第一幕 第一話

「姉ちゃん、これどうやってやんの?」
「これは? どうやって作るの?」
「だめ! あたしが先に聞いたの!」
「なんだと!」
 子どもたちがわらわらと集まってきては、揉みくちゃにされる。
「こらこら、喧嘩しないの。順番」
 そのあまりの勢いに苦笑いを浮かべるが、無邪気な彼らの頭にぽん、と手のひらを載せるとぽかぽかとあたたかかったのを覚えている。やさしい太陽の光を浴びて熱を帯びた、ほっとするような温もり。穢れをなにも知らないように滑らかで、柔らかな髪。
 胸をつくあるひとつの感情に、思わず目を細める。
「お姉さんは逃げも隠れもしないから」
 ね? 目線を合わせる為にしゃがみこむと、同時に後ろから声が落ちてきた。
「そうだよ、君たち」
 鈴が鳴るような凛とした声。振り返ると、藍鼠色の紬に身を包んだ男性が縁側からこちらに微笑みかけていた。
「また凛子さんを困らせて。好きなのはわかるが、あちこちから言葉を飛ばしてはいけないといつも言っているでしょうに。
 ひとつひとつの言葉が、音が、空気の振動が、身体中に染み渡っていくように、辺りに響く。
 波を打ったように一度静かになったと思えば、次の瞬間には目を輝かせて子どもたちは声を弾けさせる。
「せんせい!」
「あのね、お姉さんにね、折り紙教えてもらってるの!」
「これ、こんぺいとうっていうんだって!」
 燦燦と照りつける日差しにひとつ風が吹く。やわらかく、あたたかく。
 わたしは、ただただ光を纏うあの人を、微笑み、見つめていた。
 蝉が、ミーンミーンとその命を尽くさんと鳴いていた。

 

 

 些か唐突だが、わたしは今、薄暗い殺風景な部屋にいる。殺風景と言うのが正しいのかはわからない。コンクリートで塗り固められた壁、冷たい床には申し訳程度にござが敷かれている、部屋と言ってもいいのか危ういような空間だ。人間の棲む温度もなく、なにもない、無機質な場所。頑丈そうな格子が付けられているからきっと、牢屋の類いだろうことだけはわかる。
 ――ああ、どうしてここにいるんだっけ。
 机も椅子もなく、その汚れたござの上にわたしはただ膝を抱えて座り込んでいた。どこにも窓はない。今が昼か夜かもわからない。ただ仄かな松明の明かりが掠れて向こうの方に見えるだけ。
 ぼんやりとしたともし火を眺めながら、重たいまぶたを持ち上げる。
 ――ああ、そうだ。捕まえられたんだ。
 真っ黒な服を身に纏った男たちに連れて行かれる背中。泣きじゃくる子どもたち。追いかけようとした女の子をきつく抱きしめる。そして、そのあと、わたしも――。
 最後に見た光景が走馬灯のように蘇り、胸の奥がざわざわと騒めく。浅い呼吸を繰り返して、どうにかそれを整えながら抱えていた膝を離し、冷たい壁にもたれた。
 ――なんだか、もう、うんざりだ。
 なにが? たぶん、きっと、すべてが。そうだ、すべてだ。
 ここに来てから、どれくらい時間が経ったかもわからない。このままでは、頭がおかしくなってしまう。
「オイ、口は割ったか」
 しばらく、思考を遮断してだらんと壁に身体を預けていると、鋭い声が聞こえてきた。格子の向こうでいくつかの影がうごめいている。低い声が木霊して、床を擦るような音ともに近付いてくる。
「いえ、どうにもこうにもなにも知らないの一点張りで」
「中々しぶとい奴みたいだな。女の癖にやるじゃねぇか」
 この暗さで明かりなど限られているというのに、ギラリとした猛禽類のような視線が向けられているのがわかった。
 逃げるんじゃねェぞ、いや、逃がしゃしねェとでも言えようか。生まれてこの方、感じたこともないような圧力だったが、気力もなにも残っていないわたしは、ただぐったりと身を横たえたうさぎとなってその声を耳に流していた。
「オイ、女。時間だ」
 松明を持った男が格子に近付いてくる。
 その隣に、たしかにまみえる金線の入った黒服と腰に差された刀。微かに煙草の匂いが掠めて、きつく唇を噛む。
「真選組副長、土方十四郎だ。只今より、攘夷志士の疑いのかかるアンタへの尋問を開始する」
 にやり。煙草を咥える唇の端が意地悪く釣り上がり、動向の開いた瞳が心臓を射抜かんと真っ直ぐにこちらを向いている。
「ふく、ちょう……ひじかた、とうしろう……」
 掠れ声でその名を繰り返す。
 真選組の副長と言えば、鬼と称される男として有名だ。そんな男が現れたとなれば、自ずと考えは巡る。
 カチャン、と乾いた音とともに格子の扉が開かれた。看守だろうか、彼とは違う服装の男が獄内に踏み入る。迷いもない足捌きで奥までやってくると、うずくまるわたしの腕を乱暴に掴み上げた。
 ――ああ、ついに来たのか。
 体をよろめかせながら、連れられていく。格子の外に出ても、相変わらず空気は重たいまま。
 これから、拷問を受け、殺されるのだろうか、漠然と思う。よくテレビで見たような、手足を縛られて、水のたっぷりと張られた桶に頭から突っ込まれるのだろうか。あるいはもっと言葉にもできないような――……。
 ただただ重たい思考を持ち上げて、できれば痛くないのがいいなんてどこか蚊帳の外から、瞬きもせずに男の背中を見つめていた。

 

 そんな暗澹とした想像とはうらはらに、拘留されて七日目の朝、無事わたしは釈放された。
「シャバの空気……」
 照りつける太陽の下、大きく息を吸い込むとどっと塊が胸に飛び込んで思わず咳き込んだ。晴々しい朝だというのに、なんとも格好のつかない女である。だが、呼吸すらも重々しい状況が、なんとも現実を突きつけてくるかのようだ。
 そう、この東雲凛子、真選組に捕らえられた末、やっとの思いで外に出られたものの、肩の荷は全て下りたわけではない。
 ――疑いが晴れたワケじゃねぇ。
 ここを出る直前に吐き捨てられた男の声が脳裏で反芻する。ならばなぜ、釈放の流れとなったのか。
 あの尋問だ。
 副長と言う男が出てきた時には正直死を覚悟したものだが、尋問は思いもよらず正当な方法で執行された。三畳ほどの小さな部屋で、眼光の鋭い男と向き合うこと小一時間。「すべて吐いちまえば楽になる」「なにも、話せることはないんです」などなど煮え切らない応酬の末、放たれる威圧に堪え切れず、わたしは卒倒してしまった。それまで通り「知らない」の一点張りで通す女に、当然ながら、男の苛立ちは増していく一方で。その結果、それまで張り詰めていたものが急にぷつん、と切れたのを覚えている。重苦しい空気の中、視界は暗転。
 そんなこともあり、前科も獄中での奇行があるわけでもないから、と、真選組局長の名の下、一時釈放となったわけだ。
 切り裂くような視線とともに突きつけられた敵意に、そうですか、とぼんやり返したものの、思い返しては、ほぞを噛みたくなる。今更なにを言っても遅いのだが。
 はあ、と肩を落として、「真選組屯所」という立て看板を振り返る。来た時には考える間もなかったが、時代劇に出てきそうな相当立派なお屋敷だ。
「わたし、やっぱり江戸にいるんだなぁ」
 それを目の当たりにして、ぽそりと呟くと、見張りの隊士達が鋭い視線を向けてきた。そりゃそうだろう。身の潔白さの不確かな女を外に放つのだから。小石でも蹴飛ばして門扉に当てようものなら、すぐさましょっぴいてやる、という勢いだ。なんだか腑に落ちないが、ひとつ、あっかんべをする気力すら起こらない。疲労の方がはるかに優っていた。

 晴れて解放されたというのに、あまりの肩身の狭さに気が滅入る。わたしは門番の男に丁寧にも会釈をして、ぐったりと重たい体を引きずって歩き始めた。行く当てなんてない。それでもただただ、一刻も早くここから離れたい一心だった。
 道行く人の視線を浴びながら、辿り着いたのはかぶき町に流れる川だった。木造の橋の上から、ゆっくりと流れて行く水面を眺め息を吐く。こんな日にも、川の流れはとてものどかだ。
 水面に映る女は、顔も着物も煤だらけ、おまけに髪の毛も解れてぐしゃぐしゃ。なんて、酷い有様だろう、まるでどこかの置屋から逃げて来た女郎蜘蛛だ。遠巻きにひそひそ声が聞こえてくるが、どれもこれもが言い得て妙。返す言葉も、それに浮き沈みさせるほどの心も、もう残っていなかった。
「住む場所、どうしよう」
 ぽつりと呟いた言葉は、仄かに秋めいた風に乗って消えて行く。
 世話になっていた所がなくなった今、わたしには帰る場所がない。かぶき町に懇意にしている知り合いがいるわけでもなく、さらに言えば、一文なし。ここまで「ないない」尽くしだと、かえって清々しいほどである。
「どうやって生きよう」
 口にして、どっと感情が込み上げてくる。それまでは他人事のように思っていたのが、急に現実として突きつけられたようだった。
「……ぜんぶ、なくなっちゃったんだ」
 全部、とは言え、もとから、こっちの世界にあるものは少なかったのだが。
 真夏の照りつける日差しが、今となってはもうすでに懐かしい。騒がしい子どもたちの声も、温かな縁側も、庭も、あの人も――全てこの手から零れ落ちて行ってしまった。
 遣る瀬ない思いを吐息に載せて吐き出すが、胸の奥がすっきりすることはなかった。胸にも喉にも、なにかがこびり付いているようで、掻きむしってしまいたくてたまらなかった。
 橋の下、ゆく川の流れは絶えず、水面に光を揺蕩わせながら、移ろいでいく。

「あぁ? あんた優男先生んとこの姉ちゃんじゃねえか」
 意気消沈していたところに、間の伸びた声が飛んできた。わたしは重たい瞼を上げると、声のほうを向いた。
「坂田さん」
 銀色のふわふわの髪をした気怠げな男が一人立っていた。服の上からでもわかるがっしりとした体躯に、男にしてはそれなりに白い肌。切れ長の瞳は鋭いようにも、どこか濁っているようにも見える。着流しを中途半端に着て、中には黒い洋服。些か妙な身なりだが、見覚えはあった。
 彼は、かぶき町で万事屋を営んでいる坂田銀時さん。以前何度か顔を合わせたことがあり、その時と変わらぬ風貌で、腰に差した木刀も健在だ。
 まさか、こんなところでばったり顔を合わせてしまうとは。しかも、こんな時に。思わず身を固くして、橋の欄干に掛けた手をぎゅ、と握る。
「こりゃまた、一戦交えたようなナリして。あ、突っ込まない方がいい? 突っ込んだ方がいい? もちろん、俺としては突っ込みたいんだけど」
 身構えたわたしとはうらはらに、坂田さんは死んだ魚のような目をして呑気に訊ねてくるので、すっかり毒気を取られたというか、ゆるゆると力が抜けて、「ちょっと色々とありまして」と答える。
「色々って。色々にも色々あるけどよォ、どの色々だよ」
「色々は、色々です」
 こんな人通りのあるところで真選組に捕まっていたなどと言えるわけもなく、へにゃり、力のない笑みがこぼれた。坂田さんは釈然としない様子だったが、「ま、いいけど」と一人完結させると、足を擦りながらこちらへ歩み寄ってきた。
「いい歳した女がそんな格好してっと、変な奴にお持ち帰りされても文句言えねェぞ」
 そんな格好――言われて自分の胸から下を見れば、煤だらけの傷だらけ。
 そうだった。普通に話をしていたけれど、人様に見せられる身なりではないのだった。急激に羞恥の念が襲いかかってきて黙って俯くと、ハア、と溜め息が落ちてきた。
「家、どこ?」
 家……だれもが持っているだろうものすら、どこにもないのだと言っていいのだろうか。なんだか、見た目といい素性といい、とんでもない女みたいだ。それを説明するにも、どこから説明したらいいのやら。言いたいことはあるはずなのに、あまりに多すぎて喉に痞えて出てこない。
 ――本当は。
 ほんとうは、わたしだって普通の会社員だったのに。
 欄干に掛けていた手をもぞもぞと動かしながら答えあぐねるわたしに、坂田さんは、ったく、と小さくぼやいてふわふわの頭を掻いた。
「とりあえず、帰んぞ」
 ぐるり、背を向ける。
「あのっ」わたしは慌ててその背に声をかけた。
「どこに、ですか?」
 彼は小指を鼻の穴に突っ込んだまま、振り返った。
「俺んち」