episode.4

 あのあと、ハシノマ原っぱを抜けて私たちはその足でげきりんの湖に向かった。
 あいにくの天候ではあったものの、もちろんやまおとこセットの中に雨具を用意していたので問題はなく、白いレインコートですっぽりと身を包んだ副社長は、それはもうキャタピーを見つけたむしとり少年のようだった。
 そぼ降る雨などなんのその。水面を渡り、岩の突出した地面になにかきらめく物体を見つけた途端、満面の笑みでげきりんの湖を駆け抜けていく。地雷原をゆくような危険地帯で、まさかそんなにも無垢な気持ちになれるとは、きっとそんな人、ガラルじゅうを探してもダンデか副社長ぐらいだろう。ダンデですら、もうすこし垢抜けた風体でキャンプをするはず。……それはさておき、たいようのいしやつきのいしなど、さまざまな自然の恵みを頂いた副社長は、終始ご機嫌なままその日を終えたのだった。
「本日はどうなさいますか」
 新たに支給されたタブレット端末を手に、ソファで寛ぐ副社長に視線を送る。
 場所はエンジンシティ、由緒ある有名ホテル、スボミーインの上層階だ。大きな窓の向こうからは燦然と陽光が射し、副社長の銀色の髪をいっそう輝かせる。長い足を組んでコーヒーをたしなむ姿のなんとも癪に触ることだろう。と、いうのは心の声ね。
 空にはダイマックスの光の柱が禍々しくも上がっている。そうだな、と副社長は流線うつくしいあごに手を当てた。
「せっかくだし、ガラル地方をいろいろ回ろうかと思って」
「では、副社長のご趣味にあった……」
 さっそく洞窟の場所を検索しようとするが、「いや、それには及ばないよ」やけにのらりくらりとした声がそれをさえぎった。
 タブレットから視線を上げる私に、副社長は言ってのける。
「決めてあるんだ、行きたいところ」
 まあ、なんてすてきな笑顔。ニョロモのおなかをじっと見つめると、きっと今みたいな気分だろう、と私は頭を抱えたくなった。

「へえ、足湯か。こっちにも温泉があるんだね」
 そういうわけで、キルクスタウンまでやってきた私たちは一軒のカフェに訪れていた。オーク材のアンティークテーブルの向かいに腰掛け、キルクスの四つ折りマップを眺めている副社長。そんな姿でさえ、かの有名なパルファム宮殿に飾られている絵画みたいなのだから、心底目を回したくなる。
「あの……」
「うん?」
「つかぬことをお伺いしますが、これは?」
 成人男性がする仕草じゃないのよ、ツワブキダイゴ! と、今度はロコン顔負けのあどけなさでこてんと小首を傾げた上司に、頬を引き攣らせながら私は続ける。
「その、本日は、キルクスタウンの視察を行う予定と聞いていたのですが……」
 そう、視察。視察といえば、スーツを着込んでその街を練り歩き、ポケモンの生態を把握したり、ポケモンと人間の共生の実態を調査したり、あるいはスタジアムでジムリーダーのダイマックスバトルを観戦したり、というのが一般的だろう。しかし、今、私の目の前にはすっかりオフモードのツワブキダイゴが座っている。それどころか地図を閉じて、ほくほくした顔で店員からメニューを受け取るところだった。
 身なりだけはかつてのライバル会社トップにも負けないツヤッツヤなスリーピーススーツなのに、キルクスに着くやいなや、うん、さむいね、などと首を縮こめて、一目散にこのカフェにやってきた真意はいかに。
 オーダーをとりにきた店員が彼に目をハートにしている横で、私の心はホワイトヒルの雪景色に負けず劣らずな「ふぶき」状態であった。
「好きなもの頼んで、ローラちゃん」
 ツワブキダイゴのメロメロ攻撃を食らった店員と、彼とのときめきふれあいタイムが終わったらしい。副社長は先ほどまで浮かべていた笑みを崩さず、こともなげにメニュー表を差し出してくる。……それで、私の質問は? ゴルバットの気持ちになって半目で見つめていると、その心情を察したのか、ああ、と彼は眉をあげた。
「すまない、視察のことだったね」そして、「大丈夫、もう視察しているから」とバッサリ。
 どういうこと? いよいよ眉根を寄せた私に、「さあどうぞ」副社長はメニューを開き、律儀にも向きを整えた。
 キルクスの雰囲気にぴったりな古式ゆかしいデザインのメニュー表を見るのは、これがはじめてではない。ガラルに生まれ育ち、健全な青春時代を送ってきた私にとっては、それはかえって馴染み深いものでもあった。
 なんだか釈然としないものの、「では、ダージリンを……」頼もうとする。
 が、しかしそこで副社長がじっと見つめてきた。
「なんでしょうか」
 その顔に見つめられると落ち着かないのだ。副社長は余裕の面持ちで小さく肩をすくめたあと、「いや、キミの普段飲むやつを頼んでくれて構わないよ」と言った。
 むっと唇を噛む。けれど、観念することにした。
「マホイップコーヒー、クリーム増し増しで」
 ええい、ままよ! というのはまさにこのこと。ノンブレスでとっておきの魔法を唱えた私に、かしこまりました、と店員が微笑む。副社長は朝と同じくブレンドコーヒーを頼んでいた。
 店員が立ち去り、ひと仕事終えたとばかりにメニューをスタンドに戻した私は、そっと目の前の副社長をうかがった。
「呆れないんですか」
 いい年して、マホイップのキュートなドリンクを頼む女なんて。そんなふうに思われたとしてもおかしくはない。しかし、副社長はきょとんとした顔から一変、銀色の髪を揺らしながら笑みを浮かべた。
「全然、おいしそうだよね、あれ」
 父親のような、兄のような……。柔らかなそれに口の中がむずむずする。どうしてこの人が私の好きなカフェを偶然にも選んでしまったのだろう。もしかして、偶然ではなかった? でも、それならばなぜ……。気になることは山ほどあった。しかし、彼の完璧な微笑を前に、それらはシュンッとしぼんで消えてしまった。
 本当に、この人の前だと調子が狂う。それでも、どうにかうずきを唇に丸め込んで耐え忍ぶと、そういえば、と副社長が話題を変えた。
「昨日、ヌメラ探さなくてよかったのかい」
 訊かれたのはそんなことだ。
「……副社長に、再びご迷惑をおかけするわけにはいきませんでしたので」
 まさか、ロトムがついうっかりこぼした言葉を憶えているなんて。
「でも、欲しかったんだろう?」
 すこししてから、いいんです、と答えた。……そう、もういいのだ。
 そこで、クリーム増し増しフェアリーだいばくはつ! なマホイップコーヒーがやってきて、会話はぷっつり途切れた。
 そのあとは温泉を巡ったり――と言っても、副社長のポケモンは、はがねタイプが多いので、コンディションを整える時間が惜しいからと浸からせることはなかったのだが、ブティックでウールーの高級ストールを買ったり、副社長の休日という見出しがつきそうな午前を過ごした。
「どうかしたのかい」
 薄く雪の積もった斜面を上がり、茫然とスタジアムを眺める私を副社長はふり返る。
「いえ、よくここで試合を見たものですから」
 ダイマックスの研究と、それから、「彼」の非公式試合。たぶん、シュートシティをのぞいたら、一、二を争うほどお世話になったスタジアムだった。
 せっかく来たのならあいさつを、と一瞬思ったけれど、今は仕事中。十中八九、急な異動のわけを訊かれるだろうし、訊かれても答えられないし、さらには最近どうなの? と、メロンさんの優しいおせっかいの手に捕まるにちがいない。副社長の前で、それだけは勘弁してほしかった。
 だめね、寒いとつい感傷的になってしまう。そうして白い息を吐き出す私をよそに、先ほど手に入れたストールを首に巻いた副社長は、目の前の円形状の建物を見上げる。
「ダイマックスは、特定の場所でしかできないんだっけ」
 こういう空気を読む力はすごいと思う。読まないときは、ワザとかと思うほど読まないのに。気持ちを切り替え、ええ、と私も淡々と答えた。
 ワイルドエリアのポケモンの巣穴やジムスタジアム、ガラルにはダイマックス可能な場所であるパワースポットが各地にある。しかし、それはごく限定的なもので、ダイマックスには強大な力が伴うため、それを抑えられる広さと頑強さがある場所――などの人為的な要素に基づくわけではなく、ガラル粒子という真っ赤に燐光を放つ粒子が発生しているかどうかが要となる。
「マグノリア博士が発見した粒子だね」
「はい。ですから、これらジムスタジアムというのは、もとよりその粒子の放出が豊富である場所に作られています」
 街そのものが、ガラル粒子の豊富な場所に栄えたといっても過言ではない。ポケモンの力を解放するのみならず、人類にとってもかけがえのない莫大なエネルギーとなるガラル粒子。ローズ前マクロコスモス代表がそれを解明し、長らくガラルの発展に寄与してきたのは有名な話だ。だが、当然、天然資源には限りがある。千年後のガラルを案じ、起きたのが先のブラックナイト事件だった――というのは、ひとまず置いておく。
 二万年前、ガラルの地に落ちた隕石のクレーターがパワースポットになったという研究も進んではいるが、依然その多くは謎に包まれたまま。
「もっと気軽にダイマックスを、という声もありますが、人工的にガラル粒子と同じ素粒子を作り出そうとしてもうまくいかず。結局は、自然の力に頼るしかないのが現状です。また、ダイマックスにはキョダイマックスという特殊変化もあって」
 そこまで話したところでハッとする。
「すみません、ついしゃべりすぎてしまいました」
 はずかしい。研究発表でもなんでもなのだから。これではどこかのなんたらマニアと一緒になってしまう。心の中でショックを受ける私に、副社長は気さくに笑う。
「構わないよ。ダイマックスに関しては正直、門外漢だったからね。キミの話が聞けてうれしいくらいだ」
 それなら、今すぐ私をラボに返して。という言葉は、喉もとにとどめた。
「ありがとうございます」それだけもごもごと告げて、タブレットを取り出す。
「よければ、ダイマックスを体験なさいますか?」
 それは名案だね、とまたしてもプラチナのような笑みが返ってきた。

 と、いうわけで、そらとぶタクシーを使ってキルクスから飛び立った私たちは、先日と同じくワイルドエリアを訪れた。
 ナックル丘陵やその一帯がキルクスからだと一番近かったのだが、これ以上気持ちが沈むのは勘弁だと見晴らしのいいキバ湖エリアまでわざわざやってきていた。キルクスを出るとすっかり天候はよくなり、いつもの気まぐれなガラルの様相を取り戻している。
 ダイマックス現象がマグノリア博士によって研究され、またローズ前委員長の手腕によりガラルの顔となりしばらく経つ。しかし先述したように、いまだ多くの謎を含んでいるのはたしかだった。なぜ彼らは一時的に大きくなるのか。なぜ一部のポケモンがキョダイマックス変化を起こすのか。巨大化する際、彼らの実体はどうなっているのか。現在わかっているのは、ポケモンの発する特殊なパワーが周りの空間を歪めて彼らの体を実際に大きく見せるということ。しかしそれ以上に、彼らの発する周波数は複雑に変化し、我々の認知をはるか超えた先に真実がある。
 ポケモンの進化や起源が長らく解明されてこなかったのと同じで、平行線を辿ってきた研究であること。また、ダイマックスを通して、新たなポケモンの生態系に迫りつつあること。これは、キョダイマックスラプラスの甲羅に一部「対螺旋構造」を発見したオリーヴの研究が良い例だろう。ダイマックスは神秘であり、宇宙に等しい。
 はたまた、採掘された隕石からムゲンダイナが発見され、そして膨大な、それこそ無限のエネルギーを持つ関係から、この地に降り注いだ隕石がダイマックス現象に大きく関わっているなどなど、掻い摘んで説明を続けながら晴天の湖畔を歩く。
 残念ながら、周辺にダイマックスの兆候は現れておらず、ねがいのかたまりを使用する必要がありそうだった。湖のほとりにポケモンの巣穴を見つけたところで、そこで試すことに決めた。
「こちらのダイマックスバンド、よければお使いください」
 せっかくガラルまで来たのだから、一度はその体験をしてほしい。そう思い腕からバンドを外そうとすると、副社長はやんわりそれを断った。
「ボクは、これがあるから」
 胸元のラペルピンがきらりと太陽に輝く。七色の光を集めたそれはキーストーン、メガシンカに必要不可欠の石だ。メタグロスの足にも似たようなメガストーンがつけられており、たしか、それらがトレーナーとポケモンのきずなに反応する、だったか。
 こっくり頷いて、では始めましょうか、とポケモンの巣穴に溶岩石のようなかたまりを投げ入れる。このとき、私は実を言うととてもワクワクしていた。なぜなら、副社長は歴代ホウエンチャンピオン。そんな人とレイドバトルなんて、またとない機会だ。
 どうしよう、負ける気がしない。ひそかに心弾ませながら光が立つのを待つ。
 やがて一陣の風が吹き上げ、円を描きながら天にのぼった。かと思えば、刹那、禍々しい閃光がとぐろ状にまっすぐ空を駆けた。
「そうか、これがダイマックス」
 私たちの目の前に現れたのは、なんとキョダイマックスラプラス。まさかこんなところでキョダイ変化に出会えるとは。
 ラプラスの咆哮に副社長のジャケットがなびく。
「メタグロス、頼んだよ」
 心なしか好戦的な表情で副社長はボールを投げる。その流れるような美しいフォームに、これがうわさの御曹司投げ! と感心しながら私もデボン産プレミアボールを手にする。
「出ておいて、ジュラルドン!」
 うっとりするほどのつややかなボディ、スッと涼やかな面立ち、はがねの肌が紫色のおどろおどろしい光を跳ね返す。なんて美しいのだろう! 副社長が目を丸くしたのもつかの間、私はダイマックスバンドをかざし、ふたたび相棒をボールに戻す。
「やって、やろうじゃない!」
 そして、巨大化したボールを思い切り空へ投げた。
「その子は……」
 どしん、と地響きを鳴らして姿を見せたのは、天に向けて大きくそびえ立つキョダイマックスジュラルドン。キバナにすら内緒にしていた、私のとっておきの相棒だ。
「ジュラルドン、相手はこおりタイプよ! あなたの力なら造作もないわよね!」
 茫然とする副社長をよそに、声を張り上げ相棒を鼓舞する。彼女はこっくり物静かにうなずいた。普段はぼうっと太陽を眺めたり、近くの草花を愛でたりするようなのうてんきさだけれど、ここぞというときに力を発揮してくれるタイプでもある。とくに、ダイマックス戦のときには驚くほどしなやかで頑強な動きを見せてくれるのだ。真似しているみたいで癪にさわるけれど、それこそ、荒れ狂う、そんな言葉が似合うほどに。
 フッ、と息を吐く音がして、隣の副社長がラペルピンを抜き取るのが見えた。
「いいね、その目」
 最高だよ、というささやきは一瞬で消えていく。

「石のきらめき、絆となれ。メタグロス、メガシンカ!」

 キーストーンに口づけを捧げる……。そんな上司の姿に、思わず、エ? と真顔になってしまったのは言うまでもない。