副社長のトンデモ発言を受けたのは数日前のこと。助けてもらってワガママを言うのはなんと恩知らずとわかりつつ、私はもうあのときなにもかもが吹っ切れていた。初対面でそんなことを言う人間の気が知れないし、第一、ボクのところってなに? どこ? どこなの? そのキーストーンのブローチがついたお胸ですか?
と、オコリザルもびっくりなご乱心状態に陥った私は、相手が我が社の副社長だということも忘れて、ハッキリと「お断り」させてもらったはずだった。突然の申し出に否を突きつけられた彼も彼で、まあそうだよね、なんて苦笑とともにその答えを受け入れ颯爽と去っていったじゃないか。
――なのに、だ。今、目の前にその副社長がいる。
「……いやだって言ったのに」
悠然と拡がる大地を前にありありと不満をあらわにする私を、「さあいくよ」副社長はニッコリほがらかな笑みで先導する。その笑顔だけはまさに大天使ほにゃららだが、全くもって慈悲深くないのを私は知っている。
「どこに行きたいのでしたっけ」
あえて今の気持ちを表現するなら渋々、だ。
「そうだな、気になるのはまずストーンズ原野。あとは、珍しい石がありそうなところなら正直どこでもいいのだけれど」
目の前にはナックル丘陵。今日とて砂塵ではすなあらしが吹いているらしく、小高い丘から一望できるはずのワイルドエリアも茶色い景色だ。ああ、さっきまで、晴れやかなシュートシティに居たはずなのに……。しがないOLが弊社副社長とワイルドエリアに訪れることになった経緯を思い起こして、自然とため息がもれる。
憂鬱な気分も美味しいシーフードパスタに巻き込んでトゥルッと食べてしまった私は、休み明けに意気揚々とシュートシティのオフィスに出勤した。
ここガラルではマクロコスモスにその勢いは負けども、デボンコーポレーションも一流企業であることに変わりはない。ステーションに降り立って賑やかな街頭モニターを横目にオフィス街へ。歩くときはリズムよく、石畳をバリヤードのごとく鳴らして、というのは余談だけれど、空に突き刺さるバトルタワーを背景としたビル群に弊社は建っている。
地上ウン十階建て、近代的なデザインの洒落たオフィス。そして、IDカード片手にピッとエントランスを通過後、観覧車を眺めながら総ガラス張りのエレベーターで上がっていくと、私の勤める研究部がある。
あの日も、見渡すかぎりの絶景、雲ひとつない青空が広がり、死にかけたことなど忘れてしまうほど清々しい朝だった。しかし、同僚たちににこやかな笑みを贈りつつ、今日も一日がんばるぞ、なんて模範的社員ぶっていたのもそこまでだった。エレベーターを降り、清潔な廊下の先、ダイマックスラボにたどり着いた私は呆然とした。
私の席が消えていたのだ。あれ、ここにあったはずのデスクは、と戸惑う私に、部長は白衣のごとく真っ白ピカピカな笑みを浮かべてこう言った。
「今日からキミ、副社長秘書ね」
いやあ、栄転おめでとう! の言葉とともにトロッゴンのごとく職場から追い出され、今に至るわけである。
「石、ですか」
副社長の言葉を掻い摘んでくり返すと、彼は満足げに頷いた。
「そう、石。どこかいいところあるかい」
石、ね。しかしそうと言われても、どの石を示すのか。
「なくは、ないですけど」答えて副社長の全身をちらと拝見する。
スーツも脱いで、まさしく現場作業員。よっ、やまおとこ! と、つい言いたくなる格好。はて、どうしてそうなったのかと突っ込みたいことは山ほどあるのだけれど――山だけに、ウマイ!……それはさておき、どうにかお口フワライドをして水没から見事復活してくれたマイ・スイート・スマホロトムを呼びだす。
「ヘイ、ロトム。ワイルドエリアの天気を教えて」
わかったロト! とのんきな声を上げてふよふよと飛び回るその子を捕まえる。
「……うぅん、ストーンズ原野はくもりだけど、げきりんの湖は雨かぁ」
「今日はいちにち雨の予報だロト! ヌメラを捕まえるチャンスだロト!」
余計なことを口にする我がスマホに、はいはい、とすげなく答えてズボンのポケットへとしまいこむ。ちなみに本日、私もいつもの白衣姿ではなく、副社長に倣い「やまおんな」スタイルだ。速乾性のシャツに機能的なベスト、それからカーゴパンツとブーツ。今どきもうすこし可愛いのあったでしょ、と思うも用意されていたのだから仕方がない。
「……なんです」私の挙動をつぶさに見つめていた副社長に視線を返すと、彼はふっとはにかみを頬に浮かべた。
「ホウエンにはロトムがいないから、つい。便利だよね、それ」
「そうですね。でも、私、元祖ポケナビも好きでしたよ」
「懐かしいな、ポケナビ」
思い出話をしにきたわけではないのよ、ツワブキダイゴ――とは、言えるはずもなく。
「それはさておき、ひとまずストーンズ原野から向かいましょうか」
私はきりりとできる秘書風にボールホルダーからアーマーガアの入ったプレミアボールをとりだした。
「そのあと、げきりんの湖という場所に向かうのはいかがでしょう。雨は降っていますが、幸いにも雨具は持っているのでしのげるかと」
「ボクよりもキミのほうが詳しいだろうから、異論はないよ」
淡々と告げる私に、彼はまたしても眩しい笑みを向けてくるのだった。
さて、お金持ちには変わり者が多いとよく聞くが、彼もまさしくそのうちの一人だと言っても過言ではない。ストーンズ原野へ向かうなり、バックパッカー顔負けの大きなリュックを下ろし突出した岩へと頬をくっつけるなんて、だれが想像していただろう。
「うん、いい岩だ。大地の鼓動を感じる」
はたから見れば、ハ? である。ガラルではなかなか見られない、透きとおるような淡いプラチナブルーの髪をしたイケメンが、岩に抱きついてぶつぶつ囁いているとは。ここまで反応に困るのは人生で初めてかもしれない。
社長のツワブキムクゲ氏が稀代の石コレクターだという話は、多少なりとも耳にしたことがある。たしか社員研修時に配られた自伝にもそう書いてあった。しかし、まさか息子にまでその趣味が受け継がれているとは。親の文化資本が子に遺伝するというのは、どうやら本当らしい。「お眼鏡にかないましたか」やや冷え切った気持ちで訊ねると、「ああ、最高だよ」と彼は声を上ずらせる。
「この岩肌の温度、それから質感。わかるかい、ひやりと冷たく、やや湿り気を帯びているんだ。それになんと言ってもきめが細かい。かなりの密度の高さだよ」
わかってたまるものですか。……という言葉は飲み込んだ。
ストーンズ原野にはたしかに岩が多い。広大な大地に突出した岩塊。ストーンエッジから生まれたのかと思うほど立派なそれが、そこかしこに私たちを待ち構える。空高く切り立ち、苔むした表面やさまざまな地層を生み出す岩肌はなるほど迫力があった。
けれど、石好きからするとこうもドラマティックに見えるものなのか。そんなことを考えながら、懲りずにマシンガントークを放つイケメン上司の横顔をぼんやり眺める。
鼻すじは大抵のガラル人のほうがツンと通っているだろうか。でも、ふしぎとほどほどのそれが彼の造形にはマッチしていて上品な印象を与える。なだらかな頬やスッと涼やかな目もと、見ているだけならまさしく王子様。だと言うのに、どうにも私には彼のことをキャーキャー言う気にはなれなかった。
もしかしたら、目が肥えてしまったのか。それとも感傷的な気持ちにさせるからか。でもきっと、あの人のせいだ。とんだとばっちりを受ける名門ジムリーダーに心の中で十字を切って、新たに支給されたタブレット端末をリュックサックから取り出す。
いつも使っていた端末だったならば、猛火のごとくラボ員同士のチャットが盛り上がるはずなのに、今やまるで嵐が過ぎ去ったかのように静かだ。本当に私はラボから消えたのね。心の中で涙を拭っていると、パン、と手のひらを叩く音で我にかえった。
「よし、出ておいで」
ひととおりの確認は済んだのだろう。突出した岩やそびえたつ岩壁を撫でたあと、彼は腰のホルダーからモンスターボールを取り出して宙へ放つ。
あ、と声がもれた。
「ココドラ?」
そう、出てきたのは「てつヨロイポケモン」のココドラ。ガラルには生息しておらず、その姿をこの目で見るのは初めてだった。ころんと丸いフォルムで懸命に主人を見上げる姿はなんとも愛らしい。主人の変人さ、八十パーセントカバーである。
「この子は岩を食べるのが好きでね。よし、今日も頼むぞ」
いろいろと言いたいことはあるが、走り出した足が止まらないのと一緒で、ワイルドエリアに飛び出したストーンゲッターももはや止めることができない。
私は観念して彼らを見守ることにした。
どらら! と可愛らしい声を上げたココドラとともに、副社長はさぞ楽しげに笑って専用の金槌で採掘を始めた。
