おいかぜ

 こうして、熱を増していくジムチャレンジの裏側で、デボンコーポレーションガラル支社の事件はひそやかに幕を閉じた。逮捕された青年は、マクロコスモスでダイマックス事業部の技術者をしていた一人らしく、マクロコスモスの偉業がデボンに奪われるのを黙って見ていられず件の犯行を起こしたという。一部、報道はされたものの瞬く間にリーグの波に押され、事件は風化していった。
 ラボ員をナックルシティで襲撃した経緯については、依然黙秘を続けているらしく詳しくは明かされていない。
「いよいよだな」
 チャレンジカップ出場者が出揃い、トーナメントまで一週間と迫っている。シュートスタジアムでマクロコスモスと共同作業のさなか、声をかけてきたのはキバナだった。
「めずらしいね、こんな日に」
 フィールドコンディションを整えるため、定点設置されたガラル粒子測定機をタブレット端末で確認して都度報告書を送る。タブレットから顔をあげると、キバナは眉をピンと跳ねて、まあな、とすこしだけ得意げな顔をした。
「ダンデに用があって、こっちに来てたんだ。アイツを呼び寄せると、一日余計に時間がかかっちまうから」
「言えてる」
 一週間後に控えた本番に向け、会場はすでにトーナメント色に染まっていた。スポンサー各社の横断幕がそこかしこに設けられ、モニターや電光掲示板なども各種メンテナンスを済まし動作確認のリーグロゴが皓々と点灯する。照明や音響器具、客席とフィールドの特殊シールドの取り替え、多くの企業やスタッフが静かなる熱気の中で働いている。
「騒がしいスタジアムもいいけど、この粛々とした感じもたまんねーよなあ」
 白衣からダウンコートにかわり、タブレット片手に歩く私の斜めうしろをキバナがついてくる。
「あー、早く戦いてえ、って、うずうずしてるんじゃないの」
「ま、そうだな。こうして、ガラルの歴史がまた刻まれていく様を目の当たりにしてると、身震いしたくなる」
 頭のうしろで手を組みながら軽々と言うものの、愉しげな光が碧い瞳やその整った頬に浮かんでいるのを見てふと口もとをゆるめる。
「それで、会場の下見なんかしてどうしたの」
 粒子反応異常なし、その他コンディション良好、タブレットにチェックを入れ終え、フィールドを見下ろす。芝生を張り替えていた業者が無事作業を終え、真緑色のバトルフィールドが鮮やかに広がっている。
「ん? たまには初心にかえるのもいいかと思ってよ」
 キバナはこともなげに答える。
「まだ一週間前なのに?」
「もう一週間前だろ。こっからどう見えるか、よく観察しておくのもトップジムリーダーキバナさまには重要ってわけ」
 パーカーのポケットに手を突っ込み、客席の一つに腰を下ろす。高身長な彼にはその座席も窮屈そうでつい笑ってしまった。その二つ隣に私も座る。
「キバナはあそこに立つんだもんね」
 近いようで、遠い。狭いようで、バトルフィールドは果てなく続く大地にふさわしい。今目の前に広がるまさしくあの場所で、伝説は生まれそして歴史は刻まれる。
「なんだよ、今さら」
「ううん。今、隣にいるひとが、あの場所でバトルを繰り広げるかと思うと、なんだかふしぎで」
 夢か現か、どちらが現実でどちらが夢なのか、スタジアムにいるとその境目はひどく曖昧だ。静かに作業音が響く中、白い息を吐きながらひたすらフィールドを眺める。
 ピンクとブルーに瞬く電光掲示板、くるくると移り変わる照明、飛び回るドローンロトムや鉄骨を運ぶドッコラーやカイリキー、張り替えた芝をグラスフィールドで整えるゴリランダー、また熱狂の三日間がやってくる。
 だが、細胞がふつふつと感化される空気とはうらはらに、心の中には凪が訪れていた。
 ガラルの花形ダイマックス。チャレンジャー時代、ひたすらに焦がれたそれに、幸運にも従事している。なにを案ずることがある? なにを不満に思うことがある? 身に余るほどじゃないか。
「狭いよなぁ、ガラルなんてのは」
 隣で発せられた言葉にふり向く。
「ここで骨をうずめると思うと、心底ゾクゾクするぜ」
 自分の太ももで頬杖をつきフィールドを眺めていたキバナは、私の視線に気がつくと唇を薄くした。そうしてなにかを告げるようにあるいはちょうはつするように眉をあげた。
「……こんなところで、骨をうずめるような人間じゃないでしょ、キバナは」
「言ってくれるよな。ま、そうだけど」
 前を向き直り、彼は声を静める。
「どうせ、おまえのことだからなにも言ってないんだろ」
 すべてお見通しだ。私はとっさにストールへと口もとを隠した。
 ラボが荒らされたこと、ニャースの手を借りたいほど毎日東奔西走していること、年が明けるまでなかなか休みがとれないこと、それらはすでに共通の話題として消化済みだ。でも、その先はダイゴになにひとつ話せていない。
 恋人なのに、と気が重くなる反面、恋人だからこそ、言えないこともあると言い訳を連ねる自分もいる。しかし実際のところ、なぜ言えないのかその答えは曖昧だった。
 ただ、ラボに残されたメッセージのこと、ナックルシティで襲撃されたこと、今どこに向けて歩いていけばいいのか、わからないこと。いっしょにきてほしいと差し伸べられた手を突っぱね、私は今自分の足でここに立っているくせに、それを反故するようなことを自分からするのは、情けないと胸が軋むのだ。
「いじっぱり」
 キバナは言う。
「うるさい」
「泣き虫」
「ちがうもん」
「頑固」
「……ちがう」
 キバナはやめなかった。
「かっこつけの、いいかっこしいの、つよがりの、むてっぽうの、さみしがり」
 そうして最後、大きく息をつく。
「おまえには、ガラルは狭いよ」
 そんなことはない、私には広すぎるくらいだ。それなのに、彼はあーあと伸びをして背もたれに大きく寄りかかる。
「どうしてかねえ、こんなにいい男が横にいるってのに」
 もはや、独り言のようだった。
「窮屈で息苦しくて、早くここから出してって顔して。そのくせひとりでうずくまって」
 喉が絞まる。いまだに私はそこから動き出せないでいる。
「もっと楽に生きろよ。泣いてたら、このキバナさまが掻っ攫ってやるから」
 キバナはまっすぐフィールドを見下ろし続けた。
「隣にどんなにいい男がいても、今度こそオレさまがすべて奪ってやるから」
 だから、安心して逃げ出せよ。
 冷ややかな熱気の中に、静かな声がほどける。

 その日は仕事を早くに切り上げた。まだ日が落ちていない時間帯だったので、私はその足でワイルドエリアに向かった。預けていた自転車を引き取り、ラフなトレーニングウェアとマウンテンパーカーに着替えエンジンリバーサイドを駆け抜ける。曇りがかったハシノマ原っぱを抜け、ストーンズ原野、砂塵の窪地。ナックルスタジアムを向こうの空に眺めながら、高くなった空を目指しアーマーガアで飛び立つ。
 立ちはだかるのは遥かに遠い断崖絶壁だ。漆黒の相棒の背を掴み、ゴーグルを身につけ上体を伏せる。そうしてひと息で岩壁を上がり、頭頂へ。ゴーグルを外した先には広く果てなくガラルが続く。
 太陽が西へ沈む。空が金色に染まる。風が吹き、髪が乱れ、大地の鼓動を感じる。
「――どうしたんだい、急に」
 ダイゴに電話をかけた。ホウエンに戻ったと言っていたから、向こうは深夜の時間帯だった。でも、本を読んでいたのか、採ってきた石の処置のためか、起きていたのだろう彼にごめんねと謝って私は続けた。
「声、聞きたくなっちゃって」
「そんなことか。どうぞ、いくらでも」
 やわらかな声に琴線がくすぐられる。しかし吹きつける鋭い風が一瞬の熱を攫っていく。
「ダイゴ、なにしてたの」
「ちょうど、今さっきまで石を磨いていたよ」
「こんな時間まで?」
「そう。帰ってきたのが夜遅くてさ、でも、早いうちに済ませないと今後のコンディションにかかわってくるから」
 キミは? とダイゴが訊ねる。
「私はね、今、ワイルドエリアにいる」
「仕事?」
「ううん、早く上がれたの」
「それはおつかれさま。そんなときに電話をくれてうれしいよ」
 震える喉を引き締めて、「ねえ、ダイゴ」と携帯を握りなおす。
「次の休み、そっち行っていい?」
「ホウエンに?」
 やわらかな声色だった。うん、と私は答えた。
「次って言っても、リーグが終わっていろんな仕事が落ち着いてからになるけど」
「ボクは大歓迎だよ」
「ほんとう?」
 もちろん、ダイゴは迷いもなく口にする。
「ボクも休みを合わせるよ。日にちが決まったら教えてほしい」
 そうする、と答える声は、かすかに揺らいでいた。
 遠く、遥か山々の向こうに沈む夕陽が辺りを強く金色に染め上げる。まもなく、夜がやってくる。一陣の風が吹き、髪やパーカーのフードがそれに攫われる。大空を飛び回っていたアーマーガアがやがて戻り咆哮をあげる。それはまるで絶唱のごとくガラルに響きわたる。どこまでも続く大地。世界は広く、そして果てなく大きい。
「私は、どうしたいのだろう」
 静かに燃えるオパールのような鮮烈な色彩が空を裂く。
 私は、必死に目を細めそれを眺める。