「死にたい、死にたい、死にたい死にたい死にたい」
そらとぶタクシーの中で、過ぎゆくホワイトヒルの雄大な景色を眺めながらぶつぶつと呟く私に、「ここで飛び降りないでね」と副社長はさらりと告げた。それはフリだろうか。とにかく、怒涛のメロドラマ展開を迎えた私はもはや瀕死寸前であった。いや、正確に言うと……。
「いつもそうしていて、疲れない?」
ずどん、さらにウッドハンマーが落とされた音がした。
「……そうして、って」
「ありのままのキミでいればいいのに、ということかな」
肩を並べて座る彼が上司であることも忘れて、大人げなくぎろりと睨め付ける。しかし、完璧なまでの微笑を向けられて毒気が萎んだ。
「……すごく、疲れる」
弱弱しく告げた私に、「だろうね」と彼は言った。
そう、私の中でなにが一番ダメージだったか。それは、キバナの前であられもない姿を晒してしまったことだった。それなりの年月を経て、必死で作ってきた対キバナ用の可憐で清楚な自分。キバナの前に立つ私はいつまでもそうでありたかった。そうでなくちゃならなかった。
「もういやだ、すべてが水の泡」
冷たい車体に頬を預け、白い山々を眺める。ああ、あのまっさらな雪にこの身をうずめてしまいたい。それか、コオリッポのアイスフェイスを奪って、頭からかぶって川に飛びこんでしまいたい。
「そんなに、気にしなくてもいいと思うけど。キミはキミなのだし」
いかにも副社長が言いそうなセリフだと思った。受け容れられることが当たり前で、自由に過ごせる人間の。
「男のひとは、いいですよね」
気がつけば、私はそんなふうにしゃべりだしていた。
「物腰がやわらかければやさしい。粗暴であっても男らしい、だらしがなくても神経質でも、ポケモンバトルに夢中でも、どんなポケモンを使っていても文句を言われない。でも、女はちがう」
リベラルだ男女平等だなんだと謳われるが、そんなの表層だけ。結局、女は複雑なのだ。長いため息をつく私に、副社長はくすりと声をもらした。
「……なんですか」
口もとを手の甲で押さえ彼は、ごめん、と笑った。
「ボクは、そういうキミのほうが好きだけどな」
ひときわ立派なアーマーガアが大きな翼を広げて冬景色を飛び越えていく。高いビル群がだんだんと迫りくる。まもなくシュートシティだ。
「好き、なんて、いい大人がそう簡単に言うもんじゃありませんよ」
「それは失礼。でも、いい大人が言うからこそ、意味があると思わないかい」
まなじりを細め薄く唇を引いた副社長に、私はぐるりと目を回して賑やかに移り変わる景色に意識を集中させた。
やり直さないか、そんな夢のように軽くて重い言葉を耳の裏で反芻させながら。
シュートシティに着くと、先ほどの空旅とは打って変わって喧騒が私たちを包みこんだ。エンジンシティとはちがう、はるかに騒がしく猥雑な音に、どこか洞窟が恋しくなってしまう。……のは、石マニアの魔法のせいだろうか。いや、これはもはや呪いだろうか。
ついこのあいだまで毎日シュートシティに通い、朝から晩までそこで過ごしていたというのに、そんな日々がずっと前のことのようだった。それこそ、何年も前、ひとつの時代を背後に隔てているように。
まだ私がオリーヴの背を追いかけながらダイマックスの研究をしていたころ、ここはもっと輝いて見えた。大人で、瀟洒で、だれもが憧れるガラルの新都市。夜になれば、夜景を見ながら飲めない缶コーヒーを傾けてみたり、ドレスコードの必要なバーを探したり、観覧車のてっぺんでキスをするようなロマンスを夢みたり。
なにもかもがあり、なにもかもがいつも足りない、そんな街。そして、怒涛のジムチャレンジを終えた今、猥雑さだけを残し、どこか寂しくなるような静けさがすぐそばに潜んでいる。
「会議は何時から?」
「十時半から――あと十分後です」
腕時計を確認し、副社長に視線を送る。
「そうか。なら、急がなくてはならないね」
そう言って、彼は私の腕を掴んで走り出した。
タクシー降り場から社ビルまでは歩いて五分もかからない。だが、デボンコーポレーションガラル支社もバトルタワーに負けず劣らずの高層ビルだ。スムーズにエレベーターに乗れれば問題ないが、万が一、逃してしまえば会議には間に合わない。
真昼のオフィス街を副社長に手を引かれながら走る。履きなれたピンヒール――けれど、これで走るなんて滅多にない。それが無情にも石畳に食い込む。しかし、強く繋がった手のおかげで転ばずに走り続けられた。
「大変、申し訳ございません、お待たせいたしました」
なんとか三分前に着くと、すでにパーティーの実行委員は揃っていた。主に広報のメンバーを中心として編成されているが、もちろんほかの部署からも集まっている。その中には見かけたことのある顔もいくつかあった。
私と目が合うなり、ゲッという顔を浮かべる前上司たち。
はて、一体、いくらで私は買収されたのか。……追及するのはあとにして、副社長が長い会議テーブルのいわゆる上座につき、私はその副社長の視界に入る位置、右方斜め前のドア付近に立ち控るえる
広報部の女性社員が資料を配ると、実行委員長が司会進行となり会議を進めていく。内容はもちろん来週のパーティーに関してだ。前日までの準備事項に大まかな段取りや人員の配置、それから当日の動きを確認していく。会議には何回も出たことはあるが、主体的に参加しない会議は初めてだった。かえって緊張するようで、どこか心もとない気持ちのまま、私は資料と、その影からこっそり副社長とを眺めていた。
プロジェクターを真っ直ぐ見据えながら副社長は職員の説明に真剣に耳を傾けている。シックな万年筆を片手に適宜相づちを打つ姿は、今まで見たことのないものだ。
なんというか、初めてちゃんと仕事しているところを見た、と言うと怒られるかもしれないが、こうしてデスクについているのを目の当たりにすると、彼がきちんとした人間であることを実感させられる。社内で飽きるほど聞いた「趣味がアレだけど、なんでもできるハイスペック男」のうわさも伊達ではないのだろう。
いつも優しく弛んでいる口もとも、今はきっちり引き締められており、発言者に向けるまなざしは真摯で、それでいて非常に思慮深い。なにより、その姿の絵になることと言ったら。俗に言う容姿が整っているというレベルではなく、「本当になんなの」と、怒りたくなるような美しさなのだ。
見惚れてしまう自分に心底くやしくなる。なんであんな食えない性格の石マニアにドキドキしているのよ。相手はあの石マニアなんだから。そうよ、石マニアよ! ひとりでに唇を噛みしめムッとした顔を作っていると、ふいに副社長と目があった。
――か、お。
薄い唇がかすかに動く。さらに眉間にしわを寄せた私に、副社長は小さく笑った。慌てて前髪をとかして顔を整えると、彼はもうすでに広報の人間に話しかけられ律儀に答えているところだった。
そうしているうちに当日までのスケジュール確認が終わり、新製品に関する話題となった。そういうのはたいてい社外秘であるから一介の秘書である私は外へ出るべきかとも思ったものの、なにも言われなかったので副社長同様、話に耳を傾けていた。
今回発表される新製品は、未だ開発段階ではあるが、マクロコスモス社から共同制作依頼を受けたダイマックス製品であり――って、マクロコスモスから共同制作依頼?
……聞いてない。そんなの、ひと言も聞いてない。ぐぎぎ、と資料の端を握り潰していると、その殺気を感じ取ったのか、ダイマックス部門の二人がデスバーンでも見たような顔でこちらをふり返り、気まずそうに視線を逸らしていた。確信犯だろうか。
「今回、開発段階におけるのは、我が社のベストセラー商品『ポケナビ』に備わっているポケモンマルチナビの機能を応用した、ダイマックスポイント探索機能です」
担当広報の女性がプロジェクターの資料をもとに説明を始める。
キャッチコピーは、《これでもうダイマックスレイドバトルをのがさない!》――なるほど、わかりやすい。いつ、どんなときでも、どこでどのようなダイマックス反応が起きているのかをチェックできる。それが新製品の主な機能だ。すでに開発済みのガラル粒子探知機を際限まで縮小し、リストウォッチ型ガジェット端末に埋め込むことで、一般人でも簡単にガラル粒子濃度が測定できるようになる。……なるほど、なるほど。
感心してか、しきりに副社長はうなずいている。なんとも優雅なワンシーンだ。しかし、目の前で吹き荒れるのはふぶき。ちなみに、ラボ職員のみに効く特殊技である。
声を震わせながら、元部署の先輩が説明を重ねる。
「この機器を使えば、近くのダイマックスポイントを的確に発見するのみならず、どれほど強力なダイマックスであるかを、ガラル粒子の量により、5段階で知ることができます」
ふぶきはさておき、従来のダイマックスバンドは、ダイマックスポイントのガラル粒子に反応してダイマックスを引き起こす、いわば媒介だ。新米トレーナーに渡すぶんには、その機能のみで十分であったが、ダイマックスが主流になってから、すでにひとつの時代を終えている。そろそろ機能拡張が必要だと一部では取り沙汰されていた。
それは、私がラボに配属されたころから長いこと話に上がっていたようにも思う。まずは、前述したようにワイルドエリアにおけるダイマックス発生ポイントの近距離探知機能、ゆくゆくはスマートウォッチのようにGPSをつけ、さらには図鑑機能までもひとつに集約してしまえたら、など未来に思いを馳せたものだ。
「製品のリリースは、半年後を目標しております。また現在、弊社、それからマクロコスモスの研究員、そしてソニア博士により行われている大規模なフィールドワークをもとに、全国の主なダイマックスポイントを調査中です。ダイマックス発生スポットを一覧化し、ひと目で、どこにどのようなダイマックスが起きているのかを確認できるアプリの開発も同時進行しています」
もしもこれが漫画であれば、私はハンカチを噛むほど悔しがっていたにちがいない。私もそのフィールドワークに参加したい。うっきうきのダイマックスツアーに向かいたい。アプリ試作にアドバイザーとして携わりたい。どうにか顔を歪めるに留めて、スクリーンに映される新たなダイマックスバンドを睨む。
そんな私を見て、副社長が口もとをゆるめていたなど、知るよしもなかった。
そうして豪雪吹き荒れる新製品説明は終わり、本題であるエキシビションマッチに話題は移った。当初、現チャンピオンを含めたガラルリーグ陣営と副社長のシングルマッチトーナメントを予定していたが、チャンピオンがヨロイじまへの修行のためしばらく本土を離れることとなり、仕様が変更になったようだ。
「そこで、リーグ委員長のダンデさまから、タッグバトルの提案がありまして」
「タッグバトルか、いいね」
いくぶんか和らいだ表情で副社長は背もたれに体を預ける。
今後、新たにトーナメントを設け、そこでタッグバトルを採用していくという話は耳にしたことがある。その前哨戦をパーティーで行いたいというのだ。いかにもバトルタワーオーナーのダンデらしい提案だろう。それぞれタッグを組み、ダブルバトルでトーナメント戦を行う。ルールはシンプルに、それぞれ手持ち一体のみ、バトル中のアイテム使用は原則なし、といったところ。
参加者はマスターリーグジムリーダー及び、現チャンピオンに代わり、リーグ委員長のダンデ、そして副社長だ。
「ダイゴさんにも、ぜひともガラルのトレーナーと共闘してほしいのですが、よろしいでしょうか」
広報部長に、よろこんでと副社長はこたえる。パーティーには関係者のみならず報道陣も多少は参加するため、当日はネットニュースが大変なことになるだろう。おそらく、ガラルに嵐が吹き荒れる。ドラゴンストームではない。そっちじゃない。
しかし、もしもこれで副社長とキバナがタッグを組んだりしたら――想像しただけで鳥肌がたった。仕事に私情は挟まないタイプだと思いたいが、個人的にその試合を見ていたくない気がする。その場からでんこうせっかで逃げ出したい。
ダンデよキバナを離さないで。キバナを捕まえていて、と考えるものの、キバナと副社長が対峙する姿もそれはそれで背すじが冷える。かやの外から眺めるぶんには、最高におもしろいかもしれないけれど……。
「では、私どものほうでタッグバトルを組むパートナーを……」
そんなことを考えながら心の中で十字を切っていると、参加者リストに目を落とした職員の言葉を、副社長が遮った。
「ああ、それなら心配いりませんよ」
きょとん、とだれもが副社長を見る。彼はあの整った顔立ちに嫌味なほど美しい笑みを載せて、前に立つ広報部長でもほかのどの社員でもなく、会議室のすみ、扉近くに立つ女に視線を寄越した。
「彼女とやりますから」
まさか、その嵐に自分が巻き込まれるとも思わず。
「はあ?」
一斉に集まった視線に、これまた低い、バンギラスのじならしにも負けず劣らずのうなり声が喉からこぼれ、私はとっさに口を覆うことになった。
