かがやくオーロラベール

 さて、これは私たちが付き合う前、ツワブキダイゴ副社長がガラルを去る直前のお話である。スボミーインのスイートルームで、まさしくウィンディどころかザシアン・ザマゼンタ級のとおぼえを上げた日から数日。数々の報道取材や問い合わせをほぼさばき終えた副社長と私は、キバ湖の瞳という湖に浮かぶ小島にやってきていた。
 茂みの向こうで闊歩するオノノクスを横目に、やまおとこスタイルの副社長と、ボスゴドラとココドラと、それからカイリキーとジュラルドンとともにテントを張る。
「こんな感じかい」
「そうですね、あとはこの棒を……」
 できた! と声を上げた私に、うしろで遊んでいたゲンガーが小躍りをする。上空ではバタフリーがふよふよとはばたき、完成を祝うかのように鱗粉を散らしていた。
「こんなに本格的にテントを張ったのは久々だ」
「またまたご冗談を」
「いや、本当に。今の仕事に就いてからは、なかなか好き勝手飛び回れなかったしね」
 はて、その真相やいかに。あごに手を当てて、満足そうにテントを眺める副社長に肩をすくめる。
 デボンコーポレーション主催のパーティーが終わってしばらく、慌ただしさに見舞われていた日々がついに終わろうとしていた。ガラルの視察とパーティーへの参加をもとに組まれていた予定は底をつき、副社長がホウエンに帰るまであとわずか。副社長秘書というてんてこまいな役職ともこれでおさらばである。
 そんな門出を祝福してか、天気の荒れやすいワイルドエリアも今日ばかりは晴天だ。だが、すがすがしさとはうらはらに、どこか気持ちが晴れないでいた。
 ――ボクといっしょにきてほしい。
 原因は、ほかでもない副社長の言葉だ。ああやっと元の平和な日々が戻ってくるのね、と思った矢先、彼から告げられた。A3サイズのいわゆる「契約書」とともに。それはすこし前の私なら、舞い上がっていただろう代物だった。けれど、すなおに喜べずにいた。
 それもそうだ。だってそもそも私たちは交際していないのだから。たしかに、副社長から「好きだ」と告げられたけれど、男女の関係としてお付き合いする話はしていない。そんなのへりくつだ、と言われてしまいそうだが、そんな状況で到底、「ホウエンに来てほしい」などという言葉は受け容れられなかった。
 結局、副社長は、まあこれはおいおいとして、と婚姻届を引っ込めたのだが、「ボクの気持ちは本物だよ」と慈愛に満ちた笑みは戻してくれず。私は、すこしだけ時間がほしいと告げた。そうして、残りの時間を二人で過ごすことにした。
 パーティーが終わってからも諸々の処理に追われたともあって、久々の休息だった。雲ひとつない青空を見あげて、副社長はまぶしそうに目を細めている。
「絶好のキャンプ日和だ」
 その姿はまるで映画のポスターみたい、と思ったのは内緒だ。なにしろ格好がアレである。オレンジ色のシャツが妙に目に痛い。
「そうですね、ここにして正解だったかも」と答えながら、私は足もとで遊んでいたミミッキュにポケットからポケじゃらしをとりだす。
 ナックル丘陵は晴れていても砂ぼこりがひどいし、巨人の腰かけあたりは霧が立ち込めることもある。げきりんの湖は地雷原みたいなものだからキャンプどころではないし、とはいえ、この小島もオノノクスがいる時点でなかなか気が抜けないが。
 ウッウの気の抜ける鳴き声を遠くに聞きながら、ミミッキュとあそぶ。そこに、カイリキーやジュラルドンも寄ってきた。
「ボールであそぶ?」
 こくん、と揺れる頭に自然と頬がほころぶ。なにはともあれ、せっかくの時間だ。難しいことは置いておいて、きちんと目の前のこの子たちや彼に向き合おう。そう思い、カバンの中からボールをとりだすと、ココドラたちも興味を示してくれたようだった。
「それはまた、すごいボールだね」
 メタグロスとともに木の枝を集めに行った副社長が戻ってくる。あ、と思いココドラのずつきするボールを見やると、ガラルのスーパースターの顔があった。
「以前、ガラルじゅうのカレーをマスターしよう! というキャンペーンがあって、もらっちゃったんですよね」
 たしかに、初めて見る人には奇妙かもしれない。ダンデの顔が描かれたボールはやけにリアルで、飛んでくる様などダンデがまさに迫ってくる臨場感がある。たとえばこれをアーマーガアが咥えてもどってきたりすると、ついおかしくなって笑ってしまうのだ。
「副社長も作ってもらいましょうか」
 そうだ、とてつもない人気が出そうだ。デボン限定、ツワブキダイゴボール。人類のみならずポケモンもメロメロ。そんなことを考え、はいとボールを手渡すと、「ボクはいいかな」と苦笑された。
「すごく人気が出そうだなと思ったのに」
「チャンピオン時代、自分の顔が印刷されたトートバッグとか缶バッチとか山ほど作られてね。今でも時々見かけると複雑な気持ちになるよ」
 有名なのも考えものね。彼に肩をすくめると、集めてきた枝でカレーをつくる準備にとりかかった。
 それからは激辛カレーを作ったり、口なおしに焼きマシュマロを作ったり、ひと休みしたあとは自転車に乗って散策。
 副社長が自転車に乗る姿はさぞもの珍しく、ここぞとばかりに写真に納めると、「恥ずかしいんだけど」と彼はいつになく困った顔をしていた。
 ミロカロ湖を回り、エンジンリバーサイド、ハシノマ原っぱを駆け抜ける。すこし霧が立ち込めていたが、ストーンズ原野ではおなじみのピッケルを使って鉱石を探した。
 そうしているうちに雨が降り出して、私たちは切り立った岩影に駆け込んだ。
「ワイルドエリアの天気は女ごころよりむずかしいって、父はよく言っていたんです」
 ハイドロポンプを空に打ち上げたように、ぼたぼたと降りしきる大粒のしずく。五分前までは晴れていたのに、今や厚い雲が空を覆っている。
 こうして突然のスコールに降られることはよくあることだ。それでも、こんなときに、と恨まずにはいられなかった。
「すこし濡れますけど、近くの街に飛びますか」
 ここからなら、ナックルシティもそう遠くないし、バウタウンだってある。雨雲を抜けてしまえば向こうは晴れているはずだ。
 ザアザアと岩肌に当たり飛沫を散らす雨。それを眺めていた副社長をふりかえると、ふと視線が絡み合った。目が合った、などと言うには複雑で、重く深いそれに行き場を失う。もうあとには戻れない、そんなふうに。
「もうすこし、このままで」
 そう言った彼の吐息の熱さ、まっすぐそそがれる濡れた瞳。まるで雨の中に閉じ込められたみたいだった。はっと息をのむうちに、彼はすぐ微笑して私の隣に並んだ。
「このすぐ近くで、キミはミミッキュを捕まえようとしていたね」
 折り重なった繊細なカーテンの向こうに、白く揺らぐのはハシノマ原っぱだ。
 あれは副社長に会った二回目のとき。いやいやながら彼の採掘に付き合い、はじめて秘書としての仕事をまっとうした。いや、まっとうはしていないかもしれない。私は副社長を放って一人ミミッキュを探しに、そうして、ローブシンに睨まれ身うごきがとれなくなっていたところを助けられた。
 メタグロス、コメットパンチ――そう聞こえた瞬間の、あるいは瞬いた閃光を、今でもよく憶えている。茫然と見あげるとぼけた女を副社長は嘲笑も疎みもせず、やさしく受け止めてくれた。
「海に溺れているキミを見つけたときは、おどろいたよ」
 私も、副社長に遭遇するなんて思ってもみなかった。そこからまさか秘書に任命されるとも思っていなかったし、マホイップコーヒーを飲んだり、鉱石を探したり、タッグバトルなんて論外だ。結局、最後まで彼のそばに居続けたことも、かつての私が知ったら疑いの目を向けることだろう。
「ラプラスも捕まえたし、ワイルドエリアも、鉱山も、いろんなところをキミと旅した」
 彼の横顔は、しっとりと雨に濡れささやかなきらめきを放っている。長いまつ毛が瞬くたび、やわらかな音色を唇に載せるたび、いっそう輝かしいものに変わる。
 ただ顔がいいから、洗練されているから、そんなことではなく、離れられない、目を離せない、強い引力のようななにかがそこにある。
「今日で、それも終わりですね」
 口にした言葉は想像よりも弱々しいものだった。彼がふりむき、やわく微笑していた。
「そうだね。できれば、ホウエンにきてほしかった」
「私ほど、あなたの趣味に付き合える秘書はいませんからね」
 たしかに、と今度は破顔する。目映くて、胸の奥がむずついて、見ていられなくて……。私はひたすら濡れた岩肌を見つめる。
「ローラ」
 こんなときに、名前を呼ぶなんてずるい。砂糖菓子のような甘さと、とろとろとあまいみつを垂らすような甘美な音色と、私にはもう逃げ場がない。
「ボクは、できればキミと離れたくない」
 とんだワガママだとわかっている、と彼は言う。それでも、キミが欲しいと。
 雨をまとい、潤んだ瞳がまっすぐそそがれる。背けていたあごにそっとあたたかな手が触れる。
「ローラ、ボクはキミと恋人になりたい」
 一方的な好きだとか、愛してるとかだったのなら、どれほどよかっただろう。これまでわざとあやふやにしてきたものが、ハッキリ形を成していく。
「結婚なんて考えなくていい。将来のことなんて、ひとつも気にしなくていい。ただ、ボクはキミと一緒に歩いていきたい」
 言っていることが、ごちゃごちゃだ。
「将来のことを気にしないなんて、できませんよ」
 だって、そんな無責任なこと、このひとにしていいわけがない。喘ぐようにこぼした言葉を彼はすくいあげる。
「じゃあ、ひとつ、ボクに未来を預けてくれないかな」
 視界の中で、静謐なたったふたりきりの世界で、あざやかに銀色が瞬く。
「この先、共に前を向いて歩いてみて、道が重なれば一緒になればいい。重ならなければこの手を離そう。でも、いつでも手をとりあえるところに、できればいたい」
 こうして、と震える私の指先を掴んでそっと包み込む。それだけでぐらぐらとしていた足もとが固まり、安全な場所に、いくら走っても飛んでも転ばない確かな場所にたどり着いたみたいだった。
「……ばかね、そんな責任ばっか背負って」
 ぱちりと彼が重たいまつ毛をしばたく。
「一人で背負うなんて、そんなのやめてよ」
「でも……」
「未来を預けるなんて、賭け事みたいなことも御免です」
 目に見えて落胆の色を見せる彼に、やれやれと笑う。
「背負うなら、半分ずつがいい。そうして、二人それぞれの人生をきちんと生きながら、それでも一緒にいられるのなら、私たち二人だけのやり方を探してみるのも、悪くないなと思います」
 プラチナの瞳がゆるりと瞬く。
「……と、いうことは」
「こういうときは、自信ないんですね」
「真に自信があって告白する人間なんて、滅多にいないさ。たいていは虚勢だよ」
 先を請うように指先が深く絡まる。もうどこにも逃がしはしない、離さない、今ここですべてを奪いさってもいい、そんな意志を感じさせる熱い指先だ。それに、私も応える。
 深呼吸をひとつ、それから彼の瞳をまっすぐ見つめる。けれど、きっと私たちの目には遥かに続く道が映っている。
「私も、あなたを離したくなくなってしまったみたいです」
 否や、腕を引かれものすごい勢いで彼の胸に飛び込んだ。
「大切にする」
 子どもみたいだ。ずっと欲しかったものをようやく手に入れた、無邪気な子ども。石を見つけたときよりも声がうわずり、私を抱きしめる腕が震えている。
「いいですよ、そんなこと誓わなくて」
 時として、恋人の甘い約束は重い鎖となる。できれば彼にそれを課したくはないし、自分にもそうだ。しかし、さわやかな香りのする胸の中でそう告げると、「キミは石みたいな子だ」と彼は苦く笑った。
「キミを本当の意味で口説くには時間がかかりそうだね」
「ガラル最強のジムリーダーに育てられましたからね」
「それはちょっと聞き捨てならないかな」
 おっと、これはお口フワライド。しかし、「だいじょうぶ」彼は言った。
「大切にするよ、キミのありのままを受けとめる」
 このひとが言うと、本当にそうしてくれるような気がするからふしぎだ。鼓動をたしかめようと耳を当てる。強くてやさしい、あたたかな音色。それを味わおうとして、きらり、光が射しこんだ。
「あ……」
 薄くもやのかかった世界を、切り裂くように天使の梯子が下りる。
「晴れた」
 今まで見たどんなワイルドエリアよりも神秘的で、はるかに美しくて、周りの見えない気障な恋人たちではないけれど、この瞬間、まるで二人だけのために世界が存在しているかのようだった。