1-10

 外へ出ると、夜空の下激しい突風がクラウドたちを襲った。先ほどまで彼らを覆っていた、重く張り詰めた空気が吹き飛ばされる。だが、血の匂いはまだまだ鼻の奥にこびりついているようだった。
 大きな機体がヘリポートに着陸した。扉が開くと、上等そうな革靴がタラップに姿を現わした。
「そうか、やはりセフィロスは生きていたか」
 地上へと降り立ったのは、シミひとつない、純白のダブルスーツに身を包んだ男だった。オールバックに整えられたプラチナブロンドの髪が、目映くヘリのライトを反射する。いかにも洗練された仕草で風に攫われた髪を撫でつけると、その顔が露わになった。
 見る者を凍りつかせるような、アイス・ブルーの瞳。スッと通った鼻すじ、なだらかな頬、そして、薄く小ぶりな唇。彫刻のような、美しい顔立ちだった。
 あれが、ルーファウス神羅――プレジデントの息子。
 父親の面影の見当たらない、その芸術のような顔立ちは、まるでよく研がれたカトラスのようだ。
 おもむろに、冷ややかな目元が向けられる。
「それで、お前らはだれだ?」
 美月は息を飲んだ。低くゆったりとした声には、温かみが一切感じられない。父親が死に、会社の危機だというのに、その声色には余裕さえ聞いてとれた。
「元ソルジャー、クラス・ファースト、クラウドだ!」
 バスターソードを抜いて、クラウドが叫ぶ。
「アバランチだ!」バレットがそれに続く。
「同じく!」
 威勢のいい声に釣られ、ティファも声を張り上げた。
「……スラムの花売り」と、エアリス。
「……実験サンプル」
 レッドⅩⅢも気まずそうに吐き捨てた。
 そして、美月の番だ。
「……しがない、OL」
 ――そうだった。そうである、はずだったのだ。
 口にしたその瞬間、ルーファウスと視線が重なった。
 なにかを見透かすような鋭い瞳に、心臓がひゅっと掴まれる。不意にワンピースの裾を握ると、微かにその目が細められた。
「おかしな組み合わせだ」
 ふん、とルーファウスが鼻で笑う。
 いけすかないが、もっともな感想だろう。美月は唇を舐めて、男の顔を見つめる。
「まあいい。私はルーファウス、この会社の社長だ」
 気怠く首を二、三度捻ったあと、彼は見下すように顎をツンと上に向かせて言った。
「オヤジが死んだら早速社長か!」
「なにか問題でも? そうだ、ちょうどいい。君たちに社長就任のあいさつを聞かせてやろう」
 バレットがルーファウスに向けて右腕を構えながら噛みつくが、彼は意に介さない。それどころか細く整えられた弓なりの眉を微かに上げたかと思いきや、ニヒルな笑みを口元に浮かべて、スーツの襟を手で整えた。
「オヤジは金の力で世界を支配しようとした」
 高級な革靴を鳴らして、ルーファウスは美月たちの前に歩み出る。
「なるほど、うまくいっていたようだ。民衆は神羅に保護されていると思っているからな。神羅で働き、給料をもらい、テロリストが現れれば、神羅の軍隊が助けてくれる。一見完璧だ」
 冷静な語り口とその声は、不思議と心に入り込んでくる。
 一人一人の顔を見定めるかのごとく、これみよがしにもったいぶった仕草でクラウドたちの間をすり抜けていたルーファウスの足が、美月の前で止まった。
「だが私のやり方はちがう」
 氷青の瞳が美月を捉えていた。ゾッとするほど美しく、陶酔してしまいそうなほど、恐ろしい。一瞬で、美月を底知れぬ海へと引き摺り込んだ。氷の張った、冷ややかな海に――。
 ハッと息を飲む間に、長い指先が美月の顎をなぞる。
「おい! ミツキから離れろ!」
 バレットが声を荒らげるが、ルーファウスはおかまいなしに美月の肌を味わった。
「私は世界を恐怖で支配する。オヤジのやり方では 金がかかりすぎるからな」
 ガラス細工の花を撫でるような繊細な指先だが、血が通っているのか疑いたくなるほど冷たい。コルネオの手下とも、レノとも、違う。それから逃れようと必死に顔を背けるが、顎先を掴まれすぐに正面を向かされてしまう。まるで、スパイ映画の女スパイが悪の親玉に捕まったときのようだ。
「恐怖はほんの少しで人の心を支配する。おろかな民衆のために金を使う必要はない」
 語気が強まると同時に、顎先がクイ、と上げられた。
「私はオヤジとはちがうのだ」
 あの、人間離れした美しい顔が目の前にある。纏う空気は洗練され、こちらから指を触れる隙すらも与えない。完全に、飲み込まれていた。彼の偉そうな態度ですらもその美しさを助長し、はたまた、その美しさは一切の熱を失った冷淡さをもはっきりと浮き彫りにする。
「今に見ているがいい。この世界は私のものだ」
 圧倒的な存在感、そして、抗えぬ威圧感。呼吸までもを司る。
「離せ!」
 クラウドがバスターソードをルーファウスに向けて構えた。その拍子に、氷青の瞳が細められ、美月は乱暴に解放された。
「ミツキ!」
 エアリスとティファの声が重なった。
 ぽい、と投げ出されたはずみに体がよろめき、そばにいたティファによって支えられた。腕の中から、ルーファウスを見上げる。だが、彼の恐ろしいまでも整った顔を再び目にしたのは一瞬で、気づけば紫紺の背中が美月の視界を埋め尽くしていた。
「バレット! みんなを連れてここから逃げろ!」
 クラウドだ。
「なんだって?」
「話はあとだ! 本当に、星の危機なんだ!」
「んだよ、そりゃ。ソイツはどうすんだ!」
「俺が倒してから行く! 今は、とにかく俺を信じてくれ!」
 有無を言わさぬその迫力に、バレットはなにかを言いたそうにしていたが、ああもう、と思い切り頭を掻き乱すと、「行くぞ!」と仲間たちに向けて言い放った。
「おい、アンタもだ!」
 だが、美月はその場から動かない。それどころか、ティファが手を引こうとすると、ゆっくりとかぶりを振った。
「ここは危険だ、先に行っていてくれ」
「そうよ、ミツキ。クラウドに任せて行きましょ!」
 本当は、逃げ出したくてたまらないはずだった。秩序の欠けた世界が、理解の追いつかない悍ましい現実が、恐ろしくてたまらなかった。
「……行けません」
「どうして! 早くしないと、大変な目に遭うかもしれないのよ?」
 美月はそれでもティファにかぶりを振った。
「……ティファ、先に行ってくれ」クラウドが言う。
「でも……」
 憂え顔のティファをよそに、クラウドは美月の顔を一瞥した。
「アンタ一人くらいなら、なんとかなる。離れていろ」
 碧い光がまっすぐ注がれる。こっくり、美月は頷いた。ひとつ、唇を噛みしめたあと、バスターソードを握り直す様を見届けると、ティファに、「すみません、あとから行きます」と謝って、ルーファウスとクラウドから距離をとった。
「これ、なにかあったら、使って」
 ティファは美月の冷えた手に青色の瓶を握らせる。戦闘後、彼らがよく口にしていたポーションという回復薬だ。それを胸に抱きしめると、美月はティファに向けて深く頭を下げた。

「なぜ私と戦うのだ?」
 屋上から室内へ繋がる階段の陰に潜む美月の耳に、ルーファウスの嘲笑する声が聞こえてくる。静まり返った夜だというのに、やけに心臓の音が響いてうるさく感じる。
「お前は約束の地を求めて、セフィロスを追う」
 クラウドの張りつめた声が続き、ルーファウスはふむと感心する。
「その通りだ。しかしお前、セフィロスが古代種だと知っているのか?」
「……いろいろあってな。とにかく、お前にもセフィロスにも、約束の地は渡せない!」
 セフィロス、古代種、約束の地――美月は小さく繰り返す。今日一日で、何回も聞いたそれらの言葉は、この信じがたい状況に深く関わっている。古代種のエアリスが神羅に捕らわれ、死んだはずのセフィロスが姿を現し、約束の地を求めている。
 セフィロスは古代種? そもそも、セフィロスは、何者なの? やっとの思いでそれらを自分の知りうる限りのものに鑑みてみるものの、美月にとっては、いまだそれぞれが独立して繋がらぬ夜の星のようなものだった。
 美月は壁から向こうを覗いた。対峙する二つの金色の輝き。どちらも似たような色彩だというのに、圧倒的に異なる。
 ツンと立てられた髪が揺れた。クラウドが腰を落としたのだ。その構えは、バスターソードを振るうときの合図。
「なるほど。友だちにはなれないようだな」
 それを受けて膝よりも丈の長いジャケットの下から、ルーファウスもショットガンを取りだす。ぐっと大剣の柄を握ったクラウドが、地面を力強く蹴った。
(だい、じょうぶ……)
 美月はぎゅっと体の前でポーションごと手を握る。
 ぶつかり合う金属の音、魔法を唱える声、鋭い銃声、途端に夜のしじまを揺るがし始めた音に心臓が今にも弾け飛んでしまいそうだ。
 クラウドとともに残ると決めたとはいえ、けっして、恐怖心が消えたわけではない。それこそ、今この瞬間に、命を懸けた戦いが繰り広げられていると考えると、酷く恐ろしく思う。この先になにが待ち受けているのかも、なにがこの身に降りかかろうとしているかも、考えるだけで頭が割れそうだ。
 目映い社長室の光が漏れ出して、美月の手を染めている。握った手は、あまりの強さに色を失い始めていた。青い瓶の中で、ポーションが小刻みに揺れている。口の中はカラカラで、うまく喉を潤すこともできない。
 美月は、この世界で独りだった。今ここでクラウドを置いて先に行けば、また独りになってしまう。漠然と思った。だが、美月は心の中で繰り返す。
 ――きっと、だいじょうぶ。なにに対しての大丈夫なのか、それは正直美月にもわかっていない。一人で戦うクラウドに対してか、それとも、孤独と戦う自分に対してか。

 二つの対極的な声が支配していた夜空に、風を切る音が響く。ルーファウスはそれを軽い身のこなしで躱しては、クラウドに向けて銃を放ってきた。腕ほどの長さのあるそれを片手で扱い、こちらへと迫ってくる様は、ただの御曹司でないことは一目瞭然だ。加えて、どこからともなく現れた大きな猫のような生き物――ダークネイションがルーファウスを援護するように、隙あらばバスターソードへと飛び込んでくる。
「……チッ」
 ダークネイションをいなしながらクラウドはちらりと背後を一瞥した。プレジデントの遺体が残された七十階へと戻る階段の陰に、微かに薄緑のワンピースが見える。
「あの娘が気になるか?」
 ルーファウスがショットガンを構えながら言った。風が男の真っ白なジャケットを攫う。男のジャケットにすっぽりと埋もれた、彼女の姿を思い起こして、唐突にみぞおちの疼きに襲われた。
「さあな」クラウドは視線を戻すと、素っ気なく答えた。
「それにしても、この状況で逃げないとは。ずいぶんと信頼されているようだな」
 ルーファウスは眉を上げ、首を斜めに傾げながら、引き金に指を置いた。
 信頼――果たしてそうなのだろうかクラウドはぐっと奥歯を噛みしめる。彼女が自分を信頼しているならば、きっと、より安全な道を選んだことであろう。
 ――行けません
 必死にかぶりを振る彼女の顔は、ほとんど人形のように、なにもかもを失っていた。セブンスヘブンで見たときの困惑の中に残されていたあの落ち着きも、ウォールマーケットで安心したようにへにゃりと弛ませた眦も、帰りたい、と涙を流す真っ赤な瞳も。
 もう、そこにはなかった。
 ――安全なところに、連れてってくれるって、言ったじゃない!
 信頼、なんかじゃない。彼女には、彼しかいないのだ。
「正義のヒーローの気分はいかがかな?」ルーファウスは愉しげに唇を薄く釣り上げた。
「ヒーローになったつもりはないね」
 クラウドはぴしゃりと言い捨てた。風が二人の間を強く吹き抜ける。バスターソードの切っ先が、ルーファウスを捉えた。
「だが、お前をここで倒したらさぞ気分がいいだろうな」
 男の指が引き金を引く前に、クラウドは地面を踏み込むと、持てる力をつぎ込んで剣を振るった。

「行くぞ!」
 ぎゅっと目を瞑り、ポーションを握りしめていた美月の腕を引いたのは、クラウドだった。
「終わったんですか」
「ああ。だが、トドメは刺せなかった」
 立ち上がった美月はヘリポートを振り返る。そこにはヘリのタラップに片手でぶら下がるルーファウスの姿が見えた。あれほど激しい戦いを繰り広げてまだ無事とは、全くもってこの世界の人間が理解できない。
「なにもないか」
 呆然と白いシルエットを眺めていると、碧い瞳がこちらを覗き込んできた。冷ややかな氷の色とは違う、どこか、吸い込まれるような不思議な煌めき。美月は睫毛をゆるりと揺らしたあと、こっくり頷いた。
「……大丈夫って、思ってましたから」
 抱いていた思いを口にした美月に、彼は途端に難しい顔をした。プロペラが風を切る音が遠ざかっていく。五秒くらい間が空いただろうか。薄い唇を半開きにしていたクラウドが、「アンタ、いつか死ぬぞ」とぼそっと呆れを露わにした。
 思わず顔を顰める美月に、ふっと端正な口元が弛む。
「とにかく、ここを出よう」
「はい」美月は力強く頷いた。
 一段、二段、と駆け下りて行く。ひとりで下りるには、長く途方もない階段を。どこからともなく不思議と繋がりあった手を、きつく、きつく、握って。

「クラウド! ミツキ!」
「ティファ、逃げてなかったのか!」
「二人が心配で。ルーファウスは?」
「トドメは刺せなかった。面倒なことになりそうだ」
 途中で二人を待っていたというティファと合流し、三人で下へと急ぐこととなった。
 依然、ビルの上層部は、きつい血の匂いと時間が経って変色し始めた黒々とした赤に染まっている。プレジデントの遺体もそのままだ。
 繋がった手をティファは一瞥したようだったが、すぐに我にかえると、こっち、と二人を先導した。
 上層部を抜け、エレベーターを使って三階まで降りたところで、急に辺りが騒がしくなった。
「……囲まれているな」
 プレジデントが殺され、ルーファウスが去ってからしばらく経っている。大量殺人者――ひいては、社長を殺した人間を逃すまいと、厳戒態勢に入ったのだろう。二階へと階段を下りかけたところで、クラウドが視線を向けた先、吹き抜けとなった中央部から覗く一階ロビーの外には、無数の神羅兵がビルを囲んでいるのが見えた。
「どうする?」ティファがクラウドを一瞥する。
「正面突破は無理だろうな」
 迫り来るタイムリミットに、さすがのクラウドも焦りの色を隠せないようだ。辺りを見渡しながら美月の手の甲を、とん、とん、と指で打つ。
「あれだ」と、クラウドがなにかを見つけた。
「ティファ、バレットたちを呼んできてくれ」
 クラウドに言われ、「どういうこと?」とティファは眉をひそめる。
「下がダメなら、上からってことだ」
 クラウドの視線の先には、一台のバイクがあった。
「ミッドガル・ハイウェイね」
「ああ。あの数をまともに相手にする暇はない。俺はバイクで先に行く。ティファは、ロビーにトラックがあったな? それでバレットたちを拾って、ついてきてくれ」
 バイク、トラック、ミッドガル・ハイウェイ? 神羅ビルに明るくない美月は二人のやりとりについていけない。
「ミツキは?」
 唐突に名前を呼ばれて、目を瞬かせた。すると、どこからともなくクラウドと目が合って、ほんの一瞬、手の繋がりが強くなった。
「あのトラックに、全員は乗ることができないだろうな」
 ハッと美月がなにかを言い出そうとする前に、絡み合った視線は解かれ、クラウドは吹き抜けの向こうを見遣る。二人の間にそれ以上言葉はなかったが、ティファはクラウドに、わかった、と頷くと、わき目も振らずに階段を駆け下りて行った。
「あの、話が読めないんですけど」
 クラウドに手を引かれながら、美月は訊ねる。
「アンタ、バイクに乗ったことは?」
 話が噛み合わない。美月は唇をひと舐めして、ないです、と答える。あっという間に展示されているあの立派なバイクの前までたどり着いた。
 煌めく『ハーディ=デイトナ』の文字。近づくとよりその大きさを実感する。ハーレイを見たことはあったが、下手したらそれよりも巨大なボディだ。
「なら、こっちだな」
 言うと、クラウドは手を解いてバイクに跨り、それから、美月に手を差し出した。
「やっぱり、二人で乗るんですか」
 差し出された手を眺めて、美月はぼやく。
「早くしてくれ。時間がない」
「でも、わたし、バイクなんて……」
「来い」
 言葉半ばに、クラウドは美月の腕を引いて彼女をシートに乗せた。タンデムシートではなく、男の体の前に。まさかこうくるとは。これから起こりうる展開にどぎまぎする美月をよそに、「ハンドルを握れ」とクラウドは後ろから囁く。
 もはや、抵抗する余裕はない。美月はクラウドに従った。これだけ大きなバイクのハンドルを握るのは、初めて。ぐっと上体を前に倒して、恐る恐るグリップを握る。と、背中に熱が重なった。
「っ、クラウド?」
「俺が動かす。アンタはただ落ちないように捕まっていてくれ」
 グリップを握る手に、彼のグローブをした手が重ねられる。美月の心臓は、こんなときだというのに、緊張とは違う高鳴りを示していた。
 どこか甘いマリンソープのような香りがする。先ほどまでこびりついた血の匂いが一瞬遠くなる。
 そんなこと言ったって、と口ごもる美月に構わず、クラウドは、足を置け、と美月の靴の裏を足先で軽く蹴った。言われるがまま、ヒールプレートに足を乗せる。ハンドルを握る力が強くなった。緊張から震える手を包み込むように、きつく締めつけられる。
 クラウドはぐっと手前にハンドルを回し、勢いよくアクセルを回した。
「行くぞ」破裂音に近いエンジン音が、激しく鼓膜を揺さぶる。
 バイクは淀んだ空気を突き破るように、動き出した。
「こっちだ!」
 階段をバイクのまま駆け下りて、トラックに乗ったティファたちを先導する。助手席にはエアリス、荷台にはバレットとレッドⅩⅢ。美月たちのバイクに気がつくと、皆、気を引きしめるようにこっくり頷いた。
「クラウド! ねえ、クラウド!」
「なんだ」
「どこに向かうの!」
 階段を再び駆け上がっている。振動に舌を噛まないように気をつけながら、美月は自分の上にいるクラウドへと必死に訊ねた。
「聞いてなかったのか」
「聞いてたけど、ハイウェイって、どこからいくつもり?」
 もはやそれまでの口調も忘れていた。その間にもバイクは階段を駆け上がり、二階へたどり着く。
「ここからだ」クラウドはハンドルを切って、バイクを停めた。
 目の前には、体をすっぽりと覆うほどのガラス。黄色い光の矢があちらこちらへと八の字を描いている。
「まさか、上から行くって……」
「クラウド! こっちはいいわよ!」
 美月の言葉を遮って、ティファの揚々とした声が届く。こっくり、クラウドは頷いた。
「出来るだけ、ボディから顔を離しておけ。舌を噛みちぎりたくなかったらな」
 唸るエンジン音の中、耳元で囁いたのもつかの間。
「い、やぁぁああっ」
 バイクは勢いよくガラスを突き破った。

「死んじゃう! 死んじゃうかと思った!」
 ハイウェイに着地して、美月は半分べそをかきながら叫んだ。
「安心しろ、生きてる」
「そういうことじゃないの!」
 どうしてそんなにも落ち着いていられるのか。美月は今にも飛び出そうとする心臓をどうにか留めるために、ぐっと唾を飲み込んだ。
 バイクはハイウェイを駆け抜けていく。目の前にはティファたちの乗る青いトラック。あちらこちらでサイレンが鳴り、彼らを探しているだろうライトが夜空を交差する。
 これまで感じたこともないような速度で神羅ビルから遠ざかっていく。風は殴るように頬を撫で、目を開けていることすらままならない。
 クラウドが上からハンドルを握ってくれているからいいが、美月一人だったならば、早々に夜風に消えていたことだろう。
「なんでこんなときに猫にならないの」
 もし猫だったならば、きっとあのトラックに乗れたはずなのに。体を必死でバイクにくっつけながら、美月はぼやく。
「それは同感だな」
 ひとり言のつもりだったが、思いがけず言葉が返ってきた。しかも、風に紛れてしまいそうな、掠れた声で。耳元で聞こえたそれに、美月は背すじを震わせる。
(なんでこんなときに、妙な色気をだすの……!)
 心の中で叫びを上げたい美月であった。
「……来たか」
 すると、不意にクラウドが呟いた。サイレンの音が近くなっている。
 刹那、手の甲の熱がふっと遠ざかった。
「えっ、クラウド?」
「俺は追っ手をなんとかする。アンタはそっちを頼んだ」
 あろうことに、クラウドがハンドルを離したのだ。
「う、嘘でしょう?」
 美月の頭の中はパニックだ。突如ハーレイほどの巨大なバイク操縦を任されると、誰が予想していただろう。今までまともに自動車すら運転してこなかったというのに、神羅兵が追いかけてくるこの状況でどうしろと言うのか。だが、苦言を漏らす暇はない。
 ぐんと重たくなった自分の手に、美月は慌てて意識を集中させる。
「俺が右と言ったら右にハンドルを切ってくれ。左と言ったら」
「左に切ればいいんでしょう!」
 半ばやけくそだ。叫ぶ美月に、クラウドがふっと息を漏らすのが聞こえる。
「なにがなんでも、離すなよ」
 こくこくと頷くと、クラウドはバスターソードを抜き、風を切るように地面と並行に腕を伸ばした。
 敵が追いかけてくる音がする。クラウドのバスターソードを振る動きが背中に伝わる。美月はサイドミラーを確認することもできず、必死に前を見つめた。
「右だ」
 クラウドに言われて、重いハンドルを切る。車体が右方向へと逸れ、風になぎ倒されるように体が地面に近くなる。
 神羅ビルを抜け出して、やっとマシな空気を吸えると思ったのに、もはやそれどころではなくなってしまった。殴りつける風、夜空を切り裂く光の矢、迫り来る敵の気配。血液が全身に滾り、目の前が揺らぐ。
「神さまの、ばかやろぉおお!」
 美月は思うがままに叫んでいた。
「なんで、なんでこんな目に遭わなきゃいけないのよ!」
「うるさい」クラウドが後ろから一蹴する。
「なによ、クラウドのばか! ばかばかばか!」
 ついに、涙が溢れた。溢れた雫は頬を伝い、夜の空気に攫われていく。風が勢いよく吹きつけ、涙のあとをつぎつぎと冷やしていく。
「あとで覚えておけよ。左だ!」
 それでも、ハンドルを握り、前を向く。前方を走るトラックの後ろへつくように、左に重心を動かす。
 ガキン! と金属がぶつかる音がすぐ背後で鳴った。
「よし、あと少しだ」
 やわらかな声が耳を撫で、美月は、スン、と息を吸い込む。冷たい空気が肺を満たした。頭にかかっていた靄が晴れ、眠っていた細胞が目を覚ますような感覚が漲ってきた。
 風を切る音がする。ゴオオオ、とエンジンの唸り声がどこまでも響いていく。手のひらにグリップの感触がする。足の裏にバイクの鼓動を感じる。青々とした匂いが、掠めていく。
 はるか向こうに山が見えてきた。とっぷりと闇を纏った山際が白んでいる。紺色の空にグラデーションがかかり、星の瞬きが薄らぎ始めていた。
 もうすぐ、夜明けだ。
「ミツキ」
 背中に、熱が宿る。
「言っただろ、安全なところまで連れて行ってやるって」
 生きていた。紛うことなく、美月は、この世界で生きていたのだ。
 嗚咽をこらえながら頷く。抱いた恐怖は拭えない。それから、嫌悪感も。それでも、美月は一人ではなかった。
 ハンドルを握る手を、ぎゅう、と大きな手のひらが包み込む。
 彼らの背後には、神羅ビルを飲み込むようにぽっかりと白銀の月が浮かんでいる。空からこぼれる淡い光に、二つのピアスがきらり、瞬いた。
「もう、大丈夫だろう」
 橙に染まった山間を眺めながら、クラウドは言った。
 ミッドガル・ハイウェイの終着点を前に、先にバイクを降りた彼を追って、美月もシートから飛び降りた。地に足をついたとき、思いがけず足がぐらついたが、なんとか転ばぬように体勢を整えて、まっすぐ前を見据えた。
「……すごい」
 空を遮るものも、行く手を阻む壁もそこにはない。目の前に広がるのは、広大な大地。
 思わず、目を奪われていた。どこまでも続く大地に、大きく連なる山々に。そして、深く澄んだ、グラデーションの空に。
 初めて見る、この世界の姿だった。
 トラックに乗っていた仲間たちも降りてくる。一人、また一人、と。アスファルトを力強く踏みしめては、薄明の空を見つめていた。
「さて、これからどうするよ」
 大きく息を吸い込んだあと、口を開いたのはバレットだった。
 ミッドガルはもうほど遠い。今から戻るにも、すでに彼らを待ち受けるのは厳しい現実だろう。
 美月はぐるりと皆の顔を見渡した。
「セフィロスは生きている。俺は……あのときの決着をつけなくてはならない」
 精悍な顔立ちに微かな憂いを含んで、クラウドは山際から溢れる橙の光を浴びていた。
「それが、星を救うことになるんだな?」バレットは言う。
「おそらく、な」
 クラウドが小さく首を縦に振ると、「おっし、オレは行くぜ!」とバレットは拳を空に突き上げた。
「わたしも、行く」エアリスもあとに続いた。
「知りたいことがあるから」
 前へと歩み寄ってきた彼女に、クラウドは、「古代種のことか」と訊ねる。
「いろいろ、たくさん、ね」エアリスはやわく微笑みながら答えた。
「私は故郷に帰るつもりだ。それまではいっしょに行ってやる」
 赤い炎が凛と揺れる。
「さらば、ミッドガル、ね」
 ぐっと伸びをしたあとに、すとんとそれを体の横に落として、ティファは後ろ手に手を組んで言った。
 爽やかな空気に包まれて、さっぱり洗われた仲間たちの頬を美月は眺める。
「アンタは?」
 立ち尽くしたままの美月を、クラウドが振り返った。それを合図に、いくつもの視線が彼女のもとに集まった。
 美月は瞳を伏せる。こぼれる朝陽を纏うその睫毛は、不思議と艶めいている。ぱちり、しどけなくそれを揺らしたあと、青々とした大地の匂いを胸に閉じ込めて、彼女は顔を上げた。
「行かなくちゃ」
 探さなければならないものが、きっとある。漠然と抱いた思いに、指先を握りしめる。
 目映い太陽が、今にも彼らの目を貫こうとしていた。

 

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