男にとってその日も変わり映えのない日常の延長に過ぎなかった。
変わらない。変わらない。あそこにおるんもいつものこっちゃな。
ほんまにキッショいわ、と口内で吐き捨てながら、雑踏のただ中に佇む。
行楽シーズンを迎えた京の街は人種さまざまな人ごみであふれていた。いつからなどというのは考えるのも無駄な話だ。何百年、何千年と折り重なった時の流れは京都というかつての都の栄華をその猥雑な喧騒の中に沈殿させている。
人びとの踏みしめる石畳の下にはあまたの屍が埋まっていることだろう。伝統と格式という桎梏により、赤黒く塗られた大地に築かれた平安の苑。
よそ者が見れば、さぞ京都らしいと頬を染めるのかもしれない。うつくしく、雅やかで何千年もの歴史をいだいた街。
なにひとつ知らぬ無様な顔で自分たちのそばに潜む闇にも気づかない。
「よおあんなの連れて、一緒にバスに乗れるわ」
俺やったら一生かけてもごめんやねと男は漆黒の着物のたもとを揺らして腕組みをしたまま視線だけを鋭く動かす。
どこを見ても、なにを見てもいつだって変わらない。ここはそういう場所だ。
雑踏の中に亜麻色が揺れる。
りん――と耳の裏で鈴の音がした。
その音を男は聞いたことがあった。何年もまえになどという殊勝なものではない。
祇園の茶屋街、四条の橋上、真っ赤な鳥居、長くてしょうもない坂、人いきれの中――わずか数時間、数日という短い刻の中、視界の端にその色が揺れていた。
特別でもなんでもない。どこにでもおるような、ありふれたつまらん存在。
気にする必要もない。記憶の淵に留め置くこともない。
「なんや、ただの猿かいな」
現代的なコンクリートの箱を背に、騒がしいガキどもの前で呑気に笑っている。
取るに足らない、どうしようもない、残るのはただ煩わしさだけ。
その景色すら、流れていくものにすぎなかった。
とめどなく往く川の流れのように。
浮かんでは消える泡沫のごとく。
おのれのなかには、なにひとつ残らない――そう、思っていた。
あの場所で、あの空間でふたたびめぐり逢うまで。
「ホンマにしょうむない場所やな」
男は琥珀の瞳を細めたあと、大きく舌打ちをする。
アスファルトに投げかけられた影が、音もなく動き出す。
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――××××年 ××月××日
〈京都府内 鞍馬の山中にて発生した特級仮想怨霊『夢寐』に関して〉
「いやぁ、マジでウケたね~」
男の声が軽やかに白い空間に響いている。
「別の任務で出かけたってのに、そこらへんにあった壺を蹴飛ばしたら、それがとんでもない呪いの本丸だったなんて。壺の中をのぞくどころか深淵をのぞいちゃってさ。そこから一か月、アイツ、あの呪いの領域に閉じ込められてたわけでしょ? んで、キレーなオネーサンにあれこれ、ヨシヨシしてもらってたわけだ」
いやあ滑稽だねえ――白い紙が踊るような音を撥ね返す。
「夢はしょせん、記憶の延長。すべては過去であり、そこに未来はない。ま、それが呪霊にとっては好都合だったんだろうね。
一抹の夢、真夏の夜にみるもの、まぼろしのごとき過去への通い路。こうだったらよかったのに、こうすべきだったのに、こうでなくちゃならなかったのに。いつだって後悔のほうが烈しく強大なものだ」
白い椅子から伸びた長い脚が影を蹴る。
「しかし、アイツがそんなねえ」
傍らに立つ男は碧いサングラスを指先で押し上げる。
ま、と黒い男は目隠しの下でわずかに頬を歪めながら白髪を揺らした。
「腐っても特別一級。あの時点で〈領域〉を破ったのはさすがかな。僕としては、もうちょっとドラマがあってもおもしろかったけど」
長い指先が無聊を終えるように白い頬を打った。
「そういや、気づいてる? 僕たち、繰り返してるの」
静かに、声はどこまでも反響していく。
「これは何度目なんだろうねえ。ホーント、いい趣味してるよ。いつのまにか、東都なんて名前になっちゃってさ。
東京、東都、杯戸、米花。何年経っても、季節だけは律儀に巡る。便利なことだ。
――ま、いつまで続くかは見ものだけど」
了

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