ティファたちと合流したクラウドは愕然としていた。
「なんだって?」
ヘルメットの下でこれでもかと顔をしかめたクラウドに、ユフィが口を押さえながら、「だーかーら」と続ける。
「ミツキ、変なおっさんたちに、連れてかれちゃったの!」
「変なおっさん?」
「白い服着た! タークスってやつから逃げてる途中、こう、バァンってぶつかっちゃってさ。急いで助けようとしたんだけ……オェエッ」
乗り物に弱いのだろう。体を折り曲げて甲板を横切っていったユフィをため息で見送り、クラウドはよろよろと覚束ない足取りのレッドに向き直る。
「白い服ってことは……」
「ルーファウスだ。出会い頭にルーファウスとぶつかってしまったんだ」
「そんなこと、ありえるのか……?」
まさか、護衛が離れている一瞬の隙を狙おうとしても、そううまくはいかない話だ。だが、レッドは神妙に頷くと、「ミツキは私たちを逃してくれた」と言った。
「わたしは大丈夫だから、と」
「大丈夫なわけあるか! あの血も涙もねぇルーファウス神羅だぜ!」
バレットがルーファウスに負けじな白いセーラー服姿で地団駄を踏んでいる。真剣な場面だがななんとも滑稽な光景だった。
変装のおかげで怪しまれることなく同じ船に乗れたが、なぜだか彼だけ神羅兵の制服ではなく水兵隊の制服となってしまったのだ――エアリス曰く、サイズがなかったらしい。
「クラウド、どうする」
同じく神羅兵の格好で重たいヘルメットを手で上げながらティファが言う。
「どうする……ミツキが捕まったということは、俺たちがいることもおそらく勘づかれているだろうな。下手に動くことはできない」
本当は、今にもここにはいない彼女を叱りつけたくてたまらなかった。ほらみろ、自分から離れるからこうなるのだ――と。気持ちが悪い。胃が、喉が、口の中がむかむかする。それでもクラウドは淡々と述べた。
「んなこと言ったってよ、いいのかよ?」
バレットの言葉に、ティファも同意するようにクラウドへと視線を寄越してくる。彼らの言うこともわかる。だが、やはり船が海原へ漕ぎ出た今、やたらと動いても厄介が増えるだけだ。船上で神羅と相対するのは、できるかぎりごめん被りたい。クラウドがむっつりと考え込んでいると、ユフィを介抱していたエアリスが戻ってきた。
「ミツキ、この船に居るんだよね?」
「おそらくな」
「なら、船を下りるときにルーファウスを襲うっていうのは、どうかな?」
ミツキ奪還作戦! とほがらかに笑うエアリスに毒気が萎える。襲うってな……とクラウドが呆れるが、彼女は本気のようだ。
「せっかく、ミツキがわたしたちのこと、かばったんだもん。そのチャンス、無駄にしたくない、よね?」
「……たしかにな」
これにはさすがのバレットも口を閉ざした。
「とにかく、しばらく様子を見よう。おかしな動きがあればすぐに対応できるように準備していてくれ」
かしこまりましたであります! とヘルメットをぐらつかせながら敬礼するエアリスに倣い、ティファとバレットもこっくり頷いた。千鳥足の神羅兵を連れて彼らが離れていく。
だが、独りクラウドは仲間たちがバラけても胸の裡にかかったもやを振り払えずにいた。
「ミツキのこと、しんぱい?」
ふらりふらりと船の甲板を歩いていたクラウドに、エアリスがさりげなく声をかけた。
「エアリスはどうなんだ」クラウドはヘルメットの下で口元を引き締めて訊き返す。
「うーん、心配、だよすっごく。ミツキってば、すぐ無理するから、見ていて放っておけないっていうか。なんだか、妹、みたいなんだ」
「あんたのほうが年下だろ」
「そうなんだけどね」
やれやれとため息をついたクラウドにエアリスはくすくす笑う。
「でも、どきどきお姉さんみたいにも思える。それに、会ったばかりなのに、そんな気がしない。ミツキがいると、不思議、だよね?」
その言葉にクラウドはムッとする。
「興味ない」そう言おうとして、エアリスが唇に人差し指を当てた。
「興味ない、はナシ」
こうなっては、なにもないように終えるのは難しいだろう。クラウドはまたしてもため息をついた。
「よく、わからない」
観念して言葉をもらすと、エアリスは感心したように後ろ手に手を組んでヘルメットの下からクラウドを覗き込んだ。
「ミツキのこと? それとも、自分のこと?」
神羅兵の格好をしているからだろうか、居心地が悪くなってクラウドは小さな声で、「わからない」と繰り返す。
「ミツキを見ていると無性にいらいらすることがある。自分でも、抑えきれない」
「いらいら、ね」
ふんふん、と頷くエアリスに、クラウドは喋りすぎたと思い、「忘れてくれ」と海原を見遣る。
ジュノンから離れた船は、一路新たなる大陸へと向かっていた。アンダージュノンの錆びついた海とは違って、太陽に水面がさんざめいている。あの女も、これを見ているのだろうか、クラウドはふと思った。
「そういえば、ジュノンで飛空艇、見た?」
エアリスも船の外を眺めているようだった。クラウドよりも遥か先、青空を翡翠の瞳に映している。
こうして、なにかとエアリスは心情を汲んでくれるのだ。切り替わった話題に安堵しながら、彼は、ああ、と頷いた。
「うわさには聞いていたが、あれほど大きいとは思わなかったな」
「すごいよね。いつか、あれ乗れるかな?」
「どうだろうな。乗りたいのか?」
うん、エアリスはあどけなく微笑んだ。
「みんなで、世界、周れたら楽しそう」
クラウドには、その想像がつかなかった。そのみんなに、彼女が含まれているのか、そして、彼女がそのときまで自分や自分たちのそばにいるのか。じっと空を眺めたままのクラウドに、エアリスが、「頼んだよ、クラウド」と彼を鼓舞する。脳裡に棲み着いた女が、どこでなにをしているのか、なにひとつ掴めぬまま、彼は何度目かわからないため息をつきながら、わかった、と答えた。
*
「小娘、服が汚れたぞ」
喉に指が食い込んでいる。背中にあたる柔らかな感触とはうらはらに、絶望に近い恐怖が腹の底から這い上がっていた。
「っ……」
「先ほどの威勢はどうした? 図星を突かれて、返す言葉もないか?」
ルーファウスはくすりとも笑わず、真顔で美月を見下ろしている。華奢そうな指先のくせに、その力はきっと皮膚をも破ってしまいそうなほど強い。頸動脈を確実に押さえるその的確さと、相手を思慮しないその無情さ。まさに、恐怖で世界を操ろうとする男にそぐわしい。
首を締める手に、呼吸が奪われる一方だ。うまく息が吸えない。口の中に溢れる唾液を飲み干すこともままならない。苦しい。頭が破裂しそうだ。
「答えを聞いていなかったな。さて、どうする? 我々に協力するか、それともここで死ぬか」
研究サンプルとして手にしたいはずなのに、協力しなかったら、殺すのか。美月は喘ぐように酸素を求めながら、目の前の絶対的な存在を睨みつける。
「だれが……あなたたち……に協力、する……もんです……か……」
「交渉決裂、か。残念だ」
喉を締める力が一瞬にして強まった。爪が鋭く食い込み、確実に脈を狙っている。苦しい、苦しくてたまらない。抵抗しようにも力がうまく入らず、ただ蛇に捧げられるカエルのようだった。
「あ……た、なんか……」
「殺してやる? いいぞ、その意気だ」
ルーファウスは意地の悪い悪魔のような笑みを浮かべている。はたから見れば、異常なほどに整い、芸術品のように美しい。きっと、本物の悪魔も彼のように彫刻じみた美しく冷淡な顔立ちをしているにちがいない。
視界がだんだんと狭まっていく。闇が追いかけてくるようだ。だが、完全に呼吸は遮られない。まさに生と死の境目を浮遊している、そんな感じだった。
「あんた、なんか……」
痺れた手をどうにか持ち上げて、ルーファウスの手にかける。ぐっと爪を立てるが、びくともしなかった。力が込められているというのに、驚くほど冷たくて、血が通っているのか疑いたくなる。それでいて、なにもかもを知っている手だと思った。両の手すら必要とせず、自分の喉を掴むこの手が――生と死のその塩梅を知っている。
「おれをどうする? 殺したいか? ならば、そうすればいい」
嘲笑うかのように見下ろして、美月が悲痛の表情を浮かべるのを楽しんでいる。
どうすればいい、どうしたら、楽になる?
「その刃で私の首を掻き切ったらどうだ?」
そうだ、それだ。だが、美月は腰元のダガーへ手をかけたものの、手が震えて使いものにならなかった。青の瞳が蛇の這えずりのようにゆるやかに落ちる。
「――ふむ、”できない”のか」
締めつけられた喉に、なにかがかあっと上がっていった。役立たず。意気地なし。考えつく限りの罵詈雑言を美月は自分に並べ立てる。
唇を噛み締める女を、ルーファウスは興味深そうな顔を装って眺めている。
「実に憐れだな。そうして、いつまで自分を神格化するつもりだ? 皆に温情を与え、だれ一人として傷つけぬ、慈悲深い女神だと」
「そんな、こと」
――まさか。慈悲深いならこんなに悩んでいなかった。自分は、卑怯なだけだ。臆病で、卑屈で、卑怯で、誰かをあるいはなにかを傷つけることを恐れている、無力な人間だ。S細胞なんて知らない。知らないのに。美月は必死で思うが、唇からこぼれるのは微かな吐息だけだった。
「いずれその甘えはお前の仲間を殺すぞ。そして、お前自身も」
苦しい。今すぐに楽になりたい。脳が、眼球が、内側から烈しく膨らんで今か今かとたがを外すのを待ちわびている。指先がチリチリする。血液がいやに滾り、行き場を失って弾けてしまいそうだ。
美月は残された力でルーファウスの手の甲を掻く。目映いプラチナブロンドが揺らぎ、不意に手の力が緩まった。
「お前にひとつ、道をやろう」
最後通告だ、男は嬉々とした音色を声に忍ばせた。突如として空気が塊となって喉に舞い込む。ひゅう、ひゅう、と情けない音が整いすぎた部屋に小さく響き、異様な静けさを助長した。
「いらない」
不適に唇を歪める氷の彫刻を美月は意識を繋ぎとめながら必死で睨む。
「そうか、悪くないと思うがな」
ルーファウスは喉から手をはなし、美月の頬を撫でた。
「今ここでその身体を差し出せ。さすらば神羅が君を匿い、あらゆる危険から君を遠ざけることを誓おう――どうかね」
繊細な花をなぞるように、男の指先が輪郭を模る。感覚が鈍っていて、まるで虫が這っているみたいだ。指はやがて顎先を撫で、美月の言葉を待つことなく、喉を、つ……と下っていく。
「それとも、死を選ぶか?」
ルーファウスの指が、喉仏を捕らえた。
「やめ……っ」
「まだ死にたくはないだろう? 私のもとへ来い」
相変わらず脳髄を刺激する声で、彼は言う。霞んだ視界を揺るがし、滔々とさまよい始めた意識を手繰り寄せるかのようだ。
「私なら、君が自らの手を汚さないですむようにしてやる」
冷たい指のはらが、呼吸がひゅうと響くあたりをさすって、男はそこに鼻を寄せる。吐息がかかり、甘い蜜を垂らされたような心地だった。深く抉られた傷口に落とされる、甘美な蜜。それに溺れてしまえばきっと楽になれる、美月は思った。
ここでこの蜜を受け容れてしまえば、苦しむ必要なんてない。
彼は蜜で、美月はそれに吸い寄る蝶か。それとも、その逆か。わからない。――だが、その声に一切の温もりが込められていないことに、美月はとうに気がついていた。
「わた、し、は……あな……なんて、しんじ……ない」
顎を細い髪がくすぐる。
「そうか、残念だ」くぐもった声が耳に届き、そして、喉元に鋭い痛みが走った。
「ぁあっ……ああああああっ」
――ビーッ ビーッ ビーッ
電流が走ったように体が跳ね、美月が絶叫するのと、けたたましいサイレンが鳴り出すのは同時だった。
『緊急連絡!不審人物を発見の報告アリ!作業のない各員は艦内を調査。発見しだい通報のこと!』
彼女の喉元を破った本人は涼しげな顔のまま体を起こすと、彼女へ見せつけるように血のついた唇を拭った。
「お仲間が助けに来たようだ」
息も絶え絶えにルーファウスを仰ぐ美月に、彼は嘲笑を落としてソファから離れた。
「失礼します、社長」
「わかっている。すぐに向かおう。その間この女を部屋へ閉じこめておけ」
一緒に話している男はツォンだろうか。男は汚れたルーファウスのジャケットを預かり、新しいものをすぐに用意する。美月は茫然とその様子を眺めていた。
*
「おーい、起きろよ」
間延びした声に、美月は目を覚ました。
いつのまにか、気を失っていたらしい。重たいまぶたを押し上げると、ぼやけた視界の中で烈火の炎がちらついた。
「……レノ」
「覚えててくれてうれしいぞ、と」
まさか、ルーファウスの次はこの男だなんて。背中にあたる硬い石のようなベッドから上体を起こすと、ぐらりと体が傾いだ。
「おっと、まだ薬切れてねえんだ、急に動くなよ」
「さわらないで」
声は掠れていた。それでも肩を抱いてくるレノの手を拒絶し、自力で体勢を直す。
「威勢のいいこと」レノはやれやれと息をついて、降参の構えを示した。
深呼吸を何度か繰り返すと、やっとのこと視界がはっきりしてくる。指先に痺れは残っていたが、体も自由を取り戻したようだった。
部屋を見渡して、神羅ビルの牢屋のような場所に移っていることを確認すると、レノがベッドの端に腰かけた。
「ちょいと失礼すんぞ」
目の前に鮮やかな緑色が飛び込んで、美月は反射的に上体を逸らす。だが、すぐに大きな手が肩を掴んで、瞳をじっと覗きこまれた。
「瞳孔よし、と。意識は……大丈夫だな」
虹彩まではっきりと伺える。そんな距離だ。先ほどまでの冷ややかな氷からすると、彼の色は豊かな大地の燃ゆる色のようにも思えた。
「……これも、仕事のうち?」
とはいえ、美月は嫌悪を隠さなかった。ルーファウスから突きつけられた“提案”が頭にこびりついている。不躾に訊ねた美月に、レノはスッと離れると、「運んでやったのにツレねぇなあ、ミツキちゃんは」と、片目を眇めて唇をちょんと突き出した。
「どうせ、神羅ビルに連れてくんでしょ」
そんな顔をしたって、彼らは非道なことをする男の部下だ。喉を噛まれた痛みを思い出して、目の奥が溶けだす。
レノがなにかを言いたそうにしていたが、その前に美月はぽろりと声をこぼした。
「かえりたい」
小さな、心の叫びだった。S細胞など知らない。セフィロスなんて、古代種なんて、知らない。自分はれっきとした人間だ。だというのに、首を締めつけるあの冷たい感触が蘇る。まるで蛇がまとわりついているみたいだった。
なんで、こんな目に遭わなくてはならないのだろう。これまで一度だって健康診断に引っかかったこともなく、ずっと、普通に生きてきたはずなのに。魔法も使えない、剣もうまく握れない、そんな弱い人間なのに。脳裡に金色の髪がちらついて、なんとか押し留めていた堰が崩壊する。
涙がぽろぽろと溢れた。頬を熱いそれが、伝っていく。生きている証だった。だが、すぐに美月はそれをぐっと手の甲で拭った。
「……あなたのとこの社長は」
結局、泣いたところで立ち止まれないのだ。声を低めて訊ねた美月に、レノは、「侵入者にご挨拶ってとこだな」と首を捻った。
ということは、気を失ってさほど時間は経っていないということか。もしかしたら、クラウドたちに合流できるかもしれない。一抹の望みが残っていた!
「帰ってきたら、言っておいて。あんたなんか大嫌いって」
美月はにべもなく言う。
「そういうのは、直接言ったほうがいいぞ、と。面白ぇから」
「顔も見たくない」
レノはくつりと喉を鳴らして笑った。
「さすがは子猫ちゃんだな、アンタ」
子猫ちゃん、その呼び方も癪に触る。
「あなたも、好きじゃない」
「お、嫌いよりかはマシだな。ラッキー」
苛々と焦燥を抑えながら喉元に手を当てると、そこにはガーゼがつけられていた。もしかして、レノが手当てをしてくれたのだろうか。ちらり一瞥を送って、「そんなにレノさんが気になるか?」と視線を絡めとられ、美月はまたそっぽを向く。
「自意識過剰」
「褒めんなよ、と」
「褒めてない」
「ミツキちゃんは強情だな」
この男を前にすると、本当に調子が狂う。こんなこと、している場合じゃないのに。だが、涙が完全に引っ込んだので、内心感謝もしていた。
美月は外した視線で室内を確認する。見る限り、部屋から外へ繋がる道は、扉一つのみだ。水に沈む船体部に位置するからか、外をのぞける窓もない。通気口がないかなども探してみるが、目視だけでは見つけられなかった。
どうにかしてレノを追い払えれば、探ることができるのだが。
密かに考えていると、不意に首へとなにかが触れた。
「っ……」
「痛むか?」
真面目な顔が視界に飛び込み、美月はたじろぐ。
「あたり、まえでしょ」
「まさか社長に食われるとは思わなかった」
「あなたのとこの社長、そういうご趣味?」
顔をしかめる美月に、レノは少し悩んだ様子だったが眉を跳ねて、いいや、と真っ赤な髪を揺らした。
「ま、社長に目つけられるなんざ、災難だな」
「……あなた、知らないの?」
「なにが」
至近距離できょとんと目を瞬いたレノに、美月はかぶりを振る。
「なんでもない。それより、お水が飲みたい。喉が、からからなの」
とにかく、ここを出なくちゃ。脳裡を埋め尽くそうとしてくるレノの姿を押しやって、矢継ぎ早に捲したてる。
「人使いが荒いなぁ。ったく、ちょっと待ってろよ」
よっこいせ、と気怠く立ち上がったレノに美月はかえって目を瞠る。
「んだよ」
まさか、こんなにうまくいくものなのか? 内心意を突かれつつ、美月は平然を装ってレノを見上げる。
「……聞いてもらえるんだ、と思って」
「レノさんもそこまで鬼じゃないぞ、と」
首を左右に二、三捻ってレノは腕をぐるりと回した。その腕にはもう包帯のあともなく、ルードが言っていたように新しい武器を手に入れて万全の状態なのだろう。そんなことを思っていると、レノが振り返った。
「……もう悪いヤツに食われんじゃねぇぞ、子猫ちゃん」
眉を上げて、挑発するような薄い笑みに茫然としているうちに、あー備蓄庫までいくのだりぃ、と頸を掻きながらレノは部屋を横切っていく。彼がドアを開け、外の喧騒がどっと流れ込んできた。
「レノさんこんなところに! イリーナさんがカンカンになって探しておられました!」
「今件のテロリスト一派を船内にて捜索中ですが、一切姿が見当たらず、手詰まりになっている状況とのこと!レノさんにもご協力お願いしたい所存であります!」
「はいはい。うるせぇな、わかったぞ、と」
パタン、ドアが閉まる。騒がしく足音が遠ざかっていったあと、すぐに、レノが独り言を呟いたのが聞こえてきた。
「あーあ、鍵、もらってくんの忘れちまったな。ま、いいか」
一体、どういう魂胆だ? 美月は眉根を寄せたものの、このチャンスを逃すまいと鈍った体を動かして、そばに置かれていたダガーホルダーを身につけた。
混乱に乗じて船内を移動するのは、思いのほか楽だった。美月が閉じ込められていた部屋は辺鄙な場所に位置していたらしく、先ほどレノを探しに来た神羅兵たちが通って以来、人影もない。思わず神にありがとうと呟きながら、美月は船内をひたすら走った。
しばらくしてもなお、ビーッ、ビーッ、とけたたましい警報が響き渡っている。かれこれどれくらい鳴り続けているのだろう。いい加減、耳が麻痺しそうだった。気が抜けないまま足音が密集する場所を避けて進んでいくと、やがて、樽や木箱の詰まれた貨物室にたどり着いた。
(ここは、ひとがいるわね)
「ミツキ!」
神羅兵を見かけ、咄嗟に物陰に隠れようとした美月を聞き覚えのある声が引きとめた。
「……ティファ?」
重苦しいヘルメットのせいで、気がつかなかった。青い制服の神羅兵はヘルメットをひょいと上げると、美月のもとへと駆け寄ってきた。
「大丈夫?ずっと、ルーファウスと一緒にいたの?なにも、されてない?」
他の神羅兵から見えないように、彼女に覆いかぶさるように話しかけてくる。その勢いに気圧されながら、美月はヘルメットの下から覗くティファのやさしさに溢れた面立ちに目頭が熱くなった。
「途中までは、ルーファウスといた。でも、なんとか逃げ出せたの」
レノのことはこの際、忘れておくとしよう。言葉尻を震わせた美月に、ティファは安堵して泣きそうに笑った。
「よかった、ミツキになにかあったらどうしようかと……」
しかし、そこで、ティファの言葉が途切れる。不思議に思い彼女の顔を見上げると、視線が首もとに注がれているのがわかった。
「それ……」
ティファの表情に戦慄が走る。咄嗟に美月は首すじをさわり、くっきりと残っているだろうルーファウスの指の痕を隠した。
「みんなに、言わないで」
心配させたくないのではない。知られたくないことが多すぎるのだ。俯いた美月に、ティファは戸惑い言葉を詰まらせる。だが、自分の首に巻いていたスカーフをとると、美月のそこへ巻いた。
「わかった。でも、あとでちゃんとケアルはするわよ」
こくり頷いた美月をティファが手を引いて連れていく。
「クラウド!」
神羅兵が数人、それから、白いセーラー服――これは間違いないバレットだ。彼らが一斉に振り返る。
「ミツキ!」
無事だったんだな!と、いの一番に安堵の声を上げたのはバレットだった。
「ごめんなさい、今まで」
「んなことはいい! なにもされなかったのか!」
美月は曖昧に微笑んだ。
「大丈夫。みんなも、無事だったのね」
若干一名――エアリスに支えられているユフィはほぼ瀕死状態だが、皆傷一つ負っていない。もしかすると、この珍妙な変装が功を奏したのか。
「でも、それはいったい、侵入者って……」
そのとき、貨物室に血濡れの神羅兵が飛び込んできた。
「この先に……不審……人物……いや、ちがう……あれは、ヒトなんかじ……ゃ……ない……」
そう言って力尽きた男に、美月は小さく息を呑む。クラウドがしゃがみこんで脈を測ると、ふるりとかぶりを振った。
ひどい有様だ。顔も体も全身真っ赤に染まっている。背中には、大きな切り傷だろうか。厚いはずの制服が斜め一文字に、皮膚とともに裂かれている。神羅ビルでこんな光景を見たことがある。
「セフィ、ロス」
わずかにこぼれた吐息が貨物室を震撼とさせる。
「とにかく、確かめてみる必要があるな」
レッドが制服を脱ぎ捨てて鬣を震わせると、クラウドも立ち上がり、ヘルメットを取った。
貨物室を抜け、しんとした廊下を進んでいく。先ほどまでの喧騒がうそみたいだ。兵士が這いずってきたところに、赤黒い跡がレールのように残っている。異様な光景、そして、激しい異臭。うげぇ、と嘔吐くユフィをエアリスが支えている。
「アンタは俺の近くに」クラウドが顎をしゃくって、ティファのそばにいた美月を呼び寄せた。バスターソードを構えた大きな背を見つめながら奥までたどり着くと、血濡れた扉があった。
「ここだな」
クラウドの言葉に一同が固唾を呑む。
「準備はいいか」
「いつでもいいぜ」バレットが腕のアトミックシザーをがちゃりと回す。ティファやエアリスもこくりと頷いた。
仲間の返事を確認したクラウドが美月の腕を掴み、扉を蹴破る。
「——セフィロス!」
だが目の前にいたのは、赤い軍服の男だった。
「あんた、だれだ。もしかして、セフィロス、なのか?」
クラウドが慎重に歩み寄りながら訊ねる。男はその問いに応えることなく、どさりと床に倒れこんだ。
「ちがう、セフィロスじゃない!」
美月はクラウドの肩越しに、銀色の長い髪の男が音もなく現れるのを見た。
ずきん――こめかみに激痛が走る。
「っ……」
血管を握られたような鋭い痛みだ。体に熱が駆け巡る。血液中のあらゆる組織が弾け、膨張していくような、果てしない血潮のめぐりだ。
「長きき眠りを経て……時は……」
男の輪郭がはっきりと浮き上がる。
「時は……満ちた……」
やおら顔を上げた男の、神秘的な面立ちが露わになった。尖った顎と薄い唇。凛と秀でた鼻梁に、複雑な虹彩をたたえた瞳。クラウドよりも、はるかに人間離れした美貌――濃い魔晄色の瞳が美月を捉えた。
「おい、クラウド! 見ろ!」
バレットの声に、クラウドがハッとして顔を上げる。
「セフィロス!」
やはり、彼が――美月は後ずさり、どくりどくりと脈打つ手首を掴む。
「生きていたんだな!」クラウドがセフィロスに手を伸ばす。
「だれだ」
だが、その手はバチン、と弾き飛ばされた。身動ぎひとつしていないというのに、なんということだろう。ペールグリーンの、淡く強い光が今度はクラウドを捉える。
「俺を、忘れたっていうのか! 俺はクラウドだ!」
「クラウド……」セフィロスが呟いた。
「セフィロス、なにを考えている!教えてくれ、なにをするつもりなんだ!セフィロス!」
セフィロス――神羅により創られし、悲運の古代種。
superiorか、specialか、あるいは——Sephirothか
どくん――またひとつ、大きく心臓がうねる。美月の中にある細胞が、もし、彼を表すものだとしたら。
銀色の髪がどこからか流れた空気に舞う。まるで、羽根みたいだった。天使か、あるいは、悪魔か――美月は景色に浮かび上がるセフィロスの存在に釘づけになっていた。
全身が震えている。これは、恐怖なのか。畏怖なのか。それとも、興奮なのか。わからない。なにも、わからない。
「時は……満ちた……」
セフィロスが長い腕を広げる。
「なにを言ってるんだ? もっと……」
美月は吸い寄せられるように歩きだしていた。思考が溶けだしている。目の前に広がる銀色のヴェール。さらさらと風に揺曳し、母なる腕のごとく頬を掠める。茫然とするクラウドを押しのけ、美月はセフィロスへ両腕を伸ばす。
「おまえは、だれだ」
セフィロスの瞳がスッと細まり、纏う空気が瞬く間に研ぎ澄まされた。
「ミツキ!」
ザシュッ――斬撃音が響き、顔に生ぬるい液体がかかった。
「下がってろ!」
美月は弾き飛ばされ、機関室の隅に転がった。思考にカーテンがかけられた感じだった。思考だけではない、視界もだ。ぼんやりと、クラウドたちがセフィロスに向けて攻撃を放っていくのが赤黒くぼやけた世界に映っている。いや、あれはセフィロスなのだろうか。赤く、青く、この世のものではない色をした――モンスター。
目になにかが入って、刺すように痛い。どくどくと早鐘が鳴り、目の前の光景が遠く感じる。
――となれ
まただ。クラウドたちの背を眺めながら、美月は滔々と流れ込む声に身を委ねる。
――影となれ
弾けるように暗転した。
