第四幕 第十二話

「そりゃあ、東雲の姉さんを引きずり出したらストーリー的にも手っ取り早いんですがねィ」
 それらしい口上を述べるのは、言わずもがな一番隊の切り込み隊長である。
「まァ、やっぱり、近ごろは炎上しやすいんで。山崎なら燃やしても大丈夫だろうってことで、このとおり用意してみやした」
 このとおり・・・・・、目の前にいる山崎さんは心臓を捧げるとばかりに力強く拳を握っていた。
「東雲さんのためになるなら、不肖山崎、たとえ火の中水の中あの子のスカ――」
 以前、わたしがよく着ていた小豆色の着物姿の山崎さん。頭には、鏡の中で双子のようにうり二つの茶髪のウィッグ、唇には紅を載せて。
 意気揚々と、宣誓を決める――わけもなく。
 パンパン、と沖田さんが気だるく手を叩いた。
「ということで作戦開始ィ。さっさと位置についてくだせぇ」
「最後まで言わせてええエエエ!?!?!」
「うるせーぞ、山崎ィ」
 本当に大丈夫、かしら。
 弾き飛んだその残像を焼きつけながら、すーぐにプロレスを始める小学生男児に頭を悩ませる新任教師の気持ちで湯呑みをそっと両手で包み込んだ。

「囮捜査、ダメゼッタイ」と近藤局長に口酸っぱく言われたのもなんのその。沖田さんを筆頭にストーカー捕縛作戦が決行されることになったのは、もちろんあの日の話し合いが発端だ。
 制止するだろうと勝手ながら予測していた土方さんも、蓋を開けてみれば、「山崎なら問題ねェだろう」とばかりの顔つきであった。「慎重に、慎重にね、最近はホラいろいろうるさいからさ」と宥めようとしていた上司を、「大丈夫でさァ、この責任は土方がぜんぶ取るんで」と若き一番隊の長が一蹴して、この作戦が出来あがった。相変わらずのとんでも感だ。それをやれやれと受け入れている自分も――もうすっかり毒されているのだろう。思い出すとちょっぴり笑えてくる。
 作戦内容は単純だ。いつも利用する大江戸マートまで、まずは買い出しを装い隊士の一人と行動をする。その後、急用ができた隊士と現在待機している茶屋の前で別れ、しばし休息をとってから、再び、ふらり往来へ姿を見せる。この、「平時を装って屯所の外へ出て」「消えたかと思いきや再び往来へ姿を見せる」ところが肝であり、作戦中、お茶をしに立ち寄ったていの茶屋で山崎さんとわたしが入れ替わるのだ。そうして、犯人の目を欺く。
 少○探偵団はおろかカス○ベ防衛隊にさえ見破られてしまいそうなとんでもトリックではあるけれども、参謀曰く、「手に入れたかった女をとられて、挙句、さんざん見せつけられ、焦らされとありゃ、切迫詰まった野郎は飛びついてきやすぜ」とのこと。
 そうかもしれない、と納得してしまったのは、爆風を浴びたから――ということにしておこう。
 でも、正直、この状況に耐えられなくなっていた。
 最後にはっきりと被害を受けたのはあの写真が送られたときだとしても、「なにも起こらない」「気のせいだ」などと無垢に信じていられるほど、わたしは平和な世界で生きてきたわけではない。
 それはこちらの、「江戸」というくに・・にある「かぶき町」という町に来てからの話ではなく、四半世紀を生きてきたなかで、静かに独りで積み重ねてきた女の歴史に近い。あれ、と思った瞬間の幼少期の小さな違和感が、「ああ、これはそうだな」――と、大人になりあらゆる場面で答え合わせがなされていく。
 はじめは恐怖や嫌悪が強くても、いつしかそれらが当たり前のように繰り返されて、口を閉ざして。そうして、積み重ねて、押し潰して――わたしたちは生きている。

「すみません。山崎さんに、こんなことをお任せして」
 最終確認に入った「かりそめの東雲凛子」像は、……まあ、自分にハッキリ重なりはしないけれども、妙に女らしくちょっぴりいじらしくもある。
 銀さんがこの場にいれば、わたしと見比べて「ぷっ」と小さく吹き出したであろう。思い浮かべて、ちょっとムカついたので脳内で銀さんのブーツを踏み締めた。イッテェな! 暴力女! とすかさず反論が飛んでくるが聞こえなかったことにする。
 ともかく、座卓から離れ畳へ指先を突いたわたしに、山崎さんはかぶりを振った。
「気にしないでください。これが俺の仕事ですから」
 ――女性だって、安心してこの街で暮らす権利があります。
 そう、彼が言ってくれたことを、ようやく思い出して鼻の奥がツンとした。
 ――そのために俺たちがいるんですから。
 その言葉を、今は心から――なんだかんだ――信じている。

 足を踏み出した世界は、いつもどおりの様相だった。あちらこちらで、人びとの暮らしが営まれ、その片隅に存在している。踏みしめた地面はふわふわしていて心もとなかったが、心のたすきを締めて、パトカーで戻ってきた屯所からゆっくりと件の繁華街を目指すことにした。
 女中方のみなさんは、今日の予定を知らない。ちょっと外へ出てまいりますね、と言ったわたしを、「気をつけるんだよ」「マヨラーになんかされたらすぐ言うんだよ。今度屯所のマヨネーズ全部キュー◯ーからピュア○レクトに変えておくから」「それもハーフね」「沖田隊長のメス豚にされないようにね」和やかに送り出してくれた。
 屯所から茶屋まではそう時間はかからないというのに、いつまでも終わらない迷路を歩いているようで、やけに喉が渇く。
「いやあ、それにしてもタイムセールに間に合うといいですねえ」
 大型犬の彼が、ときおり振ってくれる話が慰めでもあった。
「ええ。あと、ねこやの限定花見大福も、帰りに買えるといいですね」
「ねこや! あそこの和菓子は絶品なんすよねえ! いつも沖田隊長が独り占めするんで一個も食べたことないけど」
 事がうまくいったら、ぜひ買いましょうと彼なりの気遣いだったのだろう。屯所で話した淡い期待を持ち出せば、彼は頭を掻いて、無邪気にも犬歯を見せて笑った。
「――っと、東雲さん。急きょ連絡が入ったため、あちらの茶屋にてお待ちください」
 それからは、あっという間だった。慇懃に頭を下げた隊士の彼に礼を返し、馴染んだ往来をひとつふたつと進む。吹く風は冷たいというのに背すじが汗ばんで、肩にかけた羽織りのすそをぎゅっと掴む。
 いよいよ、いよいよなのだ。
 店先に並んだ床几の横で客入れの女性がにこりと微笑んで、手まねきをする。
「どうぞ、店先は寒いので、上がっていってください」
 笑みを返した口もとが、引きつっていなかったか。
 では、と背後でふたたび一礼をする隊士に、安全を願うひと言だけを送って、精いっぱいの一歩を踏み出す。……

「……チッ、ホシは現れなかったか」
 窓際でサングラス越しに双眼鏡をのぞいている。
 金糸がさらり優雅に揺れたその横で、紫煙がゆっくりと天井へ向けて立ちのぼっていた。
「さすがの山崎じゃ、騙されなかったってこった」
「いけると思ったんですけどねィ。なにせ、変装相手は姉さんですし」
「……さりげなく、ディスっていませんか?」
 薄目を向けたところでなんのその、「ディスるなんてそんな、真実を述べたまでですぜ」と双眼鏡とは反対の手に握っていた「んまい棒」をむさぼる。
「よほど、酷たらしい真実を突きつけてくれましたけど」
「さすが、姉さん。目のつけどころがシャープですねィ。マァ俺はプラズマ○ラスターよりかは霧○峰派ですけど。あっ間違えたア○リスだ。危ねェ、今どき大山、大山が一番。とにかくまあ細かいとこまでよく気づくモンだ」
 バリボリバリボリ、もはやなにも言うまい。肩をすくめて空になった湯呑みにお茶を注ぐ。
「アー、ジュースが飲みてェなァ。ちょっとそこまで行ってオロロミンCでも買ってくっかなー。でも、手が離せねえしなー。だれか暇してタバコふかしてる野郎が行ってくんねーかなー」
「テメーは、もう少しオブラートに包みやがれ」
 しかし、なんだかんだと盛大な舌打ちをして土方さんは立ち上がる。
「ね、チョロい男でしょう?」
 またこの人は。これまた鉄拳制裁ものだなと思いつつ、緊張の糸がほぐれて、「仲がよろしいですね」と小さく息をついた。
 嵐の前の静けさか、それとも、台風一過か。土方さんがジュースを買いに出たあとも、沖田さんは外の様子をうかがっていた。現場を守る隊士たちからは音沙汰もなく、時間ばかりが過ぎていく。
 いつもどおりの往来。お天道さまが西へと傾きだし、大店のおもてを燦然と照らしだす。「佑」の字を背負った飛脚が颯爽と走り、棒手振りの少年少女がちらちらと帰路につく。スーパーのチラシを眺める女性、タバコをふかすサングラスの男性、犬耳やうさ耳や、立派な触手に、通り過ぎる、白い大きなオ◯Q――まるで、夢みたいな整然とした光景。
 こちらが動きを見せればそれに乗っかってくるだろうというのは、浅慮な考えだった。漫画みたいにトントンと物語が進んでいくなんていうのは、それこそフィクションのなかのもので、この世の理に適っていると言わんばかりに、あまりに見え透いた作戦では物語は動かせないらしい。
 向こうがこちらの思惑に気づいてしまえば、きっと今後の捜査は困難を極めるだろう。何か月も雲隠れして、そしてパッと思い出すのも難しいくらいになったころに、足をかすめとられる。
 沖田さんの言うように、焦りや怒りのすえ、我をも忘れて突っ込んできてくれるのならば――。
 けれど、その姿が見えないから、深く考えたところでずるりと闇に落ちていくだけだ。ふつふつとした、深いふかい、沼の底に。
 ただ、恐怖よりも徒労感よりも、今は、怒りのほうが強くわたしの足首を掴んでいる。
「土方コノロヤロー、どこまで行ってんでィ。こりゃまた一服ふかしてやがるな」
 よれよれになったスナック菓子のマスコットキャラクターを、ぼう、と眺めている。
「姉さん、ちょっと見てきてくれやす?」
「……わたし?」
「ええ。たぶん裏から出たとこを右に行って、酒屋近くの販売機なんで、そう遠くはねェでさァ」
 すぐさま頭の中に浮かんだ地理に、意識をたぐり寄せてこくりとうなずく。
「そうですね、あそこなら」
「ションベンでもしてようモンなら、後ろから蹴飛ばしてくれて構わねェんで。公然わいせつ罪でしょっ引いてやりまさァ」
 ――そんなことは、できるはずもないけれど、息を吐きだすだけの元気は分けてもらえた。
 きっと、そんなつもりはみじんもないのがことひとなのだけど。
 器用にも「んまい棒」を口に咥え、空になった手をジャケットの胸もとへ差し込むと、沖田さんはいくらかの小銭をわたしの手のひらに載せた。
 山崎さんは、すでに往来を進み、大江戸スーパーへと向かっていることだろう。スーパーで買い出しを済ませ、ふたたび茶屋に戻ってきたところで作戦は大詰めになる。隊士と合流したその後は、わたしは茶屋の裏手から別の車に乗って屯所へ戻る。
 一本路を逸れた表通りからは、賑やかな午後の声が聞こえてくる。
「しかし、困ったねえ」
「アンタんとこもかい」
「そうさ。とっくに約束の時間は過ぎてるんじゃがの」
 沖田さんに言われたとおり、販売機はすぐそこ。酒屋の桶が積み重ねられた先の小路を曲がれば、いくばくもかからない。
「ちょっと前かしら、ウチも、指定した日に届かないことがあって」
「奥さんのとこもかい。先の節句のときには、あっちの小間物問屋の品物が、配達される前だったっちゅうのに道端に捨てられてたって騒ぎになっておったが、よほど忙しない時期んじゃのう」
「荷物も、手紙も、一日やそこらで届くようになったのはエラい便利だったけれどねェ。まだまだアタシら人間は科学の発達スピードに勝てなんだ」
 店と店のあいだ、闇と光のはざま。影が見えて、「土方さん」と、声をかける。
 かすかな、苦い香り――。
 けれど――ちがう。違う、と思ったそのときには、すでに遅かった。
 わたしの腕を影が掴んだ。
「凛子さん」
 光を背に浴びて、翳る表情かお。だというのに、やけにその眼が印象的に網膜に焼きついた。血走った白眼。泣きそうに潤んだ瞳。不規則に浅く短く吐き出される吐息。きつく、肉に食い込む指。
「ずっと、ずっと探してたんです。毎日、長屋で見張ってたんですよ。変なヤツに捕まらないか、酷いことされないか。それなのに、急にいなくなるから――」
「いやっ――!」
 はなして、と振り払おうとした。しかし、その手を振りほどくことはおろか、肝心な声すらうまくひねり出せなかった。
「いっしょに行きましょう。二人で遠くに逃げるんです。ここから離れて、静かな場所で、二人で幸せに暮らしましょう」
 異様な熱があたりに立ち込めていた。それだのに、背すじは冷え切っていて、指先に力が入らなかった。
「さあ、凛子さん――」
 はぁ、はぁ、ハァハァハァハァハァ……。
 獣みたいな荒い呼吸。
 助けてという唇が震えて、音すらも忘れてしまう。

「寂しかったら、いつか、子どもをつくってもいいです。男児でも、女児でも、あなたに似ればきっと愛らしい子に育つことでしょう。いくらでも、金には苦労させません、死ぬまであなたに尽くします、だから、だから……だからだからだから――!」

 立派に「佑」の字を背負っていた半纏が、鈍く光を跳ね返す。陽を浴びて、健康に焼けた肌からじわりと汗の珠が滑り落ちていく。
 ――怖い。
 このまま、わたし――……。
 必死に抵抗していた足から、草履がひとつ滑りころげていった。その瞬間、勢いよくうしろへ――しかし、鈍い衝撃は訪れなかった。
 苦い香りが、するどく鼻腔を突く。
「こんな真昼間から、御高説ご苦労なこった」
 背中を包んだのは、ぬくもりだった。どこかで、たしかに感じたことがあったものだった。
「飛脚の佐助――」
 ふ、と全身の力が抜けて崩れ落ちそうになるのを、たくましい腕が止めてくれる。
「真選組女中、東雲凛子を執拗に追いかけ回し、挙げ句、その尊厳を奪い辱めようとした罪で身柄を拘束する」
 真剣を見るのは、もう、初めてではない。
 音もなく、鋭い刃先が男の首根に突きつけられている。
「こいつの人生は、テメェが好き勝手踏みにじっていいモンじゃねェんだよ」
 和やかな真昼の声が、いまなお続く平穏な世界を描くように、陽射しの向こうから洩れだしていた。
 地面へゆっくりとくずおれた彼の姿は、精気を失った人形のようだった。しずかに、嗚咽が聞こえだした。
「山崎、酒屋の裏手だ」
 刀を下ろし、代わりに胸元から取り出した携帯電話に土方さんは告げる。
 その低い声が、張り詰めた胸をそっと撫でるようだ。
「すぐに総悟を呼ぶ。先に屯所に戻ってろ」
 うなずいたわたしを胸から起こし、男から隠すように前に立ちはだかる。
 呆気ないような、これが現実ではないような、不可思議な感覚。吐き出せない大きな塊が喉もとに痞えて、どうにかしようにも飲み込めずにそのまま呼吸をくり返すしかない。
 こんなにも、やるせなくならなくちゃいけないなんて。苦しまなくちゃならなかったなんて。わたしのなにがいけなかったのだろう。なにが彼を突き動かしたのだろう。わたしさえしっかりしていれば。わたしさえ気をつけていれば。――でも、わたし、なにかいけないことをした?
 こんなにも――あんなにも・・・・・、怖い思いをしないと、いけない人間だったの?
 悔しい。苦しくて、やるせなくて――。
「おい、東雲」
 落とした視線の先に、黒い革靴の爪先が映る。
「余計なことは、考えるな」
 ……そうだ、こんな悲劇のヒロインじみた考え。ぐっと渇いた喉を鳴らして、顔を上げる。
 息を吸って、吐き出して。ちら、と地面に崩れたままの彼に視線を向ける。
「あとは、よろしく、お願いします」
 ああ、と土方さんはタバコをふかし、応援に来た隊士たちへ向けて手を挙げた。
 沖田さんが、気だるそうに茶屋の裏口から姿を見せた。
「あーあ、一人格好つけちまって。これだから土方コノヤローは。よっ、愛と自由の戦士、マヨラ13!」
「るせェ、黙れ。テメェはあとで市中引き摺り回しの刑だ」
「黙るのは土方さんでさァ」
 すっとカチャ、小気味いい音が鳴る。
「あっ、東雲のねぇさん三十センチほど右によけてくれやす? そうそう、あっ、そこでオッケーでーす」
「ちょっ、待っ――」
「待てと言われて正直に待つのは犬っころくらいでさァ。あばよ!」

 ドガン――――――――ッ。

 立ちこめた硝煙を、ふっと吐息で払い、金色の髪が揺れる。
「任務完了でさァ。さあて姉さん、帰りやしょうぜ」
 呆然と瞬きを繰り返す間に、事件は幕を閉じた。

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2026年2月16日たゆたえども沈まず第四幕 春にわくのは虫だけじゃない