ダイゴさんは? というソニア博士の問いに、ポニータのたてがみを撫でながら、今ごろはシンオウじゃないかなあと答える。アローラ地方の視察を終えて、ホウエンに一度戻り、それからまた出張だと言っていた。
「あいかわらず忙しいんだね、ダイゴさん」
「そうねえ、一箇所にとどまっているイメージがないかも。でも、仕事とはいえ、本人も楽しんでいるみたいだし」
もとより、自分の足でさまざまなものを見て回るのが好きな人だ。子どものころは知らないが、チャンピオン時代ですらリーグを不在にしてホウエンやカロスをめぐっていたという。チャンピオンを退いたあとは友人のミクリさんにその座を任せ、世界じゅうを旅して回った。今は、社会勉強も兼ね、副社長として会社に入ったが、社員のだれよりもアクティブに動き回っている印象だ。
ガラルはすでに秋から冬に季節が移り変わっている。木枯らしがそこかしこで鳴り、往来を行く人々の格好も、薄手のジャケットやカーディガンからウールーのコートやダウンジャケットに変わり始めている。
ブラッシータウンの研究所はいつもどおり穏やかだ。だが、会社のあるシュートシティへ戻ると、まるで世界が一変したようにチャンピオンカップへ向けた準備で街が賑わっている。空には横断幕があがり、そこかしこにマスターリーグ所属のジムリーダーやチャンピオンたちのポスターが貼られ、毎日がお祭り騒ぎ。
秋口より始まったジムチャレンジもついに佳境だ。先日ナックルジムを突破したチャレンジャーが出たとニュースが飛び込んできたのも記憶に新しい。リーグ本部のみならず、スポンサー各社、そして我がデボンコーポレーションも今が稼ぎどきとばかりに忙しく動き回っている。
そんな今日は、ソニア博士とホップくんの主催するポケモン・オリエンテーリングを手伝う予定になっていた。
「というか、ローラさんも忙しいのにごめんね」とオリエンテーリングで使用する道具の入ったカゴを持ちながらソニア博士が言う。
「全然、気にしないで。ちょうど、ひと息ついたところだったし」
「そう? 今年はデボン、チョー忙しそうじゃん? だから心配で。って、結局ローラさんがいると助かるから頼んじゃったんだけど」
こういう彼女の素直なところが好きだと思う。周囲に気配りをしながら、それでもさりげなく求めてくれる。彼女のもとにまた来たいと思えてしまう。
正直、仕事はひと息つくどころか、ここから息を止めてラストスパート! といったところだが、彼女から連絡を受けて予定をザクザク切り詰め参加を決めた。
「私も、ソニア博士とホップくんと、こうしてオリエンテーリング一緒に開催するの楽しいから、誘ってもらえてうれしかったよ」
「ローラさん……!」
カゴを放り出さん勢いで飛びついてきそうだったので、目で抱きとめたあと、「ひとまず準備しちゃおう」と白衣の腕を捲った。
「今日は、実際にみんなに野生のポケモンを観察してもらおうと思うよー! やってみたいひとー!」
はーい! と元気よく手があがり、思わず頬が緩む。集合場所である研究所を出て、やってきたのは2ばんどうろ。草むらに入る手前の空き地でソニア博士は三十名ほどの子どもを前にオリエンテーリングの説明をしていた。
「まずはわたし、ソニアと、助手のホップ組の二手に分かれて、簡単なレクチャーを行います。ポケモンについての軽いおはなしね! そうしたら、次は四、五人のグループに分かれてフィールドワーク!」
年齢は六歳から七歳。トレーナーズスクールに入学前の、ポケモンのことを学ぶのがはじめての子どもたちだ。定期的に開催しているイベントだが、ちょうどシーズンオンとあってか、いつもより人数が多い。参加表を見せてもらったらラテラルタウンから来ている子もいた。そんな彼らは、早くポケモンたちにふれあいたいのか、ソニア博士の説明を受けているあいだもうずうずしているのがわかる。
二人のレクチャーが終わったらグループ行動だ。今日はそこでカメラを用意している。グループにひとつそのデジタルカメラを渡してフィールドワークに出てもらい、班員の気になるポケモンを最低一匹ずつ写真におさめてくる。画用紙を持って絵を描いてくる、というのもいいが、最後にみんなの撮った写真をまとめて研究所で上映するのだとソニア博士が言っていた。
「じゃ、あまり長く話してもみんな疲れちゃうから、さっそくホップ組とソニア組に分かれて散策してみようか!」
集合時に渡していた紙製のリストバンドの色で二手に分かれる。さすが、オリエンテーリングにも慣れたのか、二人ともリラックスした様子だ。よく晴れた2ばんどうろをのんびりと進む。私もワンパチとともに子どもたちをうしろから眺めてついていく。
思い返すと、私も小さいころマグノリア博士の主催するオリエンテーリングに何度か参加させてもらったことがあった。父も母も若いころトレーナーだったため、ポケモンとふれあう機会はたくさんあったが、訪れたことのないこのブラッシータウンののどかな風景の中で、さまざまなポケモンのことを学ぶのはとてもワクワクしたものだ。スクールとも、家ともちがう、どこか特別な時間。ふしぎと、キラキラしていていつまでも輝く。
一生懸命説明を聞きながらも、野生のポケモンに目を奪われる子どもたちを見ているとそれを思い出して心が洗われるようだった。
「さ、ここからはグループに分かれるよ」
むやみにポケモンに近づかないこと、大声をあげたり驚かしたりしないこと、傷つけないこと、簡単な約束を伝えて、それぞれカードに描かれたポケモンマークごとにグループに分かれた子どもたちを送りだす。
「なにかあったら、このソニア博士か、ホップ、それからローラさんを呼ぶんだよ!」
やさしい青空と、ほのかに香ばしい金色の風と、遠くに群れるウールーたち。冬が近づいているというのに、ヒバニーのように勢いよく鮮やかな世界へと飛び出していく小さな背中。「どんな写真を撮ってくるか、楽しみだね」そう言う私に、二人も顔をほころばせてうなずいた。
休みをブラッシータウンで過ごしたのは正解だった。人はよく田舎と言うけれど、スタジアムやオフィスビルがなく、草原から吹く風を浴びるのは、今、私に一番必要だったもののように思う。いくら休んでいてもどこかで頭を働かせて、余計なことまで考えてしまう。でも、ソニア博士たちといれば、子どもたちとポケモンにふれあい彼らのパワーによって雑念を払うことができる。子どもたちの発想は豊かで、私たち大人ならばつい見逃してしまうことも機敏に捕らえてくる。
フィールドワークは、大成功。最後の上映会も大いに盛り上がった。草むらに逃げるカムカメのうしろ姿や、居眠りをするワンパチ、頬にきのみを詰め込みすぎてぽろぽろと童話のように落としてしまうホシガリス、お気に入りの写真はそれぞれプリントアウトして今日の思い出にプレゼントをした。
「じゃあ、さいごにひと言! みんな、ポケモンとどんなことをしたいか、それぞれ発表しておしまいにしよう!」
オリエンテーリングの締めは子どもたちの抱負――というと、格式張っているみたいだから「ひと言」が合っているだろう。夢でも目標でもなく、「どんなことをしたいか」という問いかけは、すてきな発想だなと思ったものだ。
「一緒に海を泳ぎたい」「空を飛びたい」「カビゴンのおなかに乗ってみたい」――そんなことから始まり、「家をお花でいっぱいにしてアブリーをたくさん呼びたい」とか「マホイップのクリームを毎日食べたい」とか。もちろん、「世界を旅したい」や「チャンピオンになりたい」というひと言もあった。
夢いっぱい、面舵いっぱい。海原は広く遥か遠くまで続いている。そんな感じだっただろうか。「ホップはかせのおよめさんになりたい!」という言葉が飛んできたときは、赤面するホップくんを見てついソニア博士と目を見合わせた。
キラキラとした風を浴びると、自分までどこか幸せになれるものだ。かがやく風に吹かれ、どこまでも不思議なパワーをもらった日だった。
夜には、久々にダイゴとテレビ通話をした。
「今日、ソニア博士の手伝いをしたの」と言うと、彼はうれしそうに耳を傾けてくれた。
実際には、それはいつものことだけれど、このところ話すとしても仕事の内容ばかりで、気を抜くと愚痴や弱音を吐いてしまいそうだったから、できるだけ電話をせずにいた。
顔を見てしまったら堰き止めていたものが飛び出してしまう。ダイゴこそ忙しいのに心配も迷惑もかけられない、そう思っていた。でも、今日は心に余裕ができたみたいだった。
「ダイゴはどんな子どもだった?」
「ボク?」
カロスで捕まえた子なのだというメレシーを周りに連れながら、彼は濡れた髪をタオルでぬぐう。
「どうだろうな、昔から好奇心は旺盛だったみたいだけれど」
「それはすごく想像がつくかも」
「あとは、道端の石を拾ってはずっと眺めていたとかおやじに言われたこともあったな」
そのころからストーンゲッターの素質があったのね、とつい頬がゆるむ。
「キミは?」
「私? 私はね……」
ふと、思い出す。バウタウンに生まれ、バウタウンで育ち、故郷である海に飛び込んでは太陽を見上げていたあのころ、どんなことを夢みていたか。
「およめさんになりたいと思ってたよ」
白いふわふわのドレスを着て、ステンドグラスの綺麗な教会で式を挙げる。ナックルシティのあの教会がいいかもしれない。あまり大きくはないけれど、正統派の由緒正しい教会。長いベールを私と彼のポケモンが支えて、ボロボロに泣くお父さんに、ちょっとしっかりしてよ、なんて涙声で笑ったりして。ゆっくり、ゆっくり、バージンロードを歩いていく……。
「ゴーン、ゴーン、と荘厳な鐘の音が鳴り響き、賛美歌がそこかしこにふりそそぐ。ステンドグラスから光が、目映い七色の光があふれて、みんなが幸せそうに笑ってる。その中を歩いて、大好きなひとのもとに向かう」
きっと、映画の見過ぎだったのだろう。いつだってその夢は光にあふれ、美しいばかりだった。
「メルヘンでしょう?」
私は笑う。
「結局、だれかのおよめさんって肩書きがほしいだけなんだって気がついて、今はこーんなキョダイマックスオタクになっちゃったわけだけれど」
「ボクは今のキミも昔のキミも素敵だと思うけど」
「ダイゴはやさしいなあ」
あれ、どうして私は泣きたくなっているんだろう。震えそうになる声をどうにか隠して、くしゃくしゃに笑う。
「でも、昔のキミにも会ってみたかったな」
「そう? 今度、写真見せてあげる。夏は海で泳いでばかりだったから、いつも日焼けしてたよ」
「健康的だね。ボクはいつも泥だらけだったな」
「泥って。家の人、洗濯困っただろうね」
「うん、本当だよね」
ダイゴと話すのは楽しい。ずっと話していたいと思う。このまま朝まで他愛もないことで笑って、ずっと繋がっていられたら。彼と、いつまでも笑い合っていられたら。
しかし、大抵は抗えない磁力にでも引きずられるように、よくないことは続いてしまうものだ。
朝から6ばんどうろに用があった。遺跡を発掘していたデボンのチームから連絡があり、異様なエネルギー反応があるから調べてほしいと言われたのだ。結果、それは高濃度のガラル粒子で、急遽周辺区域の調査を行うことになった。しかし、実際には新たなパワースポットではなく、太古の化石塚が見つかりそれらが多量の粒子を発生させていたことがわかったのだった。
帰り道、ナックルシティから列車に乗ろうと駅に向かっていたときだ。
「カラマネロ、あくのはどう!」
背後から聞こえたのは、そんな声だった。ハッとしたときにはすでに遅く、黒々とした波動が自分にまっすぐ向かってくるのがわかった。
なんで、どうして、そんなことはわからない。ただ、もうだめだ、と思った。
その瞬間、
「ラスターカノン!」
叫び声が響き、閃光がはじけた。
「フライゴン、逃がすな!」
足音が遠ざかる。それをすばやい羽音が追いかける。
「……ボーッとしてんなよ」
腰を抜かした私に手を伸ばしたのはキバナだった。いつものようにオレンジ色のヘアバンドと、オーバーサイズのドラゴンパーカー。顔は無表情だ。
「ごめん」
謝る私に、彼はいいけどよとつぶやく。
「ケガはないか」
「……うん」
いまだになにが起きていたのか把握できていなかった。大きな手を掴み立ち上がろうとするが、脚に力が入らずたちまちその手を離してしまった。
「もうちょっと、むりかも」
「でも、こんなところで座られても迷惑だろ」
「そう、だよね」
それもそうだ。駅の目の前、まばらとはいえ人どおりだってある。思わず視線を伏せるとキバナはため息をついた。
「わるい。おまえを叱りたいわけじゃないんだ」
……わかってる。わかってはいるけれど、うまく言葉にできない。
「とにかく、別の場所に移ろうぜ」
そう言ってキバナは、パーカーを脱ぐと私の頭にかけた。それから私の手をもう一度掴んで無理やり引き上げると、膝の裏に腕を入れて横抱きにした。
「アイツ、おまえのラボ荒らした犯人だって」
スタジアムの一室に連れて来られ、しばらく席を外していたキバナが戻ってきたとき、告げられたのはそんな言葉だ。
「……つかまえたの?」
「フライゴンがな。そんでリョウタが警察に引き渡した。持ってた所有物から、マクロコスモスから出向中のデボン関係者だってわかって、そこからズルズルと」
ホッとするべきなのかもしれなかったが、どうにも気持ちの整理がつかなかった。そっか、と言う私にキバナは眉をあげた。
「おまえ、自分のことだろ」
「そうなんだけど、それはわかってるんだけど、なんかよくわからなくて」
――カラマネロ、あくのはどう!
その声が耳の奥でこだまする。自分のトレーナーとしてのプライドを引き裂いてまで、私を攻撃したかったのはなぜだろう。
勘違いかと思った。けれど、ハッキリと黒い波動は自分に向けられていた。近くにバトルコートもない、間違える余地がない。傷つけたいと、殺したいと思うほどの強い憎悪。それを、面識のない私がいだかせていた。
「私、彼に、なにしちゃったんだろう」
「なんもしてねぇよ。向こうの勝手な感情だ」
「でも、私……」
ああそうか、と気持ちが落ちる。
――ツワブキダイゴと別れろ。
「そういうことか」
つぶやいた私に、キバナは顔をしかめた。
「なにがそういうことなんだよ」
「ううん、なんでもない。ごめんね、本当にボーッとしてて、でも、キバナとジュラルドンたちのおかげで助かったよ、フライゴンも、ありがとう」
どんどん沼の底へ沈んでいく気持ちをむりやり隠して笑みを浮かべる。そうでもしないと、心がぐちゃぐちゃでどうにかなってしまいそうだった。
「……あのなあ」
きっと、キバナは怒っている。きっとなんて、考えなくたってわかることだ。命が狙われてたんだ、とか、もうちょっと真剣に考えろ、とか、キバナが言いそうなことを思ってかぶりを振る。
「なにもいわないで」
だって、これ以上現実を知ってしまったら、私は泣いてしまう。
「いい加減にしろ」
「いいから、私は大丈夫だから」
「なにが大丈夫なんだよ」
しんとした室内に、低い声がほどけていく。そのまま溶けていってくれればいいものを、耳に奥に響いて余韻を残していく。
「だいじょうぶだから、本当、これ以上私をみじめにしないで」
もういやだ。なにもかも、どうしてこんなにうまくいかないのだろう。
私はただ好きな人を、好きでいたかっただけなのに。その人の隣に立てる人間でいたかっただけなのに。なぜ、人を傷つけ苦しめ昏い闇に追い込み、そしてこんなにもくるしい想いをしなくてはならないのだろう。
どうして、こんな……。
「泣けよ」
「いやだ」
「いいから、泣け」
「いや、泣かない」
「泣けって!」
唇を噛み締めた私をキバナは抱きしめた。むせ返るほどの熱が、堰き止めていた涙をあふれさせた。
