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 ペコ、ポコ。気の抜けるようなのどかな音がする。薄明の空を感じさせる淡いグラデーションを纏ったガラス玉に、ヨウコは懸命に息を吹き込んでいた。灰まみれになるほど夢中になっていたのだ。自分が集めた火山灰からできたビードロが愛おしいのだろう。言葉はなくとも、きらきらとあえかに艶めく横顔でそれが感じられる。
 もとより感情の起伏が激しいタイプではないが、それこそ感情がないわけではない。ぽっかりとどこかへ落としてしまったかのようにぼんやりしていることもあれば、まるで無垢な子どものように目を煌めかせることもある。それに、トクサネの彼の家に突然現れた瞬間の彼女を思い出せば、むしろ、きっと本当の彼女は感性豊かなのではないか、ダイゴはそう思う。
 頬を膨らませてペコ、ペコ、と不器用に音を奏でるヨウコの顔を見守りながら、彼は昨日の帰りに採ってきた岩石をココドラに出してやっていた。りゅうせいのたきには行けずじまいだが、石拾いはもはや習慣だ。空腹になると、家電やら家具やらを食べ始めてしまうのがこの小さな相棒。規則的にこうして石を与えてやらないと、いつ家が齧られるかわかったものではない。トクサネの家ならまだしも、ここはゲストハウスなこともあって傷つけるわけにはいかないから、朝昼晩、彼だけはボールから適度に出してやり餌を与える。
 ビードロの音色が嬉しいのか、ドララ、とココドラも陽気に声を上げていた。
「こらこら、先に食べておくれよ。キミはすぐ家を齧るんだから」
 小さな体だが、成人男性ほどの重さがあるポケモンだ。ココドラが跳ねるたびツリーハウスが揺れる。それでも楽しいのかココドラは笑いながら不器用なステップを踏む。眉をさげると、彼は石を放り出してダイニングテーブルでビードロを吹く彼女のもとへ向かってしまった。
「だめよ、ちゃんとごはん食べなきゃ」
 足にくっつくいてくる小さなポケモンに彼女は相好を崩し上体を曲げる。白い手を伸ばして、頭蓋を撫でてやる。
 ココドラは気持ちいいのか喉を甘く鳴らしながらその場でくるりと一回転した。
「上手、陽気な子なんだね」
 パッチールのときと、同じだ。ポケモンとの接し方でその人の人となりはわかると言われているが、まさにそうだ。母親のように、姉のように、慈しみをもった瞳。恐る恐るだが、伸びていく手。それは決して、彼らを傷つけはしない。
 ――いつ帰るかわかりませんから
 彼女はそう言ったが、きっと彼女はいいトレーナーになるだろう。バトルの強さなどは関係がない。彼らを彼らとして尊重できる、目と目を合わせて会話をする姿を見ていたらそれは自明だ。
 ヒワマキの大自然の中で、ホウエンの片隅で、それがわかっただけでも儲けたものだ。そんなことを確かめるために旅に出たわけではないと言いつつ、少しずつ、確実にすっかり空いて塞がらなかった胸の穴が埋まっていく感覚。
 トオノヨウコという人間をその実彼はよく知らない。今目に映る彼女の姿しか。けれど、それ以外なにが必要なのだろうとさえ思う。
 ――素敵だなぁと思って
 時折、彼に向けられる顔より何倍も優しい女性のかおで、切なく焦がれるようなかおで――そこまで思い至って胸に疼きを感じ、ダイゴは息をついた。
「今日は、シダケに向かおうか」
 キミも、外に出たほうが気も紛れるだろう。ココドラにちらと視線を向けて言う。
「シダケ?」
「ああ、キンセツから西へしばらく行ったところにある町なんだけど、空気がとてもきれいでね。それにおいしいランチでもどうかと思って」
「ドラッ」
 きょとんとウパーの目をする彼女の代わりに、ココドラが威勢よく返事をした。キミってやつは、苦笑して、キッチン傍にあるキャビネットから地図をとりだす。
「ヒワマキから山をおりて、海を渡り、キンセツへ。そして、ここがシダケ」
 緑のジャングルからコンクリートジャングルを経由し、再び自然の郷に戻る。地図にしてみるとホウエンは本当に自然豊かな島だ。
 ダイゴの指先を無垢な瞳が追いかける。かすかに感じる熱に、つい口角が上がる。
「帰りはキンセツでショッピングといこうか。そろそろ生活用品も買いたさないとならないだろう? そうだな、あと、ちゃんぽん麺は好き?」
 おもむろに、顔があがる。にびやかな照明の中であえかに彼女のふたつの琥珀が瞬き、彼を射貫いていた。
「決まりだね」ダイゴは唇を薄くした。

 雨上がりは心地いい。立ちのぼる大地の香気だとか、露にきらめく草花だとか、雑音さえ包んでしまう潤んだ空気だとか、雨のさ中とはまた違う静謐さがそこにはある。雨がアクアマリンならば、雨あがりは透度の高いブルーのムーンストーンか。ああやっぱり、水晶でもいかもしれない。やわらかく世界を映すほうせき……。
 ぬかるみに足をとられぬよう手を差し出して、エアームドから彼女をおろす。白いブラウスがふわりと揺れ、まるでチルタリスが舞い降りたように思えた。だが、あまりに見ていると怪訝な顔をされるため、一人やれやれ肩をすくめて腕を引き寄せた。
「エアームド、キミも少し散歩するかい」
 おりたのは、シダケではなく117ばんどうろのキンセツ側。ちょうど近くに育て屋の屋根が見える場所であった。
 羽を広げて返事をしたエアームドに笑みを返し、そっと送りだすとすぐさま彼は空に舞い戻った。
「すごい、もうあんなところまで」
 一陣の風が立ち、彼女が隣で髪を押さえながら空をあおぐ。すでに銀鳥は高く雲の上まで昇っていた。
「たまには思いきり羽を広げることも、だいじだからね」
 雲の切れ目から光芒が射す。その目映さに目を細める。
 シダケまでは平坦でまっすぐな道が続いている。舗道の脇には草むらが茂り、少し先には木のみのなる木や豊かな池がある。ポケモンコンテストの会場があるくらいで特筆した場所はないが、それでも空気の澄んだこの場所を歩くのはそれだけで価値があるものだ。
 雨上がりの、透明な空気で胸を満たしながら、自然の中を行く。濡れた草花に、踊るマリル。樹々のあいだからは雨宿りをしていたバルビードが飛び立って、ぽたりと水が滴る。枝にはケムッソが、はたまたイトマルが、優雅にうたうロゼリアのうたを聴いている。
 ココドラを出してやると、勢いよく彼女の足もとへ駆け出していった。
「ずいぶん懐かれたみたいだ」
 一瞬でどろだらけになった足を持ち上げ、じゃれつこうとする。困り顔の彼女を助けに、サッとその小さな体を抱き上げると、駄々をこねた。
「こら、泥が飛ぶだろう」
「……もう、遅いですね」
 ふっと息がもれる音がして、彼女が指をさす。すでに、シャツにはぽつぽつと茶色いシミができていた。
「ココドラ」
 おまえってヤツは……ハァとため息をこぼすが、ココドラは味をしめたのか陽気に喉を鳴らして、足をバタつかせる。
 ふふっ、今度は笑い声が聞こえてきた。すみません、と謝るが、彼女の顔はふにゃふにゃと崩れたままだった。小刻みに髪が揺れて、胸もとに落ちる。それを厭うことなく彼女は、これでもかと腕を伸ばして抵抗していたダイゴの手もとに顔を寄せる。
「お茶目だね」
「あ、おい、ココドラ――」
 と、声を上げたのもつかの間、彼は泥のついた足を彼女の頬に押しつけた。
「すまない、今ハンカチを」
「いえ、だいじょ――」
 不意に、彼女が動きを止めた。
「……どうかしたのかい」
「いま、声が」
「声?」
 彼女は丸い足あとを頬につけたまま、辺りを見渡す。
「ヨウコ? ――ヨウコ!」
 だが、静止の声も振りほどき――否、まるで届いていないかのように一心不乱に草むらに歩み寄っていった。
 突然、野生のポケモンが飛び出すこともある。無闇矢鱈に近寄っては、また、彼らを驚かし刺激してしまうだけだ。慌ててココドラをおろし、草むらに踏み込む直前のその腕を引き留めようと掴む。
「危ないだろう、もっと慎重に――」
 ――――。
 幽かに、声がした。
「今の」
「聞こえましたか」
「……ああ、ポケモンだ。それも、衰弱している」
 彼女を引き寄せ、自分の後ろへ隠すとダイゴは草むらをゆっくりかき分ける。舗装されている道から外れるとすぐに雑木林に踏み入った。それまで明るかった辺りが薄暗がりになり、鬱蒼とした空気が立ち籠める。
 ――――……。
 弱々しく、喉を鳴らす声が近くなり、だが同時に遠ざかる。脅かさぬよう慎重に歩き続けると、ついてきていたココドラが、どらっ、と声を上げた。
「……しまったな。すぐにポケモンセンターに連れて行かないと」
 ふくらはぎまで伸びた草陰に見えたのは、地面にうずくまる小さなロコンだった。