その日の収穫は、結局、ほのおのいしやみずのいしというポケモンの進化に関わる鉱石ばかりだった。結局、なんて言うとマニアには怒られてしまいそうだけれど、フローライトが見つからなかったのをどこか残念に思っている自分がいた。
次の日はラテラルタウン前の6ばんどうろへ。鉱山とはちがい、こちらは古代遺跡の雰囲気が漂う場所であった。かつてラテラルタウンへとジムチャレンジに向かう道すがら、ここでタイレーツに不意打ちを食らったことはいい思い出だ。まさに隊列を組み、あなぐらから飛び出してくる黄色い物体に、世の中には知らないポケモンがまだたくさんいるのだと思い知ったのもここだった。
さて、6ばんどうろでも副社長の石マニアっぷりはもちろん健在であったことは想像に足ることだろう。延々と石について語られたり、イシヘンジンを見つけようとひたすら遺跡を進んだり、あとは、散々穴掘り兄弟に頼もうと言ったのに、自分たちで掘るのだと日が暮れるまで化石採掘を手伝わされたりしたわけである。
ただ不思議なことに、大半は「やまおんな」スタイルで過ごしたというのに、気がつけばさほど煩わしく思わなくなっていた。ホテルに帰ってから一人、ベッドの中で、なぜそんなふうに感じたのかと考えてもみたけれど、余計に彼を意識しているみたいでいやになった。きっと、石マニアの魔法だった。ついに私は魔法にかけられてしまったのだ。だってあれほど一緒にいたら、感化されるというもの。かといって石について詳しくなったかというと、それは別の話。何度も同じ質問をして、いい加減にしてくれとばかりにため息をつかれるのが、私たちの定番のパターンとなりつつあった。
その翌日、ふたたび私たちは第二鉱山に訪れた。本来ならばまだ訪れていないガラル鉱山でもかまわなかったのだが、「第二鉱山にはもっと深い、穴場スポットがあると聞いたことがあります」などとぽつりこぼしたのが決め手だろう。前回手に入れられなかったフローライトを、なんとしてでも見つけたかったことは彼には内緒だ。
すっかり見慣れたやまおとこルックの副社長の背を見逃さないよう、視界の端で追いながら今日も今日とてタブレットで視察の旨を報告する。「送信完了」というポップアップがポンと画面に浮かび上がり、慣れた手つきでタブレットをリュックにしまった。もはや返信の有無すら確認しない。そうしたところで、了解メールが届くことはないのだ。
初めは本当に報告の必要があるのかと訝りもしたけれど、もとより我が社の副社長の奔放っぷりは風のうわさで聞いたことがある。これは前任者から続く生存確認手段なのだろう。そこまで考えて、そういえば前任者っていたのだろうか、とふと疑問が浮かび上がる。が、すぐに、「いくよ」と呼ばれて副社長のあとを追いかけた。すっかり私も「やまおんな」になってしまったみたいで悔しい気がした。
「この前とは、また地層のコンディションがちがうね」
地肌に手をあててその感触を確かめる姿は、もはやお馴染みだ。はあ、とうつけた返事をするが意に介す彼でもない。
「どういうふうにちがうんですか」
「さわってみればわかるよ」
言われるがままグローブを外してそこに触れる。
「どうだい」
「……いえ、さっぱりですね」
どちらかというと、冷たいだろうか。でも、それは先日も同じだった気がする。副社長は鈍感な私に呆れるだろうと思ったものの、そっか、と苦笑しただけでコンディションの差異を丁寧に説明してくれた。
「このあいだより水分の含有量が多い。触れた瞬間、ひやりとしなかったかい」
「しましたけど、以前もそうでしたよね」
「たしかに、キミの言うとおりだ。でも、今度はこっちをさわってごらん」
壁面をぺたぺたさわっていた手首を掴まれ、副社長が先ほどまで触れていたあたりに持っていかれる。
「……あれ、ここ、すごくつめたい?」
氷とまではいかないが、冬場ジュラルドンにさわったときの感触に似ていた。
「だろう? 微々たるものではあるけれど、この鉱山内の水流が変化したか、それともなにかが水脈を傷つけたか」
ぶつぶつ、大学教授さながらにチンプンカンプンなことをつぶやき始める副社長。そんなことより私の手だった。じんわりと分け与えられる副社長の熱。触れているのが氷だったら、ぽたぽたと水滴が落ち始めてしまうではと思うほど、独り言をつぶやいているあいだも、副社長は私の無防備な左手首を掴んだまま離してくれない。意外にも大きく、それが自分の手首へ巻きつく様になんだか心臓が痛くなる。……って、まさか、そんな。
気を抜いたら激しい脈動を知られてしまうんじゃないか。そう思えばさらに脈は速まって悪循環だった。身動きのとれない私の手の甲を、人差し指と薬指の指輪がほんの一瞬いたずらになぞった。
「いずれにせよ、もうすこし奥に進んでみる必要がありそうだな」
やめておけばいいのに、いまだ地層談義を続ける副社長の顔を私はちらと見上げてしまった。思慮深い額に聡さを示す精悍な眉。すっと秀でた鼻梁となだらかな頬、自然と弧を描いた、薄く、すこしカサついた唇。瞬きのたび揺れる濃い睫毛と、それに縁取られた瞳。最奥の泉のように澄んだそれは、一心に目の前の鉱山壁に注がれている。
ああもう、悔しいくらいに、このひとは美しい。陶然と見惚れる私に、幸か不幸か彼はみじんも気づきはしない。
「もしかすると、フローライトが見つかるかもしれないね」
不意に副社長がこちらを向いて、視線が絡んだ。ようやく、私は我にかえった。そうですか、とにべもなく瞳を伏せる私に副社長はなにも言わない。ただ、手のひらが離れる瞬間、そっと手の甲を撫でられた。さりげないタッチではない、それは質感や温度を確かめるはっきりしたものだった。
あっ、と声が出そうになるのをこらえ、咄嗟に視線を上げる。すぐ先に副社長の顔がまみえ、思わず息をのむ。にこにこ、いつもの掴みどころのない笑みだが、今だけはその笑いきっていない瞳の奥を暴きたくなってしかたがなかった。
「どうかした?」
「……いえ。その、これからどちらに向かいましょうか」
この男……! しかし、なにごともなかったように平然と髪を耳にかけ直し、私は訊ねる。そうだな、と副社長はあごに手を当てたあと、先ほどと同じく空いたほうの手で地肌に触れた。
「……つかぬことをお訊きしますが、今、あなたはなにを?」
「なにって、彼らの言葉を聞いているんだよ」
一瞬でもときめいた私の心を返してほしい。
そのあとは先日よりも奥へ進み、水場のある場所へやってきた。高い天井と広がる水の向こうにはまだ坑道が続いている。
小さいころ、スクールの校外学習でここまできたことがあった。けれど、副社長の言っていたとおり水の音がかつての記憶よりも激しい気がした。原因はわからない。ただ、もしかするとガラル粒子が影響を及ぼしている可能性もある。後ほど、ラボに連絡を入れるべきだろうと頭の隅にメモを残し水際に歩み寄る。
人工的につけられた明かりによってかすかな波が光の綾を織りなす。水は透きとおり、相当な深さだろうに底に広がる岩石の形状さえよく見える。奥には滝があり、ザアザアと水の落ちる音がした。坑内はいっそう冷ややかな空気に包まれていた。
副社長はどうやらその滝の裏の岩肌に狙いを定めたらしく、なみのりができるポケモンがいるかと訊ねてきた。ラプラスがいると答えた私に、「ではその子を貸してくれないかな」とひと言。断るいわれもないのでモンスターボールからラプラスを出すと、副社長は目を爛々と輝かせて滝の向こうへ消えていった。また、あの人は勝手にホイホイ突き進んで。と、思うも、もはや動揺する私ではない。近くの岩に腰掛けて優雅にアフタヌーンティー。……ではなく、リュックを広げてとある機械をとりだした。
「……微量ではあるけど、通常よりガラル粒子が多い」
ラボに勤めていた時代からずっと隠し持っていたガラル粒子測定器だ。通常はラップトップほどの大きさの装置にモニターやらなにやらを繋げて測定するが、これはデボンのダイマックス研究部が、利権問題のために秘密裏に製作していたモバイル測定器である。手のひらに収まるサイズのそれは、やや大きなガジェット端末みたいだ。しかし側面についたスイッチを入れるだけで、簡単にガラル粒子の値を測定できる。本来ならば持ち出し禁止になっているところを、研究者の特権としてくすねていたのが役に立った。
「……もしかすると、この奥はもっと強い?」
ガラルじゅうのダイマックスポイントに関しては、マクロコスモス社が数年ごとに調査をしている。マグノリア博士時代に行なった調査の結果は耳にしたことはあった。
しかし、ここ第二鉱山はとくに取り沙汰されるような変異点ではなかったはずだ。
ソニア博士になってからの調査は、私が知る限りではまだ行われていない。だとすれば、だ。副社長が消えていった滝の裏を睨んで、私は現在地の測定結果を記録する。それからタブレットをつけて総務部宛に送る報告書のほかに、ラボ宛のレポートを作成した。
正直、副社長の地層談義は右から左だったが、彼のあの直感には感謝しなくてはならないかもしれない。もしかすると、しなくても、デボンコーポレーションダイマックスラボの勝利も近いか。
見てなさいよオリーヴ! と、悪役さながらに闘志をたぎらせる私だった。
「どうでしたか」
しばらくして帰ってきた副社長はやけに上機嫌だった。
「うん、思ったとおり、みずのいしがあったんだ。とても純度の高い、ね」
ラプラスから飛び降りて、抱えていた腕を広げる彼の胸にはいくつかの輝く石があった。呆れるわけでもなく、よかったですね、とひと言添えて彼の肩口についた泥を払ってやる。小さな男の子をもった母親の気持ちだった。
彼は一瞬、動きを止めたが、すぐに朗らかな副社長然とした表情を取り戻して、「キミは?」と訊ねてきた。
「そこの岩で、遥かなる大地の営みに思いを馳せていました」
「うん、それはすばらしいことだね」
少々癪に触ったが、「ゆっくりできたならよかった」と続いた言葉に私は閉口して、ぷるんと羨ましいほどにたまご肌な頬の汚れを指で拭いとる。
石のことになると、副社長はほんとう無邪気な子どもだ。
「そうだ。キミにおみやげがあるよ」
「おみやげ?」
首を傾げる私に、副社長はベストの胸ポケットからなにかを取り出す。「はい」と差し出された手に、私は条件反射で手を伸ばした。
「これ……」
手のひらに転がったのは、クラボのみほどの鉱物だ。
エメラルドとはすこしちがう、深い深い碧色の結晶がいくつか連なっている。濃い色合いなのに透明度は高く、宝石ほどのきらめきはないけれど、どこか神秘的な石だった。
「これが、フローライトだよ」
「きれい……」
「たまたま向こうで採れてね」と副社長はわらう。
ブラックライトにあてると、ほのかに光るのだと彼は言っていた。しかし、この石が蛍石と呼ばれるのは、その蛍光が理由ではなく、燃やした際に発光するのが所以らしい。時に烈しく割れるようにはじけるため、それが宵に飛ぶバルビードやイルミーゼ、ほたるポケモンの光に似ていることからその名がついた。
ところどころに残る砂礫がこの石が大地に眠っていたことを物語る。それを彼があのピッケルという道具で見事に掘り出してくれたと思うと、なんだか不思議な心地だった。
手の中で、あえかに光を集めフローライトは瞬く。高濃度のみずのいしも魅力的だが、やはり、はるかにこちらのほうがいい。
はじめて自分の目で見たその石にすっかり心を奪われた私を、副社長は優しく見守っていた。
それから泉のほとりでリュックを開きひと休みを始めてしばらく、だしぬけに副社長が切り出した。
「キミのポケモンの育て方はすばらしいね」
「はあ、育て方」うろんな返事をする。
副社長は微笑んだ。
「ラプラス、このあいだ捕まえた子とはちがうだろう?」
スイスイと水面を泳ぐその子を目で追いかける。
たしかに、先日レイドバトルで捕まえたラプラスとは別の子だった。けれど、なみのりをするあの短時間で育ちや個体差を見極めたのだとすれば、さすがとしか言いようがない。思わずうつけた顔になってしまうものの、次第に褒められたうれしさが募る。
そうですね、とペットボトルの蓋を開けようとしながら答えると、サッと横からそのペットボトルを奪われて開封してから返された。
べつに、一人で開けられるのに。私は開いたペットボトルの口を眺めながら思う。
「性格に合わせて、ポケモンの力を最大限に活かせるように育てられている。ブリーダーでも、ポケモンの特性を見極め、あそこまで育てるのは難しいんじゃないかな」
そんな、と思わず言葉が痞えた。
「一緒にいる時間が長かったので、自然とあの子のことがわかるようになっただけです」
ラプラスはジムチャレンジ時代からの相棒だった。かれこれ十年以上、一緒にいることになる。ワイルドエリアで、はじめてレイドバトルでつかまえたポケモン。そして、わたしをキョダイマックスの魅力に引きずり込んだポケモンでもあった。
「ほかの子も、きっとキミはすばらしい育て方をしているんだろうね」
副社長はやさしくプラチナの瞳を私に向ける。なんだかとてもむずがゆい。
「よければ、見せてくれるとうれしいんだけど」
どうかな? 微笑を浮かべる男に、「あー……」と視線を逸らす。けれど、その無垢な好奇心には勝てるはずもなく、小さく息をつくとボールホルダーから手持ちの子たちを坑内に放った。
「へえ、ミミッキュにジュラルドン」
この子は先日つかまえた子だね、と地面をズササッと這うミミッキュを見て副社長は銀糸を揺らす。それから、と視線をあげると、やわく弛んでいた唇がグッと頬に食い込んだ。
「バタフリーにカイリキー、ゲンガーか」
以上が私の手持ちである。ふりーふりーと甘く鳴きながらバタフリーは私と副社長の頭上を舞い、それを追いかけるようにカイリキーがのっしのっしと歩いてくる。
ゲンガーはチームいちのいたずらっ子。今も、ニシシという吹き出しが付きそうな笑みを浮かべて、おしりをふりふりしながらこちらを窺っている。大方、なにか仕掛けようとしているにちがいない。
「バランス型のチームだね」
「……みんな、キョダイマックスするんです」
ミミッキュ以外。あとはその時の用事に合わせてアーマーガアが加わる。短時間で移動したいとき、あるいは思い切りストレス発散をしたいとき。
副社長の視線から逃れて、いたずらを仕掛けようと企んでいるゲンガーへ手を伸ばす。ゲンガーはゆらりゆらりダンスをするようなリズムで歩み寄ってきて、手のひらに自分の手を載せた。握手、とその手を掴もうとすると、スッと体が透ける。こうして空を掴むことになるのは、いつものあいさつみたいなものだ。
もう、と笑って、リュックからポケフーズを掴み、どっちに入ってるかな、なんてミニゲームを始める。ゲンガーのギョロっとした赤い瞳が右、左、と忙しなく動くのは相変わらずにくめない魅力がある。
「キミは……」
「わかってます。かわいげのない女ですよね」
言葉をためた副社長に、にこりともせずに吐き捨てる。そんなのは、重々承知だ。ダイマックス、ひいてはキョダイマックスに取り憑かれた女なんて。
あの仕事に就いたのも、そんな自分の嗜好の延長だった。社会人になるまでは、日夜ワイルドエリアのポケモンの巣穴に飛び込んでいたし、いつでもトレーナー仲間からの呼び出しに答えられるよう、年がら年中キャンプをしていた。社会人になってからも、ほとんどそれは変わらなかったように思う。
仕事があるから毎日は叶わなかったけれど、休みのたびにワイルドエリアに飛んでいったし、視察と称し、バウタウンのジムスタジアムで妹のような存在のルリナとダイマックスバトルをしたりした。
キバナと、付き合うまでは。
「そうかな」あっけらかんとした言葉に、私はゲンガーから顔を上げた。
「ボクは、キミのこといいと思うよ」
父親のような、兄のような、はたまた愛しい恋人のような。そんな柔和な笑みが、胸の奥のだれもが知り得なかった場所を解かしていく。
「生粋のダイマックスマニア、かっこいいね」
見つめ合う私たちを眺めて、ゲンガーがニッシッシッと笑っていた。
だが、それもつかの間のこと。
「ローラくん!」
私の名を呼ぶ声にハッと現実に引き戻された。まさかこんな鉱山内部で私のことを知るひとがいるとは。勢いよくふり返ると、そこには真っ赤なユニフォームを着たエンジンシティのジムリーダーが立っていた。
