわたしを見兼ねて、生活に必要な物を一通り手配してもらった。今着ている着物もお登勢さんの若い頃に着ていたものをお借りしていて、坂田さん同様に命の恩人と言っても過言ではない。まったくもって二人には頭が上がらないのだ。
 彼の後についてお店に入ると、夕刻からの営業の仕込みの最中だった。
「ああ、来たかい」
 紫煙をくゆらせながら、お登勢さんがこちらを向いた。
「言っとくけど家賃の催促なら受けねェからな」
 銀さんがすかさず言う。
「ばか者。それは堂々と言うことじゃないだろうが」
 それに負けるお登勢さんではない。
「で、依頼ってなに。凛子連れて来たけど」
 二人のやりとりを呆然と眺めていたわたしに、お登勢さんが視線を寄越した。
「今日の夜、常連客から宴会の予約が入っててね。キャサリンは田舎に帰るだなんだでいないから、どうも人手が足りないんだ。手伝ってくれるかい」
 手伝い? 思わず目を瞬かせる。
「だってよ、凛子。どうする?」
「え、と、あの、いいんでしょうか」
「いいもなにも、店が回らないんじゃこちとら困っちまうもンでね」
 煙管を吸って、もくもくと息を吐き出すお登勢の言葉に、今度は坂田さんを見遣る。仮にも、身を寄せている身なのだ。
「いいんじゃねェの」
 死んだ魚の瞳のまま、彼は鼻をほじる。
「ほ、本当ですか」
「ああ。だけどよ、バアさん、キッチリ依頼料は弾んで貰うぜ」
「その子の働きによるさね」
「ということだ、凛子。聞いたか。いいか、お前は今日から万事屋の従業員だ。汗水流して馬車馬のように働け!」
「ありがとうございます!」
 このご時世、職も見つからず、できることと言えばご飯の準備程度。坂田さんたちに気が引けて仕方がなかったわたしにとって、まさに晴天の霹靂だった。
 日雇いでもなんでもいい、手伝えることがあるのなら、それほどありがたいことはない。ずっと続けられる訳ではないけれど、どこかここにいることが自分でも認められるような気がして、勢いよく頭を下げる。
 お登勢さんはふ、と煙をくゆらせると、早速仕込みの準備を手伝うよう白い割烹着を手渡してきた。

「なにかと思えば。どうしたんだばーさん」
「あの子にはなんにもないんだ。気晴らしにでもなればいいと思ってね。お金は出世払いの足しにしてやんな」
「へいへい。大事な依頼人だから、キズ物にはすんなよ」
 坂田さんたちがそんなことを話しているとも知らず、わたしははりきって準備に取り掛かっていた。