「ねえ伊地知さん、俺らの副担ってどんな人?」
一年生三人を都内某所の任務へ送迎するスケジュールだった。
桜もとうに散って、車道を彩る街路樹は緑にあふれている。どこか初々しさを残した明るい調子で投げかけられた問いに、伊地知潔高はフロントミラーをそっと見やった。
「そうですね、わりと……いや、かなりパンチのある人かと」
「なにそれ、五条先生並みに強いとか?」
「まあ強いかと言えば強いのでしょうね」
後部座席のふたりのうち短髪の少年はまえへ身体を乗り出している。その隣には打って変わってやれやれと窓へ頬杖をついて外を眺める少女。
助手席にも彼らの同期は座っていて、ちぐはぐだがけっして悪いとは言えない雰囲気に、どこか新鮮さと懐かしさを抱きながら伊地知はわずかにまなじりを緩める。
「あの五条悟と肩並べて教師なんて仕事やってるぐらいの物好きよ、どうせ頭イカれてる奴に決まってる」
「それをおまえが言うか」
「なによ伏黒、こんっなピッチピチの美少女捕まえて。どうせあんた私たちより先にこっちにいたんだから、そいつがどういう奴か知ってるんでしょ」
ハンドルを握る自分の隣で黒髪の少年がナビを操作しながら、「次のとこ、右ですね」などとサポートをしてくれる。
「で、伏黒。入学以来一回も姿を見せない謎の女教師、あのクズと同類?」
「……伊地知さんに聞くのが、一番早いと思う」
「そりゃまあそうだろうけどさ、なんで伊地知さん?」
さきほど自分がしたようにミラー越しに視線を感じて、伊地知は眉を下げた。
「彼女は私と同期なので」
「えっ、それマジ!?」
「つーことは、意外とまともな線もあるわけ?」
「まともかというと、まあなんとも言えないが」
「どーなの、伊地知さん!?」
乗り出す影が二つに増えて、ひとり人数が異なるだけでも車内はこれほどににぎやかなのかと口許を緩める。
「そうですね、まともというよりかは釘崎さんがおっしゃるとおり、ぶっとんでる側だと思いますよ。あえて言うなら、宇宙船を壊して地球へ迷い込んでしまった宇宙人、とか」
「ピンポイントすぎて、いまいち伝わんねえな……」
「これだけはわかるわ、ヤバい」
宇宙人のほうがまだしおらしいかもしれないですね、と言った大の大人に、げえっと声があがる。
三者三様、歪んだ顔にいよいよ伊地知は小さく息を吐き出してハンドルを回した。
彼女と出会ったのは、他の高校生たちと変わらない四月の入学式の日だ。
ただ桜吹雪の舞う講堂ではなく、厳かな式を終えて戻った教室でのこと。たったふたつの机が並ぶ、広い広い教室。
肩を狭めてきっちり座っていた伊地知のもとへ、彼女はウェーブした髪を揺らしながら意気揚々とドアを開けた。
対面したときの印象は後に語るとして、真っ赤なリボンの黒いセーラー服にふくらはぎの中ほどまでの白いルーズソックス。
どこにでもいるような今どきの少女だ。ぽかんと戸口を見つめる伊地知にきょろきょろと教室を見渡して、「えっ。……えっ?」と長いまつ毛をぱちぱちと瞬いていた。
すぐに「間違えました」と出て行ったものの、数秒して彼女は舞い戻り、「えへへ、また間違えちゃった」と恥ずかしそうに隣の席にやってきた。
明るい少女だった。決して派手ではないが、そこにいるだけで黄色い野花が咲く。
可憐だとか華奢だとかそんな弱々しい例えは似合わない。伊地知は自己紹介を聞くあいだ、彼女の羽ばたくようなまつ毛とうっすら桃色に染まった頬を眺めていた。
たったふたりで始まった高専生活は、思っていたよりも暗澹たるものではなかった。
すぐ隣でクラスメイトがああだこうだとよく回る口をつねにエンジン全開で回しているから。
口を開けば、あのお菓子がおいしいとかコンビニの新商品が気になるとか。静かだなと思えば目を半開きにして船を漕いでいるときで、たいていは彼女に話しかけられていたから――きっとそうなのだろう。
最初は綺麗な子だなと思っていたのが、別の印象に変わったのはすぐのことだ。
自分の名前を最低な読み方で間違えたり、漢字がわからないからメールでも紙面でも(そして実際の呼称でも)、「きよたか」とたどたどしい呼び方で自分のことを呼ぶ。
そんなふうに気安く呼んでくる相手なんて、家族を含めて数える程度だからいつも自分は戸惑っていた。そんな戸惑いさえ悠々飛び越えて、彼女は何度でも屈託なく自分を呼んだ。
座学の授業中に居眠りするのは日常茶飯事。たいていの筆記ものは苦手だし、数学や現文などの課題が出れば考える時間もなしに、「きよたか~~~~~~!」とすがりついてくる。
担任や夜蛾から拳骨を食らうのは一度や二度ではなかった。
むしろ気がつけば正座をさせられていて、いつもあの気の抜けたような「たはーっ」という笑い方で、「きよたか、ヘルプ・ミー!」と言っては正座を延長させられていた。
やることなすこと、意味がわからないことだらけ。勝手に人のジュースを飲むし、自分の飲んでいたものを遠慮もなしに差し出してくる。
おいしいものがあれば、目をらんらんと半月型にして「半分こ」。先輩とコンビニに行ってきたと思えば、「はいっコレ、きよたかのぶんー!」。
座学は不得意だけれど身体を使うセンスは自分よりも格段にあって、うまくできずに悶絶するが、何度もひとりで訓練をくり返しできないことを一つずつなくしていく。
自分とは正反対のまるきりちがう人間。こんな場所でなければきっと話すことも、出会うこともなかっただろう。
愉快なことも楽しいことも、彼女が「きよたかー!」と元気いっぱいに呼んでくれるからすべて半分ずつ。苦しいことも辛いことも、彼女がともに背負ってくれるから半分ずつ。
突拍子のないひとだった。「それ、きよたかにあげる」と言ったそばから、「えへへおいしくて食べちゃった」と笑うような人間だ。たいていなにかをほおばっていたし、考えていることは食事や遊ぶことばかり。
上層部の人間にプロレス技をしかけるようなこともあったが、それでもいつも彼女は笑っていた。
特別、笑えることがたとえなかったとしても、明るく黄色い花を咲かせていた。
「彼女もまた、術師らしいといえば術師らしいのでしょうね」
思い出話に花を添えるつもりは微塵もなかった。
自分が口にしたとこで面白みのある話になるとは思えず、彼女に関して伝えたいことの一割もきっと表現することができない。
「それでもだれよりも努力家で、だれよりも友人思いのひとですよ。五条さんよりは話が通じると思うので安心してください」
「いまいちその判定、当てになんないのよねえ」
「伊地知さんとそのセンセーが仲いいのはわかったけどさ、もうちょっと具体的なエピソードが欲しいよな」
「それは、お会いしてからの楽しみということで」
ただ、よく任務の帰りに麓の蕎麦屋できつねそばを食べて帰りましたよ、と学生たちに告げる。
「きつねそば? うどんじゃなくて?」
「ええ、きつねそばです。緑のたぬきも、私の赤いきつねと、載せる具材をいつもトレードされましたから。好きなんでしょうね」
おあげがほっくり、だしはじんわりと。コシのあるうどんもいいが、やわらかいそばもなかなか捨てがたい。
「最近は紺色のきつねが出たそうですけど、とにかくおいしいですよ」
「そんなん言うから、腹減ってきたなー」
でも、と隣からぽつり声が落ちる。
「あのひと、戻ってこれるんですか?」
急激にトーンダウンした車内に、伊地知はハハ……と乾いた声を喉から吐き出す。
「それどういうこと、伏黒?」
「なに、蟹工船でも乗せられてるわけ?」
「むしろ蟹工船のほうがマシっつーか。これってこいつらに話していいヤツですか?」
「……どうでしょうねえ」
忘れていたはずの胃痛を思い出してとにかくハンドルをさばく。
「真希さんに聞けば、あらかた話してくれるとは思うけどよ」
「まーたクエスト形式? 副担に会うには魔王でも倒さなきゃならないとか言うなよ」
「ある意味、魔王的ななにかっつーか……」
「……ですねえ」
怪訝かつ胡乱な学生二人をよそに、車は目的地へ到着する。今日はこの子たちをあの麓の蕎麦屋へ連れていってあげようと心に誓い始めていた。
はじめての任務、あまりに凄惨な現実に食事も通らなかった自分を。魂が容れものから離れていく、その感覚を拒絶できなかった自分を、こうして繋ぎ止めてくれたあの店に。
『でも、食べなきゃ』
鼻腔に深いだしのにおいが蘇り、潤んだ口内をごくりと喉で整える。
膜が張りなにもかもが輪郭を失った世界で、パキンと割り箸を割る音が鳴る。ズズッと遠慮なくそばをすする音。はふはふと熱い麺を口内で転がす音。
夢か空か境界があいまいに静まりかえっていたうつし世が音を取り戻して、においも、食欲も、なにもかも自分の中に還ってきた。
『きよたか、食べないなら食べていい?』
彼女の言葉に、自分も箸置きへと手を伸ばしていた。無我夢中で、鼻水も涙もあらゆる液体を流しながら。彼女の隣で食べたそばは、この世で一番、美味しかった。
「きーよーたーかー!」
そんな郷愁に身を包んでいたのもつかの間、響いてきた声に伊地知はまさかと顔を上げる。
「は、え……?」
「おっ待たせー! 副担、とうじょうー!」
黒いショート丈のパーカーにタボっとしたオーバーサイズのパラシュートパンツ。その腕には銀色のそれ。
「登場とかいって、初手松葉杖ついてるけど大丈夫だと思う?」
「いやー、ちょっとわかんねーわ」
ここまで来るまでにひと悶着あってさあ! と彼女はひょこひょこ歩いてくる。
「なんかいろいろあったけど、どうにかこうにか通りすがりのやさしいひとから松葉杖を借りたってわけ! 潔高、三か月ぶり? ちゃんと食べてる? ちょっと痩せた?」
「ぜったい、ヤバいわよ。通りすがりの怪我人が自分の足の一本貸すわけねーから、というか底抜けにテンション高いけど、なんであんな満身創痍なわけ?」
「よく見たらパーカーの下、腕吊ってね?」
学生たちの声に、もはや諦観の息がこぼれる。
「……またあのひと、逃げてきたのか」
「むしろ、あそこからどうやって逃げてきたのか、というか」
そんな妙な空気をよそに、「いえーい」とピースサインとともに花が咲く。
可憐でもない、優雅でも上品でも、華奢でも。それでもだれに踏まれたとして決して折れることのない、美しく輝かしい花。
「なんでこうも、戻ってきてしまうのだか」
満足に自分の身体さえ動かせないくせに。もうだれかを――足手まといな男のことなど、守る必要もないというのに。
光を守るために、そばを歩き続けてくれてくれたひと。
暗い闇の中を、自分のために切り裂いてくれたひと。
――たったひとりの、同期。
「私は、同期ばなれしたつもりでしたけどね」
これはこれで、うれしいのかもしれない。
「どうなっても、知りませんからね。あと、あなたを現場には連れていきませんよ」
「エッ、あらゆる軟禁監禁を乗り越えてきたのに!?」
「仮にも教え子の前で、物議をかもす内容を。最近はコンプライアンスがうるさいですからね。私たちの直属の上司は教え子のスカートを履いて、職員会議送りになりました」
「うわっ、それはさすがに五条悟すぎる!」
まあ、と伊地知は眼鏡のつるを小さく押し上げる。
「任務を終えても全員が無事だったら、きつねそばでも食べて帰りましょう」
ニマッ、などと学生時代よりも大人びた顔の中で半月が瞬く。
「聞いたか、野郎ども! あっ、女の子もいる! レディースアーッンドジェントルメーン! ということで、今日は伊地知のおごりだってよ!!!」
「ちなみに、あなたのご主人があちらに到着なさってます」
「エ゛ッッッ、亜音速すぎ!」
あの人なに食べて生きてんの? なにしたら一秒間であんなにコマ打ちできるの? いっしょに住んでるけど、わりとあの才能の塊さ恐怖なんだよね、アッこっち向かってくる……! などなど。
「潔高、あとは任せたッ!」
そんな無茶な。軟弱な男の後ろへと隠れる同期に、伊地知はやれやれと照りつける日差しにやわらかに髪を揺らした。

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