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 トクサネから海を渡り、しばらくすると本土が見えてくる。そのしばらくは私が想像していたよりも遥かに長いのだが、エアームドという鋼で全身を覆った鳥ポケモンの上にいると、なぜだかあっという間に感じたものだった。
 空を切るあの爽快感。初めは上手く乗りこなせるか心配だったのに、よく訓練されたその子のおかげで心配は杞憂に終わった。それでも飛行機以外で空を飛ぶのは初めてで、海の上を渡るにはあまりに無防備で、少し前をメタグロスという青いポケモンに乗って進む彼の背を、どうにか下を見ないようにして着いて渡った。
 途中、熱帯雨林の中の集落のような街であるヒワマキシティに立ち寄り、簡単な休憩をとってから目的地であるカイナシティへと辿り着いた。

 カイナはホウエンの南部に位置する港町であるらしく、トクサネよりも明るく活気に満ちた場所だった。時間的な問題もあったかもしれない。トクサネを発ったときには朝焼けが辺りを目映く照らしていたというのに、すでに太陽が西へと渡ろうとしていた。
「長旅ご苦労様」
 ふらりとエアームドから降り立った私に彼は手を差し出してきた。いつもどおりのパリッとしたスーツ姿は一糸も乱れず、何時間もポケモンに乗りっぱなしだったのに疲れた様子をおくびにも出さない。ありがとうございます、とその手を借りて体勢を整えると彼はポケモンたちをモンスターボールへしまった。
 その横を小綺麗なワンピースやセットアップを身につけた少年少女たちが走り抜けて、ぬるい風を起こした。かすかに夏のにおいがした。
「どうだった、空旅は」
 白いブラウスの裾を押さえながら、太陽に目を細める私に彼は言う。
「すごい、ですね。ポケモンって」
「そうだね。彼らは色んな力を持っている。遥かに世の中は便利なもので満ちているけれど、たまにはああいうのも悪くないんじゃないかって、ボクは思うんだ」
 そのぶん時間も手間もかかるけれど、と肩をすくめて、しかしどこか満足げに表情をゆるめると彼は、「行こうか」とカイナの街にくるりと向き直った。
 ポケモンセンター、フレンドリィショップ、それからコンテスト会場、トクサネにあるものもあれば、ないものもある。そのどれもが見慣れたもののように思えて、どこかちがう。
 なぜ、いきなりトクサネから私を連れ出す気になったのか、その真意はわからない。ただ、彼が昨日私に告げたように、「美しいもの」が他にもあるというのは、たしかに本当だった。
 真上から眺める水面にはホエルコの群れが現れ、遠い空が淡いグラデーションに染まる。朝焼けを浴びたエアームドの体にはダイアモンドのような輝き。それから、緑生茂るヒワマキのあの青々とした匂い。見渡す限りの、自然。コンクリートジャングルで生活していた身からすると、それらはひどく新鮮で、はたまた刺激的で、どこか胸の奥がきゅっと締めつけられるようなそんな心地になった。
 一度そんなものを見つけると、人間の体というのは不思議なものでどんどんそれらを享受しようとする。ぽっかりと空いた穴に、乾いた空のグラスに、水をそそいでしまいたくなるような。そうして、いてもたってもいられなくなって目の奥がジンジンと溶けだしてしまう。
 くるくると回る七色のシャボン玉を眺める、それだけでじゅうぶんだったのに、全身の感覚が無理やり開かれていく、そんな心地だろうか。自分の腕に抱え込めないそれをどう表現したらいいかわからず、彼からは背を向けてしまった。カメラを向けることすら、余裕がなかった。いい大人が、情けないな、と何度も思った。
 一方でカイナはどこか落ち着けるような気もした。トクサネと同じ潮の香りがするからかもしれない。もっとも、それはトクサネよりはるかに上品なにおいだけれど、共通点があると思うと少しだけ安心した。

 街中を歩いていると、いよいよ暑くなったのか、彼はジャケットを脱いでベスト姿になっていた。街行く人が彼に挨拶をして、ほがらかに彼は返す。
「ダイゴさんだぁ」
「写真撮ってください!」
 そんな子どもたちの要求にもにこやかに応える背中はなにかを背負うそれにも見えた。同時に漠然と遠い世界にあるとも思えた。
 子どもたちから渡されたカメラで彼らの写真を撮る。子どもは無邪気でいい。屈託のない笑みを向けられると自然と気持ちがほぐれる。
「ありがとうございました!」と去っていく彼らの背を見送ると、ふと視線に気がついた。
「なんでしょうか」
「いや、今日はじめて笑ったな、と思ってね」
 指摘されると途端に表情に力が入る。むっと唇を閉ざすと彼は参ったとばかりに肩を揺らした。
「ごめん。……あ」
 空を、見上げていた。その視線を追いかけ振り返ると、青空には雄大な火山の姿があった。
「えんとつやまさ」
 私がなにかを言う前に彼は口にする。
「今も活動している活火山でね、あのふもとにはフエンタウンがあって温泉地として有名なんだ」
「温泉、ですか」
 この目で火山を見るのは、初めてだった。いつもそれはテレビの中の出来事で、山の頂上からもくもくと煙が上がっている様子など日常からは程遠い。
 たしか、彼の家のリビングにもその名前の印字があって、ごつごつとした溶岩石が飾られていたはずだが、まさにその石が採れた山ということ。
 煙が青空に雲を作る様はどこか迫力があり、呆気にとられる。ハワイのキラウエアだったか、それよりもまさに目前に迫る。焼けた山肌はあかあかと自然の猛威を私たちに示しているみたいだった。
「行ってみたい?」
 じっと目を奪われていると、隣で彼は訊ねてきた。先ほど子どもたちに向けていた表情と、寸分も違わない顔で。
 優しいのだと、思う。いや、彼は実際優しいのだ。親切で人との縁を切り離せないひと。それはじゅうぶん、知っている。けれど、みぞおちが気持ち悪くなる。「そうですね」と一拍置いて答えると、彼はふっと相好を緩めた。
「明日、行ってみてもいいかもしれないね」
「明日?」
 彼は屈託なく、「うん、明日」と目を細めて微笑してから額に手を当てて、じっくりえんとつやまを眺める。
「うつくしいものは、まだまだあるからね」
 どこか遠く、郷愁を感じさせるまなじりだった。